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そこに物語があれば

2030-04-01 自己紹介的なもの

ブログの頭に自己紹介的なものを記しておきます。

| 15:06 | ブログの頭に自己紹介的なものを記しておきます。を含むブックマーク

名前

4E(よんいー)

今現在(2016/05/31)の人生目標

作家としてプロ物書きとして生きていくことを当面の目標にしつつ、笑って死ねる人生を追い求めてます

好きな作品の傾向

胸がギューと締めつけられるようなラブストーリー

ほっこり心温まるようなイイハナシ

生き様を見せつけられるようなとびきりのシリアス

ドンパチ戦争もの(マクロよりもミクロ型が好きです)

何気ない日常に変態性癖をうまく落とし込んだ秀逸なアブノーマルエロス(木之本みけさんとかああいうの)

好きなエロゲヒロインの傾向

健気でほおっておけないタイプ

心の底からすげえと舌を巻いたライター、作家、漫画家さん、クリエイターetc(順次増えていきます)

栗本薫

瀬戸口廉也

早狩武志

J・さいろー

藤原伊織

太宰治

奈良原一鉄

田中ユタカ

氷室冴子

太田垣康男

新井英樹

秋山瑞人

夢枕獏

出崎統



得意な関節技

アームロック(背中側にひねりあげるほう)

趣味色々

エロゲ

創作

読書

格闘技

面白い車

家庭菜園

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習作

なろう

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2016-05-31

雑記、家庭菜園「まさか野菜作りにここまでハマるとは……」

23:06 | 雑記、家庭菜園「まさか野菜作りにここまでハマるとは……」を含むブックマーク

 僕がひょんな思いつきから家庭菜園をはじめて早1年と少々。

 これが今現在自分でも思ってもみなかったほどハマってしまっているわけだが、そもそものいきさつがどういうものであったのかを忘れてしまわないうちに記しておこうと思う。


 ハナから家庭菜園をやろうと考えていたわけではない。最初に思い立ったのは運動不足の解消だった。

 身体を動かさないよりは動かしたほうが健康的なのは自明の理で、どうにも運動量少なめの生活を送っていた僕は、まずは月並みジョギングやダッシュなどをはじめてみた。

 これはこれで昔陸上部に所属していたころを思い出して懐かしい気分になったのだが、残念ながらすぐに飽きてしまった。

 まぁ、マラソン大会に出ようというわけでもなければ、ことさらダイエットに執念を燃やしているわけでもない。

 なんとなくな運動不足解消のためでは、走り続けることにいまいちモチベーションを保てなかったのだ。

 

「ただ走るだけってのは、どうも生産性がない……」

 そう首をかしげた僕が、ふと目を向けた先にあったのが我が家の裏庭だった。

 もともとはいまは亡きうちの祖父さまが畑に使っていた土地なのだが、いまとなっては野生の草花の生い茂るただの野っぱらである。

 その一角を僕の親父がちょっとした家庭菜園として数年前から利用していた。

 直前の出来事として、この親父、困ったことにこぢんまりとした家庭菜園ではあきらかに持てあますであろう耕耘機を考えなしに買ってきやがったのだ。

 金をドブに捨てるのが嫌いな僕は、せっかく耕耘機を買ってきたのなら、家庭菜園の面積をもっと広げてはどうか? つーか、それぐらいやんないとわざわざ買った意味がねえじゃないかよバカバカッと提案したのだが、バカ親父め……なしのつぶてである。

 まったくもう……と呆れていた矢先、僕の頭のなかで、自身の運動不足の解消と、せっかく買ってきた耕耘機の有効活用がちょうどよくリンクした。

「そうか! 俺が畑をやればいいんじゃん! これならただ走るよりもずっと生産的だ」

 さっそく僕は、裏庭の一角に目星をつけて開墾をはじめた。

 が、その前にふと考える。

 畑を耕すってつまりどういうこと?

