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ぎっこんばったん録その後

2017-01-28

森山優 感想文

15:48

Gへ

 メールを読んだ。

 『法隆寺を愛した米国人』については、実はまったく同じ感想を持った。

 アメリカは日本と並んで、「やり手婆文化」が瀰漫したいまの世界のなかで、希有なほどナイーブな国。──あとひとつ、スペインを加えよう。あのアメリカ征服はスペインのナイーブさなしに説明するのは不可能な気がしてきた。──

 ナイーブさ(crap・teacher用語で言う「童貞文化」のこと)は、時として露骨さとして現れる。日本の中国侵略(あれを「侵略じゃなかった」と強弁するのはもう止めよう)がそうだったし、尻込みしていた日本を開戦に引きずり込んだアメリカの「対日制裁」もまたそうだった。フーバーのしたこともそうだ。いまトランプがしようとしていることも、そうでなければいいのだが。

 ヨーロッパのやり手婆たちは、日本とアメリカの凄惨な戦争を「いい気味だ」としか思っていなかったんじゃないかな。なぜなら彼らは、アメリカの田舎者たちに、表向きだけにしろ、お追従を口にする自分たちが、すでにナイーブさを失っていることを痛烈に意識していたはずだから。

 そのやり手婆たちの国で、いったいどのくらいの数のアメリカ(そのなかには日系人も混じっていたのだが)の若者が血を流したことか。──「自由」のために? でも、「自由」って何だ?アメリカ人の「自由」とは自分たちが脱出してきた現実からの自由ではなかったのか?(「一世が語りたがり、二世が聞きたがらなかったことを、三世は思い出したがる」と言ったのは誰だったか?でも、日系在米三世は例外に見える。)

 二百万近いという日本の戦死者には「故郷の母親や妹たちや子の日常を維持するため」という幽かな動機を信じる自由があり得たから、まだしも一抹の救いがあったと思いたい。

 『日本はなぜ開戦に踏み込んだか』に東条英機のことが書かれている。

 陸軍大臣だった時強硬な主戦論者だった東条は、首相になったとたん慎重派に成り変わり、陸軍からは裏切り者視されたという。その正直さが天皇の信頼を得た。東京裁判では、天皇に累が及ぶのを防ぐため、「赤心」東条は罪を一身で背負う。

 陸軍大臣だったときも、首相として戦争を指揮したときも、東京裁判被告になったときも、そのナイーブさは、嫌になるほど何ら変わりがなかった。

 前にも書いたことがあるが、当時の日本の最大の失策は日独伊軍事協定を結んだことにある。なぜ日本は旗幟鮮明にしたのか? 松岡たちの意図とは別に、日英同盟解消後の日本は自分の曖昧さに耐えられなかったからだ。(戦争でも平和でもない曖昧さに耐えられなくなった日本は戦いに訴えた。開戦を知った野見山暁治さんが「なんだかホッとした」という回想は実に正直だと感じた。「どうなるかは分からないけど、これで遠くない時期に、ともかく決着がつく。」ただし、そのとき、自分が徴兵されるかも知れない、ということには思い至らなかったらしい。)

 アメリカの「門戸開放」を受け入れなかったことも、「中国膺懲」の看板を下ろせなったことも、「万一に備えて」戦争に必要な物資獲得に動いたことも(いったん動き出したらそれはもう「万一」ではなく既定路線化する)、ナイーブと呼ばずにどう説明ができる?

 陸海問わず、長を持たない軍部の責任の肥大化とともに、この国の童貞文化は筋金入りだし、それは今も変わってはいまい。

 でも、だからと言って「だから日本はダメだった」とは結論付けたくない。

 マーガレット・サッチャーは「1000年にわたって私たちは自分たちの歴史を書き続けてきた。私たちの子孫はその歴史を書きついでいくのか?それとも書かれる側に回るのか?」と言い残した。いまイギリスは果然と「自分たちの歴史を書き継ぐ」選択をした。

 が、フランスは、韓国中国同様に「自分たちの現代史」を持ち得ない。ドイツは「ナチ史」でそれを代用することにした。EUはひとつの歴史を共有化するために「科学的歴史」を定めた。でも科学的歴史って何ですか? 

 固定された歴史は、大統領が変わったらひっくり返される法令同様に紙切れに過ぎない。

 かれら(そのなかには、天皇東条英機を含む)はそれがどんなものになるかを見通す能力はなかったが、あるいは見通す度胸はなかったが、「自分たちの歴史を書き足す」ほうを目をつぶって選んだ。その「歴史」を「国体」と言い換えたら、今日言いたいことが伝わるだろうか?

 そしていまや21世紀。その渦中で連綿と続く自分たちの歴史を書き続けている国が日本やイギリスのほかにどこかあるのかな?

 いつものことながら、少しズレて終わります。

 なにか、明るい未来について語りたい。

 日本は自分の曖昧さに耐えられなかったと書いた。そして孤立にも耐えられなかった。とてもじゃないが大人ではなかった。

 ただし、この国に象徴的な神道を見た時、その曖昧さというか、ほとんどいい加減さに、(そのいい加減さは、自分自身のいい加減さでもあるのだが)驚くのを通りこして感心してしまう。

 神道は、いくらソフィストケイトしてみても土俗宗教そのままだ。その土俗宗教は権力や外来の新興宗教と摺合することによって現代まで生き残った。その曖昧かついい加減な、宗教と呼んでいいのかどうかも判然としないものお陰で我々は魂の在りかをイメージすることが出来る。

 ことば遊びに取られるかも知れないが、「ピュアではないがナイーブ」であるお陰で現代人のなかで生き残っている宗教はほかにもある。

 スペイン(あるいは中南米)のカソリックイギリスアングリカン・チャーチアメリカゴスペル

それらと日本のソフィストケイトされた土俗宗教密教は、どこかで心を通わせ合うことが可能なのではないか?

2017-01-27

KS

11:36

 ずいぶん気が重たいが、メールをします。

気が重たい理由のひとつは、いま『日本はなぜ開戦に踏み切ったか』(新潮選書)を読み始めていることにある。(これは名著です)まだ半分ほどまでだけど、当時の日本中枢部の錯綜ぶりが実証的に活写されている。政治家軍部官僚も、よく気が狂わなかったものだと感じる。気が狂わなかったのは、彼らの頭脳が頑強だったことと、彼らがそれぞれ拠って立つ所をもっていたからなんだろうなと感じる。(政治家、とくに近衛秀麿の場合はよく分からんが)拠って立つ所とはつまり陸軍海軍や省庁(その中は諸派分立どころか対立で意見の統一などまるっきり不能な状況だったようだが)。それぞれが「自分たちの利益」を追求して暗闘どころかバトル・トライヤルを飽くこともなく繰り返す。

 アメリカからみたら「日本には明確な意志なぞない」としか見えなかったろう。ハル・ノートを突きつけられて当然だった。(そのハル・ノートもまたアメリカ中枢部での自分の生き残りをかけてのパフォーマンスだった、ときっと著者の森山優は後半で書いているはずだ)

 別の本だったが、真珠湾攻撃成功の報が入ったとき日本の株価が急騰したという話にはガッカリを通り越した。と同時に、朝鮮銀行の株をつかまされ(それが全財産だったという)「はやく手放せ」という助言に「いやぁ、みなが頑張っているときに、そんなことは出来ない」とそのままにしていたという人物シンパシーを感じもするんだが。

 今日は、メールにあった獗にもならぬ瓩効果をあげたアベの「花火」や「イメージ戦略」や「プロパガンダ」についてだ。

 

 政治家は出来もしないことを平気で「やる」と言う。(じっさいにそれを可能にする力を手に入れたとたんにスルッと忘れるならばまだマシなほう。)

 北に拉致された人たちを「取り返す」もそのひとつ。申し訳ないけどそれが実現するのはいつの話かわからない。それどころか福岡ではもっと悲観的な噂が広まっている。

 沖縄米軍基地について「最低限でも県外に」もそうだった。

 福島放射能汚染物質を「全量県外に」もそうだった。

 小学生が考えても無理だと思うことを、どうして政治家は口にするのだろう?

