自由の敵に自由を与えるな RSSフィード

2009/06/22

アリーテ三原則

  1. ヒロインは社会構造および規範に批判的でなければならない。
  2. ヒロインは賢くなければならない。ただし、第一条に反する場合は、この限りではない。
  3. 前掲第一条および第二条に反しない限りにおいて、ヒロインは常に主体的かつ行動的でなければならない。

今後ギャルゲエロゲのヒロインはこの三原則を順守すべきものとする。*1

*1:まるで砂先生のエロマンガですね、わかります

2009/05/17

Ubuntu 9.04 インストール 備忘メモ

用意

PC

lenovo Thinkpad R500(Vistaモデル)にインストールする。

CDイメージ

以下から Ubuntu 9.04 Desktop 日本語 Remix CD をダウンロードしてCD-Rに焼く

http://www.ubuntulinux.jp/products/JA-Localized/download

CDインストール

適当にパーティションを切ってインストール

設定

はじめに
Ruby

以下をインストール。標準ではRuby 1.8系が入る。Railsの設定は後で。

  • ruby
  • ruby-dev
  • irb
  • rubygems
  • rdoc
  • libopenssl-ruby
  • build-essential
Apache

以下をインストール

  • Apache2

2008/10/12

米大統領選

「ユダヤ勢力が牛耳っているアメリカで黒人が大統領になれるわけがない!仮になりそうになっても陰謀で阻止するよ!」

「黒人が大統領になれるわけがないのになってしまった!これはユダヤ勢力による陰謀の力が働いたにちがいない!」

陰謀論者の方々の間で、近々こういうコペルニクス的転回が起きると予想。

一事不再理と法の不遡及

三浦氏の自殺を受けて、国をまたがる場合の一事不再理についての議論があるようです。私も逮捕当時に気になって少し調べました。

(注:素人の法律談義ですので、正確なところを知りたい方は専門家にご相談ください)

一事不再理

裁判が国をまたがる場合に一事不再理の原則の範囲に含まれるかどうか。これは、日本の司法では含まないと定められています。

(外国判決の効力)

第五条  外国において確定裁判を受けた者であっても、同一の行為について更に処罰することを妨げない。ただし、犯人が既に外国において言い渡された刑の全部又は一部の執行を受けたときは、刑の執行を減軽し、又は免除する。

刑法第五条、 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M40/M40HO045.html より引用)

*1

ですので、同一の事件について日本で裁判をする場合には他国に最大限の捜査協力を依頼し、逆に他国での裁判で捜査協力の依頼があった場合には最大限の協力をするのは条文上および相互主義的に妥当なのではと思います。一部の愛国心の強い方々は捜査協力にご不満のようですけれど。

法の不遡及

ややこしいことに、カリフォルニアで他国判決一事不再理に含まないと州法で定めたのは2004年とつい最近のことです。*2

なので、さらに法の不遡及の原則も関わってきます。

が、これも刑法(実体法)ではなく裁判手続き法(訴訟法)に関しては不遡及の範囲に含まない、とするのが国際的な通説のようです。有名な例ではナチス戦犯を念頭においたドイツ国内での謀殺罪の時効延長、廃止ですか。時効不適用条約との兼ね合いもあるでしょうが、国内の法理としては不遡及にはあたらないとしているようです。

*1:条文にもありますが、判決後の刑の執行においては他国での執行を考慮して減免があるようです

*2:ただし判例がどうなっているかはわかりません。もしかしたら判例上はそうなっているのを条文で追認したのかもしれません

2008/08/13

モデルと粒度

人間の脳みそなんてたかが知れたものなので、世界や他者を総体のまま理解するなんてことはできるわけもなく、普通は適度な抽象化(単純化)によりそれらをモデル化し、そのモデル越しに対象を眺めていくわけです。意識するしないにかかわらず。

なので、あんまりわら人形わら人形言いすぎるのも天に唾するようでどうかと思いますが、それでもモデルを作ったりモデルを批判するのにもそれなりの作法というものはあるでしょう。その一つに粒度*1の扱いがあります。

粒度に注意する

オッカムの剃刀と呼ばれる有名な箴言があります。「必要以上に多くの実体を仮定するべきでない」というやつ。あくまで「必要以上に」であって、必要なものまで切り落としたらダメなわけですが、対象が同じでもモデルの粒度によって、モデルにどの要素が必要でどれが不要かはおのずと異なってきます*2

モデルの粒度や精度、あるいは抽象度、言い換えればモデルのよって立つ枠組みに関する合意を欠いた議論はかみ合わない不毛なものになってしまいがちです。が、この"合意を得る"という営為は非常に人間的・政治的なものであったりもするわけで、論争がヒートアップするともっとも駆け引きの材料にされがちな部分だったりします。

