えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

ロックの道徳科学、トマジウスの自己立法 シュナイウィンド (1998) [2011]

自律の創成: 近代道徳哲学史 (叢書・ウニベルシタス)

自律の創成: 近代道徳哲学史 (叢書・ウニベルシタス)

  • シュナイウィンド・J (1998) [2011] 『自律の創成』 (田中秀夫監訳 法政大学出版局)

第一部 近代自然法の興亡

第二部 完全性と合理性

    • 第9章 近代完全論の諸起源

1.ロックとグロティウス的問題設定

 ロックの自然法理論は
(1)グロティウス的な自然状態(非社交的社会性)
(2)人間間の不和は原罪によらない(貨幣や相手に反論する傾向による)
(3)最高善の拒否(人々は異なったものから快楽を得る)
という「近代特有の形態の自然法観」の3特徴の上に打ち立てられている。

2.道徳学の要素

 ロックは次のような次第で道徳の科学が可能と思われた(2−3節)。
 『人間知性論』は、生得観念を否定している。良心はその人の意見にすぎない。また道徳は法や義務に関連し、それらは今度は立法者に関係するので、道徳原理が生得観念なら他にも様々な概念が全て生得的でなければならず、それはあり得ない。
 『人間知性論』は、道徳に関する話題に特別な地位を与えないが、それは「道徳的観念や信念はその他の観念や信念と同じ言葉で説明できる」というホッブズやカンバーランドと共有する信念のあらわれであった。たとえば善は快楽の原因、悪は苦痛の原因である。これらの「自然の善」はカンバーランドと同様、「道徳的な善」からは区別される。(★)行為が道徳的な善であるのは、自然の善を服従/自然の悪を不服従に結び付けるような裏付けが立法者により与えられた法に、その行為がかなっている場合である。このように、道徳に関する観念はすべて経験から導出できる。

3.科学としての道徳

 道徳的観念は「混合様相」の複合観念である。混合様相とは、その観念は外的現実を写すものではなく、諸物を階層づけるために精神が作ったものだということ。この考えにより、「道徳的実体をどのように知るのか」というプーフェンドルフが棚上げにした問いに解答が与えられる(答え:我々が作る)。
 ロックは、「知性ある理性的存在としてのわれわれ自身」という観念を基盤にし、論証可能な学問の中に道徳をおくことができると考えた。つまり、自明な命題からの必然的帰結によって正不正の尺度を与えられると考えた。じっさい、〔アポステリオリな証明によって〕至高の存在である神の存在を論証している。
 しかし、ロックがこの道徳の科学を世に出すことはなかった。

4.ロックの主意主義

 〔ロックの見解には様々の困難があった〕。ロックの見解は「道徳的属性をもたない神」を提示するとトマス・バーネットは批判した。実際、神に法を課すものはあり得ないから、(★)により神の行為が道徳的に善とか悪とか罪とか義務はあり得ないし、道徳観念は混合様相で自然のなかに対応物を持たないので、自然の中に神の意志に制約を課すものは一切ない(主意主義)。
 またロックは、道徳原理は真の指針を与えるものでなければならないと考えたが、ロックが行う「論証」は道徳的な複合観念の明確化程度のことでしかなかった。さらに、道徳観念は我々が作るという見解は、それが神の意思を反映しているという保証を確保できない。またロックの道徳心理学は狭い意味での利己主義に見えるという問題もあった。

5.道徳における啓示と理性

 ロックは理性のみでも道徳的知識は手に入ると考えたため、ではキリスト教にはどんな意味があるのか問題に答える必要があった(『キリスト教の合理性』)。答えは、道徳を真の基盤の上に打ち立てるために必要。非キリスト教圏で発見された教えは、賢者からの助言や忠告にとどまる。それを義務づける法に変えることができるのは、それが神の命令であるという知識だけである。この知識を異教徒はキリスト教から学ばねばならなかった。
 この見解と、道徳的知識を理性によって発見できるという見解が整合するのかどうかは謎である。しかし、理性による論証で普通の人を説得することはいずれにせよ無理で、このためにもキリスト教は必要である。自然法を守る「正しい理由」の理解は容易ではないが、教えてもらえば従うことは出来る。この点で、ロックは自然法の知識が万人に等しく手に入ると考えた訳ではない。

6.自然法に関するロックの初期の著作

 ロックの初期著作(『自然法論』)は、神を力で支配する専制君主としないために、神には被造物を支配する「権能」だけでなく「権利」もあると論じる。ここからは、ロックはバーネットが批判するような見解を避けようとしていたということが伺える。
 しかし、いずれにせよロックの経験主義はバーネットの批判するような見解は避けられなかったのではないか。結局ロックは単なる力と権利を区別できず、動機づけはどんなに間接的であれやはり快楽と苦痛の評価と結びついている。

