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ぎっこんばったん録その後

2017-10-14

不染鉄二

22:08

不染鉄二の絵をもし野見山暁治さんが見たら、「素人の絵だ」で片付けてしまうかも知れない。でも、印刷物では残念ながら分からないけれど、彼の山や島や岩には、いまにも動き出しそうな不気味な生命感がみなぎっている。それを確かめたくて奈良県立美術館に行って来た。

 その生命感は不気味としか言いようがなかった。

 「20世紀にこんなものを描いた人間がいたのか」

 その自然は歴史以前(人間が自然を意識する前、人間よりも自然の方がこの世界の主役だった頃)のものに思えた。

 そういう絵を見続けたあと、下のカラーのような狹瑤雖瓩里△覲┐突然のように現れると「胸きゅん」もイイトコ。人の営みへの確信と、その営みへのあこがれ(それじたいが矛盾しているけど)が湧き出てきて、その日はもう何もする気がしなくなった。(奈良公園に行って鹿をみて過ごそう。)

 たぶん、そのうち誰かがこの一所不住の画家を小説にしそうな気がするけれど、まったく相反する絵を描いたのちに、不染鉄二は上のような信じがたいほど軽い爺さん、体重計に乗っても針は動かないんじゃないかと感じる軽々とした爺さんになった。

 会場の出口に、画集やかれの言葉が集められたものが並べられていたが、「なにも買うまい」。自分が感じたことをそのままにしておきたかった。

 一人の人間とまた出会うことができた。

 『西南の役』は6冊目の途中で頓挫したまま。

 次第次第に重苦しくなってきて、読み終わる前からサラッとしたおさらいをしたくなってきた。

 理由のひとつは、徳富蘇峰の筆があまりにも生々しいから。人間もゴキブリも大して変わらない、と以前から思っていた証拠を、目の前にズラリと並べて見せる。(嫌中・嫌韓派には是非薦めます。)──人間はこの世界にとって最大のノイズだ、と少し前に感じたのを思い出して、いま羞じている。あれは裏返しのロマンに過ぎなかった──

 あとひとつの理由は「西郷はなぜ死ななかったのか」を考えたことによる。

 熊本城を陥落させることを諦めた時点で勝敗はすでに決していた。なのに戦争が続いた理由はただひとつしかない。西郷隆盛切腹しなかったからだ。

 では、なぜ西郷切腹しなかったのか。「西郷隆盛という物語」が完結するシチュエーション、もっとはすっぱな言い方をするなら、英雄としてふさわしい死に方を見つけられないままだったからだ。その間に両軍を合わせて万を超える戦死者が出た。

 「無私の人」というイメージで語られることの多い隆盛は、実は常識人には想像がつかないほどの我執の持ち主だったのではないか。

 身近な者たちには、そんな西郷の心性は見えていたはずだ。なのに何故最後まで行動を共にしたのか。(たとえば今、村田新八という洋行帰りの男に興味が湧いてきている。日本に戻ってきてはじめて西郷が下野し薩摩に戻ったことを知り、帰朝報告もせずに故郷に戻る。村田について行こうとした後輩には「お前は親孝行をしろ」と東京にとどまらせる。そのとどまった男の生き方も気になるなぁ)

 上に書いた通り、かれらは西郷隆盛というレジェンドにふさわしい死に方をさせたかった。そのことに尽きるのではないか、というのが中間報告です。いつも中間報告だけなんだけれども。

2017-08-25

飯塚のことば

10:43

「懐かしい言葉」あいうえお

名詞篇

あんぽんたんかぼちゃ頭≒ピーマン。

インキョ=ビー玉で行っていたゲームの一つ。ルールは「ゲ ートボール」にそっくり。(たぶん説明の時間順が逆)

大阪じゃんけん=負けたが勝ち

カツカツ≒ちょきりちょん≒ぎりぎり

ぎっこんばったん=シーソー

げさく=下品

げってん=

けんぱた=石蹴り遊び⇒Sケン=S字型のけんぱた。

ごひな=ニナ(蜷)──川蜷のことか? 海蜷は?

三角野球=一塁と三塁だけの野球

スカ=空くじ

サムサム=鳥肌⇒サムサムが出来る。

さん(三?)のうがハイ⇒じゃんけんもってシ(四?)

すらごつ=空言(そらごと)=嘘。

スランパ=お金や景品を賭けない勝負事。

シビンタ=ニッポンバラタナゴ(ちっちゃくて美しい淡水  魚)