ある粒度では十分適合するモデルも別の粒度で見ると全然ダメなんてのはままあることなので、粒度に関する合意を少しまぜっ返して優位な土俵を設定しようとしたり、あるいはそのモデルの粒度上切り捨てても問題ないはずの要素を「それを捨てるなんてとんでもない!」とぜんぜん粒度の異なる話を持ち出して叩いたり。まぁこういう具体例を出さないたとえ話もわら人形な感じではあるんですがw

陰謀論とモデルの粒度

陰謀論はよく批判されるようにモデルの単純化ですが、オッカムの剃刀的視点で見るとむしろ要素は増えています。通常の要素に加えて"闇の勢力""政府の走狗"などの新たな要素が追加されるわけですから。

なのになぜモデル総体としては単純化するのかというと、新しく追加される要素(闇の勢力とか)が既存の要素に比べて巨大・強力すぎて、既存の要素の存在がかすんでしまうからです。

これは言い換えれば粒度の問題でもあります。粒度の異なる巨大な要素を新たに追加したためにモデル総体の粒度が変わってしまい、これまで重要だった要素が無視してもよいささいな要素となってしまうわけです。そしてモデル全体としては新たな要素ばかりが存在感を持つ単純な構造へと変わってしまう。

*1:あるいは抽象度と呼ぶべき?

*2:日常生活の範囲では無視しても何の問題もない要素が、ごくミクロな範囲では無視できなかったりとか

2008/07/12

毎日のアレ

たとえば週刊文春には「淑女の雑誌から」という他紙記事引用のエロコラムがあり、週刊文春海外版があったとしてそれに同様のエロコラムがあっても驚いたりはしないのですが。毎日新聞本紙にもともとWaiWaiに相当するネタコラムがあれば、違和感を抱く人はこれほど出なかったでしょう。

国内版と海外・他国版とで論調や紙面カラーを変えるのは、上手にやらないと"二枚舌だ!"と読者の反感を買いがちな気はします。よくネタにされるのは世界日報の日本版と韓国版の論調の差ですか。まぁ国情の差で多少カラーも変えないと売れないし…という商業的な理由もあろうかとは思いますが、いまどきはあっという間に翻訳対比されてしまいますので差を比較されるのは避けがたい。

特に毎日の海外版の場合は、サイトの顔たるトップページのメタキーワードにhentaiとかjapanese girlsとか使っていたわけで。そこまではっきりとタブロイド紙路線を打ち出していくなら、いっそ名称も毎日とは別のものに変えるくらいのことをして"毎日新聞とは別物のタブロイドです"というメッセージを明確に出しておけばよかったのに。

2008/01/15

普段ははてブ弁慶ですけど

さすがに100字じゃ書ききれないので久々にはてダ。詳しい人がさっさと何か書いてくれれば早々にそれにぶら下がってぶくまできたんですけど、なかなか良さげなエントリーが出てこなかったので。あとdropdbさんのド派手な復活劇を見て無性に何か書きたくなったのもあるw

何も足さない、何も引かない

タミフル:厚労省解析「異常行動が半減」誤りの可能性 - 毎日新聞

タミフルを投薬された患者が服用前に起こした異常行動を、投薬されなかった患者の異常行動として扱った点が誤りだ」という指摘はちょっと表現がわかりにくいけどおそらく正しい。理想的には投与・非投与の母集団は均質でなければならないのに、早期発症群を一方のグループから引いて他方のグループに足してしまっては偏りが生じる。

ただし、そもそもの母集団が均質かどうかでバイアスかかってるんじゃないの、というのはある。インフルエンザの症状がごく軽い群にわざわざタミフルが処方されることは少ないだろう…とすれば、もともとタミフル投与グループは非投与グループに比較すると全体として症状が重いということになる。そこから抽出した投与グループに異常行動が多いとしても、単に"症状が重いと異常行動が多い"というだけのことかもしれない。

あと、別ソースだと浜先生は「タミフル服用前の早期発症例を除けば,より関連は深まる」として両方のグループから早期発症群を引いて再計算しているけど、それじゃ厚生省の廣田班のミスとそう変わらんというか。こういう場合はITT原則ってことで全部まとめて対象とするのがセオリーでは。毎日新聞の1.7という数字が別ソースの表2からとったとすると、再計算の方か。

2007/04/27

留保なき美しい国の肯定を!

美しすぎる言葉ってどうも実感が伴わないのかネタにされがちな気がする。「美しい国へ」とか、「留保なき生の肯定を」とか。