ENDING ENDLESS 雑記帖

文芸・音楽系文筆業=円堂都司昭のブログ

島本理生『大きな熊が来る前に、おやすみ。』

大きな熊が来る前に、おやすみ。
若い女が部屋で男とすごしている――というシチュエーションを中心にした話が、三つならんでいる。動物をある種の象徴として扱っていること、暴力性や悪意をテーマにしていることで、三篇は共通している。
このうち「猫と君のとなり」は、あのハッピー・エンドが自分には甘すぎた。自分としては、逆に一番苦い内容である「クロコダイルの午睡」が、最も面白かった。

「クロコダイルの午睡」

恋人ではないが部屋に来てメシだけ食っていく男に対し、心を揺らすヒロイン。これまでなら選ばなかった〔胸元がVの形に開いた黒いニット〕を着て、〔急に男性の視線をひどく意識したような女〕になった気分でどきどきしていると、彼はあっさり言ってくれるのだ。

「霧島さん、また、似たような黒いセーター着て」

この場面など、女と男のすれ違いぶりをうまくとらえている。
そのあげく、相手に発作的に復讐してしまう展開、いったん理解しあったかにみえて、やっぱり思いがすれ違ったままの幕切れなど、登場人物にとって辛辣な内容になっている。それを抑えた調子で書いているのが、いい。

「大きな熊が来る前に、おやすみ。」

この表題作は、やや詰め込みすぎの印象。例えば、幼児体験を引きずる主人公は、保育園に勤めている。だが、成長した彼女が今、幼児と向き合う仕事をしているという設定が活かされていない。「保育士」であることがただの記号にとどまっている。
とはいえ、主人公が「熊」のイメージに託していた思いに関しては、立体的に書かれている。

「早く寝ろ。子供がいつまでも起きてると、大きな熊が来て食われるぞ」

と言っていた父を彼女は嫌っていた。悪い子のところに「熊」が来るのなら、〔父のもとに熊が来なかったのはどうしてだろう〕と不思議だったという。幼い彼女にとって、父は「熊」みたいに大きな存在であり、だから彼に匹敵するものとして「熊」を想像したのだろう。
そう考えれば、後に父が入院し、〔お父さんがいなくなったらどうすればいいんだろう〕と愚痴る母に、主人公が返した言葉〔犬でも飼えばいいじゃない〕の意味するところもわかる。「熊」なみの大きさから「犬」に置き換えること。それは父を矮小化したいという欲望である。
一方、現在のヒロインは、同棲している男に暴力を振るわれる。そのきっかけは、幼い頃からげっ歯類の動物に似ていると言われてきた彼女が、新人アイドルのげっ歯類顔を馬鹿にした相手に怒ったことだった。「熊」のように力強く大きな動物とは反対の「げっ歯類」を自分に当てはめる形で、彼女の自己愛は成り立っているわけだ。
そのように動物に関連した記述が積み重ねられたうえで、主人公の「熊」に託していた思いの真実が明らかになる。動物をめぐるイメージの多層性が、小説の情感をよく支えている。そこが美点。