歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

女性の社会進出は古代にあり

ごく親しい知人が、今年の春に第一子誕生の予定だ、との年賀状をもらいました。
かねてより子供好きだったこともあり、喜びもひとしおのようです。

いうまでもなく、子供を生むという行為は、女性でなくては出来ません。
しかし、「育児休暇」を男性が取得できるようになったことなど、
男性の支えがなくては子供を育てることは出来ません。

女性の社会進出が拡大することとあいまって、法律も整備され、
男女の差は近年いちじるしくなくなってきております。


しかし、性差というのは本当に歴史的に存在していたのか。
こうした簡点から、古代史を再検討しているのが義江明子さんです。


「祭祀は女性が担当していた」

こうした当然とおもわれるイメージを覆しているのです。

つくられた卑弥呼―“女”の創出と国家 (ちくま新書)

つくられた卑弥呼―“女”の創出と国家 (ちくま新書)

県犬養橘三千代 (人物叢書)

県犬養橘三千代 (人物叢書)

日本女性史大辞典

日本女性史大辞典


義江さんは、邪馬台国の時代、政治を担当したのが男性、祭祀を担当したのが女性という性差があったことは必ずしも立証されていない、といいます。
アマテラスや卑弥呼、そうしたイメージが作り上げたものから、さらに明治以降に導入された家父長制の影響から、私たちは古代の女性を勝手に妄想していたのです。

こうしてみると、私たちが考えている以上に、古代の女性は男性に匹敵するほどの社会的地位を得ていたことも考えられます。

「古代の女性は、農業経営、酒造りの現場で主導的な役割を果たしていた」(義江明子「女性史が拓く歴史像 酒造りと女」『本郷』73、2008年1月)

現代女性は男性と対等の立場で社会進出をしていますが、歴史的には古代にも見られたともいえます。


歴史の見方がコロリと変わる好例ですね。


去年は、まったくと言っていいほど、ブログが更新できませんでした。
ので、今年こそ、手元にある山と詰まれた本や史料のあれこれを片っ端から読んで、このブログに反映していくことを誓います。

ちょんまげは天武天皇が命令した

日本衣服史

日本衣服史


日本の衣服の歴史をひもといてみると、4期の画期があるという。
1期は、天武天皇から奈良時代
2期は、平安前期から中期
3期は、平安末から鎌倉
4期は、江戸末から明治

いうまでもなく、4期目に大きな影響を与えたのは欧風化。
和装から洋装など、衣服に限らずそれまでの風俗がつぎつぎと変わっていた。

面白いのは、1期にあたる天武天皇が682年に命令した風俗改革以来、男性のちょんまげはずーーっと明治まで続いたというのである。ちょんまげは伝統ある髪型だったのだ。
ただし、日本古来のものかといえば、そうではなかった。
ちょんまげは、中国(唐)からのまねだったという。

しかし、天武天皇が「今日からちょんまげだ」と命令し、男性は従ったものの、女性にはひどく評判が悪かった。実際、その2年後には、女性のちょんまげをしなくてもよいとする法律が出されている。結局、705年、女性もちょんまげが実施されたという。

女性は、昔っからおしゃれにこだわりがあったのでしょうか。

大宝令や養老令をみても、女性は男性と対等に礼服や朝服を着て儀式に参加していた。また、男性と同じく馬に乗って疾駆さえもしていたのである。(増田美子「服飾からみた日本女性」『本郷』85、2010年1月)

髪型一つとっても、男性らしさ、女性らしさというのは時代によって違ったのですね。