1996/02/25 (日)
■パソコン日記のすすめ
自分は何をしてきたのか
自分はいったい何者か。これまで何をやってきて、これから何をやりたいのか。人生の節目節目で考える。これまでも幾度か立ち止まってきた。そのたびに考えた。自分は何をしたいのか。
「日誌」と「日記」
私は毎日パソコンで「日誌」と「日記」をつけている。ここで、「日誌」と「日記」とわけて書いたが、これには理由がある。手元の辞書(角川・類語国語辞典)によると、「日誌」は「毎日の出来事を記録したもの」、「日記」は「毎日の出来事や感想を記録したもの」と定義されている。私はこれに従って、両者を区別して記録している。
「日誌」にはおもに自分のその日の行動や出来事をドライに記述している。何時に起きた、どこどこに行った、だれだれに会った、などである。そしてそれと平行して、それぞれの行動や出来事にかんしてその時自分が思ったこと、感じたこと、考えたことなどを「日記」として書き加えている。あとで読むときに、「日誌」の部分だけを読めば公の性格をもった記録、「日記」の部分も一緒に読めば個人の記録となる。別のいいかたをすれば、概略を知りたければ「日誌」、詳細も知りたければ「日記」もふくめて読めばよい、ということになる。
私は現在大学4年生で、この4月より社会人となる。この人生の節目に立って考えている。自分は何をしたいのか。
日誌/日記をひもとく
梅棹忠夫氏はその著書『知的生産の技術』の中で次のように言っている。「ものごとは、記憶せずに記録する。はじめから、記憶しようという努力はあきらめて、なるだけこまめに記録する。これは、科学者とはかぎらず、知的生産にたずさわるものの、基本的な心得であろう」。すなわち、人間は忘れる生き物であるから、すべての物事を記憶にとどめておくことはできない。そのために記録をする。紙に書き出すことで自分が考えていることや抱えている悩み、問題などが浮き彫りになる。
日誌/日記は「人生の記録」だと思う。自分にかかわる人、もの、情報、時間、空間、エネルギーすべてが記録される。また誰もができる、いちばん身近な「知的生産」だと考えている。日々記録することは日々「知的生産」することにほかならないと信じて、いままで続けてきた。
自分の来し方をを振り返り、これからの人生を設計する上で日誌/日記は重要な意味を持つ。自分は過去に何を考え、何を目指していたのか、そしてなぜそれを目指していたのか。今それは実現しているのか。このような日誌/日記との対話を通して自分の成長過程や問題点がわかりそれ以後の生き方・テーマも決まってくる。
自分史を書く
昨今、自分史を綴ることが静かなブームとなっている。その際に題材の一つとなるのが日誌/日記である。自分とはいったい何者で、何をやってきたのかを問うのである。自分史というと、年配の方が長い人生を振り返って書くものだと思われがちだが、私くらいの年代でも人生の節目で自分史を綴ることは意義あることだと考えている。
また、自分史を書くには、自分のあらゆる記録を参照しなければならない。手帳はじめ、手紙や日記帳など、読み返すだけでもかなりの時間を費やしてしまう。またそれらを利用するには切り貼りするわけにはいかず、書き写さなければならない。これは大変な手間であると同時に書き写しミスの可能性もはらんでいる。とにかく大がかりな作業になってしまう。仕事を持つ人はこれほどの時間を費やすことはできないため、結局自分史作りは「老後の楽しみ」という位置づけになってしまう。
パソコンを使おう
上記のように紙で編集していく場合、手間がかかるのに加えてもう一つ弱点がある。時系列にしろテーマ別にしろ、何にしてもある一つの視点でしか書くことができないという点である。これがパソコンならば楽に合理的にできる。紙と違って、時系列、テーマ別など必要に応じて複数の視点で再編集して眺めることができる。一度編集したらそれっきりということはない。
また、自分史を書かないにしても、ふだん日誌/日記をつけている人なら、折を見て読み返していることだろう。そして「あぁ自分はこんなことを考えていたのか」という再発見を経験することだろう。これは日誌/日記のリアクティブ(事後対処的)な使い方である。私はむしろ日誌/日記のプロアクティブ(事前対処的)な使い方を提案したい。
