ENDING ENDLESS 雑記帖

                    

2011-02-08

『ゼロ年代の論点』は18日頃発売

(※当初、ブログタイトルを「『ゼロ年代の論点』来週発売」にしていましたが、発売時期が近づいてきたので上記に変更しました)


もうじき発売になる『ゼロ年代の論点』の目次を公開します。2000〜10年の批評・メディア論のブックガイドと、「ウェブ・郊外・カルチャー」をめぐる言論動向に関する考察で構成した本です。

まえがき


第1章 ゼロ年代批評のインパクト

●ゼロ年代の批評をリードする――東浩紀動物化するポストモダン

●コミュニケーションを鍵として――宇野常寛ゼロ年代の想像力

●ニコニコ動画は政治をも動かす――濱野智史『アーキテクチャの生態系』

●この国の批評のかたち─佐々木敦『ニッポンの思想』

○「世界視線」とアーキテクチャ

パフォーマティヴとコンスタティヴ/「私」からの逃走と自分探し/投瓶通信の否定/不況下の批評


第2章 ネットの力は社会を揺さぶる

●アイロニーと反省からみた状況のねじれ――北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』

●理想と現実、ウェブ2・0と2ちゃんねるのあいだ――梅田望夫『ウェブ進化論

●宿命とセカイの外へむかって――鈴木謙介『ウェブ社会の思想』

●「祭り」のあとでクールに思考する――荻上チキ『ウェブ炎上』

○情報環境と自由、コミュニケーション

セキュリティと環境管理型権力/事件の物語化の変容/秋葉原通り魔事件と「ゲーム的」現実感覚/「呼びかけのメディア」の可能性


第3章 言葉の居場所は紙か、電子か

●「つぶやき」が情報流通インフラになるとき――津田大介『Twitter社会論』

●小説と文芸批評の擁護者として――前田塁『紙の本が亡びるとき?』

●オープン化は「本」をも変えるか――佐々木俊尚『電子書籍の衝撃』

○「教養」の終焉と著者2・0

「本」と「青春」の終わり/「文学」の終焉と成熟の不可能性/文学フリマと批評の居場所/レヴュアーの時代/言葉の変化と風景の変化/ニコニコ動画からツイッターへ


第4章 データベースで踊る表現の世界

●「ぼくら語り」にレッドカード――伊藤剛テヅカ・イズ・デッド

●オタクの自意識と思春期をめぐって――前島賢『セカイ系とは何か』

●情報処理の方程式は何を読み解くか――福嶋亮大『神話が考える』

○キャラ/テクノ/スーパーフラット

セカイ系と萌え/新本格ミステリーと「キャラ」/『アトムの命題』と大量死理論/八〇年代との連続性/「日本ゼロ年」というリセット


第5章 変容するニッポンの風景

●すべては個室になるか─―森川嘉一郎趣都の誕生

●「過去」失い流動化する地方─―三浦展『ファスト風土化する日本』

●郊外のデフレカルチャー─―速水健朗『ケータイ小説的。』

○建築とアーキテクチャ

二種類の「テーマパーク」/「ホームレス」と「ストリート」/都市デザインとしての2ちゃんねる/物理空間と情報空間


終章 二〇一〇年代にむけて

アーキテクチャ批判という伝統芸/「現実」の時代


主要参考文献

あとがき

目次に登場する以外にとりあげた本のなかから、主なものをあげておきます。

浅田彰『逃走論』

大澤真幸『不可能性の時代』

ひろゆき『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』

芹沢一也『ホラーハウス社会』

佐野眞一『だれが「本」を殺すのか』

柄谷行人『近代文学の終り』

三浦雅士『青春の終焉』

大塚英志サブカルチャー文学論

水村美苗日本語が亡びるとき

笠井潔『探偵小説論I・II』

村上隆『SUPERFLAT』

佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』

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かみんぐす〜ん。