新潟から・・・。

今日、横浜に、新潟の仮設住宅から電話がかかってきた。
「元気か?今どこにいる?」12月の初めに知り合った、お父さんの威勢の良い声が聞こえる。
しばらく世間話をした後、「前に話してた雪下ろしなぁ、そろそろしたいんだけど・・・」少し遠慮がちにそう切り出した。地震でかしいだ家は、例年よりも早めに雪下ろしが必要になってくる。
今年は3回か4回くらい、雪下ろしをする予定らしい。今回、あたしは5日から新潟入りする予定で2日の雪下ろしには手伝いにいけないが、現地にいるボランティアの人に話をして、人を集めてもらうことにした。雪に慣れている人が2,3人。
それから、前回新潟から帰る日にも別のお父さんが「気をつけて帰れよ」とわざわざ電話をくれた。新潟で出会った沢山の方から「今度(新潟に)帰ってきたらまた顔見せてくれ」と言われた。田麦山で友達になった小学生の女の子からは、「また田麦山に来る?」とメールが入った。
沢山の暖かい人と出会えた新潟。
沢山の大変なことがあった2004年。
あと数時間で新しい年が始まる。今年は「忘年会」はなし。この年を忘れてはいけない。忘れたくない。
新潟のお父さんのカレンダーが、また一日一日、新しい時を刻み始めますように。

2005年、一つでも多くの笑顔が訪れますように。


2004年12月 新潟の太陽

新潟活動レポ

今日も良い天気!みゆきさんと一緒に山へ!
仮設住宅から自宅のある地区まで車で入り、そこから歩いて畑へ。以前は車でいけたらしいのだが、地震によって道が崩落、車が通れるような状況ではない。一部は幅1メートルもなく脇は崩れ落ちているようなところを歩いていく。
見渡す限り、山、段々畑、棚田・・・。そして、崩れ落ちた茶色い山肌。



歩いていくと突然目の前の道が途切れた。何十メートルも下まで落ちている。
向こう側の田んぼには行く術が無く、ひび割れた土の上に刈り取られないままの稲が見える。
崩落した道を埋めるには、この山の上のほうから崩して埋めるしかないと、みゆきさんは言う。
上のほう・・・。みゆきさんの畑のあるこの場所だ。
大きく育った大根を20本以上掘り、厚手の紙袋、ビニール袋にいれ、ロープ一本で、結び目も作らず簡単にうまく背負う。先人の知恵だ。
みゆきさんも何十年もこんな風に背負うことは無かった、車があったから、といいながら、小さな身体で大きな大根を5、6本背中にくくりつけ、しっかりと歩いて行く。都会の若者よりよっぽど力持ちかもしれない。
「そうだそうだ、これがとりたかったんだー」と、シシトウ、ピーマンもとり、ビニール袋に入れてもって帰る。
大豆も一つ一つ鞘から出す作業が残っているらしい。
「12月のこんな時期に山に入れるなんて・・・。まさかこんなに天気がよくなるなんて。生きていれば良い日もあるんだねぇ」
みゆきさんはしきりに言っていた。例年なら11月の半ばに雪が降る前に畑仕事は大体目処をつけて、12月半ばには雪が積もりもう山へは入れないらしい。今年は収穫の前に地震が来て、多くの作物がまだ畑に残ったままだ。
車も入れない場所で人手もないお年寄りは、毎日少しずつしか収穫できない。ボランティアに頼める人もいるが、遠慮してしまって頼めないという人も多い。採ったところで、狭い仮設住宅では置く場所も無いのであきらるしか無い人もいる。
みゆきさんも、畑にいけない人にやろう、とか、あんたたちが食べてくれるなら持って帰って、と言ってくれた。
家から仮設住宅へ帰ろうとしたとき、みゆきさんちのお父さんが何かを持ってきてくれた。たった今、山から採って来てくれたふきのとう。とれたての大根にとれたてのふきのとう。ものすごく贅沢だと思う。また色々なものをいただいてしまった。
お父さんは重機を扱う仕事で震災後は特に毎日忙しく、昼間仮設住宅にいることは無かったのでお会いするのは今日が初めてだったのだが、やっぱり新潟の方は暖かい。

