歴史ニュースウォーカー

歴史作家の恵美嘉樹が歴史のニュースや本の世界を歩く記録です

日本最初の女帝の最初のお墓「植山古墳」の一部が崩落。事故から1か月の発表の背景は?

 昨年12月のエントリーで紹介した。奈良県橿原市の植山古墳の石室の一部が崩れたそうです。
 


 考古学の発掘というものが、基本的に「破壊」であることを改めて思い知らされる事故です。

 そして気になるのは、1月15日に崩落して、把握していたのに、発表したのが2月12日と1か月であることです。

 想像ですが、どこかが取材をして、「ばれそうになったから」発表したとも考えられます。

 もしこうした「ばれなければいい」という態度があるとすれば、一つの市だけの問題ではなく、考古学、歴史学全体への信頼性の問題となりかねません。

 「隠蔽」でないことを祈ります。


推古天皇の最初の墓とされる奈良県橿原市国史跡・植山古墳(6世紀末〜7世紀前半)で、石室側面の石材一つが崩落したと市教育委員会が12日、発表した。けが人はなかった。

 石室の天井石がなくなっている同古墳には普段、石室保護のため覆屋が設けられているが、昨年11月からは発掘調査のため撤去されていた。雨や雪の水が土に染み込み、盛り土が緩んだのが原因とみられる。市教委は「過去の調査で盛り土が固い場所とされていたので、落石するとは考えていなかった」としている。


=植山古墳の石室側面から崩落した石材=1月15日、奈良県橿原市(同市教委提供)(共同通信