 小学生のころに学校の授業で畑作業体験したことはあったものの、あれは結局のところ先生に言われるまま動いていただけにすぎなかった。

 うーん、とりあえず雑草をどうにかしないといかんよな。

 そう考え、まずは鍬を振り回し表面の土ごと雑草を削り取ってみる。

 次いで耕耘機を動かしてみると、固まっていた土が砕かれ攪拌されたことでフカフカになった。

 おおっ、なんか畑っぽい!

 そうして、OHV短気筒の耕耘機をトコトコガーガー往復させているうちに、長さ4、5メートルぐらいの畝が一本できあがった。

 ついでに、見よう見まねでマルチ(畝の表面を覆っている黒いビニール)なども敷いてみる。

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 植える野菜はあらかじめ決めていた。

 甘くて食い応えがあってなおかつ作るのが簡単といわれる“さつまいも”である。

 実際、小学生のころに学校で栽培した経験もあったので難易度がそう高くないこともわかっていた。

 土の準備は出来たのでホームセンターまで苗を買いにいく。

 さつまいもは切り取った蔓を土に植えることで芋ができるのだ。

 しかし、近場のホームセンターにはこの蔓状の苗が置いていなかった。

 代わりに置いてあったのが、普通の野菜のようにビニールのポットに植えられた苗だった。


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(これは今年買ったの)

 添えられていた説明文を読むと、まずはこの苗を育て、ほどよく成長したころに蔓を切り取って畑に植えていくらしい。

 順調に育てば、一個のポット苗から10本以上の蔓が取れるそうな。

 1個324円也。

 こいつはなかなか大したコスパの良さだと感心した僕は、そのポット苗を買ってきて、作りたての畝にさっそく植えた。

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 が、速効で枯れましたとさ……。

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(手前で葉色薄く枯れかけてるのが最初に植えた苗、奥は「こりゃいかん」と追加で買ってきた苗。失敗から学んでビニールトンネルで保温している)

 植えたのは五月の頭だったのだが、北東北の春はまだまだ寒かったらしい。

 さつまいもという植物は熱帯の生まれだけあって寒さにめっぽう弱いのだ。

 なので、日本国内でもさつまいもの名産地というのはたいてい温かいところばかりである。(茨城とか九州とか種子島とか)

 余談になるが、収量多めで生産性の良いさつまいもがじゃがいものような主食のポジションに収まれなかったのもそこに理由がある。

 苗がそうなら獲れた芋もそうで、熱帯の生まれのさつまいもは、四季があり冬になると気温がグっと下がってしまう日本では保存が難しいのだ。

(僕は越冬に成功したけどね! まだ押し入れには去年収穫したさつまいもが残ってるぜ! しかし食いきれないかもしれん……)

 寒さ対策として、追加で買ってきた苗ともどもビニールトンネルで保温に努める。

 うち一つは鉢に植えて室内で栽培することにした。

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 簡単だろうと考えていただけに、出鼻をくじかれハラハラした気分だ。

 が、植物というのはなかなか大したもので、夜間は室内にしまうなどして保温に努めた苗よりも、畑にそのまま植えた苗のほうがずっと成長がよかった。

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 6月も半分をすぎたぐらいから蔓が急成長してきたので、こいつを順次切り取ってさっそく畑に植えた。

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 切り取った蔓からはまだ根が生えてないので、植えても1週間ぐらいはぐったりしている。

 というか、ぐったりを通り越してほとんど枯れたような状態になってしまい、このときもまたハラハラさせられてしまった。


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 しかし、それもまた杞憂にすぎず、ぐったりしてた蔓がググッと持ち上がってきたと思ったら……、

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 一月後にはこんなに元気に育ちました。

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 結局、あれこれ手をかけているうちに畑仕事がすっかり楽しくなってしまい、はじめは1本だけだったさつまいもの畝は3本まで増えてしまった。

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 こっちはさつまいもの蔓が伸びてくるまでの間に作ったトウモロコシ畑。

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 このころには畑の耕し方やその目的がだいたいわかってきていてので、ちゃんとスコップで畑の土をひっくり返してから耕耘機をかけた。

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 畑を耕す目的というのは、固まった土を砕いて柔らかくすることが一つ。そうすることで土のなかに隙間ができて酸素が入っていけるようになるのが二つ。それによって植物の根が伸びていきやすくなるのが三つである。たぶんもっとあるだろう。

