スランプ感

最近調子が悪い。風邪は治ったが、調子が悪い。

しかし、待てよ、俺、調子がいい、と感じたことって、あったっけ?

改めてよく思い出してみたら、不調感、スランプ感が常態のような気がした。

その時々に自分が関わっている仕事がクローズアップされすぎると、それが、あたかも人生の最重要、最優先課題のように思われたりして、それを誰かの期待通りちゃんとこなさないといけない自分が理想になったりしかねない。もちろん、その線で一肌脱がねばならない事もある。しかし、ちょっと引いて冷静になれば、もっと重要な、優先すべき事柄が沢山見えて来ることもある。

肩の力を抜くこと。力が入りすぎている時には見えなくなっていることが多いものだ。

授業がうまくいかないとき、その原因は授業をうまく運ぼうとするこちらの都合を優先してしまうときである。ちゃんと学生たちの顔を見ていれば、その時何をすべきかは自ずと分かり、それが見えているときには、授業はうまく行く。授業といっても、生きた人間相手の同時参加型コミュニケーションだから、当たり前と言えば、当たり前。

オニグルミ、トチノキ、プラタナス、「光の道」

札幌、曇り。無風。気温少し上がる。昨日に続き藻岩山の頂上は雲に隠れていた(→ Mt. Moiwa, June 17th, 2008)。

今朝は野鳥たちのさえずりは聴こえなかった。そのかわり、あちらこちらでカラスたちの合図の声がやかましかった。そうか、今日は生ゴミの日だった。

原生林から通りに張り出したオニグルミ(鬼胡桃, Japanese Walnut, Juglans mandshurica subsp. sieboldiana)を見上げる。

街路樹のトチノキ(栃の木, Japanese horse chestnut, Aesculus turbinata)を見上げる。葉が随分大きくなった。

この実は何だろう?

この淡紅色の花はノイバラ(野茨, Multiflora Rose/Baby Rose/Rambler Rose, Rosa multiflora)。ノイバラの花は純白とは限らないのだった。葉の色や棘の有る無し等でも、個体差が大きいらしい。

昨日も記録した見るたびにため息が出る丸坊主に近い印象のプラタナスたちの全景。

非常に嬉しいことに、昨日のプラタナスの記録を見て下さったkinaさん(id:kina)が、そして下川さん(id:Emmaus)が、新宿御苑の森のプラタナスの大木のことを知らせて下さった。下川さんのところでは一年前の記録が素晴らしい写真とともにあった。

その写真を見て、こんな言葉を思い出した。

私たちの身体は、大地とうまくつきあい、光の道に着地し、それを捉えて光り輝き、風とさえずりを呼吸するように運命づけられた実質なのだ。
(アルフォンソ・リンギス『異邦の身体』13頁)