グレート・ギャッツビー

翻訳小説を苦手とする人というのは結構多いようで、曰く文章を読んでも頭の中に映像として結ばれないらしい。そういうことはある。ただ翻訳小説をわりと好きなつもりの私からすると、翻訳小説には日本人が書く文章と同じようにストンと腑に落ちるものもあるし、そうでないものもある。
そうでないものには実は二通りあって、まったくもって頭に入らないものと、ふわふわしたままでよくわかったとはいえないんだけどもそのままわからないなりに頭の中に映像が浮かぶものがある。前者は翻訳か私の頭が悪いからだろうと思ってあきらめるが、後者の感覚は翻訳小説にしか感じられないもので、この感覚がわりと嫌いではない。一場面を覚えているだけなのかもしれないが、ぼんやりとした感じで残ってしまう。このあたりうまく説明できないけども、きっとこういうものは私の中で蓄積されてピロリ菌のようにひそかに私を良い方向へ向かわせてくれるのであろう。
『グレート・ギャッツビー』も私にとってはそういう作品だったようで、村上春樹ウディ・アレン(の映画『ミッドナイト・イン・パリ』の主人公)がフィッツジェラルドを絶賛していたのでつい読んでしまったが、男女のすれ違いとか、アメリカンドリームとか、そういう時代の光と影とか、わりと普遍的なテーマで、主人公の語り口も村上春樹的、これは当たり前か。ああそうか、村上春樹の翻訳だから村上春樹の影響がちょっと強かったのかもしれない。そうなると別の翻訳も気になるわけだが、そこまでする気もないので何かの折に映画を見てみよう。そうだそうしよう。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)