悲しみを聴く島:写真家内田亜里の「火山島」


金石範“火山島”小説世界を語る!―済州島四・三事件/在日と日本人/政治と文学をめぐる物語

金石範“火山島”小説世界を語る!―済州島四・三事件/在日と日本人/政治と文学をめぐる物語


本書は安達史人と児玉幹夫による金石範へのインタヴュー集であると同時に済州島の<現在>の「写真集」でもある。本書に収録された58枚の写真のうち11枚は老いても枯れることのない金石範の凛とした姿、残りの47枚は主に島で働く女たちと島の自然を撮影したものである。すべてモノクローム。撮影したのは1978年生まれの内田亜里である。二〇〇八年四月、四・三事件六十周年記念式典に出席する金石範のスケジュールに合わせ、本書で使用する写真を撮影するために、安達史人と児玉幹夫、そして写真家の内田亜里は済州島に向かった。児玉幹夫は「あとがきにかえて」の中で内田亜里の写真家としての矜持と彼女の撮る写真の特質について次のように語っている。

 われわれの滞在は三泊四日と短かったが、実に貴重な時間を過ごした。宿泊は済州旧市街、観徳亭向かいのホテル。ここは『火山島』ではお馴染みの城内とよばれる作品舞台の中心地であり、周辺を歩くだけで小説ゆかりの場所にいくつも出遇えた。そんな私の一読者の感慨とはよそに、己の感性で済州島と、そして小説家金石範と真剣勝負していたのが写真家の内田亜里さんである。彼女はこれまでアート系の写真を表現の場にしてきたが、本書で人物と風景を本格的に撮ることになった。
 彼女が金石範氏を撮るのは、本書第二章のインタヴュー以来。遺骸発掘現場のことを涙をこらえながら話す作家を前に、彼女はシャッターを切らなかった。帰り道そのことに私がふれると、「ああいうときは撮らなくてよいのです」と静かに答えたのを覚えている。
 済州島では、NHKの取材クルーに同行できたおかげで、市街のほかに中山間地帯の山泉壇や観音寺に立つ金石範氏もカメラに収めることができた。ここは氏が少年時代の一時期を過ごし、ふるさとの原風景として心に焼きつけた場所である。亜里さんの撮る金石範氏の写真には、作家の心象風景と現実の風景が交わったような不思議な雰囲気がある。
済州島は地面から湧き上がるエネルギーがすごいです」亜里さんはそう言って、金石範氏と別れたあとも勢力的(ママ)撮影を続けた。その後、彼女は単独で済州島を訪れ、一週間にわたり島ほぼ全域を撮影している。本書に収められた写真は、そんな二度に渡る済州島の撮影から成り立っている。
 私は亜里さんの写真に漂う虚無的美しさに、金石範氏が描く虚構の済州島を重ね合わせてしまうが、そうではなく、彼女独自のまなざしが金石範文学に応答したといった方が正しいかもしれない。本書のなかで、金石範氏の話す言葉と内田亜里さんの写真は、音楽のように呼応しあっている。この若い写真家は、金石範文学に、自身が見いだすべき新たな光景があることを直感したんではないだろうか。(児玉幹夫「あとがきにかえて 金石範文学の先に見えるもの」より、『金石範《火山島》小説世界を語る!』364頁〜365頁)


なるほど。金石範にとっては小説世界のなかである意味で「奪還する」しかなかった「ふるさと」の島は、古来「女護の島」とも呼ばれ、海女の島としても知られる、いわば女の島、母の島である。内田亜里の撮影した写真にはまるで「悲しみを聴く石」から出来上がったような島の風物と並んで多くの老いた働く女たちが写っている。彼女の公式サイトの作品ページを見ると、2008年以来毎年4月に済州島を訪れて撮影していることが分かる。暗示的なのは、2008年、2009年の写真はすべてモノクロームだが、今年2010年4月に撮影された働く女たちの写真はすべてカラーであることだ。それは、写真家が島で暮らし働く老いた女たちの存在に、<明日>を確信した証拠のように感じられた。写真家は児玉幹夫の言う「金石範文学の先に見えるもの」を写真によって先取りしていると言えるかもしれない。


Ali uchida Photography


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