高橋洋一氏に影響され日銀法改正を目論む議員の先生方に理解いただきたい3つのポイント

1. データは頼りにならない

マクロ経済にしても、債券価格にしても何にしても、過去に何をどうしたらこうなったという「データに基づく」提案を得意気に持ち出す山師は、いつの時代も絶えないものだが、真剣にデータと仮説と戦う者なら誰でも知っているように、物事の見方は常に研究の数だけ存在し、そのうち一体どれが未来に向けたアクションを助けるのか、事前に判明しているケースなど存在しない。


特にマクロ経済に関して言えば、どれだけ細かく時間軸を刻もうが、結局のところ我々が体験した歴史しか統計のサンプルとして用いることはできず、そして直近の状況は、控えめに見ても特殊だった。バブル崩壊以降の国内では、バランスシートの体裁を誤魔化しながらも整えようとする中で、物価や預金金利は手元の教科書に記載された例とは著しく異なる低水準を続け、長期金利はこれでもかと長きに渡って一方的に下落した。現場の一線でバリバリの連中に、(一時的でない)国債価格の下落局面を知っている者は誰も居ない。同じ時期の北米や欧州を見ても、サブプライム住宅ローンを引き金に崩壊した「グローバルな」バブルの階段を長く登った好景気と、ピークの向こう側で急落した後には何をしても低迷という、要するに山の形をした一サイクルしか存在しない。


それ以前の、例えば高度経済成長や日露戦争、あるいは江戸時代まで遡ってみたところで、記録ディスクもなかった時代のデータを、ほんのすこしだけ掘り起こすことができたとしても、その信頼性やバイアスも心配だが、それ以前に金融市場もテクノロジーもまったくと言ってよいほど未成熟で、取引の流動性も情報の流動性も、文字通り桁が違う。もちろんバックミラーの中には、ヒントも沢山転がっているものの、だからといって覗き込んでばかりじゃ前方が危ない。


そもそもデータに基づいて、未来に関して意思決定することが常に合理的なら、政治家も経営者も株の予想屋も、計算機に置き換えることで、その仕事の大半はリストラできる理屈になってしまう。そんなことが実際には有り得ないのは、今日の我々と明日の我々は違う。天気や環境だけでなく、常に欲しいものをつくり出し続け、結果の中に問題を発見すれば、また新たなチャレンジを試みる。そうして未来を切り拓くのが人類であって、政治はその一翼を担うはずだ。もちろんデータを活用し、歴史に学びつつも、しかし都合のよいものだけを見ていないか、都合のよい解釈を押しつけていないか、細心の注意を払う必要を、我々は忘れてはいけない。

2. 財政と信用リスク

そうして結果的に、これまで国債には資金が流入し続けてきた。しかしその未来に向かっては、焦点が当たらざるを得ないのは財政の問題である。社会保障支出の増大によって財政に行き詰まれば、借金の返済を遅らせるか、あるいは一部を諦めてもらうか、インチキな手法―インフレーションのことだが―を使って国民に泣いてもらうか、いずれにせよ無い袖は振れない。この20年以上もの間に考える機会は一応あったとはいえ、到底実現するとは思われなかった国債の信用リスクについて、もちろん今すぐに実現するとも考えにくいが、しかし今後も永遠に気にしなくて済む理由など、どこを探しても見つからない。


「あなたのモデルでは、国債の信用リスクをどのように取り扱いますか」


アルファベットの並んだ難しそうな経済モデルの名前をチラつかせる学者には、このように聞いてみたらよい。歯切れの悪い回答だったり、何か誤魔化すような口調だったら気をつけよう。(少なくとも彼のモデルは)未来を見ていない。繰り返すが、いま欧州で揉めているように、これまで買われ続けてきた国債に、今後は財政リスクの観点から焦点が当てられる状況は不可避である。チャートに刻まれているはずのファンダメンタルズは、「当面の事情」によって上書きされていただけだ。そして大事なポイントだが、眠っていた財政リスクが「担当者」の中で目を覚ますとき、国会議員の立場で間接的であれ「財政ファイナンス」に言及するリスクは非常に大きい。法改正によって日銀に財政リスクを飲み込ませることは無論可能だが、飲み込ませたところでリスクを消し去ることは不可能だ。

3. 長短金利を区別する

財政リスクを日銀に飲み込ませて、紙幣リスクの姿に変えることを望む者など居るはずもないのは、それこそ歴史から学ぶべき点だが、そうして長期金利短期金利を区別することは、状況がひっ迫するほど大切になってくる。簡単に言えば、長期金利には普段から財政リスクが上乗せされるわけだ。具体例を挙げるなら、現在も日銀が引き受けているのは短期債だが、しばしば引き受けろと騒がれるのは長期債である。前者はすぐに返す必要のある、要するに決済に伴う一時的な資金繰りで、後者はすぐには返す必要のない、しばらくは横に置いて仕事に専念できる比較的安定した約束だ。もちろん貸す側から見れば、前者には極めて小さなリスクを見ておけばよい一方で、後者はどうしても相手の破綻リスクを気にせざるを得ない比較的不安定な約束である。


いくつかの南欧諸国で実際に起きている、財政リスクによる長期金利の上昇は、よく言われる金融機関の財務圧迫以外にも問題を引き起こす。政府よりもリスクが高い*1と思われている民間の企業は、長期の借り入れに高い金利を要求されてしまう。当然のことながら、社債の発行は滞らざるを得ず、安定した状況でビジネスすることは難しくなってしまう。また同時に、政府よりもリスクが高い*2と思われている個人は、長期の借り入れに高い金利を要求されてしまう。当然のことながら、固定金利の住宅ローンは選択肢から消え去ることになり、安定した状況で生活することは難しくなってしまう。


財政リスクが顕在化する中で、その原因に対処しないまま日銀に国債を引き受けさせれば、紙幣リスクを道連れに*3しつつ、更に長期金利を押し上げることになるだろう。国内外の投資家からは金を借りることが出来なくなりましたと、恥ずかしげもなく高らかに宣言し頭上のシグナルを点灯させれば、あの時*4とは逆に残念ながら、僕は国債を売り浴びせることを、世界中に向けて煽らざるを得ない。覚悟しとけ。

*1:税金を取られる立場にある

*2:税金を取られる立場にある

*3:いずれ短期金利すら引き上げざるを得なくなる

*4:http://d.hatena.ne.jp/equilibrista/20120310/p1