 トウモロコシはさつまいも以上に生育旺盛で、直径1センチもないような種から僕の背丈を超えるほど茎が高く伸びていく様には植物の力強さを実感させられた。

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 そして美味し。

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(去年簡単に作れたもんだからすっかり慢心してしまった報いなのか、今年のトウモロコシ栽培は5月末現在苦戦中だ)


 10月になって、さつまいもは収穫シーズン。

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 朝方冷え込んで霜が降りるやいなや、さつまいもの葉がいっせいに枯れ出して慌てましたとさ。

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 収量は思ってたよりもずっと多めで、結構人にあげたりしたにも関わらず、まだ余ってる始末。

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 なので今年は植え付け本数を減らす予定。


 秋野菜は、カリフラワーとほうれん草を植えた。

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 カリフラワーは、どこからともなくやってくる青虫(モンシロチョウの幼虫)と格闘しながらも、そこそこ良いのが獲れたのだけど、ほうれん草は植える時期が遅すぎたせいか失敗してしまった。

 それでもどうにか1食分は獲れたが。

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 他にキャベツレタスも植えたのだが、こちらは大失敗。1食分も確保できなかった。

 と思ったら、雪の下でしぶとく生き延びていたらしく、春になったらまた成長してきた。

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 と感心してたら、せっかく冬越ししたキャベツを根っこごと野ネズミに食われた!

 ちくしょう、いつか殺してやる……。と復讐に燃えつつ刺客を放つ。

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 そんなこんなで創作と仕事の合間を縫って、去年に引き続き今年も楽しく家庭菜園をやっている。

 去年は熱心に畑を耕したが、今年からは直接手を入れて土を耕すことはしないことにした。

 これは不耕起栽培、または自然菜園とも呼ばれていて、人が手を加えるのではなく、野菜や野草が伸ばす根によって土を耕してもらおうという自然の力に頼った有機農法だ。

 俗に雑草と呼ばれる草花もなるべく抜かない。共存を図ろうというわけだ。

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 その辺にある畑のほとんどは、さながら荒野のように土ばかりで草も花も余計なものはいっさい生えていない。そのなかにポツンと目的の野菜だけが寂しく生えている光景は、改めて考えてみるとどこかディストピアじみていて好きになれない。

 昔、宮崎駿が、植物の多様性を人口的に奪った結果である田園風景を眺めて自然を想起するのは人間のエゴに他ならないと語っていたのを思い出す。

 もっとも、僕自身そう言いながらも益よりも害のほうが大きい植物や虫は取り除いてしまっているわけだから、結局は人のエゴなのかもしれないが。

 そうやって畑という狭い空間の生態系をあれこれいじくっているとき、僕はもしかしたら知らずのうちに神のような気分になっているのかもしれない。

 なんだか複雑な気持ちだ……。        

マープルマープル 2016/06/20 16:30 自分は住んでいる場所もあって菜園などはなかなかにできませんが、ひとつひとつ失敗や新しいことを試しながらやがて結果につながるのは、想像だけでも達成感があるのだろうなと感じます
それこそ植物を育てるといっても色々な方法やさらには土地や環境、土といったものまで決して簡単とはいかないでしょうし、やってみないとわからないこともあると思いますから…

マープルマープル 2016/06/20 16:30 自分は住んでいる場所もあって菜園などはなかなかにできませんが、ひとつひとつ失敗や新しいことを試しながらやがて結果につながるのは、想像だけでも達成感があるのだろうなと感じます
それこそ植物を育てるといっても色々な方法やさらには土地や環境、土といったものまで決して簡単とはいかないでしょうし、やってみないとわからないこともあると思いますから…

ep_meisterep_meister 2016/06/20 19:07 >マープルさん
まあ、ゲーム感覚であれこれトライ&エラーを繰り返してます。
ほとんどお金もかけないようにしてるので気楽なもんです。

