エロ本編集者の憂鬱と希望

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2005-04-13

松岡圭祐ミッキーハウス憂鬱』(新潮社)を読む。→(bk1)

ミッキーマウスオリエンタルランドもディズニーランドも出てくるのに、「この物語はフィクションです。実在の団体名、個人名、事件とはまったく関係ありません。その為、実在しない名称、既に廃止された名称等が含まれています。」と完全に開き直るところが素敵だね。ディズニーランドで準社員として働く後藤君の憂鬱希望の物語。おお、この日記にふさわしいタイトルだね。ここはぜひ『ミッキーマウス憂鬱希望』としてほしかった。後藤君も、ミッキーを演じる久川も門倉も、最後希望を感じるラストなんだから。

最初はディズニーランドの内幕暴露小説と読んでいた。ディズニーランド関係者は、かたくなにミッキーマウスが着ぐるみだということを認めないし、ディズニーランド内部のことを語りたがらない。こんなに秘密主義的な企業が存在するということが驚きなくらいに、ただのバイトの友人たちまでしゃべらないのに僕は驚いたことがあるが、それがあからさまに暴露されちゃうんで、面白いんでしょ、という興味で読んでいたわけだ。確かに、それはなかなかに取材しているんだろうし、裏側が知りたい覗き見趣味的な欲望は満たされた。ところが、それだけではなかった。文章が青臭すぎて、物語にまったく入り込めなかったんだけど、不覚にもちょっと感動してしまったんですよ。ショーとパレードでは、演じるミッキーの中にも序列があって、ショーミッキーのほうが偉いわけです。ショーミッキーを演じるのは門倉で、パレードミッキーを演じるのは久川。しかし、ショーミッキーの着ぐるみが紛失した関係で、パレードミッキーの着ぐるみでショーも行うことになった。パレードミッキーの着ぐるみには、身長の低い久川しか入れない。そこで、久川がこの機会にショーミッキーの座を勝ち取ることになった。当然門倉は面白くない。そこにショーミッキーの着ぐるみ発見の報が入る。ショーミッキー救出に向かおうとする久川に、門倉がかける言葉。


「わかった」門倉は久川をじっと見つめた。「久川。おまえは世界で二番目に優れたミッキーマウスだよ。俺に次いでな」

久川も思わず笑いをこぼした。「そうか。てっきり逆だと思ってた」


男くさい青春で、なんだかいいじゃないですか、皆さん。これはこれで結構楽しめる小説だったのだけど、もうひとつ考えるとすれば、今小説で「労働」を描くことの必要性である。『ミッキーマウス憂鬱』では、準社員として、正社員とはまったくやらされる仕事内容が違うフリーターみたいな人たちが主人公として設定されていて、その労働の面白くなさ、未来のなさ、生産性のなさが徹底して描かれる。だけど未来はあるし、やりがいはある、ということでこの作品は終わるんだけれど、現実的にはそれは楽観的過ぎる結末である。こういう風に安易に回答を示してしまうのではなく、現在における僕たちの労働について、そこにある「憂鬱希望」を描く小説が、僕は今最も求められていると思う。純愛もどうでもいいし、自分探しもどうでもいい。僕たちのやりがいのない労働、その現実を描きながら、そこにある現実の肯定感の萌芽のようなものを感じさせる、そんな小説が現れないだろうか。実は、この分野には漫画で非常に先進的な作品があったりする。『ヤングマガジン』(講談社)連載のきらたかし赤灯えれじい』と、『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)連載ののりつけ雅春『中退アフロ田中』である。『赤灯えれじい』は、道路工事のバイトをする男とガソリンスタンドで働いたりする女の同棲生活を描いたものだが、この何も起こらなさ加減はいい。二人ともまったく未来のない、労働に喜びを見出すこともない仕事に従事しているわけだが、そこにある二人の生活を肯定し、どうなるか分からない今を生きている。『中退アフロ田中』は、高校を中退してしまって何もやることがない田中を中心とした漫画だが、これもあんまり何も起こらない。この漫画では労働そのものも放棄されている感じがあるが、現在の労働ってものを考えるにはうってつけである。フリーターニートという言葉がここまで蔓延し、多くの人間がその位置にいることを自覚し、そのまま生活できている事態が何を示すかといえば、現在の日本社会において、労働とはすでに趣味の領域に達しているということだ。金を得るため、飯を食うためしなくてはならないものではなくて、しなくても何とかなるから、まあしたい人はするしなあ、という適当なもの。既に多くの人にとって、特に僕たちの世代にとって労働とはそういう位置にまで来ている。だから田中はすぐに仕事を辞めてしまっても、そのまま生活できるわけだ。いつでも辞めてしまっても何とかなる、ということは雇用する側にとってはいつでもやめてしまってもいいレベルの労働しかさせられない、ということだ。かくて『赤灯えれじい』の二人は、後藤君はやりがいのない仕事をし続けることになる。でも、それが単純に悪いことで恥ずべきことなわけではなく、『赤灯えれじい』の二人の生活は、今最も美しい生活になっている。このような労働のあり方を、小説はもっと書かなきゃダメだと思うんだよね。僕たちにとってリアル小説ってのは、ガソリンスタンドやらコンビニやらでちょっと働いて、吉野家でメシ食って、ちょっと豪華な食事をするときは牛角で奮発して、笑笑で酒飲んで、眠くなって、ていうようなもんでしょ。この何のドラマもない日常を、それこそ保坂和志金井美恵子の筆力で描ける作家が現れたら、後は何もいうことはない。そこに、おそらく僕たちの新しい言葉が眠っているはずなんだ。

onanieonanie 2005/04/13 18:03 中村航『ぐるぐるまわるすべり台』に収録の「 月に吠える」はなかなか良かったと思います。

erohenerohen 2005/04/13 23:50 おお、それはノーチェックでした。ありがとうございます。読んでみます。

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