金利政策の四類型

貸したい者と借りたい者がいて、互いに綱引きしつつ貸借が成立するとき、そこに条件としての金利はあるわけで、一連のプロセスに中央銀行は特に必要とされない。にもかかわらず連中は常に介入を続けたがる、そこに存在感を示したがるわけだが、そうして(一時的に)動かされた金利と、動かされる前の、そこにあるはずだった金利との差分を、rdiffと書くことにしよう。観察することは難しいが、もちろん実在している。このrdiffの水準と変化によって、金利政策は大きく次の四つに分類される。

1)悪い利上げ rdiff > 0, drdiff/dt > 0

介入によって金利は、放っておくよりも高い水準にあって、そこから更に高い方向へと誘導を試みる。こうした引締[状態]引締[方向]のアクションを「悪い利上げ」と呼ぶことにしよう。キャッチーであることは大切で、そのためには多少乱暴でも構わない。

| /
+--->t
|


金利が吊り上げられれば、要するに相当儲かりそうでなければ、新たな商売は探られない。カネを預けて寝ていた方がマシだ。こんな手が正当化されるのは、よほど世の中が過熱気味で、政府日銀のみが神のように冷静で正しく、おい待てと、落ち着けと、水をぶっかける場合だろうが、実際のところ、そんな場面は見たことがない。

2)よい利下げ rdiff > 0, drdiff/dt < 0

そうした金利が吊り上げられた状況から、だんだんと介入の手を減らし、自然に任せる方向の、つまり引締[状態]緩和[方向]のアクションを「よい利下げ」と呼ぶことにしよう。キャッチーであることは大切で、そのためには多少乱暴でも構わない。

| \
+--->t
|


貸し手と借り手の綱引きによって、金利の水準が探られることは、言い換えれば、どんな新たな商売を我々は始めるのか、あるいは始めないのか、そうした判断を(政府日銀でなく)我々の全員が行っている状況である。時に間違えることもあるかもしれない。仕方ない。

3)よい利上げ rdiff < 0, drdiff/dt > 0

世界中どこでも、これまで歴史的にも、常に金利は低く誘導されてきた。そうした状況から、徐々に手を放していこうという緩和[状態]引締[方向]のアクションを「よい利上げ」と呼ぶことにしよう。キャッチーであることは大切で、そのためには多少乱暴でも構わない。

|
+--->t
| /


もちろん歴史的経緯は馬鹿にできない。商売にせよ生活にせよ、比較検討するために情報の入手や記録が容易になったのは最近のことで、あるいは強引にでも哲人がインフラ整備を後押しすることが放任よりも優位性を持つほど、かつて我々は貧しかった。ただ、時代は変わる。前に進むのさ。

4)悪い利下げ rdiff < 0, drdiff/dt < 0

一番ありふれた奴だ。介入で押し下げてきた金利を、声のデカい奴に負けて、事実上脅されて、更に押し下げようとする。この緩和[状態]緩和[方向]のアクションを「悪い利下げ」と呼ぶことにしよう。キャッチーであることは大切で、そのためには多少乱暴でも構わない。

|
+--->t
| \


基本的には、もうずっと我々はコレをやってきた。で、神の壁(ゼロのことだ)にまで到達してしまった。しょうもない商売も、低金利で推し進める。それでも足りなくて、更に要らないものを欲しがる。そこら中に脆弱なハコが溢れ、投機屋と無自覚なフリーライダー達は、バカ高いクルマで夜の街を駆け抜ける。


トランプ率いる米国は、今後も3)を続けられるのか、それとも途中で日和って4)に逆戻りか。そんなことを気にする2017年、あけましておめでとうございます。そうそう、微分不可能なのでは、みたいな突っ込みを入れる余裕がある皆さんは、よりキャッチーな表現あったら教えて下さい。