とれたての大根はとても甘くておいしかった。
ふきのとうは、やっぱりてんぷらかな。

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晴れ!サンタクロースプロジェクトの実行日、気温は低いものの、数日前の天気予報ははずれてくれた。
くりぞうさんたちと打ち合わせの後、集会所へ。スタッフの方も集まり、準備開始。
午前中は昨日とまた別の方たちが集会所前で餅つきをしていて、今日もにぎわっていた。
この仮設住宅にはかわるがわる全国から色々な人たちがきて、何かイベントを行っていくようだ。
子供たちは開始前から集まって、小生意気な小学生の男の子も「おう!えり!きたぞー!」と元気いっぱい。クリスマス会は最初から大盛況!沢山の子供たちが集まり、沢山の笑顔を見ることが出来た。
オリジナルTシャツ作り、缶バッヂ作り、クリスマスツリー作り、わたあめ、フリスビーゲーム、ミニバスケットゲームなどなど、くりぞうさんたちの色々な企画で子供たちはとても楽しんで、集会所の中も外もにぎわっていた。途中、東京からよさこい踊りもやってきて、集会所の外でさらに盛り上がった。
最後にはアトラクションなどで集めたスタンプをもとに、全員にクリスマスプレゼント!
並べられたプレゼントに身を乗り出して覗き込む子供たち。作ったTシャツや缶バッヂと一緒に、うれしそうに抱えていた。
  

この仮設住宅にはいくつかの避難所から、地区ごとにまとまって入居している。
避難所で一緒だった子供たちだけではなく、仮設住宅で初めて会う子供たちもいるこの場所で今まで子供たちを対象にしたイベントは無かったので、今日のクリスマス会で初めてお互いに顔をあわせる子供たちの交流の一助になれたのではないかと思う。
くりぞうさん率いるサンタクロースプロジェクトの方々、本当にお疲れ様でした!
このイベントに参加できてよかったです。
そして、このイベントのためにご協力いただいた中越元気村の方々、AVN、百尺竿頭の安部さん、社会福祉協議会の方々、全国から応援してくれてる方々、参加してくれた子供たち、仮設住宅の方々、皆様本当にありがとうございます!!
これからも一緒に頑張っていきましょう☆

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朝8時に元気村へ。小林さんとさおりんさんは小千谷市のボランティアセンターへ。今日は安部さんも合流する。
くりぞうさんとの打ち合わせの後、埼玉から民間のボランティア団体が元中子仮設住宅でもちつきをしに来るということでそのお手伝いへ。
もち米を蒸す良い香りに誘われて、住民の方々も集まってきた。(写真1)
埼玉から自分で漬けて持ってきたという白菜の漬物と、柚子、たくあん、焼き芋なども振舞われ、なんとか天気ももっていた。
子供たちは、「クリスマス会は明日だよね!」と、楽しみにしてくれているようだ。

