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そこに物語があれば

2030-04-01 自己紹介的なもの

ブログの頭に自己紹介的なものを記しておきます。

| 15:06 | ブログの頭に自己紹介的なものを記しておきます。を含むブックマーク

名前

4E(よんいー)

今現在(2013/06/09)の人生目標

作家としてぷろでびゅーを当面の目標にしつつ、笑って死ねる人生を追い求めてます

好きな作品の傾向

胸がギューと締めつけられるようなラブストーリー

ほっこり心温まるようなイイハナシ

生き様を見せつけられるようなとびきりのシリアス

ドンパチ戦争もの(マクロよりもミクロ型が好きです)

何気ない日常に変態性癖をうまく落とし込んだ秀逸なアブノーマルエロス(木之本みけさんとかああいうの)

好きなエロゲヒロインの傾向

健気でほおっておけないタイプ

心の底からすげえと舌を巻いたライター、作家、漫画家さん

栗本薫

瀬戸口廉也

早狩武志

J・さいろー

藤原伊織

太宰治

奈良原一鉄

田中ユタカ

氷室冴子

太田垣康男

新井英樹

秋山瑞人

夢枕獏


得意な関節技

アームロック(背中側にひねりあげるほう)

趣味色々

エロゲ

創作

読書

格闘技

面白い車

Twitter

http://twitter.com/ep_meister

習作

http://mypage.syosetu.com/125033/

2015-12-01 連載コラム、思い出話「ぼくと、エロゲ 第22話」 このエントリーを含むブックマーク

 2008年の秋から暮れにかけて、僕は方々で名作と呼ばれているエロゲを立て続けにプレイしていた。

 ざっと羅列してみると、「車輪の国、向日葵の少女」「forest」「SWANSONG」「マブラヴオルタネイティブ」

 厳密にはエロゲではないが、EVER17なども並びに加わる。

 それらはそれぞれ評判通りに面白かったのだが、レビュー記事ではないので感想については割愛させていただく。

 名作と呼ばれていた作品をそれなりの数こなしたことで、僕がいっぱしのエロゲヲタを気取るようになったのがこのころだ。

 しかし、どうもこの時期以降というのは、それ以前に比べてエロゲというコンテンツから受ける刺激は減退していったように思える。

 いや、素晴らしい作品、感動した作品はあった。たくさんあった。内容だってちゃんと覚えている。

 そういう個別の作品から受ける刺激とはまた別の、「エロゲってこんなに凄かったのか!」という、まったく新しい世界に触れた感動がこの時期以降薄れていったのはたしかだった。

 まあ、特別な出会いだって、いずれは慣れてしまうということなのだろう。

 であるからして、早狩武志瀬戸口廉也との出会いについて力を入れて書いて以降は、この「僕と、エロゲ」と題した思い出話で語るような印象に残っている出来事をなかなか引っ張りだすことができず、前に記事を書いてからおよそ1年近くも間が空いてしまったわけだ。

 

 つらつらと個人的な過去を振り返ってみるなら、2008年から09年にかけてのこの時期は、公私ともに充実していた。

 仕事はすっかり慣れきってベテラン気分、趣味も、車のほうはサーキットで自己ベストの壁にぶつかっていたものの、翌年のタイムアップ目指してエンジンのOHを計画しておりまだまだモチベーションは高かった。

 エロゲについては言わずもがな、たくさんの素晴らしい作品と出会えた。

 そのわりにはどうも公私ともに強く印象に残ってる出来事が少ない。だが、不安のない時期というのはえてしてそういうものなのかもしれない。



 そういえば、非ラノベ読みから見た光景であはるが、2008年ごろは狼と香辛料ゼロの使い魔をはじめとしたラノベ原作アニメが人気で、原作の小説もかなり売れていたはずなのに、ラノベブームとはまだあまり言われていなかった気がする。

 ラノベブームという言葉がなんとなく目に入るようになったのは、俺妹がヒットしたぐらいからで、ラノベがブームらしいという情報とともに、ラノベラブコメという図式が猛烈な勢いで広まっていったのもその時期からだったように思う。