ぞうたん=冗談

地べた=地面

ツヤ=(翻訳不能。もし女の子から「わぁ、ツヤぁ」と言われたら、も うお終い)「ツヤつけるな」

テシ=パッチンの時の切り札

どべ(たん)=泥(濘)=でい(ねい)≒しんがり

ナバ=キノコ

にくじ=意地悪。

パッチン(場所によっては「ペタ」「ぺったん」)≒めんこ?⇒写真パン

ふ=運⇒フがいい、フの悪か。

ほおべんたん=頬っぺた。

ぽん菓子≒ポップコーンではなくてポップライス

ほやけ=

ほんなこつ≒本当

まんぐり≒間合い。巡り合わせ。

もやい=共同

ラムネん玉≒ビー玉

述語篇

あのですねぇ=こちら独特の表現だと知ったのは大人になってから。

イケ好か⇒ま好かん

いっちょん=少しも○例「いっちょん分からん」

うじゃくる=いじゃくる≒

いぶる≒燻る

いぼる≒(足が抜けないほど)ぬかるむ。※大分では「じゅる  くなる」ち言うとげな。

いらう≒いじる。「こら、チ○ポをいらうな!」

言わせん=言いようもないほどいい。「○組の△は言わせん じぇ」「うん。言わせん。言わせん。」

うべる=ぬべる≒(熱湯をほどよい温度にするため)冷水を  さす。

えぐい≒苦みが強い。いがらっぽい。○転「あの先生えぐカ  ぁ」

えずい=怖い ○古「怖(お)づ」

えらい=大変だ。○例「先生、昨日の宿題はえらかったぁ。」

おうじょする≒往生する?=物事がはかどらない。

おえん=どうしようもない≒のさん。「おえんじぇ。」

おごる=怒る⇒「わぁ先生におごられたぁ。」

おちょくる=からかう

おらぶ=大声を出す。

かいい=痒(かゆ)い。

かてる≒加える○例「ねぇ、かててぇ。」「かてちゃらぁん。」

かてのこす≒のけ者にする。

〜かぶる⇒しかぶる。まりかぶる。

かまう≒からかう?

からう=背負う。

ギタギタ=脂っこい。

黄(き)ない=黄色い○例「黄粉(きなこ)」「黄臭(きなくさ)い」

ぎゅうらしい =口うるさい。大げさだ。

グラグラこく=めちゃくちゃに腹が立つ。=怒り心頭に達する

こく⇒「屁をこく」「スラゴツこく」

こさぐ=削る

こすい=ずるい

こちょぐる=くすぐる。

こわい=固い。○例「おこわ御飯」=強飯(こわめし)⇒手強い

こわる=筋肉が固まる。○例「肩がこわった」

サムサムが出来る=鳥肌がたつ。

しこたま=いっぱい。

しばく=鞭のようなもので叩く。「シバきあぐるぞ」

しまえる=終える。「もうオレしまえとっちゃん。」

しまやかす=終わらせる。「もうアイツしまやかそうか?」

しゃっちみち=どうせ

じゃかましい=やかましい。

しぇからしい=しゃーしい≒うるさい。煩わしい。

しょんなか=仕方がない。

しろしい=しるしい≒ひどく鬱陶(うっとう)しい。○古「著(し  る)し」

すいい=酸っぱい

スウスウする=寒気がする。

スカす=間合いをはずす。

スカタンこく=期待や間合いを外される。

好かんたらしい=嫌みだ。

すべたんこける≒滑って転ぶ。

すわぶる=むしゃむしゃしゃぶる。

そうつく=うろつく。○例「こら。職員室の前をそうつくな。」

そぜる≒損傷する

ぞろぶく≒(着物の裾などを)引きずる

だだがらい=塩味ばかりがきつい。(漬け物などの発酵不  足)

だちかん≒(自分では使ったことがない)

たまげる(魂消る)=ひどくビックリする。

だらしい≒けだるい。

接(つ)げる⇒番(つ)がる⇒(御飯を)つぐ。

ツヤつける⇒「こら、なんばしツヤつけようとか?」

つんのうて=連れだって

でやす=じゃぁす≒ぼてくらかす=ボコボコにする。

でんぐり返る=ひっくり返る。

どっちみっち=どうせ

トゼン(徒然)ない=手持ちぶさただ。

トンピンつく=はしゃぎまわる。

なおす=整理整頓する。

なし?=なぜ?

なすくる=こすりつける

なぜる=なでる。

なめる=見下す。(相手を)軽く見る。

なんかかる=寄りかかる。

何ちかんち≒どう?

何かなし=何となく。どうでもいいから。

なんちゃない=どうということもない。

にあがる≒調子に乗る。「にあがんなぁ、こらぁ。 ぼてく らかすぞぉ。」

ぬくい≒なま暖かい

ねまる=腐敗する。

ねぶる=なめる。⇒ねぶり籤

のかす≒どかす。「この机を早よのかせれ」

ばさら(か)=たくさん。とても。○古「婆娑羅≒ヤンキー≒ 横道者(おうどうもん)?」⇒おおまん太郎兵衛

ばって(ん)=しかし○例「ばってん、、、もう良か!」

腹かく=怒る

腹がせく=腹具合が悪い。

 子供の頃、腹具合が悪くて病院に行ったら先生が「キュウっと痛む? キリキリ痛む?グリグリ?チクチク?シクシクかな?」と質問した。(こ  の先生すごい!)

はわく=掃く

はんかない≒生半可じゃなく○○だ?何となく?

ひだるい=腹がへる。

ビックリしゃっくり=ひどく驚く。

ひょうくれる=ふざける。

ぶうたれる=ふて腐れる

ふうたぬるい≒どんくさい。⇒ウチの担任ふうたぬるいキ好 かぁん。

ふぁーふぁーする≒浮つく

べた(に)≒平らに。直(じか)に。

ほかす=ほったらかす。

ほげる・ほがす≒穴が空く・穴をあける。

ほつれる=ほどける。

ぼてくらかす≒

ほんなこつ=本当に

間尺に合わん=間に合わない。

まる=オシッコをする。⇒古事記を読んでいたとき、『○○ の命(みこと)クソまり給う時』とあったのでビックリ。「ま る」は由緒正しい言葉だったのだ。

むぞか=可愛い⇒むぞうせぇ=可哀想

モオシ=申し=ごめんください。

やおい=やわらかい。⇒ヤオじゃない。≒困難だ。

ようけ=たくさん

よこう=憩う。休む。

接尾語篇

〜カ=○例「赤カ、きつカ、睡むカ、さびしカぁ」⇒(場所によっ ては「〜サぁ」○例「赤サぁ、きつサぁ、眠サぁ、さびしサ  ぁ。」)