 トランプがTPP脱退の大統領令署名したそうだ。

 いわば「太平洋共栄圏」構想であるオバマのTPPには(個々の具体的な事柄には全くの無知ながら)基本的にEUよりも「未来」を感じていた。

 それに真っ向から異を唱えるトランプが現れたとき、TPPに絶対反対だった共産党民進党が「トランプ頑張れ」と言ったという話を聞かない。彼らにとってTPP(反対)は政争の具であって政策ではなかったのだから。

 PKO法案の時も、あの騒ぎを聞きたくなかった。

 我々の10代の途中まで、共産党も(たしか民社党も)自衛隊違憲だという立場だった。では、どうやってこの国を守るのか、「平和を愛する諸国民の信義に委ねる」という憲法に従って「現在の自衛隊国連軍予備軍に改変しろ。それなら認める。」

 学生時代に朝日が「自衛隊を合憲化することで、憲法の枠内にとどめさせよう」という社説を掲げた時、ほとんど感動をもってそれを読んだ。「こんなに変わったのか?」

 (横道になるが、同じく学生時代──といっても、あなた方はもう社会人になっていたはずだけど──たまたまNHKの深夜放送に当時の外報部の核だった人(顔は出てくるけど名前は出て来ない)を登場させた。あとで分かったがその人は癌で余命幾ばくもなかった。「これから日韓交渉が始まるが、日本政府朝鮮戦争を起こしたのは南なのか北なのかはっきりさせてから交渉に臨むべきだ。」当時はまだ自民党内部でさえ見解が対立していたのだ。)

 自衛隊違憲と考えていた人々は、「国際主義」を唱えていた。国連至上主義と言い換えても良いと思う。その人たちがいまは、国連軍どころか重火器を持てないPKO活動に加わることにも「平和憲法違反だ」と異を唱えている。表現を変えるなら「国連脱退」時代の「帝国至上主義」が「平和国家至上主義」になっただけで、その発想はなにも変わっていない。国際主義を維持しようとしているのは現政権側だし、大半の有権者はそれを支持している。

 TPPの話に戻る。

 日本はトランプに「日本とアメリカの間には犖平なルール瓩あり、それはいまも機能している」と言うつもりらしいが、相手は聞く耳を持つまい。肝要なのはルールではなく数的な結果だと考えているはずだから。結果が不公平だったらそのルールは不公平なのだ。

 クリントンのときがそうだった。

 かれは日本にごり押しを仕掛けた。それを露骨に言えば「金をよこせ」だった。

 あの頃は小泉だったんじゃないかと思うが、小泉は、日本の銀行や保険会社を縛っている法令を残したまま、アメリカ金融機関(銀行や保険会社)が日本で自由に商売することを認めた。言葉を変えて言うなら、日本政府アメリカ金融機関治外法権を与えた。彼らはこの国でやりたい放題のことをやり巨富を得た。クリントンは二期目に立候補するとき胸を張って「俺の仕掛けた武器を使わないマネー戦争で日本を打ち負かした」とアメリカ国民に報告し喝采を浴びた。

 トランプが狙っているのはそのパタンだ。

民進党員が国会で「TPP成立のめどがたたないのに、TPP対策費数千億円はそのまま執行するつもりなのか?」と質問した。(その金の過半は農業強化にではなく農協保護に回されるのだろうが)トランプのごり押しのターゲットの一つは日本の農業。TPP以上の「開国」を迫ってくるはずだ。「ルールではなく実質的な金額で開国度を測る」。それを拒絶することは不可能なのだから、何とかして緊急に農業の強化を図らなくてはならない。

 共産党民進党もPKOやTPPをたんに政争の具として自分たちの利益を守ろうとしている。自分たちは少数派だから、日本全体のことを考える必要がないのだ。

 新聞を読んでいると、連合が非正規雇用者に加盟を呼びかけはじめている。連合は、公務員や大手企業の労働者、つまり富裕労働者の利益を代弁する組織だった。だから正規労働者の組織に非正規労働者が加われば相反する利益集団が併存することになる。それでも方針変更をしたのは、べつに「日本の将来」のことを考えたからではない。共産党非正規雇用者を取り込むことに成功しつつあるのを見て、危機感を覚え、みずからの組織防衛に乗り出したのだ。

 それ(表に出てくる政治家たちの自分の利益を守るために汲々としている姿。──表に出ない人の中には日本全体のことを考えている例もきっとあるはずなのに)が露骨に見えるから、あの軽い過ぎて嫌になるアベからも徹底的に馬鹿にされる。

 

 テレビに中曽根が出てきて「俺のときは日中の首脳同士に信頼関係があった。それさえあれば難問も乗り越えられる」と偉そうに言っていた。が、当時の中国は、日本の技術と金を喉から手が出るほどに欲しがっていた。その時のカウンター・パートへの態度を「首脳個人」の問題で説明するのは間が抜けすぎている。こんど日中間が密接になるのは中国が日本を必要とするときだ。

 アメリカについても同じ。

 アメリカにとって日本が、英国同様に必要な存在であることを、理屈でではなく、どうやって感じさせるか。

 その方法のひとつは、まずイギリスと緊密なパートナーになることなんじゃないかな。イギリスと利益を共有している国ということになれば、日本のイメージ(あなたの言葉でいうなら「屁にもならないイメージ」)が変わるんじゃないかな。イギリスほど打算にたけた国はない。──その打算を捨てた国がどんな悲惨な目に遭い、周辺の国にまで災厄を拡げたことか。──イギリスがEUからの離脱を目指している今こそがその好機なのではないかという気がしてならない。

 この国にも優れた官僚がたくさんいるだろうから、きっと今、「EUをとるか、イギリスをとるか」で激論が交わされていることを期待する。その時のキーワードは「損して得とれ」。目先の利益に惑わされず、先々で得られる利益を重視せよ。