 はがないが東大の書店で上位にランクインしたというニュースを耳にしたのは2010年代に入ってからだったろうか。

マープルマープル 2015/12/04 18:22 充実していたのに記憶が薄いのは何となくそれだけ自然に体に入っていたのかなと感じました…
自分はお酒を飲まないので感覚でしかわかりませんが、よい酒は飲んだことすら忘れるようなはかないもの、というたとえを思い出しました…

ep_meisterep_meister 2015/12/16 20:18 マープルさん>
良いお酒は飲めたけども、酒を飲むこと自体にいちいち新鮮みを感じなくなってたんだろうなとは思います。

2015-08-18 創作、短編「久しぶりに小説を公開してみる」 このエントリーを含むブックマーク

 久しぶりに小説を公開してみます。

 今さっき書き上げたというわけではなく、過去に書いた作品ほぼそのまま、いつも通り小説家になろうに載っけました。

 少し前に岩手で起こったいじめ事件の報道などを見ていて、そういえば以前いじめを題材にした短編を書いたっけなと思い出したのが公開してみたきっかけです。

 これを書いていたのは2012年ごろで、大津の事件を皮切りに相次いだいじめ問題世間を賑わしていたころでした。

 いじめが原因の青少年自殺などが報じられるたびに、「この手の事件って定期的に起こるよな」とは思うものの、2012年から3年が経った2015年の現在、実際にそうなってしまうとさすがにうんざりせずにはいられません。


 なお、あくまでもプラットフォームとしてのなろう利用ですが、今回少しだけなろう書式とやらを意識して「」の前後を改行してスペースを開けたりなどしております。

以下、URLとあらすじ


『はみだしものたち』

http://ncode.syosetu.com/n4117cv/


〜あらすじ〜

 小学校教諭の“ぼく”は、担当するクラスで起こっているいじめの解決に頭を悩ませていた。

 一言きつく注意すればそれで止む程度のいじめだが、そもそもいじめを受けている相川イズルにだってそうなる原因がないことはない。正してやるべきは、集団に溶け込めない川のほうじゃないのか?

 決めあぐねたまま家庭訪問に向かったぼくは、相川がクラスのいじめっこたちにからかわれている現場に出くわす。

 そこには、いつもと違い、いじめっこたちの前に立ちはだかる誰かの姿があって……。

2015-05-19 雑記、コラム「遠く、誰かの人生」 このエントリーを含むブックマーク

 地元の新聞を眺めていて、ふと紙面下部の広告欄に目が留まった。

 店主の名字を冠するありふれた名前の電器店だった。二つ隣の街にあるそこは、表向きこそ電器店を名乗っているが、実際はプラモデル専門店の様相を呈しているとの話を耳にしたことがあった。

 プラモデルが子供たちに大人気だったころならいざしらず、このご時世にあってプラモデル専門店という商売は決して楽ではないだろう。

 ふと興味の湧き、一度も足を運んだことのないそこがどういう店なのか、グーグルストリートビューで外見の様子だけでもうかがってみることにした。

 店は商店街の一角にこぢんまりとたたずんでいた。

 だが、間の悪いことにストリートビューの写真が撮影された日は店が休みだったらしく、様子をうかがおうにもシャッターはピタリと閉まっている。

 しかたないので店名を打ち込んで画像検索してみる。すると、外観の写真はすぐにみつかった。

 ガラス戸には今昔のガンプラのポスターがところ狭しとベタベタ貼られていて、これぞ街のプラモデル屋といった風情を醸し出している。表ではためくタミヤののぼり旗もいい。

 続けて、店内の様子も気になった。

 しかし、こちらは外観ほどには写真も情報も出てこない。なのでテキストのほうで検索をかけていくうちに、僕はとある個人ブログに辿り着いた。

 記事には、大学か専門学校の春休みに帰郷したついでに、子供のころよく通っていた件の電器店に顔を出してきたときのことが若者らしいくだけた文体で綴られている。

 このブログ主の彼が昔はミニ四駆にハマっていただとか、プラモデル屋の店主は相変わらず笑わないだとか、成人式が近いだとか、まぁ、よくあるWEB上に公開された個人の日記だ。