2015-12-01 連載コラム、思い出話「ぼくと、エロゲ 第22話」 このエントリーを含むブックマーク

 2008年の秋から暮れにかけて、僕は方々で名作と呼ばれているエロゲを立て続けにプレイしていた。

 ざっと羅列してみると、「車輪の国、向日葵の少女」「forest」「SWANSONG」「マブラヴオルタネイティブ」

 厳密にはエロゲではないが、EVER17なども並びに加わる。

 それらはそれぞれ評判通りに面白かったのだが、レビュー記事ではないので感想については割愛させていただく。

 名作と呼ばれていた作品をそれなりの数こなしたことで、僕がいっぱしのエロゲヲタを気取るようになったのがこのころだ。

 しかし、どうもこの時期以降というのは、それ以前に比べてエロゲというコンテンツから受ける刺激は減退していったように思える。

 いや、素晴らしい作品、感動した作品はあった。たくさんあった。内容だってちゃんと覚えている。

 そういう個別の作品から受ける刺激とはまた別の、「エロゲってこんなに凄かったのか!」という、まったく新しい世界に触れた感動がこの時期以降薄れていったのはたしかだった。

 まあ、特別な出会いだって、いずれは慣れてしまうということなのだろう。

 であるからして、早狩武志瀬戸口廉也との出会いについて力を入れて書いて以降は、この「僕と、エロゲ」と題した思い出話で語るような印象に残っている出来事をなかなか引っ張りだすことができず、前に記事を書いてからおよそ1年近くも間が空いてしまったわけだ。

 

 つらつらと個人的な過去を振り返ってみるなら、2008年から09年にかけてのこの時期は、公私ともに充実していた。

 仕事はすっかり慣れきってベテラン気分、趣味も、車のほうはサーキットで自己ベストの壁にぶつかっていたものの、翌年のタイムアップ目指してエンジンのOHを計画しておりまだまだモチベーションは高かった。

 エロゲについては言わずもがな、たくさんの素晴らしい作品と出会えた。

 そのわりにはどうも公私ともに強く印象に残ってる出来事が少ない。だが、不安のない時期というのはえてしてそういうものなのかもしれない。



 そういえば、非ラノベ読みから見た光景であはるが、2008年ごろは狼と香辛料ゼロの使い魔をはじめとしたラノベ原作アニメが人気で、原作の小説もかなり売れていたはずなのに、ラノベブームとはまだあまり言われていなかった気がする。

 ラノベブームという言葉がなんとなく目に入るようになったのは、俺妹がヒットしたぐらいからで、ラノベがブームらしいという情報とともに、ラノベラブコメという図式が猛烈な勢いで広まっていったのもその時期からだったように思う。

 はがないが東大の書店で上位にランクインしたというニュースを耳にしたのは2010年代に入ってからだったろうか。

マープルマープル 2015/12/04 18:22 充実していたのに記憶が薄いのは何となくそれだけ自然に体に入っていたのかなと感じました…
自分はお酒を飲まないので感覚でしかわかりませんが、よい酒は飲んだことすら忘れるようなはかないもの、というたとえを思い出しました…

ep_meisterep_meister 2015/12/16 20:18 マープルさん>
良いお酒は飲めたけども、酒を飲むこと自体にいちいち新鮮みを感じなくなってたんだろうなとは思います。

2015-08-18 創作、短編「久しぶりに小説を公開してみる」 このエントリーを含むブックマーク

 久しぶりに小説を公開してみます。

 今さっき書き上げたというわけではなく、過去に書いた作品ほぼそのまま、いつも通り小説家になろうに載っけました。

 少し前に岩手で起こったいじめ事件の報道などを見ていて、そういえば以前いじめを題材にした短編を書いたっけなと思い出したのが公開してみたきっかけです。

 これを書いていたのは2012年ごろで、大津の事件を皮切りに相次いだいじめ問題世間を賑わしていたころでした。

 いじめが原因の青少年自殺などが報じられるたびに、「この手の事件って定期的に起こるよな」とは思うものの、2012年から3年が経った2015年の現在、実際にそうなってしまうとさすがにうんざりせずにはいられません。


 なお、あくまでもプラットフォームとしてのなろう利用ですが、今回少しだけなろう書式とやらを意識して「」の前後を改行してスペースを開けたりなどしております。

以下、URLとあらすじ


『はみだしものたち』

http://ncode.syosetu.com/n4117cv/


〜あらすじ〜

 小学校教諭の“ぼく”は、担当するクラスで起こっているいじめの解決に頭を悩ませていた。

 一言きつく注意すればそれで止む程度のいじめだが、そもそもいじめを受けている相川イズルにだってそうなる原因がないことはない。正してやるべきは、集団に溶け込めない川のほうじゃないのか?

