そこに物語があれば

秋田在住、作家志望兼駆け出しエロゲシナリオライターの雑記

コラム、雑記「つぶしあえー! \(>ヮ<)/」

 つい数時間前になりますが、テレビでやっていた映画「アバター」を見ました。
 やや大味ではあったものの、征服者と被征服者というわかりやすいテーマを扱った出来の良い娯楽映画だったと思います。
 インターネット掲示板なんかでは、ハリウッド版もののけ姫なんて揶揄されたりもしていましたね。
 ああいった種族間や人間と自然の対立というのは、近代におけるある種の普遍的なテーマになってまして、その手の作品というのは、ジャンル問わず数多く存在します。
 それで、今回のコラムの本題なんですが、僕はあの手の作品を見るたび、頭の中によみがえるある言葉があるんですよ。それは、宮崎駿監督が、もののけ姫のパンフレットに寄せていた言葉なんですが、
『人間が普通につつましく暮らしている分には自然と共存できて、ちょっと欲張るからだめになるということではなくて、つつましく暮らしている事自体が自然を破壊しているんだっていう認識にたつと、どうしていいかわからなくなる。どうしていいかわからないところに一回行って、そこから考えないと環境問題とか自然の問題はだめなんじゃないかなって思うんです』
 これ、畑や田園風景、美しい林ってのは、人間から見ると自然の象徴だけど、自然界レベルから見たら、いろんな生命の可能性を摘んじゃってる不毛の土地だからね。っていう話が先にあっての言葉なんですが、初めて読んだ時は、この人の物の見方はすげえなあ、と衝撃を受けました。
 アバターもそうだったんですが、あの手のストーリーは、人間がむやみに手を出さなければ、互いに歩み寄れば、わかり合えるし良い関係を築けるってのが大抵のオトシどころなんですよね。
 対して、宮崎監督は、「人間ってのは普通に生きてるだけで自然に迷惑をかけてるんだぜ」って言っちゃってるわけです。
「人間は生きるから罪をつくるのではない。生きていること自体が罪をつくる。」
 これは親鸞の煩悩具足という教えです。
 自然に対する人間の罪。それは必ずいつか間違いなく裁かれるでしょう。
 でもね、僕は思うんですよ、それがどうした! ってね。
 漫画版風の谷のナウシカのラストシーンで、主人公のナウシカは究極の二者択一を迫られます。
「文明の力で人類を復興させるか? 自然に任せて滅びるか?」
 あなたならどちらを選びますか?
 ちなみにナウシカが選ぶのはなんと、後者なんですよ。
 人間と自然は相容れなかった。じゃあ仕方ない。摂理を曲げて生きるよりもおとなしく滅ぼう。そう言っているわけです。
 僕はこの考え方、わりと好きです。
 人間不思議なもので、個人の不老不死を本気で信じてる人はまずいないのに、種族全体の不老不死を疑わない人って結構多いんじゃないかなと思うんですよ。
 おかしいですよね。
 どうしても相容れないなら、互いに好きなようにやればいいんですよ。
 そして散ればいいんです。白黒はっきりついて気持ちいいと思いますよ。僕は思いますね。
 恐竜もマンモスもサーベルタイガーも滅んだのに、人間だけが滅ばない道理はないんですから。
 


 さて、話を戻しましょう。相容れなさ、という問題について扱った非常に思い出深い作品の話をひとつ。
 塵骸魔京というエロゲなんですが、これは人と人外の種族間対立を描いてまして、なかなか考えさせられた作品でした。
 この作品のなかに、メルクリアーニ神父というキャラが登場します。
 彼は吸血鬼の長なわけでして、人の血を吸わなければ生きていけない者たちの先頭に立っています。そして作中通してトップクラスの人格者でして、区分するなら間違いなく善性です。
 だけど、この作品の前提として、人間はただ生きているだけで他の種族を害してしまうという設定がありまして、成り行き的にこの神父さんと主人公たちが対立しちゃうんですよね。
 それで、その対立の中でこの人格者で善人な吸血鬼の神父さんがやらかすんですよ。
 人間の血を安定して確保するために、人間牧場的なものを作るんです。
 だけどね、何度も言うようにこの神父さんもの凄い人格者なんですよ。昼間は教師の仕事もしてて生徒達の人気者ですし、吸血鬼とはいえ、むやみやたらには人を襲ったりしません。
 だから、プレイヤーもそうだし、おそらくは作中の登場人物たちも、神父さんがそういう非人間的な行為を行いつつもどこか節度を守ってるに違いないと思い込み安心するんです。
 しかし、そうさせないのがこの作品の評価に値する点でして……。以下、その部分のテキストです。
『教室の有様は、肉屋の冷蔵庫に似ていた。天井から、無数の鉤がぶらさがっている。そこに無造作に引っかけられているのは冷凍肉ではなく無数の人間だ。
 服は剥がれ、太ったものも痩せたものも、足首のところでフックに縫い付けられている。頭の下にはバケツが置かれ、首筋から垂れる血を受け止めている。』
 おおよそ人の尊厳を完全に無視した、モノとしての扱い。吊されてるのは、罪も無いまったくの一般人。
 これによって、人外だけど話は通じるし、理解できなくもない存在だと考えていた彼が、どうあっても相容れない存在であることが強調されるわけです。
 これすごいなあ、と思いましたね。普通はぼかすじゃないですか。相容れないにしたって、フィクションでこうも負の部分を強調するのは希です。
 だけど、この作品はあえてそれをやった。だから僕は評価してるんですよね。
 そして、相容れなかった先に待ち受けているのは、潰し合いに他なりません。
 主人公達との対決の直前。メルクリアーニ神父は、こう口にします。

「愚かにも戦いましょう。醜くも戦いましょう。 卑劣にも戦いましょう。
 いもしない神に赦しを乞うて。 ありもしない大義に目を眩ませ。
 これが最善だと偽って」

 どんな問題にしろ、何らかの対立について考える時、僕の脳裏にはいつもこの言葉が響きます。
 僕はね、本質的には好戦的な人間なんですよ。勝っても負けても、白か黒かはっきりさせないとモヤモヤしてしまう。
 だから、暴力的だけど、一筋縄ではいかない世の中の諸々にあえてこう言っちゃいます。

「つぶしあえー! \(>ヮ<)/」
     



余談:金曜ロードショーの合間に流れてた大成建設のCMを初めて見たんですけど、あれ好きですww
 165センチがうんたらかんたらっていう新海さんのやつですね。
 ああいう、スポーツに興じる女キャラって、新海さんの作品にちょくちょく出てくるイメージがあります。
http://www.youtube.com/watch?v=OKoCl-3E0Vw