 たわいのない日常話をあっという間に流し読みして、僕は検索結果に戻ろうとした。が、そこでふと、この記事の日付に目が留まった。

 2005年の4月、ちょうど10年前。これはまた、ずいぶん古い記事に辿り着いたものだと思った。

 そういえば、ちょうどブログというコンテンツが流行りだしたのはこれぐらいの時期だったかもしれない。

 現に、僕も同じような時期にブログをはじめて、主に車趣味について綴っていたものだ。

 今記事を書いてるのとはまた違うそのブログは更新しなくなって久しい。だが、2、3年で更新が止まってしまったブログなんて、僕のに限らずWEB上にいくらでもころがっている。

 たぶん、このブログもそうなんだろうな。と、なんとなく想像しながら、検索結果に戻るのを中断して、しらない誰が書いたこのブログのトップページをクリックしてみた。

 すると意外なことに、ブログは2015年の今でも更新され続けていた。

「ほぅ」と、思わず感心の声が漏れる。

 頻繁に更新しているふうではなかったが、それでも一つのブログを10年続けるなんてなかなかできることではない。

 継続力の他に、もう一つ感心したこともあった。

 ほとんど喋り言葉のようだったジャンクな文章が、スマートかつ妙に読ませる文章へと変わっていたのだ。

 ただ漠然と文字を書いているだけで文章が洗練されていくわけではないことが身にしみている作家志望の僕としては、 いったい何がきっかけで彼の文章が変わったのか気にならずにはいられなかった。

 比較的最近の日記をつぶさに読んでみる。

 職場の同僚と山に登った。友人とフットサルを楽しんだ。同期に二人目の子供が生まれた。

 断片的に散りばめられた情報を拾いあげていくうちに、この彼が僕と同年代であることがわかった。結婚もしている。転勤がやや多い仕事をしているようだが、さりとて不満があるわけではないらしい。