 決めあぐねたまま家庭訪問に向かったぼくは、相川がクラスのいじめっこたちにからかわれている現場に出くわす。

 そこには、いつもと違い、いじめっこたちの前に立ちはだかる誰かの姿があって……。

2015-05-19 雑記、コラム「遠く、誰かの人生」 このエントリーを含むブックマーク

 地元の新聞を眺めていて、ふと紙面下部の広告欄に目が留まった。

 店主の名字を冠するありふれた名前の電器店だった。二つ隣の街にあるそこは、表向きこそ電器店を名乗っているが、実際はプラモデル専門店の様相を呈しているとの話を耳にしたことがあった。

 プラモデルが子供たちに大人気だったころならいざしらず、このご時世にあってプラモデル専門店という商売は決して楽ではないだろう。

 ふと興味の湧き、一度も足を運んだことのないそこがどういう店なのか、グーグルストリートビューで外見の様子だけでもうかがってみることにした。

 店は商店街の一角にこぢんまりとたたずんでいた。

 だが、間の悪いことにストリートビューの写真が撮影された日は店が休みだったらしく、様子をうかがおうにもシャッターはピタリと閉まっている。

 しかたないので店名を打ち込んで画像検索してみる。すると、外観の写真はすぐにみつかった。

 ガラス戸には今昔のガンプラのポスターがところ狭しとベタベタ貼られていて、これぞ街のプラモデル屋といった風情を醸し出している。表ではためくタミヤののぼり旗もいい。

 続けて、店内の様子も気になった。

 しかし、こちらは外観ほどには写真も情報も出てこない。なのでテキストのほうで検索をかけていくうちに、僕はとある個人ブログに辿り着いた。

 記事には、大学か専門学校の春休みに帰郷したついでに、子供のころよく通っていた件の電器店に顔を出してきたときのことが若者らしいくだけた文体で綴られている。

 このブログ主の彼が昔はミニ四駆にハマっていただとか、プラモデル屋の店主は相変わらず笑わないだとか、成人式が近いだとか、まぁ、よくあるWEB上に公開された個人の日記だ。

 たわいのない日常話をあっという間に流し読みして、僕は検索結果に戻ろうとした。が、そこでふと、この記事の日付に目が留まった。

 2005年の4月、ちょうど10年前。これはまた、ずいぶん古い記事に辿り着いたものだと思った。

 そういえば、ちょうどブログというコンテンツが流行りだしたのはこれぐらいの時期だったかもしれない。

 現に、僕も同じような時期にブログをはじめて、主に車趣味について綴っていたものだ。

 今記事を書いてるのとはまた違うそのブログは更新しなくなって久しい。だが、2、3年で更新が止まってしまったブログなんて、僕のに限らずWEB上にいくらでもころがっている。

 たぶん、このブログもそうなんだろうな。と、なんとなく想像しながら、検索結果に戻るのを中断して、しらない誰が書いたこのブログのトップページをクリックしてみた。

 すると意外なことに、ブログは2015年の今でも更新され続けていた。

「ほぅ」と、思わず感心の声が漏れる。

 頻繁に更新しているふうではなかったが、それでも一つのブログを10年続けるなんてなかなかできることではない。

 継続力の他に、もう一つ感心したこともあった。

 ほとんど喋り言葉のようだったジャンクな文章が、スマートかつ妙に読ませる文章へと変わっていたのだ。

 ただ漠然と文字を書いているだけで文章が洗練されていくわけではないことが身にしみている作家志望の僕としては、 いったい何がきっかけで彼の文章が変わったのか気にならずにはいられなかった。

