バイオマスのコップからコンサートの背景へ


バイオマスのコップ

楽屋のテーブルの上には3本のソフトドリンクのペットボトルとプラスチックのコップが用意されていた。スタッフの一人からそのコップを手渡されたときに、「あれ?」と思った。よくあるプラスチックの硬質の冷たい手触りとはまるで違って、掌に優しく馴染む暖かく柔らかい感触のコップだった。それはバイオマスのコップ、すなわちカーボンニュートラルな植物由来のプラスチック製のコップだった。その感触は決して忘れないだろう。

公式ガイドブック「5 green hand book」によれば、コンサートツアー『Ryuichi Sakamoto Playing The Piano 2009』では「グリーン・オペレーション」と呼ばれる環境への負荷を低減する取り組みが、

  1. ツアー全体
  2. バックステージ
  3. カーボンオフセット

の三つの観点から徹底して行われたという。以下、公式ガイドブックを参照しながら、その概要を私なりに整理してみる。

基本的な姿勢は「ローカルであること」。実際にホールから楽屋まで、消費するものは何でも、手元に届く過程での二酸化炭素排出量が少ない、地元のものを可能なかぎり選択し、それでもやむを得ず排出してしまった二酸化炭素は、自分でプラスマイナス・ゼロにすることが実践された。

1.や2.に関しては、いわゆる「3R」が徹底して行われた。

  • できるだけゴミを出さない(Reduce)
  • できるだけリサイクルする(Recycle)
  • できるだけ再利用(Reuse)する。

例えば、チラシの現場廃棄物のゼロ化を目標に「チラシステーション」を設置する。各コンサート会場で不用になったプラスチック製のCDケースを回収するボックスを設置し、集まったケースを再利用する。ツアー中の楽屋への花のプレゼントは事前に断りを入れ、代わりにモア・トゥリーズカーボンオフセットへの協力を呼びかける。会場用の展示ラックには間伐材を活用し、ツアー後も再利用する。来場者にはできうるかぎり公共交通機関の利用を呼びかける。コンサートで使う楽器、コンピュータ、マイク、アンプ、照明、バックヤードなどで使用する電力は、風力、バイオマス、小水力、太陽光などの二酸化炭素を出さない再生可能エネルギーを購入する。ツアースタッフ専用のIDパスは使い捨てではなく、リサイクル可能なプラスチック製にする。スタッフ用の飲料はペットボトル飲料ではなく、携帯マグカップバイオマスカップを使用する。水は輸送のために多くのエネルギーを消費し二酸化炭素を排出するミネラルウォーターではなく、世界一安全でおいしい日本の地元の水道水を飲む。スタッフが使用する食器はリユース食器を用い、ケータリングサービスを利用する。等々。

3.カーボンオフセットに関しては、チケット代金に二酸化炭素1Kg分をオフセット(相殺)する料金、モア・トゥリーズが発行する1クレジット分が含まれている。1Kgとは私たち1人あたりが1日の生活で排出する二酸化炭素量6Kgの6分の1に相当する。それは1Kg分を吸収してくれる森を再生するモア・トゥリーズの活動に充てられる。

見事だと思う。

昨夜書いた感想の最後を「坂本龍一にあっては、すべてが音楽に流れ込み、音楽がすべてに通じているんだな、と改めて実感した。」と結んだときに、ぼんやりと念頭にあったことが少し言葉にできそうだ。

コンサートに足を運んだ人は誰しも、会場が演奏会のための一時的な単なる容れ物ではなく、地球という巨大な生命体を構成する末端の細胞のようなものとして繋がっているのだというメッセージを無意識に受け取ることになる。実際に、坂本龍一のコンサートは音楽による一時的な癒しや陶酔を否定することなく、しかし最後には日々の生活における深い覚醒を静かに促すような力に漲っていた。それは彼自身のカジュアルで自然体の佇まいからも強く感じられた。彼のいわゆるエコ活動の大きな特徴は、善意の押し売り、強制ではなく、人間にとって本当に気持ちの良いことに対する自発的な共感を静かに促しつづけることにある。それは遠回りのようでいて、一筋縄ではいかない厄介な人間にとっては、実は一番の近道なのかもしれない。