 ひと通りそろった人生。

 表面的な情報だけをすくいあげれば、単なる幸せ自慢のブログにしか思えないだろう。

 たけど、日記に添えられた楽しげな写真とは裏腹に、彼の文章は妙にセンチメンタルで、言いようのない寂しさのようなものが滲み出ていた。

 幸せはそれを味わっている瞬間だけが真実で、過ぎ去ってしまえば寂しさの反動に襲われる。

 尊いものだとわかっていて噛みしめれば噛みしめるほど、苦い後味が残ったりもする。

 幸せなはずの彼の日記は、そういう寂しさでいっぱいだった。

『これからも大切な人はこの世の中からいなくなり続けるんだろう。』


 旧友の死に思いを馳せる彼の言葉だ。この直後に続く前向きな言葉が、彼の抱える寂しさを余計に際立たせてるように思えた。

『俺は自分が最終的に手に入れたいものや、自分がどうしてもやりたいことを知っている。

そして、それが、きっと叶わないだろうこともわかってる。

帰り道

ゆっくり、ひとつひとつをひもとくように考えながら歩いていたら、それはわかった。

仕事をして、酒を飲んで寝て、また仕事に行く毎日。

帰り道に、月は出ていない。

もうすぐ朝。』


『俺は、きっとカウボーイにはなれないだろう。

なる術を知らないし、カウボーイになるためには、俺は少し、不自由すぎる。』

 彼は日記のつもりで書いてるのかもしれないが、ほどんど詩に近い文章だ。

 それと、彼の身にのしかかる倦怠感を僕もよく知っている。それに堪えきれなくて、僕という蛙は井戸から飛び出そうとした。

 ふいに、なぜ彼の文章が変わったのかわかった。

 彼自身が変わったからに違いない。

 孤独は人を詩人にし、苦悩は人を哲学者にする。

 時間の流れは人を変える。気持ちが移り変われば文体だって変わる。これからも変わってゆくのだろう。僕も、彼も。

 ひょんなきっかけで出会った、しらない誰かの人生に思いを馳せた。そんな、五月のある日のこと。

 春は過ぎ去り、外は初夏の日差しが降り注いでいる。

マープルマープル 2015/05/20 13:14 継続は力なりといいますが十年もつづけるのはすごいことだと思います…
ブログやホームページなど突然更新されなくなると(特に個人的趣味に会っていたりすると)何があったのだろうと考えて心配になってしまいます…
それぞれ個人的な事情などがあるとはいえ、特に長く触れ合っていたものほどさびしさを感じてしまいます…
それだけの年月があれば書き手も変化していくのだとわかっていても、何となく「自分」そのものはあまり気がつかないのではないかと思います。そしてそれと同時に昔の「自分」の感覚もわからなくなるのではないかとも…
それこそ自分は昔書いた文章なりなんなりを読み返したときに、このときに何を思っていたのだろうと感じることがあります…
ただ自分はブログなどそういったものはしていなくて、かろうじてSNSで日記があるだけでそれ以前のものはチラシの裏などに書き残していたもの、それも大部分が処分してしまったため当時のことを思い出すにしてもできないのですが…
それが成長しているのかどうかわからないですが…

ep_meisterep_meister 2015/05/23 20:07 マープルさん>
ある日を境にパタリと更新が止まっちゃったブログやサイトはまったく珍しくありませんね。
最近はTwitterをはじめとした、さらっと短文を投稿できるサービスのほうが人気で、ブログも元気がなくなってます。
僕も今この瞬間の気持ちをファイルしておきたくて細々ですがブログを書いてます。

2015-03-24

アニメ感想「ゆゆ式、堪能させていただきました」

21:32 | アニメ感想「ゆゆ式、堪能させていただきました」を含むブックマーク

 あー、ついに終わっちゃったなぁ〜。と、ほのかに寂しさを覚えつつも、存外ケロッとした気持ちで、僕は“ゆゆ式”の最終回を視聴し終えた。

 そして心の底から思った。

 なんて! なんて素敵な作品なんだッ!!

 ええ、少しの誇張もなくそう思ってますとも。

D


*****

 今になってゆゆ式を見はじめたそもそものきっかけは、迫真情報処理部なるくっそしょうもない動画だったわけですが、それより前から日常系の極致との評判を聞き及んではいたので、いつか観たいアニメとして気になってる作品でした。

 それでいざ観はじめてみたら、まったりほのぼのしていて好印象で、「あ〜癒される〜」なんてモニターの前でニヤニヤすることしきりだったんです。

 序盤の時点で、4年前に再放送でやっていたけいおん!を観たときぐらいには楽しめていたと思います。そういえば、けいおん何の気なしに観てたらハマっちゃったアニメでした。

 でもね、正直に言うと、はじめのうちはよくできた日常アニメ以上の感想はなかったんです。

 仲良し三人組がキャッキャッウフフする様子には癒されたけれど、それもこれも想定した範囲内の好評価に収まってました。


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(一応紹介しとくと、ゆずこ=ピンク色、縁=紫色、唯=黄色)


「摂取しすぎると薬から毒になりそうなので、一日一ゆゆ式に抑えてます」みたいなことをつぶやいたのは3話を見終わった辺りでしたか。

 これも正直に言いますが、いっぺんに観たら飽きちゃいそうな予感があったんです。抑えてたというよりは、一気に観ようとまでは思えなかったというのが本音ですね。

 とはいえ、ただまったりしてるだけじゃない何か独特な雰囲気があるのはずっと感じてました。

 会話のテンポ、表情の変化、眼差しの向く先、やたら丁寧に描写されるそれらは自然なんだけど、これまで観たことのあった日常系アニメのそれと比べてどこか違和感を感じる。

 その正体は、5話を発端にして僕の中でだんだんと具体化してきます。

「唯と縁と、ゆずこ」と題された5話では、幼いころからの親友同士なのは唯と縁の二人だけで、しばらくあとから仲良くなったゆずことは積み重ねてきた思い出の量に差があることが明らかになります。

 タイトル通り読点「、」のぶんだけ詰めきれない距離があって、二人の間に入っていけないゆずこが露骨に疎外感を味わうエピソードですね。

 同時に、ゆずこのネタ振りがことごとく空ぶるエピソードでもあります。

 しりとりをしようと思いたっても、タイミングが合わないせいでぞんざいにあしらわれてしまったり。「なんで生き物は死ぬんすかねえ」と気軽には答えづらい話題を切り出しては、二人をキョトンとさせたあげく自分から話を取りさげてしまったり。振ったネタを必ずしもすんなりとは受け取ってもらえないことがはっきり示されるわけです。