 一昨日の6時間目、教室に入った。もともと苦手なクラスである上に、5時間目が体育なので最悪の時間。

 入ってみたら予想通り着替えながらわいわいやっている。「先生、とうぶんはまだ無理です。」

 仕方がないから最前列でまだ髪を整えている女の子に話しかけた。「えらく、いい顔色をしているけど、体育はなにをやったんだ?」じっさいに顔は上気してピンク色。唇は紅を塗ったかのように赤い。(この年齢はまだ化粧なんかする必要はないな)すると「サッカーです」と答えたあと、その子の顔色がもっとよくなり、隣の男の子から「わぁー照れよる。照れよるゥ!」とからかわれて下を向いてしまった。

 なんだか気の毒になったので「いんやんか。いいものはいいんだから。」と言うと小さく頷いた。

 その翌日の昨日、漢字などの小テストをやって回収しようとしたらその生徒が「今日はきっといい点数です。」一番前なのでその場で採点すると20点満点で14点。「わぁー、スゴい。先週は4点だったんですよ。」

 授業は「レトリックのの有用性」について。「見たり触ったりできないものを存在しないと決めつけていいのか?」

 黒板に大きく赤で、

 「レトリックを有効化するポイント=口に出していってみること」と書いてから、

 同封するプリントを念頭に「サンタクロースはいると信じている者は手を挙げてください?」生徒がリラックスするのが分かる。

 そうだよね。サンタクロースを見たり触ったりした者はいないもんね。そして板書。

 「愛は存在するか?」

 生徒たちの顔つきが変わる。

 君たちは、じつは私もなんだけど、愛そのものを見たことはない。お母さんのおっぱいに触ったことはあるけれど、愛そのものに直接触ったことはない。でも、「だから愛は存在しない」と決めつけことができるのかな?

 下をむいて首を横に振っている生徒がいる。

 ざわついていた教室がシーンとなる。

 

 そんな極上の時間もあと少し。

2017-01-23

続・二十世紀の俳句 索引

16:06

私家版 続・二十世紀俳句 索引 女性 二〇一六年

かすみ草やさしき嘘に人畢る       赤松濟

春愁や癒えて着られぬ服ばかり      朝倉和枝

九十の端(はした)を忘れ春を待つ       阿部みどり女

短夜や乳ぜり啼く児を須可捨焉乎(すてちまおか)   竹下しづの女

童話書きたし送電線に雪降る日      飯島晴子

花なずな胸のぼたんをひとつはずす    池田澄子

さくらさくらわが不知火はひかり凪    石牟礼道子

祈るべき天とおもえど天の病む      石牟礼道子

空のすみまでふるえて虹の青一弦     石牟惰算

われをまつ木下闇の蛍かな        石牟惰算

泣きなが原化けそこないの尻尾かな 石牟惰算

草の実踏み人への情を名づけ難し     和泉香津子

曼珠沙華真赤な嘘でかたまれり      伊藤敬

 昭和8,2,20

多喜二忌や麻布二の橋三の橋       伊藤ふじ子

アンダンテ・カンタビレを聞く多喜二忌   伊藤ふじ子

セーターの白はだれにも似合ふ色     稲畑汀子

来年のことは知らねど日記買ふ      今井つる女 

 夫に癌を告知せず

紅梅よ吾れの運命を夫知らず        上野章子


葱の列国原は雨はげしかり        宇田喜代子 

晩年とはいかなる嘘や石の上        同

雨ふかし戦没の子や恋もせで       及川 貞

あるときはもの思ふまじと麦を踏む     同   

夜涼かなこんな時亦独りも可        同

単帯水のごと展べ形見わけ        大石悦子

花こぶし逢はねば忘る合言葉       大木あまり


?の屍の鳴きつくしたる軽さかな     大倉郁子

あじさいの心屈してながめいる      大原富枝

霧深き夜なりと日記書き出しぬ      大場美夜子

  妹結婚

さびしさを支へて釣りし蚊帳の月     岡崎えん

人はみなうしろ姿の枯木立        岡本 眸

更衣母子で暮らす日が減りゆく      岡本差知子

いつまでもどこまで行っても雪の声    岡本尚子

金木犀部屋をかへて読む放浪記      鍵和田釉子(ゆうこ)

春落葉えたいの知れぬものも掃く      同 

誰がために生くる月日ぞ鉦叩(かねたたき) 桂 信子

青空や花は咲くことのみ思ひ        同

鮎は影と走りて若きことやめず      鎌倉佐弓

水中花妊りしこといつ告げん       加藤三七子

ゆっくりと烏丸通り牡丹雪        角川照子 

   

雪降りて小さき手と手のさようなら    川本美佐子

蛇笏の忌またあたらしき空が生まれ    河村祐子

銀河系宇宙のすみの蛍狩り         香葉

命かな書くこともなき初日記         同

雪を待つ。駅でだれかを待つように、   岸原さや

畠のものみな丈低し十三夜        小島花枝

水無月の風は瑠璃色だと思ふ       小林すみれ

この年を遊び尽くして曼珠沙華      黒田杏子

朧夜のたしかに酔うてゐたる母      黒田杏子

一楽章すんでオーバー脱ぐところ     佐久間慧子

ひらがなのやうないちにち桃咲いて    清水衣子

朝顔や濁り初めたる市の空        杉田久女

虚子嫌ひかな女嫌ひの単帯        同

                かな女=長谷川かな女


花冷や箪笥の底の男帯          鈴木眞砂女

けふまでの日はけふ捨てて初桜      千代女

春雨やうつくしうなる物ばかり      千代女

肉親や一本道を葱提げて         津沢マサ子

講堂は真昼の昏さ卒業式         津田清子

鶏にも夜が長かりしよ餌つかみてやる   津田清子

自転車を漕いでむかしへ秋ざくら     鶴岡加苗

産みに行く車燈に頭を下げ給いし母よ   寺井谷子

牡丹別の日暮が来てをりぬ       手塚美佐

喪へばうしなふほど降る雪よ       照井 翠

とろろ汁夫を死なせしまひけり      関戸靖子

過去なきごと花に酔いたし花の夜     出口善子

武蔵野に鬼と生まれて月見かな      遠山陽子

来世またをみなと生まれむ雛納め     殿村菟絲子(としこ)

烈風コブシの白を旗印 殿村菟絲子

綿虫や虚子の墓とも知らず来て      中西夕紀

複製画とはいえマチス夏来る        中村晋子

赤き足袋はき家中を明るくす       中山純子

堂守の辞儀のふかさよ寒牡丹       永方裕子

時間まだ夫婦にのこる花明かり     ながさく清江

真二つにキャベツ裂く朝の白き裁き     中嶋秀子

身ごもりて冬木ことごとく眩し        同

秋風や亡き人に問ふことばかり        同

花篝(かがり)火篝湖北まだ暮れず     中村苑子

置き所なくて風船持ち歩く        中村苑子

人待つにあらず夕虹消ゆるまで      中村苑子

あはれ子の夜寒の床の引けば寄る     中村汀女

咳の子のなぞなぞ遊びきりもなや 中村汀女

われに倦み赤き金魚を買い足すよ     鳴戸奈菜

熱燗の夫にも捨てし夢あらむ       西村和子

ひととせはかりそめならず藍浴衣      同

けふ我は揚羽なりしを誰も知らず     沼尻巳津子(みつこ)

