スモールマガジン『ようこそ北へ2008』フラッシュバック3:プレゼントは届くか

31日朝、札幌市内の北に位置するホテルで金ちゃんを拾って、一路日本海を目指した。ホテル一階のコンビニでミネラル・ウォーターを買おうとしたら、レジ横の「ドラゴンボール」が目に留まった。運命を感じた。迷わず一個買った。それを金ちゃんに預け、北海道の裏口みたいな石狩河口で、この際方角は無視して、気持ちを南に向けて「荒野を目指す」気合いを送るよう頼んだ。金ちゃんは、爺は相変わらずおこちゃまみたいだなと笑いながら快諾してくれた。

その日は曇り空。やや天候に不安があった。ところが日本海に近づくにつれて青空が広がった。奇跡。

石狩河口直近の、観光客の行かないとあるスポットで、南に向けて念力を送るパフォーマンスを金ちゃんに頼んだ。川岸から二メートルくらい離れた所には粗末な小さな桟橋があった。ところが川がかなり増水していて、そこに渡るための橋が川に沈んでいた。もしその桟橋の先端に立てたら、まるで川の上にいるような凄い写真が撮れるなあと私が内心思っていることを感じ取った金ちゃんは、危険を顧みず、水没した橋を飛び越えて桟橋に渡ろうと何度が試みてくれた。しかし、さすがに、危険だった。私は止めた。無駄な危険は冒さない。あそこで金ちゃんに無駄な危険を冒させて川に流されていたら、それでなくとも暗い日本の将来は真っ暗になってしまったことであろう。

というわけで、川岸の安全な場所から川の神様にご挨拶をしてから、金ちゃんにドラゴンボールを飛ばしてもらった。

そんなミッション遂行を終えてから、ついでにすぐそばにある石狩燈台に向かった。そのあたり一帯はハマナスの群生地と謳われ観光向けに整備された公園になっている。本来の群生地は石狩川をはさんだ反対側にある。そこには巨大なゴミ処理施設の北石狩衛生センターの煙突がもうひとつの燈台のように聳えたっている。私は公園内の展望台に小用を足しに行った。一階には売店があって、そこで、今回のシュッポロ・ロゴをデザインしてくれた金ちゃんの仲間のデザイナーさんと写真家さん計3名分の文字通りささやかなお土産を買った。厚田最中とサーモンパイ。ところがそれが彼らへのお土産であることをちゃんと明言するのを忘れたのだった。金ちゃんは気づいただろうか。それとも甘いもの好きの金ちゃんは帰りの機中でぺろりと平らげてしまったであろうか。それだけが気がかりなのであった。

石狩河口を後にした私たちは今度は一路銭函(ぜにばこ)のとある番屋を目指した。知人の漁師がやっている海に面した小屋である。JR札樽線の線路が剥き出しで、フェンスもなにもなく、わずか1メートルすぐ横を電車が走るという危険なところを歩いて行かなければその番屋には辿り着けない。別に肝試しをしているわけではない。その番屋が面している海を金ちゃんに見てもらいたかったのだ。あいにく漁師さんは沖に出ていて留守だった。隣の小屋でホッキ貝を剥いていたお母さんとお祖母さんが教えてくれた。私たちは番屋の横をすり抜けて海岸に出た。石狩湾の気持ちのよい景観が一望できた。

そこで馬場君(id:babayuhei)、倉田さん(id:atkura)、辻さん(id:Ronron)、そして中山さん(id:taknakayama)からの熱いメッセージが寄せ書きされた東京からの色紙(そう言えば、届けてくれたのは田中さん?ファジーさん?)、そして今回かにさん(id:kany1120)が作ってくれたシュッポロ・カードを日本海に向けて祭壇のように仕立てた。こんな風に。


二つ目のミッション遂行を終えた私達は、銭函駅近くでめざとく見つけた札幌軟石造りの古い蔵を改装した喫茶店に迷わず立ち寄った。なぜか名前は「大阪屋」。その由来を訊くのを忘れた。女主人とパートの婦人の二人で切り盛りしているようだった。一階はカウンターのみで、馴染みの女性客が数人いた。私たちは客のいない二階に上がった。昭和30〜40年代風の内装で、古ーいジュークボックスが現役で存在していた。聞ける曲の中には「神田川」(1973年)があった。そこで爺は金ちゃんに人生の真実と世界の将来について説教したのだった。もちろん、金ちゃんは人のホラ話には耳を貸さない。

店を出る時、私は見逃さなかった。金ちゃんが女主人とパートの婦人を「ナンパ」しているところを。パチっ。