〜キィ⇒コォ⇒キィ=「それ、あんたがしとキィ。」「うん。 そとコォ。」「?」「大丈夫ちゃ。ちゃんとしとっキィ。」

〜きる=〜出来る。○例「夜一人でトイレ行ききる?」「行き きらぁん。」

〜くさ=○例「あのクサ、昨日クサ、おれがクサ、」

〜ぐっちょ=〜ごっこ。「走りぐっちょ」

〜ゲ=〜の家。処。⇒アイツんゲに行こう。

〜げな=〜だそうだ。

〜げん。⇒どげん。こげん。そげん。あげん。

〜ごたる=〜のようだ。

〜しゃあ≒〜なさる「先生が言いよんしゃった」 

〜のゴツ=〜のように。

〜シコ=〜だけ全部。○例「持てるシコ持て。」

〜たい≒(念を押す時)

〜たもない=〜たくない。

〜っちゃ≒〜よ。「オレがするっちゃ」

〜てみん?≒〜てみらん?≒「行ってみらん?」

〜てろ、〜てろ=〜やら、〜やら。

〜チ=〜と○例「何チかんチ言うても=なんと言っても」

○例「〜ちゅうても=〜と言うても」

〜ちゃぁ≒〜てあげる・てしまうぞ。「先生に言うちゃぁ」

〜と?=学校に行くと?行かんと?

〜ト。=その卵焼きはわざわざとっとうトにぃ。

〜ない=〜しなさい。○例「家で宿題しない」

〜にゃこて≒〜なくちゃ。「自分でせにゃこて」

〜ばい≒(説明する時)

〜ばし≒〜であるかのように。

〜よる≒〜ている。「ほお、勉強しよる。」

〜んにき≒〜ら辺。「そこんにき置いとけ」

  ※気がついたり思い出したりした時は

     kamegg487009@yahoo.co.jp

2017-07-22

清宮質文

08:09

 長くなりそうだから、活字にします。

 先週でかけた鈍行列車乗り継ぎの旅の報告です。

 いろいろあって、朝9時に博多駅を出た初日は、播州赤穂東横イン荷物を下ろしたのが夜8時を過ぎていた。その間なんど乗り換えたのか。博多小倉⇒下関⇒岩国⇒白市⇒福山⇒岡山⇒邑久(おく)⇒播州赤穂。乗り換え時間がほとんどなかったから博多駅菓子パンを購入しておいて正解。前回の旅はけっきょく昼飯抜きだった。

 まる一日変わりゆく海をみていて全く飽きなかった。

 のっけから横道に入る。

 「海は広いな大きいな。月は昇るし日は沈む」

 よくもデタラメな歌を作った。月が昇り日が沈む光景を見られる場所なんて、人の住んでいないような離れ小島か岬の突端ぐらいなものだろう。

 『アザミのうた』もそうだ。なんだか可憐な花の様に歌っているが、実際のアザミは荒れ地にでも咲く、生命力の強い野草だ。だからイギリスにやられたスコットランドは国花にした。

 ぼうっと海を見ていて浮かんだことです。

 先月の山陰線もそうだったが、海は広いけれど陸地はひどく狭い。というか平らな土地がほとんどない。「こんな処で生きているものはウカウカしていたら海にはみ出してしまうから、そうとうな緊張感なしには生きられなかったな。」海に突き落とされないように緊張すると同時に、こんな狭小な場所の外へ進出する機会を常に狙っていたはずだ。

 去年冬の津軽平野の広さには驚いた。見渡す限り真っ平らな土地。ああいう土地で生きている者は、数年ごとに飢饉があったとは言っても、「外に出たい」という気持ちはなかなか起こるまいと思う。

 『天皇の世紀』の読み過ぎかもしれないけれど、土地柄が人気(じんき)を育む。まったく正反対の気風の人間が出会わなければならなかった。それが近代。

赤穂線には邑久以外にも難読駅名があって面白かった。

 日生、寒河

 それぞれ「ひなせ」、「そうご」。たいていの古い地名の表記は当て字だとは思うが、難読を通り越して「無理」。

 翌朝、邑久駅前に停まっているバスの運転手さんに「このバスは瀬戸内美術館に行きますか?」「えっ?」後ろに座っているオジサンが「はい。」と言ってから運転手に教えている。研修中だった。

 牛窓の港が見えて市役所が近づいたらその教官がボタンを押してくれた。「ありがとうございました」

 三階が図書館、四階が美術館。なんともコンパクトな市役所だった。

 招待券を送ってくれたマリコさんに渡してくれるように、クマモンの入っている封筒を受付に預けた。

 木版画しか知らなかったけど、他に水彩画やガラス絵も多数ある。

 小さいものは4僉滷賢僉でも充溢しそう。

 「はるか昔、人間のなかに最初に生まれた感情は猗瓩靴澂瓩世辰燭里任呂覆い」

 水彩画はなにが描かれているのか分からないようなものばかり。

「ぼくは空気を画きたい」

 何回も同じ女性が画かれている。その女性が、飯塚の隣町千手(せんず)に生まれた織田廣喜さん(琵琶湖の近くに安藤忠雄が設計した『赤い帽子ミュージアム』があるはず。織田さんの女性はよくつば広の赤い帽子を被っているのです。)の女性そっくり──カシニョールは成熟した女性。織田さんや清宮さんのはまだ何も知らないジブリ的な女性──に感じて、(これは野見山暁治さんに教えなきゃ)と思っていたら、ガラス絵の壁の終わりに野見山さんのことばが掛かっていた。「清宮質文さんのガラス絵を初めてみたとき爐◆絵だ。瓩隼廚辰拭」

なんだ。

 清宮さんは1917年生まれ。では残りの二人は? 

