死亡率リスクを弄ぶ

生命保険に使われる生命表が改定される*1そうで、ちょこまかと策*2を施して、要するに医療保険の保険料を上げたいようなのだが、そこはしかし細かい話で、以前に書いた大きな問題*3は依然として変わらないままだ。保険のような仕組みは、それこそ大昔から存在するわけだが、それぞれ皆がいくら払えばよいのか、さほど簡単な話ではない。もちろん詐欺だって少なくないので、どうしたって役所っぽくカルテルっぽくなりながら、これまで皆で工夫して転がしてきた。そうした「死ぬ確率」とカネのやりとりの姿について、今日は鳥瞰してみたい。

1)古より伝わる方法

役所っぽくカルテルっぽくなれば、どうしたって玉は転がりにくく、錆びついてしまう。要するに今回の改定さえ、この古より伝わる方法に含まれるわけだが、簡単に言えば政治が「死ぬ確率」を定めるわけだ。妙なバーゲンセールと結果的な持ち逃げ(つまり倒産だ)のコンボは許さない一方で、お墨付きを与えられた独占的な業者は、やや高めの保険料を取る。もちろん、例えば病気が流行ったり、大きな災害に遭ったり、戦争があったりすれば、死亡が想定を超えてしまう場合は存在し得る。なので「死んだら払う」保険屋が、あらかじめ高めに死亡率を見積もっておくことは、決しておかしな話とは言いにくい。ただ、膨らませないナマの死亡見積もりと、その「すこし高め」に上乗せするプレミアムとは、別にしておいた方が便利じゃないのかと、誰でも考えると思うのだが、計算機のない時代には大変に面倒だった。現在は2017年だが、計算機は安く、そのスピードは尋常じゃないわけだが、いまだに我々は習慣を引き摺っている。

2)証券化する現代

このところ常に世界をリードする米国の皆さんが、割と最近になって画期的なワザを考えた。あらかじめ高めに死亡を見積もって、特に何も起きなければ結果的に余る「だろうと思われる」カネを、事前に売ってしまおうと。当ブログでも以前に書いた*4が、勝負師は納得してリスクを引き受けるわけだし、保険屋は天変地異にビビることなく、また売ったカネを加入者に返せば、八方丸く収まる素敵な仕組みである。似たような別の事例で、貧乏人が住宅ローンを返せなくなったら肩代わりするリスクのバルク売りについては、いまひとつ現場の状況が見通せず、おかしな値段になって結局崩壊したわけだが、人間の死亡を扱う約束について、その情報や、あるいは介入等を含めて、慎重に扱う必要があることは言うまでもない。

3)明日の混沌へ

更に未来を向くならば、しかし沢山の保険契約を一つの箱に押し込める必要があるのかって話ですよ。つまり死ぬ確率と、どうなるかわからない分だけ高めに見積もるプレミアムは、どちらも個々の保険の単位から存在するはずで、さまざまに事情は異なるはずで、それらはバラバラに取引する方が、全体としては安くなって皆幸せじゃないかってのは、例えばコングロマリット・ディスカウント*5を挙げるまでもなく、僕らの愛するCAPMの示唆するところである。で、手前味噌で恐縮なのだが、何でも取引できる仕組みを最近つくって*6みた。僕が来年死ぬかどうかさえ、取引できるモデルですよ。ここで取引価格は、もちろん僕が死ぬ確率をそのまま表現しない。1)死ぬ確率と、2)リスクに要求したい上乗せ分と、どちらも含まれている。これらが、a)需要と供給によって、b)時刻とともに変化するわけだ。どうだい。個々に見てフェアで、全体で見て安い、この望ましいモデルから、我々は逃げることはできない。


もちろん、今日の話の「死」は、例えば「返済」に置き換えることもできる。未来が見えてきたかい。