記憶の接続


銀座復興 他三篇 (岩波文庫)


朝日新聞の朝刊に川本三郎さんが三陸鉄道岩手県の沿岸被災地を巡った紀行文「復興は食と鉄道から」が掲載された。肩肘張らない、低い視線からの、等身大の文章に好感が持てる。


瓦礫の山がいたるところに残っている被災地で、食堂がいくつも営業していることに感動していることが伝わってくる。自然な連想として、三月に岩波文庫で復刊された関東大震災のあとに書かれた水上滝太郎の『銀座復興』がさりげなく紹介されている。

震災で廃墟同然となった銀座で、居酒屋の主人夫婦がバラックを建て店を再開する。「復興の魁(さきがけ)は料理にある」と謳って、銀座はこの店から復興してゆく。


『銀座復興』の「復刊」は、本文の結びで、次のような大槌町の復興作業のエピソードにつながる。

 大槌町では、瓦礫に土をかぶせ堤を作り、そこに植樹をしていた。町長の「瓦礫は遺品でもある。震災を風化させず、鎮魂の森にしたい」という言葉が印象に残った。
 堤はまだ五十メートルの短いものだったが、その両端に「次回接続部」と看板があった。町に残る瓦礫を移し、堤をこれから着実に「接続」していってほしい。


一旦は断ち切られたかに思われた記憶を接続する作業として、復刊と復興が重なって見えてくるような気がした。