 ここで僕は何か一つの解答を得たような気がしてストンと腑に落ちました。

「そうか、だから彼女たちの会話には妙な緊張感があるのか」って。

 ほら、誰かに話を振るときって、ピリピリするとまではいかなくとも、少なからず緊張するじゃないですか。

 きちんと受け取ってくれるかな。興味を持ってもらえなかったらどうしよう。退屈させちゃったら悪いな。ってね。

 ゆゆ式の登場人物たちもそうなんだと、5話目にしてようやく気づいたんです。

 なのに、なんだかんだで日常アニメ的な仲良し空間を演出できてこれたのは、そういう雰囲気を維持しようと彼女たちがコミュニケーションに気を使ってたからなんだ、と。

 「あの3人は単純な仲良しグループじゃなくて、実はお互いすごく気を使い合っているところがあるんですよね。仲良しのままでいたいということに一生懸命なんです。そこが『ゆゆ式』の特徴の一つなんだと思います」

 とのコメントが制作スタッフへのインタビューにあるように、あの雰囲気ってのは無条件に形成されてるものではなくて、三人それぞれが日常を楽しく過ごそうと意識しているからこそ出来上がってるんでしょうね。

 ゆずこが「なんか細々つっこませてごめんね〜。しんどい?」と、毎度のボケにしっかりツッコミを入れてくれる唯をさりげなく労るシーンからも、彼女らが意識してその関係の維持に務めてることがうかがえます。

 はい、特に大きな役割を担っているのはゆずこなんです。ムードーメーカーである彼女のペースが狂うことでコミュニケーションにちょっとしたズレが生じてしまう5話は、ゆゆ式という優しい作品が併せ持つ繊細さを象徴していました。

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 これ以降、唯と縁と、ゆずこの間の距離が気になってしょうがなくなるわけです。そして、コミュニケーションキーワードだと気づいたことで作品を見る角度も変わってきます。

 

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 自然とイチャイチャできちゃう幼なじみ二人との間に越えられない壁があることを理解していながらも、ひたむきにコミュニケーションをとり続けるゆずこの健気さが愛おしくてたまらん! がんばれゆずこ!

 この自販機のシーンのギャップなんかは、ゆずこが半ば意図的にムードメーカーを演じていることを暗に示唆しているように思えます。

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 つーか、ゆずこの背中寂しすぎだろ……。

*****


 同じクラスの、あいちゃんたちサブキャラ三人組が画面に登場する機会が増えてからはさらに味わいが深みを増してきます。

 

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 (左から、佳、ふみ、あいちゃん)


 下の画像、あいちゃんグループに属してる佳がメイン三人組の会話に横から加わるシーン。ここ、僕のお気に入りです。

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「あわわわ……」って感じに慌ててるあいちゃん。ひっこみじあんなところのある彼女からしたら、物怖じすることなくよそのグループの会話に入っていっちゃう佳の大胆さは端から見てるだけでもハラハラしてしょうがないんでしょうね。(あいちゃんが唯ちゃんLOVEすぎて普段まともに話しかけられないのも大きい)

 このサブキャラ三人組とメインの三人組は一年生のときはあまり接点がないんだけど、二年に進級してから少しずつ距離がつまってくのはちょっとリアルっぽくていいですね。

 僕も、一年のころから同じクラスだったのに、三年になるまでほとんど話す機会のなかったクラスメイトがいましたから。

 もう一つこのシーンで目にとまったのが、いきなり話しかけられてちょっとたじろぐ唯の姿。

 唯はメイン三人組の中ではツッコミ役で、パッと見気の強そうな印象をうける子ですが、その実、人付き合いが得意なほうではありません。

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 普段あまり接点のない相手からふいに話しかけられたときなどは、唯だけがあきらかに身をこわばらせてるんですよ。 