写真1

見渡しても前回来たときにお話をしたお母さんがいなかったので、出来たてのおもちをもっていってみることにした。
一人暮らしのおかあさんはどうやら山へ行っているようでいなかったが、みゆきさんというお母さんは近所の方とお茶をしていた。
みゆきさんの部屋にはいつ行ってもお客さんがいるような気がする。村にいるときから、みゆきさんの家は人が集まる場所だったらしい。
それは人柄がとても暖かくて、仮設住宅の箱のような部屋でもみゆきさんのところならとてもくつろげるからだと思う。
おもちを持っていくと、「まぁあがれあがれ!」と家に招き入れられ、お茶をいただき、あたしまでくつろいでしまった。
今日はNTTから電話の取り付けに来ると言うことで、山にはいけず朝から待っているのだと言う。
電話の設置について、「なんかあってもわからんからちょっといてくれろ」ということで、お茶をいただきながら一緒に待つことに。といっても、何かあってもあたしもわからないかもしれないのだけど・・・。
近所のお父さんの作った真鯉の稚魚(お父さんのところで育てている鯉)の佃煮とか、自分の畑で取れた野菜の漬物、みゆきさんの家で作っている魚沼産コシヒカリ(はざかけ米)、などなど、お金では買えない、どこにも売っていないものを色々と出してくれて、「どこに泊まってる?風呂はあるのか?寒くないか?うちに泊まってけ」とまで。
前回、ヨトさんという一人暮らしのお母さんにも同じようなことを言っていただいたことを思い出す。
ヨトさんは息子さんしかいないので、「やっぱり娘の方がいいね」と言っていた。
最初はお茶出しなどあたしが手伝おうとすると「いいから座っとけって」と言っていたみゆきさんだが、そのうち新しいお客さんが来ると「ほら、うちの嫁になったんだから接待して」と(笑)。いつの間にか嫁になったらしい。なんだか嬉しかった。
ボランティアと被災者、ではなく、人と人として関わっていく中で、助け合いができたらな、と思う。
今日は、ボランティアとしては片付けの手伝いなど何もできずにみゆきさんにお世話になりっぱなしだった。負担になってしまわなければ良いのだけど・・・。
このことは、個人としても、ボランティアとしても、忘れない。
明後日、晴れたら一緒に山へ連れて行ってもらうことになった。畑の野菜を採りに行ったり家の片付けを手伝いに行こう。

夜、中越に住む二人も越路に来てくれて、また色々な話をした。夜中まで話しは尽きない。

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朝小林さんの車で東京を出発した。今回の同行メンバーはえり、小林さん、さおりんさんの3人。
昼過ぎ、湯沢では雪がぱらついていたが積もるほどではなく、関越自動車道でもチェーン規制などは無かった。
空気が冷たい。東京の寒さとはどこと無く違う気がした。
中越元気村についたのは2時ごろで、サンタクロースプロジェクトの打ち合わせなどを行い、後は前回来たときに途中だった仮設住宅の入居者把握のお手伝い。5時過ぎには元気村を出て、越路町へ。
越路町への移動の途中、サンタクロースプロジェクトの実行場所である元中子仮設住宅集会所の使用の件で朗報が入り、本来なら 15時からしか使用ができなかったところを、AVN新潟、百尺竿頭のメンバーと、社会福祉協議会の本田さんのご協力により、 12時半から準備、13時開始で使えるようにしていただいた。
13時からの使用をほとんど諦めかけていたときの、本当にありがたい朗報だった。

明日からのことを考える。週末の天気予報は雨。
18日はくりぞうさんが元気村へ来るのでサンタクロースプロジェクトの下見、打ち合わせ、準備などをして 19日は一日クリスマスおたのしみ会、20日の午後には小千谷を出て東京へ帰る予定。
限られた時間でどれだけのことが出来るだろう。
夜、これからのAVNのこと、活動について、クリスマス会について、ボランティアということについて、色々と考えていたけど、今、新潟にいてもできることはわずかしかない。僅かしかないけど、できることはある。
だから、とにかくできることをやっていこう。

