えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

心理主義をフレーゲとフッサールが殺したという「よくある話」 Kusch (1995)

Psychologism: The Sociology of Philosophical Knowledge (Philosophical Issues in Science)

Psychologism: The Sociology of Philosophical Knowledge (Philosophical Issues in Science)

 つい最近まで、日常言語派から脱構築主義者に至るあらゆる哲学者は「反心理主義」という点で一致していた。

 哲学はヘーゲルの死後ドイツの知的世界におけるプレゼンスを自然科学に譲るようになり、イギリス経験主義の影響をうけた自然主義的な哲学が優勢になってきた。この時期のドイツの論理学者エルドマン、リップス、ジークヴァルトらは、論理とは人間の推論にかんする経験的一般化であると考えた。だがこのような考えの誤りがフレーゲ、そしてフッサールにより示され現代に至る――というのが、現代では「よくある話」である(ただし、最近はクワインの影響力のもと「反反心理主義」が現れつつある)。

 では「心理主義」とは精確にはどのような見解なのか。現在、哲学者の中で見解の一致は全くない。人を心理主義的だと非難する哲学者が、別の哲学者から心理主義的だと非難されることすらある(右図:非難された人、した人の例)。だが、哲学共同体が常に心理主義を警戒してきたことは事実であり、この現象は社会学的な注目に値する。また、世紀転換期のドイツにおける心理主義と反心理主義の論争を検討することは、大陸哲学と分析哲学の共通基盤を探そうという試みにとっても重要だろう。

 この研究は、心理主義論争を科学的知識の社会学(SSK)をモデルとしながら検討する「哲学的知識の社会学」の事例研究である。哲学的論争の力学、それがどのように始まり、終わるのか、が問題関心となる。なおSSKには心理主義をめぐる論争に注目すべき理由がある。この論争は1920-30年代の知識社会学をめぐる論争に強く影響したし、SSK内部でも「心理主義」批判が行われている(例えば、フラーがエディンバラ学派へ)。そして、現在の「純粋な」(科学)哲学者がSSKに抱くいらだちは、当時の「純粋な」哲学者が心理学者に抱いていたいらだちと平行しているのである。