 スマホで年齢を調べる。

 織田廣喜1914年。

 野見山暁治1920年。

 三人とも大正時代の人だった。

 パンフレットによると、来年も「清宮質文供廚鬚笋襪箸△襪里妊▲疋譽垢鮟颪い討た。

 来年は港の突端にあったプチホテルに泊まろう。

 瀬戸内美術館に行きたくなった理由のあと一つは「うしまど」という地名に記憶があったから。「何かの文学作品にあった」

 ずっと気になっていたけど思い出せないまま帰宅して、この部屋に入ったら「そうだった!」

 牛窓の波の潮騒島(しま)響(とよ)み寄そりし君は逢わずかもあらむ

      牛窓の波の潮騒が島を響かせる様に、(私に)言い寄りなさったあの人は、

      もう逢いにきて下さらないのでしょうか。

 万葉集(2731)だった。

 来年は牛窓でゆっくりする。

 

 バスで邑久にもどって、赤穂線邑久⇒山陽線岡山⇒福山⇒糸崎三原。車内放送が「雨のため列車が遅延しております。お乗り換えの方は駅の案内放送にご注意下さい」下りてみると「呉線は先ほど動き始めました」その日の一番列車に乗ることになった。

 呉から船で江田島へ。

 江田島は思いがけぬほど人気のいい処だった。 もとの海軍兵学校に行く道を訊くと、おばちゃんが返事もせずにスッスと歩いて行く。「なんだ。」と思いつつ目で追いかけていると指さして「このバス?」

 赤煉瓦ゲストハウスで30分ほど待ったら案内役が現れた。一時間半ほど歩くと言う。

 ゲストハウスも次の校舎も、どう見てもたっぷりした時間がたった建物にしか見えないので「ここは爆撃を受けなかったんですか?」と訊くと「はい。呉は空襲に遭いましたが、ここは爆撃どころか一発も撃ち込まれませんでした。」仁義なき戦い瓩任呂覆ったことになる。(戦争って何だ?)

 校舎は長過ぎて写らなかった。

「全長が144mあります。戦艦大和はこの倍近くあったことになります。

 その大和武蔵?)が海底でバラバラになっている理由を探った番組がBSであった。「巨大艦に合わせた巨大リベットを打ち込む技術が日本にはなかった」爆発に耐えられず鋲が飛び散ってバラバラになったのだろうという。

 明治維新以降(明治維新もそうだが)日本は無理に無理をかさねて、けっきょくみずから破綻した。 

 歴史資料館に入る。「40分後に玄関に集合して下さい」

 大和の最後の艦長伊藤誠一が福岡県三池郡高田町出身だったとはじめて知った。興味が湧いてスマホで検索する。軍令次長だった時に開戦。交換船でアメリカから戻ってきた後輩に「この戦争の行く末を研究しろ」と命じる。命じられた男は「勝ち目はまったくない。日清戦争以前に戻れたらマシなほうだ」と、怒鳴りつけられるのを覚悟で報告する。伊藤誠一は無言だったという。

 かれは特攻出撃命令に従い、徳山で給油をしている間に病人やけが人のほかに配属されたばかりの最後の兵学校卒業生49人に下船を命じた。「日清戦争以前に戻れたらマシなほうだ」と報告した後輩は、戦後、伝道師になったという。生き残った49人のその後を調べた人が居ないかな。

 真珠湾侵入した特殊潜航艇乗組員ただひとりの生き残りは戦後、トヨタ入社して、ブラジルトヨタの社長を勤めたとある。

 回天桜花、、、etc。

 黙って出てきた見学者たちに、江田島出身者だけでも3000名近くが特攻で亡くなったと教える。「平均年齢は19,8歳でした。」──この男はスゴいな。毎日毎日おなじことを言っているはずなのに、すこしもスレていない。──誰にも頭の下げようがなかったから、案内役に頭を下げた。

 ──あとは、本田先生の青春の場所を歩こう。

 そこは「キャンバス」ということばがピッタリの空間だった。

 生徒たちがクソ暑いなか制服で何組も走らされている。声のそろい方が見事。中にはリュックを背負って走っている若者もいる。ひとりが「ウェー野球部よりもキツそう」と言ったので見学者たちが笑い出した。

 ゲストハウスに戻って案内役が挨拶をすると大拍手。きっと色んな思いがこもった拍手だったに違いない。

 戻ってきた翌々日は、胃を全摘した同級生の快気祝い。愉快な仲間11人の集合。去年一年で男ばかり三人減ったのだという。で、今年一名補充した。

 「あと10年してごらん。爐泙誓犬とったら願い通りに一緒にお風呂に入ってやるとにねぇ瓩曾ばっかりで話しよろうね。」

 「雪国20回」に、自分で作った「吾亦紅」の前奏を披露すると気持ちよさそうに歌い出した。松下電器OBが「なん。それマザコンの歌やんな。オレ好かん!」ではと「惜別の歌」にすると皆で合唱。

 この松下電器人物で、この男のお陰で同期会がうまく回っている。藤沢正彦が好きで「ぜんぶ読んだ!」と言ったあとでこっちに顔を向けて「哲学数学より二段階低い頭でも出来る?」

 後半部分には大賛成。でも藤沢正彦は読んだことがない。読んでみるかと思っていた頃に「品格」がどうのという本がベストセラーになって、「じゃぁ、オレが読む必要はない」根がアマノジャクなのです。

 それに明治という時代や明治人を神棚にあげる気がまったくない。明治人はその前代が営々と築きあげた精華をとことん食いつぶした。どの時代の人間も前代を食って生きるしかないんだけれど、彼らは次世代が食らうべき精神文化を何も産もうとはしなかった。そのあとの惨憺たる姿を次世代だけの責任にするわけには行かない。

 またもや大佛次郎の読み過ぎかもしれないけれど、──幸田露伴は同趣旨のことを書いた後、「もう死ぬ」と部屋から出て来なくなったという。──他人事じゃないよなぁ。オレたちはどんな精神文化を産もうとしているのか?