夏帯を解くや渦なす中にひとり       野澤節子

身のうちへ落花つもりてゆくばかり     同

欲しきもの買ひては淋しき十二月     野見山ひふみ

一ところくらきをくヾる踊の輪      橋本多佳子

月光にいのち死にゆくひとと寝る     橋本多佳子

ハンカチ洗ふ日中の夫を知らず      橋本美代子

西鶴の女みな死ぬ夜の秋        長谷川かな女

呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉  同

願ひ事なくて手古奈の秋淋し        同

滝音に馴れゐて二人静咲く        檜 紀代

燕とぶ日よ宿題を児に課さず       樋笠 文

還らざるものの一つに冬の蝶       福神規子

石ひとつ野に老いて言葉はじまりぬ    福田葉子

鶴ばかり子と折ってゐる秋時雨      文挟夫佐恵

女身仏に春剥落のつづきをり       細身綾子 

そら豆はまこと青き味したり        同

しろばんば木魂のゆくへ定まらず     保坂敏子

原子めく檸檬でいたいんです いたいんです 松本恭子

蕗(ふき)の薹(たう)みぢんに刻み今日より妻 松本澄江

心弱気とき春星の大いなる         町野けい子

花の雨兵の征(た)つ日は定かならず    眞鍋呉夫母

どこからが恋どこまでが冬の空      黛まどか 

白露や死んでゆく日も帯しめて      三橋鷹女

菜の花や百萬人の炒り卵         向田邦子

美しき生ひ立ちを子に雪降れ降れ     村上喜代子

いつか死ぬ話を母と雛の前        山田みずえ

この家もやがて空家よ雪おろす      山本恭子

春愁や絵よりパレット美しき       八染藍子

初暦知らぬ月日の美しく         吉屋信子

羅(うすもの)着て厨子のくらきにひそみたし 横山房子

花ざくろ美しと見て近づかず       吉野義子

ふりむかぬ人の背幅や雪もよひ      鷲谷七菜子

夢殿やげに天平の天高し         渡辺恭子

合せ鏡するすべもなく春暮れぬ      渡辺つゆ

雪はげし告げ得ぬ言葉犇(ひし)めきて   渡辺千枝子



続・二十世紀俳句 索引 男性編


裏街はからっぽユトリロ死す        有馬朗人

独房に釦(ぼたん)おとして秋終る     秋元不死男

蛇女みごもる雨や合歓の花        芥川龍之介

啄木忌いくたび職を替へても貧      安住 敦

弱虫のしかも男や葱坊主         阿部完市

夜の?ねむれば遠き妻にあはん      阿部完市

校門を出でて妻となる春霞        雨宮更聞

夜業のパン寝て食う一人の星祭り     穴井 太

口重き男いきなり鶴のこと        蟻塚尚孝

籾かゆし大和をとめは帯を解く     阿波野青畝(せいほ)

乳母車押す気まぐれや木の芽時      安藤赤舟

非常門あくうれしさや酉の市        安藤林虫

たましひのたとへば秋の螢かな      飯田蛇笏

炉に落ちしちちろをすくふもろ手かな 飯田蛇笏 

戦死報秋の日くれてきたりけり       飯田蛇笏

春の鳶寄りわかれては高みつつ      飯田龍太

鴇色の空より湧いて虎落笛(もがりぶえ)  飯田龍太  

今川焼きあたたかし乳房は二つ      飯田龍太

かたつむり甲斐も信濃も雨の中    飯田龍太

好日やわけても杉の空澄む日       石塚友二

冬かもめ明石の娼家古りにけり      石原八束

一之町二之町三之町しぐれ          同

河上徹太郎葬の弥撒無月かな         同

髭ふえて茂吉の国の冬をゆく       茨木和夫

着ぶくれてますます小さく母癒ゆる    今瀬剛一

秋の雲立志伝みな家を捨つ       上田五千石

初夢に人を探して迷ひけり        榎本好宏

思ひ沈む父や端居のいつまでも     石島雉子郎

二の酉やいよいよ枯るる雑司ヶ谷     石田波郷

英霊車去りたる街に懐手         石田波郷

雁(かりがね)やのこるものみな美しき 石田波郷

酔へど妻子に明日送る金離すまじ    石橋辰之助

 カラカンダ臨時法廷にて二五年重営倉受刑

葱は佳しちちははは愁ふことなかれ    石原吉郎

打ちみだれ片乳白き砧かな        泉 鏡花

 シベリア抑留

亡き母の齢となりぬあかぎれて      板間訓一

蜩や玉音聴きし世紀果つ        今中榮三郎

小骨まで熟れて?(このしろ)鮓めでた    茨木和夫

階前梧葉已秋声             梅崎春生

かぎりなき柔らかさによってたつ花の威厳  大岡 信

未来ひとつひとつに餅焼け膨れけり    大野林火

妻子なき芭蕉を思ふ冬ごもり       岡本松浜

短日の膳のものなるごりいさざ       岡本高明

ヴェニヤの部屋蚊帳暗くして日記書く    大岡頌司(こうじ)

  妹結婚

ちちははに柿を剥き明日嫁ぐなり      大串 章

銀狐棲む谷土器のかけら出づ        岡部日

山は陽を障子は山を消しにけり       小宅容義

スカートのひだあたたかく許されず     落合水尾

又の世は?にやならん夏木立        岡倉天心

 O think I was born a cicade!

To talk to the rocks in the summer tree.


咳をしてもひとり 尾崎放哉

これでもう外に動かないでも死なれる    尾崎放哉

追っかけて追いついた風の中        尾崎放哉

何がたのしみで生きてゐるのかと問はれて居る  同

初空へ今年を生きる伸びをして      小沢昭一

親鶏のぬくみ宿して寒卵 小沢変哲

スナックに煮凝のあるママの過去 小沢昭一

ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう    折笠美秋(びしゆう)

