2012-01-06 死を前にした日本人がとった行動
年末の坂の上の雲はじっくり見ていました。
近現代 | |
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旅順港攻略の乃木大将を演じた榎木さんがとくによかったです。最終回の海戦もすごかったですが、その後のエピソードがだらだらして全部飛ばしましたが。(録画なもので)
明治の軍人のすごさは、武士道にあるのでしょう。江戸時代の武士が武士道をまっとうしていたとは思えませんが、明治時代はよくもわるくも理念を現実化してしまったすごい時代です。
そんなすごい軍人に再び光をあてたのが、ノンフィクション作家の足立倫行著『死生天命―佐久間艦長の遺書』(ウェッジ、2011)です。
- 作者: 足立倫行
- 出版社/メーカー: ウェッジ
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佐久間艦長とは、講談社の日本人名大辞典から引用すると
佐久間勉(1879−1910)
明治時代の軍人。
明治12年9月13日生まれ。日露戦争後、潜水艇の研究をおこなう。第六潜水艇長として、明治43年4月15日山口県新港(しんみなと)(現岩国港)沖で潜水訓練中に艇が沈没,その詳細な記録をのこして乗組員13名とともに殉職した。死後海軍少佐にすすむ。32歳。福井県出身。海軍兵学校卒。
足立さんは、東日本大震災をめにしたことで、死を目前にした人がどのように行動し、しかも冷静に死を迎えられたのかに関心をもち、佐久間艦長のゆかりの地である、故郷の福井県、事故のあった山口県などを歩きルポしたものです。
当時、海外での潜水艦事故では、乗組員がパニックになり、ハッチに殺到して折り重なるようにして死亡したり、遺体には殴り合ったあとがあったりとして不名誉な死に方をしていたそうです。
佐久間艦長の第六潜水艇は、乗組員がそれぞれの持ち場につき、最期まで役目に全力を尽くしたまま、ガソリンガスによる窒息死(中毒)となりました。
さらに佐久間艦長が、冷静に事故後の状況を淡々と、そして最期まで部下を思いやる内容の遺書兼報告書を残していたことが、日本のみならず世界中に感動の嵐を起こしました。
第2次大戦では、ドイツのUボートはじめ外洋で次々に船を沈めていたので、強力な攻撃兵器という印象が強かったのですが、このころは、潜水しながら進むことは非常に難しく、水中で進めるモーターは、エンジンで海上をゆくのに比べてスピードも航続距離も10分の1しかなかったそうです。そのため、沿岸にしか配備できませんでした。専守防衛用だったんですね。(98pあたり)
2011-02-01 なぜ残ったのか

今、築造時の城がありしひのままで残っているのは12しかないのだそうだ。
そこを城めぐりが趣味の女性が歩く、という内容です。
現存している12に絞るという切り口がうまい。
ありとあらゆる本がでている戦国の城もので、もしこれが初なら意外なテーマが残っていたなあと関心であります。
12天守閣とは、
松山
松本
(敬称略w)
こうしてみると、なぜか瀬戸内海、それも四国がだんとつに多いですね。
なにか理由があるのでしょう。
その理由がこの本に書かれていなかったら、わたしたちが本にしちゃいましょう!
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2011-01-04
ちょんまげは天武天皇が命令した
- 作者: 増田美子
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日本の衣服の歴史をひもといてみると、4期の画期があるという。
2期は、平安前期から中期
3期は、平安末から鎌倉
いうまでもなく、4期目に大きな影響を与えたのは欧風化。
和装から洋装など、衣服に限らずそれまでの風俗がつぎつぎと変わっていた。
面白いのは、1期にあたる天武天皇が682年に命令した風俗改革以来、男性のちょんまげはずーーっと明治まで続いたというのである。ちょんまげは伝統ある髪型だったのだ。
ただし、日本古来のものかといえば、そうではなかった。
ちょんまげは、中国(唐)からのまねだったという。
しかし、天武天皇が「今日からちょんまげだ」と命令し、男性は従ったものの、女性にはひどく評判が悪かった。実際、その2年後には、女性のちょんまげをしなくてもよいとする法律が出されている。結局、705年、女性もちょんまげが実施されたという。
女性は、昔っからおしゃれにこだわりがあったのでしょうか。
大宝令や養老令をみても、女性は男性と対等に礼服や朝服を着て儀式に参加していた。また、男性と同じく馬に乗って疾駆さえもしていたのである。(増田美子「服飾からみた日本女性」『本郷』85、2010年1月)
髪型一つとっても、男性らしさ、女性らしさというのは時代によって違ったのですね。
女性の社会進出は古代にあり
奈良時代 | |
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ごく親しい知人が、今年の春に第一子誕生の予定だ、との年賀状をもらいました。
かねてより子供好きだったこともあり、喜びもひとしおのようです。
いうまでもなく、子供を生むという行為は、女性でなくては出来ません。
しかし、「育児休暇」を男性が取得できるようになったことなど、
男性の支えがなくては子供を育てることは出来ません。
女性の社会進出が拡大することとあいまって、法律も整備され、
男女の差は近年いちじるしくなくなってきております。
しかし、性差というのは本当に歴史的に存在していたのか。
こうした簡点から、古代史を再検討しているのが義江明子さんです。
「祭祀は女性が担当していた」
こうした当然とおもわれるイメージを覆しているのです。
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義江さんは、邪馬台国の時代、政治を担当したのが男性、祭祀を担当したのが女性という性差があったことは必ずしも立証されていない、といいます。
アマテラスや卑弥呼、そうしたイメージが作り上げたものから、さらに明治以降に導入された家父長制の影響から、私たちは古代の女性を勝手に妄想していたのです。
こうしてみると、私たちが考えている以上に、古代の女性は男性に匹敵するほどの社会的地位を得ていたことも考えられます。
「古代の女性は、農業経営、酒造りの現場で主導的な役割を果たしていた」(義江明子「女性史が拓く歴史像 酒造りと女」『本郷』73、2008年1月)
現代女性は男性と対等の立場で社会進出をしていますが、歴史的には古代にも見られたともいえます。
歴史の見方がコロリと変わる好例ですね。
去年は、まったくと言っていいほど、ブログが更新できませんでした。
ので、今年こそ、手元にある山と詰まれた本や史料のあれこれを片っ端から読んで、このブログに反映していくことを誓います。
s
2012/03/07 20:31
お前気持ち悪い