 ゾンビーズがそろい踏みをしていて、今度は『黄色いサクランボ』を披露すると言う。「おう、最後のサクランボやな。」

 担任を囲む会で小学校以来の同級生が「アタシ、もういつ死んでもいいち思いよった。でも、未練を残しながら死ぬともいいかなぁち思い始めた」と言った話を披露すると、「オウ。」と言ったあとに「あの男、この男、、」「いやぁ、あの食べ物、この食べ物かもしれんよ。」

 わいわいやっているうちに半日がたち「そろそろ帰らんとエズいき。」と立ち上がったら「へぇーまだ愛されとるとやね。」

 次回は8月初めに唐津ピアノ伴奏入りのミニ・コンサート。次は同月末の福岡支部同窓会。11月には予算4万以内でどこかへの二泊三日を企画しろと言う。「予算が厳しいばい。」「みんな年金生活やけんねぇ。」

 『天皇の世紀』を読み終えた。

 その話はいずれまた。

追記

 五月に会った高3の担任に手紙を出していたら、まったく期待していなかった返事がきた。「梅雨空を吹き飛ばすような便りをうれしく拝読した。」再会の折にお話しできるのを楽しみに待っています、お元気で、とある。うーん。内科泌尿器科への通院を忘れない様にせねば。

2017-07-16 木履(ぽくり)

       木履(ぽくり) 


 八七歳の恩師を囲んだクラス会は参加者は十人だったけど盛況だった。

 企画してくれたCちゃん、割り勘要員という名目で加わってくれたO、I、それに、わずかな酒で大声を張り上げる半端爺々の面倒を文句も言わずにして下さったお店の方々、それから、言い忘れたらあとが怖しい優しい女性軍よ、有り難うございました。

 『雪国』を二十回以上読んだというSとは、またも言い合いこになった。「そんな風やからややこしい生き方をしてしまうとたい。女の気持ちやら分からん振りをして戸惑っておけば長続きする。」(なんだか、のっけから何処かの学校の△山通信みたいになってきた。でも、気づかないふりをするのも貴重な優しさ。)とはいうものの、一連の近代史ものが終わったら、友情の証しに五十数年ぶりに読んでみる。『津軽』同様なにか新しい発見があるかもしれない。

 先生は教え子たちに校歌を歌うように要求する。──魚津でもそうだったな。「ミチト歌え!」──

 ──歴史は遠し三千年 光遍き大御代に・・・見よや燦たる校章は朝日に匂う山桜

 教員と生徒の合作なのだそうだ。

 「ヨウシ、匂う、ちゃ何か?」

 「匂いというのはこの場合は鼻でかぐものではなく目で見るまぶしいほどの美しさを言います。」

 「ヨウシ、さすがは国語の先生!」

 (もう引退したんですけど、、、。)

 「なんで山桜なとか? 本居宣長はなんで大和心を山桜に喩えたとか?」

 「サクラサクラ、彌生の空は見渡す限り、霞か雲か、ちゅうでしょ? 山桜はぜんぜん目立たんで満開になっても霞か雲と間違えられるぐらいぼうっと見えるとです。だから、目立つ様なことは一切期待せず、己が義務と思うことを確実に果たして自足する精神を、本居宣長山桜に喩えたとです。」

 「ウーン。よかろう。じゃ、ソメイヨシノ山桜はどう違うとか?」

 「ソメイヨシノは花が先に咲きます。花が散ってから葉が出ます。でも山桜はですねぇ、葉と花が同時です。」

 「ちょっと違う。山桜は葉が先に出る。花はあと。その代わりじっくり咲く。ソメイヨシノはパッと咲いてパッと散る。」

 「はあ、」

 先生は突然「遠き別れに耐えかねて、、」を歌い出す。教え子たちもそれに続いて斉唱する。

 ──君がさやけき目の色も、君くれなゐの唇も、君が緑の黒髪も、」

 たしか前後三回も歌わされた。

 「緑の黒髪ちゃ何か? どうして黒髪が緑なとか?」

 (こんなシツコい人とは思っていなかった。坦々と受験英語を教えながら、こんなことを考えていたんだ)

 「みどり児ちゅう言葉がありますから、?みどり?は色ではなくて、初々しさや若さを表しとぉっちゃないとですか?」

 (日本語の色は、以前?白馬?で「どうして?白?が?あを?なのか」についてウンチクを傾けた様に実にややこしい。 )