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11月13日、仮設住宅での入居者把握。
200戸以上ある住居のどこに誰が入居しているのか、独居老人の家はどこか、子供の数は、などなど。住民の方も、いまだに全体の名簿などが無く、隣の地区の誰がどこに住んでいるのか、などがわからない状態のようです。地区ごとの名簿はあるのですが、人数や家族構成はわからないし、個人情報なので簡単には市からは入手できないので、ボランティアにとっては住民の方に協力していただいて調べていくしかありません。
しかし、ボランティアを拒否される方もいるので、全部の把握はとても難しいです。まだまだ時間をかけて、住民の方々に理解をしていただきたいと思います。
新潟は昼間でもとても寒かったです。一日雨が降り続いたりもしていました。でも、雪はまだです。
お一人で住んでいる高齢者の方は、雪が降らなくてありがたい、と言っていました。雪が降ると山にいけないから。
雪の前に、山に置き去りにしてきた野菜を毎日少しずつとりに行ったり、家の片付けをしに村に帰ったり・・・。仮設住宅を朝7時半に出て、夕方まで一日、まだ水道の復旧していない村で過ごされています。
晴れた日は特に、多くの人が昼間は村へ帰っています。
でも、仮設住宅じゃぁ畑の野菜とってきても置く場所ないから、仕方なく使う分以外は放置してきて、もったいねぇなぁ、せつねぇなぁ、とつぶやいていました。
ボランティアの人たちが食べてくれるなら、一緒に山行ってもってってくれ、とも言われました。
無駄にしてしまうより、せっかく手塩にかけて作った野菜ですからおいしくありがたくいただきたいなと思いましたが、今回は時間がなく山へはいけなかったので、次(17日〜)は、一緒に村に入って畑行ったり、家の片付けを手伝えたらいいな。
雪がこいや、水害でのドロのかきだしがまだのところもあります。
やることは、まだまだ山ほど・・・。
雪が降る前に。

明け方、4時前。小千谷ICについた。前回より確実に寒くなっている。
まだ暗い中、中越元気村に向かって歩き始めた。
車は何台か通っているが、さすがに人は全然歩いていない。すれ違ったのは、新聞配達の自転車と、どこへ向かうのか、60歳くらいのお父さんだけだった。
今回も1時間くらいかかり、しかも2回目なのにまた迷い、途中一つだけあった24時間営業のコンビニでとろけるチーズとウインナー、豆腐を買い、なんとか元気村に到着。
もちろん誰も起きていないし、どのテントに誰が入っているかわからないので、ストーブをつけていすの上で一人うとうと・・・。やっと明るくなり始めた頃、なんとなく人が起きだしてくる気配があったので、買ってきたものでみんなの朝ごはん用に一品おかずを作る。といっても、ただの豆腐とチーズとウインナーの入ったスクランブルエッグなんだけど。。。大皿2つ分できたが、あっという間にみんなが食べてくれてよかった。

今日の活動としては、主にまごころ市での、無料フリーマーケットだ。
全国から送っていただいた家電製品、生活用品、キャンプ用品などを、住民の方に無料でもって行っていただく。魚沼水産の駐車場を借りて、このフリーマーケットを行い、その敷地内ではシャボン玉パフォーマンスや、ガーナの音楽隊、全国からの音楽隊などが一日パフォーマンスを行う。

11,12日の二日間行われるこのイベントは、昨日はどうやら悪天候だったらしいが、今日はよく晴れて、とても気持ちよかった。子供たちの吹いたシャボン玉も陽の光を受けて、きらきら光りながら舞い上がる。

家電製品は抽選会、じゃんけん大会などで振り分けられ、生活用品やキャンプ用品は早い者勝ちでなくなっていく。

今回、あたしは生活用品の場所で店番をしていたのだが、長靴、靴、韓国のり、飴、タオルなどなど、とても人気であっという間に売り切れた。

それから、後から住民の方から聞いた話では、「水」も必要とされている。
というのは、仮設住宅ではもちろん水道は出るが、今まで井戸水を飲んで来た方々にとっては水道の水はカルキ臭くて飲めたものではないのだという。村でも、水道水は洗濯や食器洗いに使って、飲料水は井戸水を使用していたので、仮設住宅に来て水道水を飲んだらすぐに体調を崩してしまったらしい。
ただでさえなれない場所でのなれない生活、疲れ、寒さ。
これからも沢山問題点は出てきそうだ。

無料フリーマーケットの途中、音楽にあわせてみんなで踊った。住民の方もボランティアも、言葉のわからないガーナの音楽にあわせて、手拍子をする。手をつないで、身体を揺らす。それだけで、子供たちも笑顔になる。
仮設住宅への引越し前日、避難所でのお疲れ様会でずっと複雑な顔をしていたお父さんの笑顔も見ることが出来た。