餅焼くや行方不明の夢ひとつ         同

麺麭屋まで二百歩 銀河まで七歩       同

青空や障子を入れて眠るなり        折口信夫

晴天や恋をはりたる猫とゐる        柿本孝映

若狭乙女美(は)し美(は)しと鳴く冬の鳥   金子兜太

苧殻火(ながらび)や死後多辯なる父迎へ   神蔵 器

エゾハルゼミと教へてくれし事務の人    川崎展宏

雉子の眸のかうかうとして売られけり   加藤楸邨

くすぐったいぞ円空仏に子猫の手     加藤楸邨

人間をやめるとすれば冬の鵙(もず) 加藤楸邨

蘆枯れて瞽女道(ごぜみち)となる国境   角川春樹

葉桜やすヾろに過ぐる夜の靴       金尾梅の門

春の月征きて一軒家空きぬ        暖彩史

蚯蚓(みみず)鳴く六波羅蜜寺しんのやみ  川端茅舎

金剛の露ひとつぶや石の上        川端茅舎

初空に鶴千羽舞ふ幻の          川端康成

先づ一羽鶴渡り来る空の秋        川端康成

秋の野に鈴鳴らし行く人見えず      川端康成

夕日野に遠音さす鐘も秋深き       川端康成

春月の出でゝあめつちやはらかし     梁悉唹

藁灰の熱きを均し良寛忌         木内彰志

いつ消えしわが手のたばこ啄木忌     木下夕爾 

夕づつや首の短きうまごやし         同

樹には樹の哀しみのあり虎落笛        同

芥川龍之介九回忌

故人老いず生者老いゆく恨かな      菊池 寛

遠き日の日本の空に凧一つ        北側松太

思ひ切り髪結ひあげて衣更        北澤瑞史

貧しさに馴れてや金魚飼ひにけり    久保田暮雨

さびしさは木をつむあそびつもる雪  久保田万太郎

牡蠣船にもちこむわかれ話かな       同

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり     同

ほとゝぎす根岸の里の俥宿         同

べんたうのうどの煮つけの薄暑かな     同

秋の灯にひらがなばかり母への文     倉田紘文

とどまれば芒急げば風の音        倉橋羊村

子規まつる小さき祭壇枕辺に        耿朔

 「突貫紀行」

里遠しいざ露と寝ん草まくら       幸田露伴

老子霞み牛霞み流砂霞みけり        同

 シベリア抑留

母逝くと吾子のつたなき返しぶみ     草野貞吾

売れ残る?(いさざ)凍ててしまひけり 草間時彦

スバル裁かるるごと振り仰ぐ      楠本憲吉

風花を綺羅と眺むる逢瀬かな        同

熟しきって廃村の柿冬を耐ふ       五條元滋 

日めくりをめくり残して落葉焚き       同

濡れそぼる山鳥の胸瞬間(とき)を待つ 同

チャプスイの混沌として夏の闇      五條元滋

藁灰の熱きを均し良寛忌         木内彰志

光陰のやがて薄墨桜かな         岸田稚魚

思ひ切り髪結ひあげて衣更        北澤瑞史

売れ残る?の凍ててしまひけり       草間晴彦

大阪に雪の降る日やかやくめし        同

秋の灯にひらがなばかり母への文     倉田紘文

とどまれば芒急げば風の音        倉橋羊村

こおろぎの一切夜陰負へるなり      斎藤 玄

ある筈もなき蛍火の蚊帳の中        同

寒燈の一つ一つよ国敗れ         西東三鬼

トラック島撤収

水脈(みお)の果炎天の墓碑を置きて去る  西東三鬼

寒燈の一つ一つよ国敗れ          同

こおろぎの一切夜陰負へるなり      斎藤 玄

流れ星ひとつキタキツネは寝たか     酒井弘司

密会は黄昏が良し雪女郎         佐川広治

身に沁みるほどにはあらず萩の風     佐々木基一

龍太逝き五年や土間の大火鉢       佐々木建成

みちのくは底知れぬ国大熊(おやじ)生く  佐藤鬼房

 檀一雄

詩に痩せて人涼しげに見ゆるかな     佐藤春夫 

恋語る魚もあるべし春の海 佐藤春夫

檀一雄

能登恋し雪ふる音のあすなろう      沢木欽一

行く秋や夜をひとり巻く半歌仙      島谷征良

煮凝りのとけたる湯気や飯の上     鈴鹿野風呂

湯豆腐やかならず久保田万太郎      鈴木俊策

どうにもならぬこと考えていて夜が深まる 住宅(すみたく)顕信

花ざくろ放哉旧居の井戸涸れず      関森勝夫

雪原の汚れぬままに昏れてしまふ     宗田安正

煮凝や他郷のおもひしきりなり      相馬遷子

十一月二十一日

青年波郷電気毛布の夢に出て       相馬遷子


分け入っても分け入っても青い山     種田山頭火

おもひでがそれからそれへ酒のこぼれて    同

うどんを供へて母よわたくしもいただきまする 同

戸をたゝく人も寝声や新酒買       志太野坡

そっと、そっと、詩は花となる      杉山参緑

花となって、うちふるえる

母の死後わが死後も夏娼婦立つ      鈴木六林男


どうにもならぬことを考えて夜が深まる  住宅(すみたく)顕信(けんしん)

見上げればこんなに広い空がある 同

女房のゆばりの音や秋深し        関口良雄

春の闇自宅へ帰るための酒        瀬戸正洋

ちるさくら海あをければ海へちる     高尾窓秋

 

須賀平吉君を弔ふ

生涯にまはり燈籠の句一つ        高野素十

太箸をとりて父母なつかしむ       高野素十

万の翅見えて来るなり虫の闇       高野ムツオ

抒情涸れしかと春水に翳うつす      高橋鏡太郎

友の訃に酒酌む夜の迎春花        高橋 治

木洩れ日の落ちつくところ春の水     高橋睦郎

(九月)