 「ウーン。も少し行け。生命力じゃ。緑の黒髪はイキイキした黒髪なったい。」

 ──先生の言いたいことが分かった! 山桜のほうがソメイヨシノより生命力に満ちとる。粘り強く生きるとが大和心ぞち言いたいとばい。

 ──お前たちはまだヒヨッコじゃ。まだまだこれからジックリと葉を茂らせれ。花を咲かせるとはずっと後ぞち先生は言いよんしゃぁとやね。

 「先生まかせといて下さい。オレたちはしぶとく長生きします。先生もですよ。」

 「オウ、お前たちはオレにとって特別の生徒じゃ。」 

 「これからがオレたちの黄金の十年ぞ!」

 「オウ! よう言うた!」


 それから越後湯沢の話に変わったのは、Sが『雪国』にこだわっていたからだろう。

 その先生の話は次のようなものだった。


昔、越後湯沢に匂いたつほどに美しい娘がいた。

娘は両親を知らずに育ったが、優しい祖父母と兄たちに守られて健やかに成長した。

村の男たちは彼女のまばゆさに誰も声をかけることが出来ずにいた。

娘は年頃になっても一度も男から言い寄られないのを気に病んでいた。

まだ鏡というものを知らなかった頃のことである。

ある年の夏祭のとき、隣村から来た若者が、一緒に踊ろうと誘った。

娘は天にものぼる気持ちになった。

祭が終わったあと若者は、来年の春、雪が融けたら迎えに来ていいか、と娘に言った。

娘は大きくうなづいた。

秋がきて冬になった。

雪が降り続き、みな家に閉じこもっているしかなかった。

家族の話題はしぜんに隣村の若者のことになった。

「早く春が来てくんろ」

しかし、越後湯沢の冬は長かった。

毎日毎日雪が降り続いた。

ほんとうに春が来るのか。

それ以上に、あの人は本当に迎えに来てくれるのか。

娘はしだいに悩み始めた。

そして焦りはじめた。

ある日、娘は、隣村に行ってみると言い出した。

驚いた家族は、吹雪になるかも知れないからと引き留めようとした。

しかし、寡黙な娘が一度言い出したら決して引こうとしないことを良く知ってもいた。

娘は、親が、形見に、と娘に残した木履を出してきた。

「そんなもん危ねぇから、せめて雪ぐつを履いていけ。」

娘は拒んだ。

女の子に恵まれたことを喜んで親が買ってくれていたという木履以外、彼女は何一つ華やかなものを持ち合わせていなかった。

木履での雪道は難渋した。

それでなくとも覚悟していた道中は少しも進まなかった。

しかも家族の言ったとおり次第に吹雪き始めた。

寒かった。

暗くなってきた。

方角があやしくなっていった。

泣きそうになるのをこらえながら、それでも先に進もうとして転んだ。

「ひゃっ。」

足から外れた木履を手にした娘に絶望感が襲った。

片方の鼻緒が切れていた。

「会えない。」

彼女は泣きながら引き返した。

「会えない。」

それは、もう一生会えないことのように思えた。

吹雪は何日も続いた。

娘は食事も喉を通らず、口もきけずに過ごした。

家族はただ黙って見守っているしかなかった。

雪も風も止み、明るい陽がさしてきた日。

娘は木履のことが気になって、も一度あの場所に出かけた。

木履はなかなか見つからなかった。

見つからなければ見つからないほど、鼻緒が切れたとは言え、あの木履が、自分と若者を結びつける唯一のたよりのような気がした。

この辺りだったはずだと雪を払っているうちに、

「あった!」

木履を見つけた。

手にした木履には真新しい赤い鼻緒が付け替えられていた。


 先生の話の記憶はそこで途切れている。

 先生が酔ってしまったのか、自分が限界を越えたのか、あるいはその両方か、もうその記憶も当然のようにない。ただ、新しい鼻緒の赤さはいまも、それこそ「みどりの赤」と呼びたいほど鮮やかに甦る。

 だから、その記憶が新鮮なうちに、先生の話を完成させたい。


「あの人だ。あの人は虫の報せで吹雪のなかを私を探しに出てきたんだ。そして鼻緒の切れたこの木履を見つけて、付け替えてくれたんだ。──春になったら必ず迎えにいくから待っていろ──と私を励ますために。」

娘は、若者の冷え切った手を温めるかのように、そうっとその木履を胸に入れて抱きしめた。。

そして涙が頬を伝わるのも気にせずに家に戻った。

もちろん、

春になり、雪がとけるとすぐ、若者が晴れやかな顔で娘を迎えにきた。

家族からの心のこもった風呂敷包みを抱えて出てきた娘は、赤い鼻緒を若者に見せて微笑んだ。

夫となるべき若者は左右の鼻緒が片々なのに気づき、「どちらかと似た布ぎれが家にあるかなぁ。」と思いつつ微笑みを返した。

村の若者は最後まで娘に声をかけることなく、まぶしそうに二人を見送った。



附記

 散会が近づいた頃、小学校以来の同級生が話しかけてきた。

 「アタシ、もういつ死んでもいいと思いよった。ばってん、未練を残しながら死ぬのもいいかなあと思うようになってきた。」

 「そら良か。是非そうしぃ。」

 「うん。」

附記2

  

 『雪国』を二十回以上読んだという男は「国境は?こっきょう?か?くにざかい?か」と議論をふっかけてきた。「オレは?くにざいかい?と読む。」

 教員だった頃、文学史で「新感覚派」が出てくると、そこを材料にして説明していた。

 「?国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった。夜の底が白く光った?という文章は、時間の順番がむちゃくちゃだ。」 

 時間順に直すと、

 長いトンネルを抜けた→夜なのに地面が白く明るいのに戸惑った。→雪だ。雪が積もっているんだ。→オレは別の国に来たんだ。

 長いトンネルはこの場合、時間も価値観も、もちろん人間関係もまったく別々のふたつの世界をつなぐ幽界のような役割をもっている。だから、『雪国』の場合は、天城トンネルのような?くにざかい?ではなく、?こっきょう?の方がふさわしい。

