えめばら園

Philosophier' Er nicht, Herr Schatz, und komm' Er her. Jetzt wird gefrühstückt. Jedes Ding hat seine Zeit.

情動は信念を正当化する Pelser (2014)

Emotion and Value

Emotion and Value

 情動は信念を認識的に正当化できるという見解、「正当化テーゼ」を擁護する論文です。まず筆者は、情動とは知覚なのだという見解を提示します。アヒル-ウザギ図形の例からわかるように、感覚知覚においては感覚に対して一定の「解釈」が加えられています(Roberts 2003)。ここから筆者は、情動はある個別の対象や事態について、それが厚い価値的性質をもつと解釈するものだとします。たとえば感謝は、ある人についてそのひとが寛容であると解釈するものです(Zagzebski 2003)。こう考えると、情動は信念と内容を共有でき、例えば感謝は「あの人は寛容にも私にプレゼントをくれたので感謝に値する」といった信念を正当化できるようにみえます。

 「正当化テーゼ」を支持する議論はこういうものです。私たちは、奴隷制は不正だとか、夕焼けは美しいとか、子どもはかわいいといった評価的信念を正当なかたちで持っているように思えます。さらにそうした評価的信念の少なくとも一部は、価値的性質の直接的経験から生じていると考えられるでしょう。実際、情動経験が貧しいと評価的概念をうまく形成できないという話もあります(Sacks 1995)。情動的経験から直接的に形成された正当化された信念が存在するというこの事実を、「正当化テーゼ」は非常にうまく説明してくれるように思われるのです。

 しかし、「正当化テーゼ」には代表的な反論が二つあります。まず情動は真理を追跡する過程としては信頼性がないと指摘されることがあります。ここでまず注意すべきなのは、こうした指摘がなされる場合には、〔苦痛を回避するために都合の良い信念が生み出される〕といった事例ばかりが念頭に置かれる傾向があるという点です。このような事例は、強制収容所の写真を見て喚起された怒りを基にホロコーストが悪だと信じるようになる、といった事例とは明らかに異なるものです。これを踏まえた上でいくつかのことを言うことができます。

  • 特定の場合に信頼性が低いことは、正当化が不可能だということとは違う。情動が生み出すのは阻却可能な「一応の」正当化だが、阻却されずに「最終的な」正当化になることもある。
  • 有徳な人の情動は真理をよく追跡している
  • 感覚知覚や記憶や証言の信頼性もそう高くないが私たちはがこれを信用している。

 また別の反論もあります。情動が信念を正当化できる場合、その情動自身も正当化されているはずだが、その正当化のソースは元の信念を正当化できる非情動的なソースのはずで、〔したがって情動による正当化は単に派生的なものにすぎない〕というものです。Brady (2012) はこの反論を支持する観察を3つ指摘しましたが、それぞれについて以下のように応答することができます。

  • (i)情動は理由に可感的である

→たしかに私たちは情動が不合理だと言うが、それは情動が正当化されていない信念に基づいている場合。たとえば娘の死に対する絶望は、娘が死んでいるという信念(「情動の基盤となる信念」)が正当化されてなければ不合理と言える。だが今問題なのは、この絶望がたとえば「娘の死は大きな喪失だ」という信念(「情動の結果である価値的信念」)を正当化するという別の局面だ。そして、情動が価値的信念を正当化するためには、「情動の基盤となる信念」さえ正当化されていればよく、その価値的信念に対する独立の正当化がなくてもよいのではないか。たとえば、娘と仲違いし娘が大切だと信じる理由をとうに失っていた父親が、しかし訃報を聞いて絶望を感じ、それによって「娘の死は大きな損失だ」と信じるに至った時、この信念は絶望のみによって正当化されていると言えるのではないか。

  • (ii)私たちはふつう情動をそのまま信用するのではなく、対応する信念を確証してくれるような情動と関係ない理由を探す

→そうでもない(see. Close and Gaspar 2000)

  • (iii)私たちは信念の理由を尋ねられて情動を引き合いに出すことは滅多にない。

→理由を持つことと、会話の中で理由を与えることは別の問題である。この社会では情動は信頼できないとされており、また情動の不一致も多いので、私たちは情動を基盤にした信念の理由を尋ねられた際には、状況の非評価的な特徴を引き合いに出して、相手が自分と同じ情動を経験してくれることを願うのだ。

 以上のようにして「正当化テーゼ」を擁護することができます。