歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

閲覧注意!「考古学的に本物」の吸血鬼の画像です!

 欧州最古の町のある国には吸血鬼がおるんや!
 おもわずなまってしまいましたが、
 きょうのエントリーマスターキートンからみで、元ネタのロイターを見ていたら、6月の話で恐縮ですが、ブルガリアで、「歴史的に本物」の吸血鬼の骨が発掘されていたなんてニュースがあったんですね。

ブルガリアの博物館で「吸血鬼」の遺骨公開へ、100体以上発見
[ソフィア (2012年6月)11日 ロイター] ブルガリアの国立歴史博物館は、発掘された「吸血鬼」の遺骨を来週展示する計画を発表した。

 黒海に近い都市ソゾポルの修道院で発掘作業を行っていた考古学者のグループは、胸を鉄の棒で貫かれた男性2体の遺骨を発見した。

 同博物館のボジダール・ディミトロフ館長によると、12―14世紀ごろのブルガリアでは異教信仰が広がっていた。これらの男性は吸血鬼に変身するのを防ぐための儀式において埋葬されたとみられている。同国内で100体以上の「吸血鬼」の遺骨が発見されており、大半は不死身で血を吸うとされていた中世の貴族だったという。

 ディミトロフ氏によると、こういった人々は現世において悪者であり、異教信仰では死後は吸血鬼となってよみがえり、生きている人間を苦しめ続けると考えられていた。「だから、木や金属の棒で体を突き刺されていることがしばしばあった」という。

 では、その吸血鬼の画像をどうぞ↓

photo:This Was Bat Number 8, 8-8-08 by Zeusandhera

冗談です

本物はこちら

本物の吸血鬼(ブルガリア産)


ぐさっと鉄の棒(囲んだ部分)が胸にささっています。

 生前悪いことして、死後はこいつはかならず吸血鬼になるだろうと思われた貴族の遺体に、吸血鬼として復活しないように鉄の棒で胸のあたりを串刺しにしておいたのだそうです。(写真はブルガリア国立歴史博物館のHPより)


小説や映画などでおなじみの「ドラキュラ伯爵」のモデルとなった15世紀ルーマニアの人物ヴラド・ツェペシュ大公や、その残虐な殺人方法から「吸血鬼」と呼ばれた殺人者たちなど、世界各国に伝わる吸血鬼伝説を紹介する。また、オカルト、民間伝承、科学の面などからヴァンパイアとは何者かを探っていく。
(アマゾン内容紹介より)

日本では、こんな話も。
かつて日本にはゾンビがいた!復活する死者をとめる遺族たちの奮闘が怖すぎる - 歴史ニュースウォーカー かつて日本にはゾンビがいた!復活する死者をとめる遺族たちの奮闘が怖すぎる - 歴史ニュースウォーカー

 そうそう死後に「やり」を刺された縄文の女性がいましたね。彼女も吸血鬼だったのでしょうか。。。新説です。彼女の話は下のエントリーで。

最近の人骨の話題といえば沖縄

 人骨と土器が一緒に出た最古の例とされた沖縄のケースですが、それまでの最古級は「最古のペット犬埋葬」と判明した愛媛の上黒岩遺跡だったのですね。へぇ。

 関連記事

考古学NOW:サキタリ洞遺跡 1万2000年前の人骨、石器同時出土 沖縄、旧石器と縄文の空白埋める (月曜文化)
毎日新聞 2012年11月05日 西部朝刊
http://mainichi.jp/feature/news/20121105ddp014040009000c.html

 沖縄県立博物館・美術館(那覇市)は、同県南城市のサキタリ洞遺跡で人骨と石器が一緒に出土し、放射性炭素年代測定の結果、約1万2000年前の遺物だったと発表した。人骨と石器が同じ遺跡でそろって確認された国内最古の例。沖縄の旧石器時代縄文時代の間にあった空白を埋める重要な発見で、日本人のルーツを探る研究の上でも注目されそうだ。

 同遺跡は09年に調査を開始し、昨年の発掘で洞窟内の調査区(2・5メートル×3メートル)から▽子供の犬歯1点▽石英製石器3点(いずれも2センチ程度)▽海産貝2点▽食べ残しのイノシシの骨??などを同一地層で確認。同時に出土した木炭の放射性炭素年代を測定し、約1万2000年前と分かった。

(略)

 日本の旧石器時代の遺跡で人骨が出土する例は、化石の保存に適した石灰岩質が広がる沖縄に集中する。山下町第一洞穴遺跡(約3万2000年前)、白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡(約2万4000年前や約2万年前)、港川フィッシャー遺跡(約1万8000年前)などがあるが、本土とは対照的に石器などの遺物がない。さらに「港川」以降は約7000?6000年前の土器出現までは、人骨や石器など確実な遺物が全くない空白期だった。

(略)

 人骨と石器の同一遺跡からの出土は、愛媛県・上黒岩岩陰遺跡など約9000?8000年前あたりがこれまでの最古例。調査を担当した同館の山崎真治主任は「当時の人の姿や、石器を使った生活の様子が同時に分かり貴重」とした上で「遺跡は海から遠い。貝などを人為的に運んだこともうかがえる」と話す。

 港川の人骨はほぼ全身の骨格が残る貴重なもので、現代の日本人のルーツかどうか議論が続く。ところが、人骨を直接年代測定した白保竿根田原を除き、従来の沖縄の旧石器時代の人骨遺跡は石器などの確実な遺物がなく、後世に流れ込んだ可能性があるなどと考古学からの評価は低かった。馬場悠男・国立科学博物館名誉研究員は「人骨はあっても石器はなかったのだが、今回はそれがクリアされ、批判の余地のない信頼度の高い成果となった」と評価。土肥さんは「港川そのものの再評価にもつながり、港川と縄文人との連続性について議論が進む。日本人の起源の研究において一歩前進」と話した。

 サキタリ洞遺跡にはさらに古い地層があり、今後の調査が期待される。【大森顕浩】