片瀬久美子氏の付録への疑問(その4)-植物の環境適応について

「形を変えやすい植物」という指摘

片瀬氏は「もうダマされない...」の付録の中で、「形を変えやすい植物」と題する小節を書き、植物の様子の変化と原発事故を安易に結びつけることに疑念を述べている。

形を変えやすい植物
植物の形に関しては、私は実験用植物を栽培した経験から特に実感していることでもあるが、植物は遺伝子の変異がなくても、環境の様々な微妙な変化に合わせて形を変えやすいという特徴を持っている。研究に用いる植物の形態のバラツキを少なくして再現性を良くするために、栽培する環境の統一にはとても気をつけなければならなかった。
外で育てている場合は、温度や降雨量、肥料の状態などの違いによって、ある表現系(原文ママ)の現れやすさに差が生じることが考えられる。
植物が環境のちょっとした変化によっても形を変えやすいのは、動物と比べて根を張っていることから快適な場所に自由に移ることができないので、自身の形を変えることによって環境に適応しようという戦略なのだろうと思う。
そのわかりやすい例が日陰で育つもやしである。同じ遺伝子を持つのにもかかわらず、光が十分な環境で育つ場合と比べて姿形が大きく変わる。
先の金魚椿は、以前も同じように変形した葉が現れていたのだが、気象条件の違いなどにより、その頻度が今年(2011年)のほうが多めで目についたという可能性もある。
植物の観察を普段から注意深く行っていないと、異常な変化が起きているかどうかの判定をするのは難しいと思う。いろいろな掛け合わせにより作出された園芸品種はもっと複雑で、特に外界から何らかのきっかけとなるようなことがなくても、突然先祖の性質が表れたりもする。
同じ木であっても、環境の変化のほかに、年数が経ってくると他と異なった形の枝葉や花が現れやすくなったりすることもある。
たとえばカイズカイブキという木では、部分的に形の違う枝が発生する現象が比較的よく見られる。

この議論にもいくつかの問題があるように思う。

遺伝的な変異を伴う形態の変化と遺伝的な変異を伴わない発生学的な形態の変化とが混在しており、
環境適応と先祖返りのみしか有力な根拠が取り上げられていないため、「不必要に恐がるな」という主旨のみが強調されてしまい、
どのような異常な変化がいかなる理由で起こりうるのかが不明確になっているのではないか?

何を提供するべきなのか?

いま問題になっている植物の奇形に関する議論では、目の前に「何らかの異常な状態にあるように見える」植物がある、という状況で考える必要がある。自前の実験室など持っているはずのない普通の人たちにとって重要な点は、その目の前の状況の原因が何であるかをある程度判定できるそれなりの適用範囲を持った見方やレシピを得ることだ。

片瀬氏の議論に従えば、それは環境適応・先祖返り・経年変化の3種類が有力な根拠だというように読めてしまう*1

しかし、まず第一に植物の場合には放射線を用いて品種改良を行う方法が確立されており、放射線をあてることで遺伝的変異が引き起こされることは既に確証されている。
とするならば、目の前の「異常な状態にあるように見える」植物が放射線による遺伝的変異を伴う変化をしているのか、放射線とは別の原因で遺伝的変異を生じているのか、それとも遺伝的変異とは別の変化なのかを切り分けるある程度普遍的な(=適用範囲の広い)分類や基準が必要である*2

そのためには、起こりうる可能性を列挙した上で、どういう現象が起こりやすいかという蓋然性を問うことになるだろう。
何か目の前に異常な状態にあるように見える植物があったとき、その原因として推定されるもっとも大きな原因は何かを考えると、
それは例えば病害虫や細菌・ウィルスに感染して病気になっているということではなかろうか。
あるいは人間が使っている洗剤のような植物にとって有害な物質が付着しているということも多いにありえるのではないか。
葉に異常な斑点ができましたとか、形のおかしな葉や通常よりもかなり大きな葉ができましたとか、花の形がおかしくなりましたといった状況がいろいろ報告されているようだけれど、
それらは放射線によって遺伝的変異を受けたというよりは、病害虫やウィルスや細菌の感染あるいは人間の使用している薬剤などによって組織が冒されたり、遺伝的変異が引き起こされたりしたものと考えるのが、もっともありそうな話だと私には思える。

片瀬氏の文章にはそうした可能性は述べられていない。
ただ良く見てください。その変化は以前からよくあった可能性があります。ということが述べられ、
環境適応・先祖返り・経年変化ということだけが紹介されているのみである。

私は、片瀬氏の環境適応に関する記述には違和感がある。片瀬氏の書き方は、植物個体が極めて合目的的かつ能動的に周囲の環境に適応していると読める記述になっているからである。
環境適応とされるものにもいろいろ種類はあるのだろうが、良く取り上げられるものは光・日長・温度・重力・乾燥そして物理的刺激*3といったものだと思われる。
そうした環境の変化に応じておきる植物の形態の変化は、上へ上へと伸張したり、傾いたり、花を付けたり、葉球を作ったり、地下に球根を作ったり、葉を厚くしたり薄くしたり、葉や茎を細くしたり太くしたり、絡まったりするというものだろう。
それらは確かに多様かもしれないが、やっていることはかなり限定的で把握しやすいもののように感じられる。

片瀬氏の記述は、モヤシという例を出すことによって、今目の前で起きている「異常な状態にあるように見える」植物の形態変化の多くが環境適応として理解できるかのように錯覚させてしまうのではないか?