 こういった描写の細やかさの他に、モニターの向こう側にいるキャラクターたちがこちら側の僕らをまったく意識しておらず、あざとさを感じなかったのも好印象でした。

 ゆずこは、あくまでも唯ちゃん縁ちゃんたちをおもしろがらせるためにギャグを披露しているのであって、視聴者を笑わせるためにやってるんじゃないんです。

 だから、彼女たちは実に生き生きとしているし、自然な表情を見せてくれるんです。

 特に笑顔が素敵でしたね。数ある日常アニメでも、キャラクターたちがこんなによく笑うのはゆゆ式ぐらいじゃないでしょうか。

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 場を盛り上げるための明るい笑いと、本当におかしくて吹き出さずにいられない腹の底からの笑いとでちゃんと違いを区別できてるのも流石の丁寧さ。

 *****

 ゆゆ式を全話見終えてから、ネット上に転がる感想を眺めていて、ふとこんな言葉が目に留まりました。

ゆゆ式を好きになる人は、人間不信の気がある」

 これ、わからなくはありません。

 人間関係コミュニケーション、気づかいといった言葉は、創作物においてネガティブなイメージで扱われやすいですから。

 ゆゆ式で描かれるそれらをシビアに見つめてしまうと人間不信なんて言葉が口をついちゃうのもなんとなくわかるんですよ。

 たとえば、こんな言葉を目にしました。

 

ゆずこが道化を演じてるようにしか見えなくていたたまれない。

・唯と縁は何もしなくてもずっと仲良しだけど、ゆずこはコミュニケーションをとり続けないと友達のポジションを確保できない。

ゆずこが空気を読むのは嫌われるのが怖くてしかたがないから。


 でもね、そう暗黒面に囚われた瞳でゆゆ式を見なくてもいいんじゃないかと僕は思うんです。

 どうしてゆずこがああも一生懸命コミュニケーションをとり続けるのかというと、それは唯ちゃんのことが大好きだからでしょう。もちろん縁ちゃんのことだって好きに決まってます。

 好きな相手と一緒にいて緊張したり気を使ったりするのは、なんら不自然なことではありません。

 空気を読み、気を使い、そうやって意図して作りだされた仲良し空間だとしても、その下敷きに好意や善意があれば、そこで過ごす優しい時間は嘘じゃないと信じたいです。

 それに、ゆずこは自身が思ってるよりもずっとみんなから愛されてますよ。

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 9話で、いつものごとく仲良さげに会話に華を咲かせる幼なじみ二人を前にして、「なんだよ、仲良しかよ……」と、すねたようにこぼすゆずこに、「おまえもな」と唯ちゃんがさも当り前のように言うシーン。

 10話で、ノリが空回りして疎外感を覚えるゆずこに、縁が唐突に「愛してるよ〜」と言ってあげるシーンなんかは、ゆずこが二人から愛されてることがわかって心安らぐ一コマです。

 あいちゃんからも、「もし子供が生まれたら、野々原さんみたいな子に育ってほしいな」とまで言われてますし、唯との距離が縁より近いときだって実はしょっちゅうあります。

 

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*****

 

 サン=テグジュペリの著作の中にこんな言葉があります。

「世の中にはたったひとつの贅沢しかない。それは人間関係という贅沢だ」

 僕は、ゆゆ式の素晴らしさもきっとこれなんだなと思いました。

 全話を見終えて存外ケロッとしていたのも、人づきあいを肯定的にとらえてるあの子たちならこれからもきっと仲良くやってくさ、と信じられたからです。

 それぞれの仲良くしたいという意志がちゃんと実を結んでるから優しい世界が出来上がっているんです。

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 エンディング曲の歌詞は、ゆゆ式の素敵な部分をよく表してくれていて気に入ってますね。

『いつもの君の笑顔が  すごく嬉しいから もっと笑わせちゃえ  そんなノリでいくよ

リズムはちょっとチグハグ 姿勢は STAY ぐだぐだ 楽観的 推奨 フワフワがいい

集まれば無意識に テンション少し高め  のんきのレベル上げて ゆるりご機嫌な  ひととき過ごしちゃおう!