子規逝くや十七日の月明に        高浜虚子

浴衣着て少女の胸の高からず       高浜虚子

おもひでがそれからそれへ酒のこぼれて  種田山頭火

うどんを供へて母よわたくしもいただきまする 同

遺骨なき大尉の墓に桜降る        田村昶三

詩の友と跼むや蛙含み鳴き        田渕行男

会う度に無口になる父鯖を裂く      坪内稔典


他郷にてのびし髭剃る桜桃忌       寺山修司

なつかしや未生以前の青嵐        寺田寅彦

 太宰治へ   

卯の花に酔はねば花も暮れかぬる 檀一雄

国破れ妻死んで我庭の螢かな  同

 紀州

子捨てんと思へど海の青さかな       同

 サンタ・クルスにて

落日を拾ひに行かん海の果         同

 昭和四七年二月十七日坂口安吾

狼のパクパク食はれる赤頭巾        同

 眞鍋呉夫へ

抱(うだ)きあいてイカヅチ受けん乙女がも 檀一雄

五月雨や井のままにゐるかはづ哉 檀一雄

花散るやうづもるる淵に我もゐて 檀一雄

 虚空象眼

堕落天使虚空に星の音ばかり 檀一雄

 絶筆

モガリ笛いく夜もがらせ花ニ逢はん 檀一雄

祈りにも似し静けさや毛糸編む      戸川稲村

カンナ崩れまた燃えつきて原爆忌     徳田惑堂

秋風の背戸から//と昼餉(ひるげ)かな       富田木歩

美しく生まれ拙く囀るよ         富安風生

何もかも知ってをるなり竈(かまど)猫        同

一葉に十三夜あり後の月          同

こときれてなほ邯鄲のうすみどり   同 

満月を生みし湖山の息づかひ        同 

藻の花やわが生き方をわが生きて      同 

落葉ふみ誰にもわかる句を詠まな      同 

まさをなる空よりしだれざくらかな   富安風生

一盞能払万古愁いっさんよくはらふばんこのうれひ 

                    永井荷風

凩やからまはりする水車         中川宗淵

埋もれ火は赫く冴えたるままにして    中曽根康弘 

勇気こそ地の塩なれや梅真白       中村草田男

子を抱くや林檎と乳房相抗(あひさか)ふ 中村草田男

 倫敦にて子規の訃を聞き

手向くべき線香もなくて秋の暮      夏目漱石

菫ほどなちいさき人に生まれたし 夏目漱石

生きて仰ぐ空の高さや赤蜻蛉       夏目漱石


妻逝きて十一月の夕顔咲く       七田谷(なだや)まりうす

おほぜいのそれぞれひとり法師?     成田千空

またもとの花野に還り廃坑区       西村蓬頭

掃苔や首筋拭いて人は老い 西村蓬頭

なづな汁啜りて予後の身を癒やす 西村蓬頭

寒夜聴く主題はいまだ現はれず      野見山朱鳥

胸にのせ寝て弾くギターチェホフ忌 野見山朱鳥

よきことば生まれよと秋立ちにけり    長谷川櫂

 応召

馬ゆかず雪はおもてをたたくなり     長谷川素逝

風も日もたやすくぬけて冬木立      土生重次

田のへりの豆つたひ行蛍かな       林富士馬

波郷の忌近し寒暖定めなく        原 裕

渡り鳥わが名つぶやく人欲しや       原 裕

秋風や模様のちがふ皿ふたつ       原 石鼎

仰向けの口中に屠蘇たらさるる      日野草城

朝顔やおもひを遂げしごとしぼむ     日野草城 

苗札の奥の一つは小鳥塚         藤埜まさ志

秋風や砂の詰まりし貝ばかり        藤田湘子

たんぽぽ種子ゆくりなく上昇す     平出種作 


鰯雲子は消しゴムで母を消す       平井照敏

母のゐさうな夕凍ての蔵障子       広瀬直人

苗札の奥の一つは小鳥塚         藤埜まさ志

ちちははも神田の生れ神輿舁く      深見しんご

控へめに生くる幸せ根深汁        藤波孝生

齢急くともさくら餅ひとつずつ      古沢大穂

ローザ今日殺されき雪泥のなかの欅 同

ロシア映画みてきて冬のにんじん太し 同

白髪みごとしかし俺に神を説くな 同

をととひもきのふも壬生の花曇      古舘曹人

いつおはるわが山旅ぞ霧の音       北條秀司

春星(しゆんせい)や女性(によしやう)浅間は夜も寝ず        前田普羅

人のごとく鶏頭立てり二三本         同

明滅の滅を力に螢とぶ          正木浩一

海に降る雪を思へり眠るため        同

赤子抱く春満月の重さかな        増田

はまゆふの花終らんと月夜雨       松本蒼石

夢に舞ふ能美しや冬籠          松本たかし

初夢は死ぬなと泣きしところまで     真鍋呉夫

月光われより若き父ふりむく        同 

比良八荒われは巷に落ちし雁       眞鍋呉夫

読み初めは「論語」世の中変はるとも   舛添公夫 

日は沈むすでに冷えたる雉の胸       丸山豊

葛飾や桃の籬(まがき)も水田べり     水原秋桜子 

蟇鳴いて唐招提寺春いづこ          同

梅の花この世ばかりを見て歩く      三森鉄治

女湯モひとりの音の山の秋        皆吉爽雨

有難き御世に樗(おうち)の花盛り     南方熊楠

いま生まれし蚊にまつはられ味噌を吊る  宮坂静生

国古し冬の畦道直ぐなるは無く      宮津昭彦

生きていることに合掌柏餅        村越化石

炎天や暗きところを家といふ       本宮鼎三

年逝くよいつもの壁に服をかけ        同

火葬待つ生者は日向ぼこをして    同

夜の鉱区客なき女水を打つ          同

捨乳や戦死ざかりの男たち        三橋敏雄

赤蜻蛉わが傷古く日を浴びて         同

でで虫のえりうつくしき初時雨      三好達治

拾はれし犬のひるねや冬至梅         同

春寒やぶつかり歩く盲犬         村上鬼城

生きかはり死にかはりして打つ田かな     同

ゆきふるといひしばかりの人しづか    室生犀星

切株の木芙蓉(ふよう)兀として秋暮れぬ  森 鴎外

秋はまづ街の空地の猫じゃらし      森 澄雄

固き帽入学近き子にかぶす        矢島渚男

亡き母に享けし体温冬の星        矢島渚男

人になる天女の話余呉の雪        矢島渚男

共に見たき人と見る花美しき 矢島渚男

茫然とをりぬ無風の薄たち 矢島渚男

チェーホフ劇中劇の秋の湖 矢島渚男

亡き人に仕ふるごとく牡丹焚く 矢島渚男

青き地球蚕は糸を吐きつづけ      野頭泰史

生きて又ことしも見たり柘(くわ)の花   柳田国男

すがるものなくてうろたへへちま苗    矢野景一

子を叱る冬純白の父として        山上樹実雄

炎天の遠き帆やわがこころの帆      山口誓子

老妻のひゝなをさめもひとりにて 山口青邨

過去なきごと花に酔いたし花の夜     山口善子

 シベリア抑留中死去

日の恩や真直ぐに玻璃の雪雫(しずく)   山本幡男

白梅のりりしき里に帰りけり       横光利一

菊づくり菊見盛りは陰の人        吉川英治

ふるさとは波に打たるる月夜かな     吉田一穂

親しきは酔うての後のそば雑炊      吉村 昭

年の夜やもの枯れやまぬ風の音      渡辺水巴

鶏たちにカンナは見えぬかもしれぬ    渡辺白泉 

天に蝶止まりて地球瞑目す        渡辺松男

やまわらふまへにけっちゃくついてゐる  渡辺松男

花むしろにんげんだけを余分とし     渡辺松男

山桜普賢は象に乗ってくる        渡辺松男

藻の花やだれもがすこし嘘をつく     渡辺松男

少年や茗荷の花に恋をして        渡辺松男

ふる雪の任意任意を目で追へり      渡辺松男

鳥葬の美少女だったくわんぜおん     渡辺松男

鐘が鳴るすべての彼方あるごとく     渡辺松男

あいまいはあいまいなまま木下闇     渡辺松男

どぢやうなべ母のくちびる厚かりき    渡辺松男






















用のなき雪のたヾ降る余寒(よかん)かな 井上井月

新米や塩打つて焼く魚の味   井上井月

一八二二?〜一八八七?