 あとは、向こうに行ってからご本人に聞くしかないが。訊いたら、あの目玉でギョロッと睨まれそうな気がする。

       2017/06/06


追記

 これを送った岩手出身の友人からメールが届いた。

 「一晩に1mも2mも湿った雪が積もる地方で、あの話は成り立たない。第一下駄では歯の間に雪が挟まって団子状になり数歩も歩けない。」

 御説御尤も。

 ただ、後半の方は、実は先生の話では下駄だったんだが、自分も同じことを感じて木履にしたのではありますが。

2017-05-07

FSへ

11:22

ジンから「お前の書いてくることは良う分からん。だいいち字が読めん」と言われてしまったので、タイピングします。

 あなたがどんな生き方をしてきたのか聞きたかったのに、うまくマングリが合わなくて残念でした。

 相当に躊躇して居たのですが、同期会に行って良かった。

石川明子さんから「ジンちゃんが来るよ」と電話が掛かってきて「なら行く?」ひょっとしたら最後になるかもしれないと思っていたけど、新開や藤井さんが「今度はクラス会をやろう」と言い出した。そしたら、今度はあなたともゆっくり話してみたい。

 その時の話の種に、いま考えていることを書きます。

 アベが唐突にぶち上げたアドバルーンのことです。

 現行憲法の粗雑さ(いちおう文学の徒のつもりなのですが、その悪文さ加減はひどすぎます。そこにある論理も緻密にみえて実は乱暴極まる)がなんとも気に入らなくて、生徒には「わたしは改憲論者だよ。意見はいろいろあろう、でも、自分たちの生命と安全を他人任せにする、という前文はひどすぎるから変えようよ。だいいち日本人が自分の命を預けると言っている猜刃造噺正を愛する諸国民瓩辰討い辰燭い匹海砲い襪痢」というと生徒たちが笑い出しました。(2〜3年前の公立高校でのことです。)高校生から笑われるようなことを大人がやってちゃいけない。

 私自身は、前文の書き換えと、9条2項の削除だけなら実現の可能性があるかなと思っていたのですが(実は、「天皇国事行為のみを行う」という条文があることを知ったのは数日前のことでした。)、今回の「9条2項のあとに自衛隊の存在を明記した3項を加える」という発想にびっくりしました。「無茶苦茶じゃないか」

 石破茂がどんな発言をするか興味津々で見たBSフジのプライムニュースで共産党の書記局長?が「3項を加えたら2項が空文化する」と言ったのは的を得ているけれど、戦術的には最悪の発言だと感じました。手の内をさらすのが早すぎる。あとは防戦一方に追い込まれる。

 護憲派の大半は「自衛隊はぎりぎり合憲」論です。(私には「犁燭錣靴は罰せず瓩寮鎖世派簡眈って認めてやっている」論に聞こえます)しかし、自衛隊を明記することが違憲だと言うのなら「これまでの自衛隊合憲瓩麓造録瓦砲發覆い海箸鮓世辰討い燭錣韻世諭廚筏佑甦鵑蕕譴燭虍刃世任ません。

 安倍の変化球に直球で応じようとするならば、「現行憲法でも自衛隊はぎりぎり合憲であることには既に国民的合意がある」と、まずは自衛隊違憲派学者を切り捨てなくては行けない。──どう読んでも自衛隊違憲だと思うけど──その上で「国民的合意があるのに恣意的に第三項を加え、そこで自衛隊の存在を明記することは現行憲法の精神に反する」という論理にするしかない。

 ながく高校教員をやってきたのですが、生徒には「いま日本人が真っ二つに割れてハデに揉めているように見えるけど、じつはどちらも猜刃造鮗蕕蹐Ν瓩箸いΔ海箸任楼戝廚靴討い襪ら心配するな。割れているのはただその猜刃造亮蕕衒瓩琉磴い如△匹辰舛里曚Δ平和の守り方として有効かという方法が、極端に言うと丸っきり違っている。私は、平和を守るためには牴燭せにゃいかん瓩隼廚κだけどね。」

 安倍側はさらに「天皇国事行為のみを行う」のなかの「爐里澂瓠廚鮑鐔するのを提案する。このこと(公的行為などは完全な違憲行為であること)に関しても、「国民誰も、天皇憲法を犯しているなんて思ってはいないのだから、現行のままでいいじゃないか」としか言えない。「だったら爐里澂瓩瞭麒源を削除することに反対する国民はいないはずじゃありませんか?」

 護憲派は今回も直球ではなく、「いったん変えたら歯止めが利かなくなり、絶対天皇制や、軍国主義の国に戻る」という変化球に頼るのでしょう。

 今回「すごいことを言い出したな」と思うのは、実は憲法をどういじるのかということではなく、護憲派が反論をしようとすると、どうしても「現行憲法」という言葉を使わないと新憲法案との区別が曖昧になることです。つまり、これまで現行憲法を絶対化してきた側も、それを相対化しないと議論が成り立たなくなる。そのことの意味は相当に大きい。

 実際にその加憲なり削憲なりが選挙の争点になるかどうかは、世論の動向次第でしょうが、(いまの首相は「機を見るに敏」)最終的には矛を収めるにしても、投げかけられた波紋はもう消えない気がする。

 

 イギリスがEU離脱を決めたとき、サッチャーの「これまで私たちは自分たちの歴史を書き続けてきた。次の世代も自分たちの歴史を書こうとするのか?それとも書かれる側になるのか?」という発言を思い出しました。「また書こうというのだな。」