ありふれた言葉でさえ 優しさ行き交って 絶妙な居場所にしてくれるね

少しズレてることでも 意外にも君には 響いていたりして  いつの間にか笑顔』

                  〜ゆゆ式エンディング曲「Affection」〜


※以下、お気に入りシーンをいくつか。

なんだよ、いいやつかよっ。

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 佳→あいちゃん→唯というなんとももどかしい片思いの一方通行! そのせいで佳は唯のことをはじめのうちは快く思っていない。

 それでなくても唯ちゃんモテモテだしね。三人組の中心にいるしね。あと、クラスメイトだけどほとんど交流がないのも大きい。

 

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 だけど、快く思っていなかったはずの相手に親切にされてしまい、「なんだよ、いいやつかよっ」と、どこか悔しそうする佳の姿は微笑ましいったらない。いいやつは憎めないもんね。

 たぶん佳は、自分があいちゃんに片想いしてるのを自覚してない。めちゃくちゃ気になってはいるだろうけど。思春期の男の子っぽいメンタリティの持ち主だし、しかたないね。それを理解していて佳をからかうふみも良いキャラ。


いらいら……。

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 唯ちゃんLOVEなんだけど、相手にその気はないのをわかってて、普段から慎重に距離を測ってるゆずこからすれば、横から会話に入ってきて唯とスキンシップを図っちゃう佳の馴れ馴れしさはさぞ不愉快だったはず。

 真ん中のコマは、「おまえ気安いぞ」と目で語ってるのがありありと伝わってくる。たぶん、攻撃してるときもこの無表情だろう。ちょっといたずらしてやるかという顔ではない。要するに嫉妬。

 だけど、後日その馴れ馴れしさがゆずこにも向けられることで、単にそういう性格なんだというのがわかってひとりでに和解しちゃうのがゆゆ式らしいいたわりと友愛

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縁さん珍しくキレる。

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 縁という子は、外見通りいつもニコニコしていて、言動もおっとりしているんだけど、そんな彼女が作中で一度だけ不快感を露わにしたことがある。

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 可愛いつもりで描いたキャラクターのイラストを二人に笑われたときだ。

 可愛くないと言われることはわずかながらも想定していただろうが、まさか笑われるとは思ってもみなかったのだろう。

 おそらく、これを縁は本能的に侮辱と受け止めたんだと思う。笑わせるのは好き、笑われるのは嫌いという感覚は僕もわかる。

 そこで不快感を内に秘めずにはっきり外に出すのは、実はとても縁らしい。マイペースで裏表がない。それはつまり我が強いということでもある。



わたし、なんてことをっ……。

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 夏休み、プールサイドにしゃがんでいた縁をいたずらのつもりで水に落としたゆずこ。

 だけど、そのノリは普段は唯にやってるものであって、そういうネタ振りをされたことのない縁は思わずキョトンとしちゃう。「えっ……」って感じの表情でね。

 微妙な空気が漂う中、唯からのとどめの一言がぐさりと突き刺さる。

「ひどいやつだな、おまえは」

 罪悪感に苛まれたゆずこは、とっさに自分で自分をビンタする。それが上の画像。ゆずこがんばれ。


わたしひどい

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 ゆずことあいちゃんが仲良くなる前のワンシーン。

 本屋で立ち読みをするゆずこを見かけたあいちゃんは、恋敵であるゆずこと本の趣味が合うことに気づいて「ショックなようなうれしいような……」と複雑な気持ちを抱くのだが、「ショックとか、わたしすごい失礼。わたしひどい!」と、すぐさま自らを恥じる。

 負の感情を一瞬抱きながらも、それを恥じることのできるあいちゃんはとても良い子。

 僕が思うに、ゆずことあいちゃんだけは唯へのLOVEを自覚してるはず。たぶん、この二人は唯ちゃんでオナニーでしてる。(唯ニーと命名)

 縁が唯に向ける好意は限りなくLOVEに近いLIKEだろう。


誰に向けた言葉?

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「おまえは、ただ愛されて生きるんだな。わたしが愛してやるぞ」

 飼い犬の散歩中もふみがこぼす意味深な独り言。