2009年10月20日
瞬視
写真 |
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ハルニレ(春楡)がど真ん中に聳える校庭でサッカーに興じる中学生たち。写真では右奥がそのハルニレ。左手前に写っているのはプラタナス。信号待ちしている時、ふと右を見やるとボールを追いかける制服姿の男子中学生たちが目に飛び込んできた。思わず撮った。車で移動中は信号待ちの間によく撮る。いつでも撮れるように、デジカメを助手席に置いてある。走行中は決して撮らない、信号待ちで停車しているときにしか撮らないことを自分に課している。一戒である。当然、走行中に訪れることが圧倒的に多いそれなりの「決定的瞬間」をことごとく逃しているが、「チクショー」と叫びながら、賭け事のように楽しんでいる。そのお陰か、停車中に、ありふれた何の変哲もないような光景に埋もれた「決定的瞬間」を探す目が生まれたような気がしている。もちろん、すべては自己満足にすぎない。それにしても、そもそも、車の中はガラス張りのカメラ・オブスキュラみたいなものだし、運転は人を「撮る」態勢に近づける働きをするような気がする。
ところで、上の写真がそうだと言いたいわけではまったくないが、藤原新也『全東洋街道(下)』の中に「瞬視」という禅用語を写真撮影に当てはめた説明がある。
私は中国の昔の禅用語に”瞬視”という言葉があるのを思い出した。
長くものごとを見つめていると、事象の真の姿は逆に隠れて見えなくなるから瞬時に見抜け、ということだ。
ここには既成の意味を取り払った無意識の状態で、外から、一瞬、眼に飛び込んでくるものを受容するなら、物事の本当の姿が見きわめられると言うことが言い表されているのだと思う。
この禅用語は写真を撮る行いによく似ていると言える。長々と見つめて撮った写真は優等生的で外面の形がよく写っているが、事物の魂の中まで光が届いていない。それを逆に、自分が空虚になっていて、一瞬見えたものを受け入れてしまった画面には、外面以外のものが写っている。(279頁)
つまり、「不図(ふと)」訪れる深い覚醒状態だと思う。歩きながら写真を撮ったり、車の中から写真を撮ったりすることを性懲りもなく続けることで、そんな状態にいつでもどこでも入れるようなトレーニングをしているのかもしれないと、フト思った。
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