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『別冊カドカワ 総力特集 失われた詩人としての秋元康』(角川マーケティングパブリシッシング)を読む。
プロデューサーとしての秋元康ではなく、詩人としての秋元康を探ろうという企画なのだが、周辺取材でも本人取材でも「やっぱり秋元康はプロデューサー」という声ばかりが出てきてしまって編集スタッフ困惑、というのが伝わってくる一冊。しかし、秋元康の基本的なスタンスが伝わってきて面白い。秋元康自身は、こう語っている。
いや、この『別冊カドカワ』の特集のタイトルは面白いと思うんだけど(笑)、自分で自分を詩人だと思ったことはない。やっぱりプロデューサー的な資質のほうが高いですよ。プロデューサーとして、どういう歌を作るかってところから始まって、それから作詞家・秋元康に発注する感じ。この2つはもう、ハッキリ分離している。だから極端な話、“これは(詞が)僕じゃないほうがイイかも”ってこともある。現に次のDiVa(AKB48の別ユニット)で、小室(哲哉)さんに曲を書いてもらったんだけど、あのグルーヴに乗るのは小室さんの詞だなあ〜って思って本人に書いてもらった。その辺はプロデューサー的な判断なわけです。
さらに、特集の中で是枝裕和や蜷川実花が秋元康のことを語っているのだが、プロデューサーとして、各クリエイターにすべて任す、という態度が一貫していることが知れる。
蜷川実花は、『ヘビーローテーション』であの下着姿のジャケット写真とPVを手がけたのだが、そのときのことをこう語っている。
女だから撮れる感じで、下着姿だったり、枕投げをしたりイチャイチャしてる感じを出したいって。『もしかしたらホッペにチュウとかもいいかな?』とかモジモジしながら言っていたら『あ、全然いいですよ。やってください』って言われて。『蜷川さんがここまでやっていいのかなって思っている以上にやっていいです』っておっしゃったんです。それはさすがだなって思いました。どんな監督さんにも秋元さんは『とにかくお任せします』っておっしゃるそうなんですけど、それだけじゃなくて、私がモジモジしているところも一瞬で見抜かれてたんです。そして『全部やっていいです』って、背中を押してもらえた。
是枝裕和は、『桜の木になろう』のミュージックビデオを監督したのだが、その際も同じようなエピソードがあったという。
まず驚いたのは、全部任せるって言われたこと。普通だったら、『今回はこういう歌で、このコをフィーチャーしたいから、こういう話にしてほしい』とかあるのかなって思ったんです。いくらなんでも、何らかの指定はあると思った。でも、それもまったくなかった。誰でもいいって。一応歌っているメインはこの16人なんだけど、別のコを選んでもいいと。もっと言えば、AKB48のコが出ていなくてもいい。別の役者で作っても構わない、と。話も全部任せるから、好きにやってくださいって。とにかく一切口出しはなかったです。
このプロデューサーとしての態度。アイドルが所属する各事務所に一切確認なんかとっていないだろうが、下着だろうがキスしようが全然構わない。ミュージックビデオに誰もAKBが出ていなくても構わない。プロデューサーである俺が任せたクリエイターがやりたいことをやらせる。アイドルサイドも事務所サイドも関係ない。プロデューサーである俺が決めれば、そうなる。その自信と自負が、各クリエイターへの「お任せ」につながっている。AKB48という日本最大のアイドルグループにおいて、その地位を築いた秋元康の凄みを感じるではないか。
そしてもう一点の面白ポイントは、AKB48の各メンバーが秋元康について語っている言葉である。
指原莉乃「秋元先生は女の子の気持ちがわかる歌詞を書けるのがすごいですね」
板野友美「秋元先生に詞を書いていただけるとしたら、こんなんだろうなって想像を書いてもらってそれを読みたいです」
大島優子「秋元先生は男性なのに、思春期の女の子のちょっと背伸びしたい気持ちを描くのがとても上手だなって感じました」
高橋みなみ「秋元先生の歌詞は、多重人格なんじゃないかって思うほどいろんな人の気持ちが入っていて、メンバーとも「これ本当に秋元さんが書いたのかな」って話題になるほど幅が広くていつも驚きます」
松井珠理奈「秋元先生の歌詞は何かにたとえてるのがとても上手いと思います」
横山由依「秋元先生とはあまりお話したことがないのですが、ソロ曲を書いていただけるのなら、等身大な感じがいいです」
松井玲奈「秋元先生の歌詞は、こいびと同士が仲がいい時の歌って少ない気がします」
篠田麻里子「秋元さんはそのとき私達に伝えたいメッセージを歌詞にして伝えてくれるんです」
前田敦子「秋元さんが私たちに書いてくださる詞は、いつも私たちの背中を押してくれます」
お気づきだろうか、ほかのメンバーみんなが「秋元先生」と呼ぶ中、篠田麻里子と前田敦子だけが「秋元さん」とさん付けで秋元康を呼ぶのだ。この二人だけ、というところにたまらないリアリティを感じるのは、僕だけだろうか。