埋火や何を願ひの独りごと 井上井月

                 


病床やおもちゃ併べて冬籠り  正岡子規

                  一八六七〜一九〇二

2017-01-21 小沢昭一

小沢昭一(昭和四年四月生まれ)

  「俳句で綴る半生記」より  

昭和四十四年

一月

  スナックに煮凝のあるママの過去

二月

  麦踏みや背負籠の中の粉ミルク

  ぎょうざ屋に盆栽の梅枯れてあり

三月

  春の爐に雀焼く手のマニキュア

  老蠅のちょっと飛んだる暖かさ

九月

  二号という噂の人や初さんま

  みの虫の居を定めたり風のなか

十一月

  山茶花や訪う人ごとのほめことば

昭和四十一年

一月

  分割も済んで今年の寒雀

六月

  しごかれてものになる鵜もならぬ鵜も

十一月

  冬の夜や乗り過ごしたる田端駅

昭和四十六年

十二月

  派出婦の子の待つ聖し夜の灯り

昭和四十七年

一月

  この婆ととにもかくにも姫始め

二月

  わ

が咳と女の咳や暗き宿

四月

  雨の日はどこに宿るのかてふてふ

八月

  始発待つ行商の荷や露の朝

昭和四十八年

八月

  ステテコや彼にも昭和立志伝

十一月

  一人泣かせて雪合戦終わる

昭和四十九年

二月

ふと商売替えを想いて春寒く

十二月

踊り子の九時過ぎからの大晦日

昭和五十年

九月

もう三日帰らぬ猫や流れ星

まだ手をふっている一本道や鰯雲

昭和五十一年

五月

  棕櫚咲くや詰む当てもなき詰将棋

昭和五十二年

四月

  駅弁の冷えし夜汽車やほたるいか

昭和五十三

九月   

  首まげて口とがらせてみた志ん生

十一月

  ピンク・レディ聴く手内職の夜や一葉忌

昭和五十四年

一月

割箸を割るや和解の鮟鱇鍋

十月

今宵また帰らぬ人や初時雨

十一月

  訥弁の身をいら立ちてにごり酒 

昭和五十六年

一月

  寒灯や銭勘定のあわぬ夜

九月

  大げさでなく生きるうれしさよ松茸さく

十二月

  鮟鱇や金馬の口も大きくて

昭和五十七年

十二月

おでん屋台いつもの犬の来ない夜

昭和六十年

一月

いまさらに吾が身いとしき初湯かな

六月

  変哲忌鰺のひらきを供えかし

昭和六十一年

三月

  落第や吹かせておけよハーモニカ

昭和六十二年

十二月

  しかるべき素性のあるらん飾売

平成元年

十月

叱られてふてて裏戸の吊し柿

かまきりの小首かしげる葉末かな

木枯や易者の姿勢正しかり

十一月

  塩せんべい焼く町へ来て冬の空

平成二年

二月

なにはさて春は分葱(わけぎ)のぬたの色

六月

  裸電球すももひとやま売れ残る

七月

  浜木綿や行商に出て留守の村

平成四年

一月  

  初空へ今年を生きる伸びをして

八月

  南瓜煮ておいたからネと母子家庭

平成五年

一月

散髪はまたの日にして雪もよい

二月

  ついぞ見ぬ猫も来ていて軒の恋

十月

泰ちゃんに逢いたい夜よ秋の山

平成七年

一月

  口あけし鱈や手荒に抛(ほう)らるる

三月

  縁談を決めかねている彌生かな

七月

  蜜豆や女子高生の白い脚

平成八年

十二月

  行く年や炭屋の炭を切る手順

平成九年

六月

うな丼や親父の馴染みだった店

十一月

いっぱしに鎌ふりあげて子かまきり

平成十年

十一月

  どんぐりを踏んでしまったごめんなさい

十二月

  冬ざれや鉄路をひとり保線工

  小津映画流れるままに寝正月

ユトリロの絵は残したく古暦

平成十一年

一月

どうということもなけれど初句会

二月

  雀の子親はどこかにきっといて

八月

  手の皺を見つめ八月十五日

十一月

  干し柿や村に伝わる翁面

平成十二年

十一月

  凩や娘の離婚なだめし夜

平成十三年

四月

  春の日にそっとしてみる死んだふり

十月

  タリバン軍国少年たりし我れ

平成十四年

一月

  独酌やどうせつけざる新日記

四月

  おもかげや先妻の子と草を摘む

  春の夜のもう三人の戦友会

九月

  秋天明治生まれの日章旗

平成十五年

二月

亀の名を政代とつけて春時雨

平成十八年

一月 

また少し老けて揃いぬ初句会

獅子舞やのぞく手先の皺深く

二月

  庭に鳥猫の知らせる二月かな

  出戻りの人目を避けて芹を摘む

三月

倅より音沙汰はなし麦を踏む

四月

  肩車して遠き日の善光寺  

五月

ふるさとの校庭はだしになってみる

六月

  玉葱に泣く新妻や夏のれん

八月

  牛乳を猫にも分けて涼新た

  秋近し預金残高確かめり

名月や天命なるものあるらしく

二つ目で辞めしこの身や円朝

十月

蕎麦の札や店主の筆のくせ

コスモスやあたし中絶せずに生む

時雨るるやどうせ迎えの来ない駅

十二月

また今年どうせつけない日記買ふ

平成十九年

一月

如月や廟高鎮に散った祖父

麦踏みや倅が跡を継ぐという

踏んづけた猫へ詫びつつ初笑い

二月

  あの夜に気のゆるみあり春の風邪

  寝返りを明日遠足の子のくり返す

六月

  田植え終え祖父本懐の心不全

  紫陽花や死んだ噂のままに住み

十二月

  天主堂ありきとマリア像寒し

平成二十年

一月

  寒月やいきていりゃこそ娑婆の空

六月

  夏帽子信欽三に似た教授

八月

ごめんなさい家族と箱根終戦

何はさてガン宣告の夜のとろろ汁

十月

  総選挙捨てて松ヶ枝手入れせむ

十二月

  今年から妻なき宵の年の市

  マスク一つ踏まれてありぬ終電車

平成二十一年

二月

  初孫は遠き都や雛の市

原っぱに寝てすかんぽを噛みし日よ

四月

  孫ばなし途切れ粽の帯を解く

  ネクタイは父の形見や新社員

六月

梅雨寒のいつもいる猫いない道

梅雨近くやらなきゃならぬあれやこれや

七月

  ナイター宰相だれになったとて

十月

  すり生姜のせて病母へ出すうどん

十二月

  元日を稼ぐ因果の芸渡世

平成二十二年

二月

如月の暦短く下着買ふ

四月

  手に乗れば蝌蚪(かと)ぱくぱくと丸き口

六月

  郭公や吾れのみ客の閑古宿

  「おはよう」と知らぬ人なり夏の朝

十月

  もう孫に嫁のはなしや秋深し

  少年の日をふと思う夜や冬近し

  今日事件何もなき夜の流れ星

十二月

  もう何もどうでもいいぜ去年今年

  冬の夜やかの志ん生の喉の寂(さび)

  寒雷や父の倒れし報せの夜

平成二十三年

一月

  良寛の手鞠ばなしを聴きし夜や

五月

  蠅多き街ならばこそこの活気

十二月

  極月や手配写真も顔なじみ

平成二十四年

一月

  変わりばえせぬ俺も句も年あらた

五月

  ラムネ壜にぎり昭和の子どもにもどる

         

2017-01-03

『津軽』読書感想文

22:07

 また新年が来ました。

 じつは昨秋、あと一ヶ月弱で百歳だった母親を見送ったこともあり、今年は格別の新年のような気がしています。といって、特別のことは何もしないのですが。

 例年通り、糸島の桜井神社初詣に行っておしまい。でも、互いに親を抱えていましたので、正月を二人だけで過ごすのは結婚以来今年が初めてです。そんな記念すべき正月なのに、年末に私が寝込み、年が明けたら相棒が代わりに寝込んで、なんとも静かな正月になりました。これは、そんな無聊を慰める、宛先なしの手紙です。