例えば金魚椿の葉の形が変わったという現象を環境適応で理解するというのならば、その仕組みをある程度説明しないと根拠としては弱いと思う。
しかもこの場合は次に述べる先祖返りが考えられる最も大きな可能性ということなので、なおさら環境適応の例に出すのは適切ではなかろう。
「異常な状態にあるように見える植物」について考える場合には、私はむしろ単なる環境適応ではない別の要因、特に大いにあり得る可能性として、病害虫やウィルス・細菌の感染・薬剤などを疑うほうが良いのではないかと思う。

先祖返りに関する記述

次に先祖返りについて。片瀬氏が引用している記事の中に、

「園芸品種では「先祖返り」と呼ばれる、基準の種に突然戻ってしまう現象や、先祖返りしたものがまた元の形質を発現することがあります。さらに、椿では枝変わりと呼ばれる「ある枝が別の形質を発現する」現象が起きる、ことも知られています。」

という記述がある。しかし、片瀬氏の記述

「いろいろな掛け合わせにより作出された園芸品種はもっと複雑で、特に外界から何らかのきっかけとなるようなことがなくても、突然先祖の性質が表れたりもする。」

は、引用元の記述よりもかなり踏み込んだ記述になっているように感じられる。
巷に溢れている様々な植物は、どのような遺伝子型の個体同士を交配させるかということを何も制御していない雑種ばかりである。
先祖返りという現象は、そうした巷に溢れる雑種に比べて、「いろいろな掛け合わせにより作出された園芸品種」の方が、もっと発生しやすい現象なのだろうか。
引用元の記事には、園芸品種の「先祖返り」という現象について述べられているだけで、何かと比較した記述はない。片瀬氏の記事で比較級が導入されているのである。

私は文献探索を詳細に行ったわけではないが、園芸品種の方が何かと比べてより先祖返りしやすいと述べている文献はすぐには見当たらなかった。
もとの引用記事ならあえてなにか参考文献を示すべきだとは思わないが、片瀬氏のような書き方をする以上、

  • そもそも「外界からの何らかのきっかけ」で先祖返りが起きること
  • 園芸品種ではそうしたきっかけがなくても先祖返りがおき、それらは通常の植物よりも起こり易いこと(あるいは園芸品種の複雑さが先祖返りを引き起こしやすくすること)

に関する参考文献を示すべきなのではなかろうか。
後段のカイズカイブキに関連して、このページにはそうした記述もないではないが、あくまで先祖返りは「交配種」でよく起きることであり、園芸品種で特に多く起きる現象とまでは書いていないように思える。

また引用元で示されている「枝変わり」については、引用元の記事がリンクしている枝変わりの解説記事の中に
「内衣細胞は縦横に分裂して内部の中心柱に発達する。このような茎頂分裂組織の細胞に何らかの原因で遺伝的な突然変異が生じると、その細胞に由来する組織や器官は母体とは異なる遺伝子型になり、生育してくる枝が母樹とは異なる形質を発現することになる。この現象を枝 変り(芽条変異)と呼んでいる。」
という記述がある(強調は私)。つまり枝変わりという現象は遺伝的変異を伴って起きるものなので、放射線による影響ということも否定はできないはずである。

まとめ

植物は「動物と比べて根を張っていることから快適な場所に自由に移ることができないので」、仮に放射線が降り注いだ場合には、ヒトよりも曝露される確率は高まると思う。
ヒトの方は服も着ているし夜中は屋内にいるわけでそれだけでもかなり確率は減る。他方の植物は光を必要として葉を広げているわけだからなおさら確率は上がるのではなかろうか。
放射線が遺伝的変異を引き起こすかどうかは、放射線の強さだけでなく確率的に決まる要素が強い。
今回のように通常よりも強い放射線が出れば、運悪くその放射線によって遺伝的変異を起こしてしまう植物もわずかながらあるだろうと考えるのはごく自然だと思う。
しかし、フクシマから十分に離れた地域で見られる「異常な状態であるように見える植物」は、、病害虫やウィルス・細菌の感染・薬剤などによってその状態に陥っている可能性を疑うことができるし、(環境適応や先祖返りということもあるかもしれないが、)放射線による影響という蓋然性は少ないと考えるのもまた自然だと考える。

私は片瀬氏の記述は非常に一面的で「異常な状態であるように見える植物」に対してどう考えればよいのかということの非常にわずかな助けにしかならないばかりか、誤解を招く記述であると考える。

*1:少なくとも私は単なる別の可能性をいくつか例示する議論の方法には問題があると思うが、それは別の記事で書くつもりである。→(その6)参照

*2:私が主張していることは完全な基準を提供せよということではない。とりあえずどういう原因であるかを形から判断できる大雑把な枠組みを提示するべきだということである。もちろんそのためにいくらかの乱暴なカテゴライズをしてしまうことは許容されるだろう。その枠組みから外れているものや判断に苦しむものは専門家に相談することを薦めればよいだろう。

*3:例えば、枝を刈り込んだりするようなストレスをかけるとエチレンの合成が進んでその箇所だけ別の表現型が現れるというようなことも起こるらしい。