 隣の国を見ていて思うことのひとつもそれです。あの国には「自分たちの近代史」がありません。彼らは「も一度歴史をやり直し」たい筈です。

 何十年も前になりますが、『アフリカ史』という新書を読んだことがあります。その中でいちばん印象的だったのは、独立したあと「国には歴史が必要だ」と大統領が学者たちに歴史編纂命令を出したという挿話でした。──歴史は文学か、社会科学科か、というのは不毛の議論にしかなりません。たいていのことはそうですが、歴史もまたハイブリッド体だと思っています。──

 ベネディクト・アンダーソン(実は二言だけですが口をきいたことがあります。)の、、なんという題名だったかな、その本のなかで独立を果たしたインドネシアが最初になさなければならなかったことは「インドネシア語」を作ることだった、と彼は書いていました。

 

 疲れてきたから、そろそろ終わります。

 自分たちの歴史を自分たちの言葉で次世代に書き残すこと。30代なかばに、ある尊敬していた修猷館の国語教員から「新しい私立男子高ができる。いっしょにやらないか」と声をかけられて喜んで加わりました。いっしょに働き始めていくらも経たない頃かれが「先生、国語の授業の目的は文化の伝承だと思うよ」──あ、司馬遼太郎を読んだな──もちろん異論はありません。

 自分の言い残そうとしたことが、どれほど生徒に伝わったかはわかりませんが、もう40をとっくに過ぎている卒業生のクラスのとき、ある男が「オレたちは荒木先生から、受験に役立ちそうなことは何一つ教わらなかった!!」と言うと大歓声が起こりました。われわれの時代で言うなら「異議ナーシ!!」そのあとに付け加えた言葉が感動ものでした。「でも、オレたちは先生から哲学の初歩を教わった。哲学ってすべての学問の基礎ですよね。」

 ホントにそんな授業をしたのかどうかは全く記憶の外にあります。だいいち同じクラスの別の生徒は「先生、いっぺん浅田次郎を読んでみてください。小説のようなきれい事ではない雑文でアイツの言っていることは先生そっくりですよ」と言います。たぶん二人とも半分あたっていて半分は外れているのだろうと思う。外れている半分のほうは、私から教わったことではなく自分で考えたこと、なんじゃないかな。

 ぐちゃぐちゃ書きましたが、もし、「じゃぁお前は犖悗蟾發戦争瓩鉢狠兮燭平和瓩瞭鸞鬚靴なかったらどっちを選ぶのか?」と訊かれたら、やっぱり後者かな。でも、それは「蛙の面に小便」以上の強靱な自意識と精神力を要求されることなんだと思っているけど。

 この春リタイアして最初にしたことは、嘉穂の野球部を応援に行くことでした。(その次は、数年前からサニックスが主催している「ワールド・ユース・ラグビー」を宗像に見物にいったこと)

 今年の野球部は久しぶりに強いです。140匐瓩さ紊鯏蠅欧投手が二枚揃っているし、打てるから、ひょっとしたらひょっとします。

 でも、「変わったな」と感じたことも幾つか。

 いちばん「変わった」と感じたのは、2試合とも応援団長が来ていなかったこと。もう肥川のような男がいないのか、そういうこと(応援団長が校旗をもってひとりで応援に行った日は出席扱いにすること)を学校が許さなくなったのか。その両方かもしれない。

 たまたま夏の予選で一度だけ私のいた高校と嘉穂が福岡の球場で当たったことがあります。こちらは私立なのでその日は「補習中止」。嘉穂側のスタンドにはだれもいず、ただひとり黄色くなったシャツに学生帽をかぶり校旗を持って仁王立ちしているヤツがいて嬉しかったのに。

 そうか、それよりもっと前、たまたま天神を歩いていたらクソ暑いなか学生帽をかぶっているヤツがいたので、そうかと思って、「勝ったか?」と声をかけると直立不動になって「勝ちました!」

 今でも柔道部は嘉穂らしいです。

 7月下旬に飯塚でそれらしき、体重が120キロはありそうな学生帽とすれ違いそうになったので「金鷲はいつからだ?」──OBの新原が「私財を擲って」御幸町の滴水館?を再建したあとのことです──と声をかけましたら、ぴたっと足を止めて帽子をとり「明後日からです。」「楽しみにしとくぞ」と言うと「有り難うございます。」

 帽子をとると同時に坊主頭から汗がザァーっと流れ落ちてきたのが何とも好ましかった。「嘉穂は嘉穂やな」

 野球場で「変わったな」と感じたあとひとつのことは、前に陣取っていたお母さんが「ね、ボタ山ちゃ何?」と隣のお母さんに訊いていたことです。

 もひとつは、これは自分にとって決定的なことだったのですが、(だってそれを楽しみに出かけてきたのに)7回になっても、勝利しても、校歌を歌わなかったこと。

 もう21世紀に「歴史は遠し三千年」はそぐわなくなったのかもしれないですね。

 

 中高一貫コースを作ってから嘉穂の偏差値はすこし持ち直しましたが、いまは女子生徒のほうが多くなったと聞いています。運動会後のストームもなくなったか、男女全員参加になっているのかも。

 仕方がない。

 文化祭に行ってみたことがありますが(母親の暮らしていたグループホームが新しい校舎のすぐ傍だったのです)、教員たちは塾の先生と区別がつかなくなっていました。

 長くなりすぎて申し訳ない。

きっとまた会えますように。

 今度こそゆっくり話せますように。