7.正義と愛

 『統治二論』第二論文によると、神は我々を社会へと向かう本性をもつものとして創った。従って、そのとおりに、つまり社交的かつますます繁栄しながらの生を可能にするような道徳的観念の使用が神によって求められている。この繁栄の一部は利己的な競争によって生じるので、ここで正義や広義の所有概念が神の意図の中で重要な位置を占めることになる。
 他方、グロティウスやプーフェンドルフとは異なり、ロックにとって正義は道徳の全てではなく、「人々の相互愛に対する義務」も等しく根本的なものだとされた。しかし愛に関しては上のような神の意図のうちへの根拠づけは与えられなかった。

8.主意主義と経験主義的道徳

 ロックはグロティウスやホッブズ同様、経験主義的な自然主義だけが争いの調停を可能にすると考えた。と同時に道徳には神が必要だとも考えており、グロティウスを主知主義的に読んで批判する。また賞罰を自然的なものとみなすカンバーランドの見解も批判する。たしかに神は賞罰を与えるが、それは〔作為な〕善悪でなければいけない。自然的な善悪は法なしでも機能するからだ。
 従ってやはり主意主義だけが道徳の中で神を本質的なものとできるのだが、このとき自然主義者ロックは神が「権能」のみでわれわれを統治するという専制君主モデルから逃れられなかった。ロックが演繹的倫理学を公表することを拒否した理由は、この専制君主的な神理解にたどりついてしまったことへの当惑ではなかったか。ホッブズも経験主義と主意主義を連結させたが、その宗教観の方が注目された。プーフェンドルフは経験主義者だが経験からの道徳概念の演繹に興味を抱かなかった。しかしロックの著作は、経験主義を採用すると主意主義をとらざるを得ず、その帰結が容認しがたいなら経験主義もまた容認できないことを明白にした。

9.トマジウス ――主意主義の否定

 ドイツ啓蒙の父であるトマジウスはプーフェンドルフ主義者として出発した。しかし、神は奴隷的な恐れを抱かせる「支配者」ではなく、合理的な、子らしい恐れを抱かせる「父」であるはずであり、神の完全性には、専制的なやり方で人々の心に法を書き込んで自らの便益を図ることよりも、人々にとっての最善を求めることのほうがふさわしいと論じ、プーフェンドルフから離れた(主意主義の放棄と、神による最大善の追求の直結)。

10.義務と助言

 トマジウスによれば神は懲罰の恐怖で人を強いたりはしない。神の命令は懲罰を用いる人間の法と同じ意味では「法」ではない。神は立法者ではなくむしろ教師であり、神の命令は「規則」ではなく「助言」である。従って神に対する我々の主たる関係は規則への「服従」ではなくなる「規則」も「助言」も行為を義務付けるが、「助言」が<その行為と必然的に結びついているもの>から生じる「内的」強制力を示すことで人を拘束するのに対し、「規則」は<行為の選択時にだけ関わる〔(行為とは偶然的結びつきしか持たない)〕外的強制力>で人を拘束する。賢明なものは前者に、愚か者は後者に普通支配される。これをふまえ、義務や制裁が道徳にとってもつ関係は刷新される。

11.法と道徳の分離

 この刷新は、正義・名誉・礼儀正しさの峻別によっておこなわれる。正義は適切な懲罰に裏付けられる外的な義務であるが、名誉と礼儀正しさは強制的なものではありえず、しかしそこに必然的に結びつく「精神の平静さ」や「他人からの良い評判」ゆえに、内的に義務を課す。後者の範囲はプーフェンドルフの「不完全義務」にほとんど対応するが、トマジウスはこの用語法を拒否する。といのうのも名誉と礼儀正しさはより高等な義務だから「不完全」の名は不適切だからだ。
 かくして「不完全義務」の領域は、外的義務よりも高級な、「外的制裁がないのに人を動機づける義務を課す規則」の領域へと変形される。ここでわれわれは神にも為政者にも支配されていない。「自らに対して義務がある。そして、われわれは自分自身で(たとえば誓約を通して)法を作ることができる」。トマジウスは経験主義者を自認するが、彼が関心を持っていたのは「他人への服従を自己立法に置き換えるような法と道徳についての理論」をつくることであり認識論ではなかった。だから彼は自分の見解が主意主義にどう影響するかという問題はとくに考えなかった。トマジウスは、「外的義務は唯一の義務ではなく内的義務(道徳以外の種類の法)は卓越した種類の義務である」と考えた点で自ら独創を任じていたし、じっさいそれは故あることだった。