 比較的最近の日記をつぶさに読んでみる。

 職場の同僚と山に登った。友人とフットサルを楽しんだ。同期に二人目の子供が生まれた。

 断片的に散りばめられた情報を拾いあげていくうちに、この彼が僕と同年代であることがわかった。結婚もしている。転勤がやや多い仕事をしているようだが、さりとて不満があるわけではないらしい。

 ひと通りそろった人生。

 表面的な情報だけをすくいあげれば、単なる幸せ自慢のブログにしか思えないだろう。

 たけど、日記に添えられた楽しげな写真とは裏腹に、彼の文章は妙にセンチメンタルで、言いようのない寂しさのようなものが滲み出ていた。

 幸せはそれを味わっている瞬間だけが真実で、過ぎ去ってしまえば寂しさの反動に襲われる。

 尊いものだとわかっていて噛みしめれば噛みしめるほど、苦い後味が残ったりもする。

 幸せなはずの彼の日記は、そういう寂しさでいっぱいだった。

『これからも大切な人はこの世の中からいなくなり続けるんだろう。』


 旧友の死に思いを馳せる彼の言葉だ。この直後に続く前向きな言葉が、彼の抱える寂しさを余計に際立たせてるように思えた。

『俺は自分が最終的に手に入れたいものや、自分がどうしてもやりたいことを知っている。

そして、それが、きっと叶わないだろうこともわかってる。

帰り道

ゆっくり、ひとつひとつをひもとくように考えながら歩いていたら、それはわかった。

仕事をして、酒を飲んで寝て、また仕事に行く毎日。

帰り道に、月は出ていない。

もうすぐ朝。』


『俺は、きっとカウボーイにはなれないだろう。

なる術を知らないし、カウボーイになるためには、俺は少し、不自由すぎる。』

 彼は日記のつもりで書いてるのかもしれないが、ほどんど詩に近い文章だ。

 それと、彼の身にのしかかる倦怠感を僕もよく知っている。それに堪えきれなくて、僕という蛙は井戸から飛び出そうとした。

 ふいに、なぜ彼の文章が変わったのかわかった。

 彼自身が変わったからに違いない。

 孤独は人を詩人にし、苦悩は人を哲学者にする。

 時間の流れは人を変える。気持ちが移り変われば文体だって変わる。これからも変わってゆくのだろう。僕も、彼も。

 ひょんなきっかけで出会った、しらない誰かの人生に思いを馳せた。そんな、五月のある日のこと。

 春は過ぎ去り、外は初夏の日差しが降り注いでいる。

マープルマープル 2015/05/20 13:14 継続は力なりといいますが十年もつづけるのはすごいことだと思います…
ブログやホームページなど突然更新されなくなると(特に個人的趣味に会っていたりすると)何があったのだろうと考えて心配になってしまいます…
それぞれ個人的な事情などがあるとはいえ、特に長く触れ合っていたものほどさびしさを感じてしまいます…
それだけの年月があれば書き手も変化していくのだとわかっていても、何となく「自分」そのものはあまり気がつかないのではないかと思います。そしてそれと同時に昔の「自分」の感覚もわからなくなるのではないかとも…
それこそ自分は昔書いた文章なりなんなりを読み返したときに、このときに何を思っていたのだろうと感じることがあります…
ただ自分はブログなどそういったものはしていなくて、かろうじてSNSで日記があるだけでそれ以前のものはチラシの裏などに書き残していたもの、それも大部分が処分してしまったため当時のことを思い出すにしてもできないのですが…
それが成長しているのかどうかわからないですが…

ep_meisterep_meister 2015/05/23 20:07 マープルさん>
ある日を境にパタリと更新が止まっちゃったブログやサイトはまったく珍しくありませんね。
最近はTwitterをはじめとした、さらっと短文を投稿できるサービスのほうが人気で、ブログも元気がなくなってます。
僕も今この瞬間の気持ちをファイルしておきたくて細々ですがブログを書いてます。