 私が寝込んだのには伏線があります。

 12月23日〜25日。友人と青森に行って来ました。そのアルバムは後ろにつけます。

 ほんとうは旭川から加わる男と青森で落ち合って昼飯を食う予定だったのに、北海道は悪天候で飛行機は欠航、急遽乗り込んだ列車はポイント凍結や倒木で何度も停止し「今年は無理かも知れない」というメールが届き、気を揉みましたが、それでも深夜になって弘前でなんとか会えました。(弘前は、明るい季節にも一度訪れたいと思う魅力的な街でした。)

 今回の目的地はただ一カ所、五所川原の金木です。

 高校時代と教員になった初期、教科書で『津軽』を読んで、いつか行ってみたいと思っていたところです。──『夜明け前』を読んだ長塚節たちが(名前を覚え違いしていたらご免なさい)すぐ語らって東京から木曽まで尻を端折って歩いて行ったという話を何かで読んだことがあります。あの小説のなかに隠っている地霊の息づかいに触れたかったのだと思います。ただ私の場合の金木はなんだか遠い遠い「父母未生の地」に感じられていました。──6月頃「そろそろ行ってみるか」と言うとその数日後には「航空券を手配した」というメールが届いたのでびっくり。(アイツもそんなに行きたかったのか?)

 三日間の予定だったのに、じっさいには上記のような事情で中の一日だけしか動けなかったのですが、大満足の旅でした。でも、その間のことはアルバムだけにします。

 戻ってきてすぐ新潮文庫の『津軽』を買い、翌日には読み終えていました。教科書以外の部分を読んだことがなかったのです。

 坂口安吾の『文学のふるさと』、檀一雄の『リツ子その死』。昔「この人この一冊」という読書案内プリントを作ったことがありますが、太宰治は『津軽』にします。

 ──また余談です。檀一雄に「狼のパクパク食われる赤頭巾」という句があります。安吾忌のときの作だそうです。よほど『文学のふるさと』に共鳴していたのでしょう。ついでに余談をはさむと、『ふらう』をはじめたきっかけのひとつは檀一雄の『さみだれ挽歌』を読んだことでした。太宰治との交遊への挽歌です。自分たちの青春への挽歌と呼んでもいいと思います──

 『津軽』は、昭和十九年「故郷の風土記を書いては」という出版社の依頼を受けて書いたものなのだそうですが、私には彼の魂の風土記に思えました。そこで彼の魂は千々に乱れまくっています。

 「本州北端の海岸は、てんで、風景にも何にも、なってやしない。点景人物の存在もゆるさない。…………大洋の激浪や、砂漠の暴風に対しては、どんな文学的な形容詞も思い浮かばないのと同様に、この本州の路のきわまるところの岩石や水も、ただ、おそろしいばかりで、私はそれらから眼をそらして、ただ自分の足もとばかり見て歩いた。」

 と同時に、あらぬ方向へ何度も彷徨います。たとえば、志賀直哉評の鋭さは見事でした。

 「格別、趣味の高尚は感じなかった。かえって、エゲツナイところに、この作家の強みがあるのではあるまいかと思ったくらいであった。…………「文学的」な青臭さから離れようとして、かえって、それにはまってしまっているようなミミッチイものが感ぜられた。…………貴族的、という幼い批評を耳にしたこともあったが、…………あれは、貴族の下男によくある型だ。」SNOBでさえない、と言っているのです。かれの出自こそSNOBだったのですから。

 「信じるところに現実はあるのであって、現実は決して人を信じさせる事が出来ない」

 檀一雄は「信じるに足る現実」をつかむためなら何でもしました。が、太宰にはたぶん育ちのせいで、現実と遭遇する準備がなかったのでしょう。だったら自分で「信じるに足る現実」をでっち上げればいいだけのことなのですが、そんな野蛮な生き方が出来るようには生まれついていなかったのですね。

 『津軽』は唐突に、次のように終わっていました。

 「津軽の生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽くしたようにも思われる。私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらば他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」

 それを読み終わったのが、ちょうど母の百か日法要の日。

 その翌日からドッと床についたんですから出来すぎですが、嘘をついているわけではありません。というか、むしろ、いつもそのようにして生きてきました。  

 新年の読書は、アマゾンで注文している、レヴィナス著、内田樹訳『モーリス・ブランショ』からになりそうです。

 旅に行く前にエマニュエル・トッド(『問題なのは英国なのではなく、EUなのだ』『グローバリズム以後』)を読んでいるうちに、やたらと気になったのが『明かしえぬ共同体』のブランショでした。

 トッドの発言は予言に満ちていると同時にひどく矛盾しています。──でも、『生命とは何か』の中でシュレジンガーはウナムーノという人の言葉を引用しています。「もし決して自己矛盾に陥らない人があるならば、それは事実上まったく何も言わなかった人だからに違いない」──モーリス・ブランショの考えていたことをレヴィナスを通して確かめるという所からリ・スタート。

 予感を先に書けば、ブランショは人間を平準化することを善だと考える「近代化」へ決闘状を突きつけているはずです。(ちょうど日本で幸田露伴が「江戸文化を破壊して東京という低俗化した街ができた」と激しく難じたように。露伴が「もうオレは死ぬ」と部屋から出なくなったというのはその直後のことではないかと思っています。)

 でも、あるいは例外の国がひとつだけあります。もちろん、それが、現代のなかに歴史や歴史以前が道ばたの雑草のようにあちこち無数に息づいている日本です。『野生の思考』の著者はそれに気づきました。トッドも気づきかけています。気づきかけると同時に自分が矛盾してきたのにも、自分の発言がほとんど自己否定になりつつあるのにも気づいています。でもトッドは、歴史学者として、そのことを恐れていません。

 トッドは自らユダヤ系だと言っています。レヴィ・ストロースもそうなのかな? ブランショの親友であり内田樹の師であるレヴィナスユダヤ教のラビでもありました。

 いつものように主題がなんなのか分からない手紙になりました。

 最後にひとつ付け加えて終わります。

 日本に来て伊勢神宮に案内され、「もし神がいるといしたら、こんな所なのかもしれない」と言ったユダヤ教学者がいたそうです。「ただし、自分はホロコーストで家族の大半を喪った。そういう経験をした者が神を信じられると思う?」

 その人は、そんな経験以前からユダヤ教徒ではなかったのだな、と私は思います。もしレヴィナスが私の発言を聞いたら、悲しそうな顔をして頷くはずです。何故ならユダヤ教的神とは理不尽さを人格化したものだったからです。それを文明化したのがキリスト教的神なのだと私は考えています。いま思い出しました。『美術史』のアンリ・フォールはそのことを「去勢した」と呼んでいました。

 理不尽さを去勢ようとし続けた文明の危機

 大風呂敷もいいとこだと承知の上で言いますが、進歩主義(あるいはグローバリズム)という「モノカルチャー主義が行き着きそうな姿が見えてきたことへの恐怖が、いま人々を盲目的な行動に駆り立てはじめている気がしてなりません。といって、この世界を収縮させようとすることは、さらなる災厄をもたらしそうで一層怖いのですが。