例えば、過去5年間の「5月15日」の記録を取り出してきて、画面上で並べて表示させることもできる。「5年帳」的な使い方である。また、過去において「13日の金曜日」に何があったのかなども、パソコンならば素早く簡単に閲覧できる。これまで4回の「13日の金曜日」を過ごしてきたが別段悪いことは起きなかった。だから明日の「13日の金曜日」も大丈夫だろう、など。あくまでも確率の問題であるが。
自分の行動だけでなく、ある特定の人を対象に、これまでに自分がその人とどのようなつきあいをしてきたかを取り出してきて時系列で見ることができる。「あぁ、この人にはこんなにお世話になっていたっけなぁ」「そういえば、最近つきあいがないなぁ。電話してみよう」などのように使える。
これらははじめから日誌/日記を読むことによって何か役に立つ情報を得ようという目的をもっての使い方であるため、プロアクティブであると言える。普通は日誌/日記を読んで「あぁ、こんなことがあったんだ」という結果しか得られない。この差は大きい。
データは蓄積されればされるほど自分の傾向や関心がはっきりしてくる。日誌で内容が詳しく書かれていたら、それは自分で特に関心を持っているところだと判断できる。逆にあまり詳しく書かれていない出来事には関心がないということになる。
例えば、日誌/日記を読んでいて「ドイツ語」という言葉にぶつかったとする。そういえば自分は当時よくドイツ語を勉強していた、と思い出す。紙の日誌ならここまでで終わりである。パソコンならばさらに一歩突っ込んで「ドイツ語」が含まれる過去の日誌/日記データをすべて取り出すことが可能である。取り出された「ドイツ語」を含むデータを時系列に並べて見ることによって、自分と「ドイツ語」のかかわりが一目瞭然にわかる。「第2外国語はドイツ語にした」「ドイツ語は思っていたよりも簡単だ」「ドイツ語の時間、居眠りした」「最近、ドイツ語の勉強をしていない」などなど。これによって過去の自分の「ドイツ語」に対する思い入れがわかる。また、「ドイツ語」という言葉が現れる頻度に注目すれば、94年は授業があったから、2〜3日に一度「ドイツ語」という言葉が必ず使われている、しかし95年からは授業がなくなったので、ほとんど使われなくなった、最近はほんとうに勉強していないらしい、勉強しなくては! と自分をたきつけることもできる。
「パソコン日誌/日記」のコツ
上記のように記憶・検索・抽出はパソコンが最も得意とする作業である。ただし紹介したような使い方をするには多少の手間がかかる。それは固有名詞や繰り返す行動は同一の言葉で統一しなければならないということである。「タバコ」と「煙草」は入力する人間が同じものだとわかっていても、コンピュータにはわからない。「山田さん」と「やまださん」もしかりである。また、未来の自分は他人であるため、今と3年後では同じものを指す場合でも違う言葉を使ったりしてしまう。例えばはじめは「山田太郎」と書いていたのに親しくなるに連れて「タロちゃん」になり、仲が悪くなって「太郎」になったりする。
このようなことを避けるため私はよく使う言葉や固有名詞は単語登録するようにしている。「やまだ」と入力すると「山田太郎」と変換されるようにしておくのである。仮に「山田次郎」さんが現れても、同様に「やまだ」で変換できるようにしておけば問題はない。入力するときに変換候補から判断できるからである。また、パソコンには「文字列置換」という機能がある。今まで書いた日誌/日記の中で「ヤマダ」と書いたものをすべて「山田太郎」にしたいとき、キー一発ですべて置換される。万一、別の「ヤマダ」が置換されないようにひとつひとつ確認しながら実行することもできる。
自分は何をしたいのか
いま私の手元のパソコンには大学4年間の日誌/日記が入っている。意義に懐疑心を覚えつつも続けてきてよかったと思っている。いま読み返しの真っ最中であるが、当時は気づかなかったが、今はそれが重要なきっかけであったという出来事が結構あることに自分ながら驚いている。自分が生きてきた中での出来事を、簡単に忘れてしまうのはもったいない。
私は自分自身との対話を通して「自分が何をしたいのか」をおぼろげながら掴みつつある。4月からは生活が激変するが、環境が変わっても、前向きで周囲に流されない生き方をしていきたいと思う。
※「知的生産の技術」研究会の機関誌「ちけんだいがく」の1996年3月号および、日本能率協会マネジメントセンター刊、『自己啓発のための知的勉強法』(「知的生産の技術」研究会・編)のp.92に掲載。

