江須かるごの書庫

2011-11-13

新暦224年1月7日 PM1:30 レオナルド・T・バンスタイン

 俺は研究室に呼び出され、ワトソン大佐と二人きりになった。恐らく、「大尉とムツキの親睦を深めさせる」というのはただの名目で、人払いが本来の目的だろう。それは大尉やナオミ、そしてムツキ自身に聞かれては困る話をこれからするということを示していた。
「バンスタイン少尉。君はどう思う?」
「何がでしょう?」
「フジワラ・ムツキだよ。君の論文を読んだが、CB因子の持ち主は須らく”神隠し”を起こす可能性があるという。しかし君の論文では神隠しによって対象がテレポートする先については述べられていない。量子論専門家として、フジワラ・ムツキは、どの程度のテレポーテーションが可能だと思うのかを聞きたくてね」
 予想通りの質問だった。軍がCB因子保持者に関する研究…すなわち、ムツキを見つけ出す活動をサポートして来たのは、恐らくその軍事利用(もしかすると、もっと別の目的があるのかも知れない)を狙ってのことだろうからして、この質問は当然だった。
「正確なお答えは出来かねます。データが不足していますからね。理論的には、同じ三次元上の認識可能な範囲であれば、確実でしょうが」
「そうだな。だが、神隠しという現象自体が、それ以上のテレポートが可能であることを示している」
タイムトラベルが出来るかどうか、ということですか?」
「そういうことになる」
「それは――イエスとも言えますし、ノーとも言えます」
「どういう意味かな?」
「そのままの意味です。テレポートする先の時空座標を認識可能であれば、おそらく過去や未来へのタイムトラベルは可能でしょう。ただし、エヴェレットの多世界解釈に従えば、「フジワラ・ムツキが未来からテレポートして来た」という事実の加わった並列世界が新たに生まれ、この世界には「フジワラ・ムツキが消えた」という事実だけが残る」
「出来たとしても無価値であるという点で、君はノーだと考える?」
「その通りです。加えて、我々は未だに、間接的な方法でしか時間を測る術を持たない」
 俺は肩を竦め、ワトソン大佐の表情を伺った。穏やかな笑みに変化はない。それが逆に、空寒いものを感じさせる。
「だが現実として、フジワラ・ムツキは同じ三次元上に移動するのではなく、この世界から”消えた”。君はこれをどう考えている?そもそも、君は”どこから”、フジワラ・ムツキを探しだした?」
「大佐は、ホワイトノイズというものをご存知ですか」
「サー、というあれかい?」
「そうです。全ての周波数が同じ強度となるノイズ
「それがどうかしたのかね」
「何かお飲みになりますか?」
 口の中が乾いてきた。俺は移動して、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。コーヒー香ばしい匂いが立ち上り、プラスチック製のカップにコーヒーが注がれる。
「いや、結構だ。説明を続けてくれ」
量子論においては」俺はコーヒーを啜り、口の中を湿らしてから話を続けた。「宇宙というのは重なり合いの不確定な状態で成り立っており、観測されることによって確定されると定義されています。宇宙の本質は零であり無限。ありとあらゆる可能性とありとあらゆる存在が渾然一体となったものです。生きている猫と死んだ猫は、箱の中に同時に存在する」
シュレディンガーの猫、か。それとホワイトノイズにどのような関わりがある?」
「ホワイトノイズに耳を傾けていると、あらゆる音を聞き取ることができます。現実にはそれは錯覚ですが、「観測」であることに変わりはありません」
「つまり君は、「ホワイトノイズ」から「フジワラ・ムツキ」を観測したと?」
「肯定です。まあ、10年もかかりましたが」
 俺はもう一度、肩を竦めた。奇妙な沈黙が訪れる。
「結局のところ、フジワラ・ムツキはどこに移動した?」
「さあ。それは私にもわかりません。並列世界に移動したのかもしれない、遠い過去や未来に移動したのかもしれない、あるいは」
「あるいは?」
「宇宙の中核。重なり合いの世界。シュレディンガーの箱の中」
 突拍子もない話だが、実際のところ、俺はその可能性が一番高いと考えていた。”あの日”のムツキが、過去や未来に移動したいと思う精神状態であったとは考えにくい。
 俺はもう一度コーヒーを啜る。この男と対面していると、奇妙なプレッシャーを感じる。この男は、不気味だ。どこか、空虚なのだ。深く関わるのは危険だと、直観が告げている。
「もしそうだとして、シュレディンガーの箱の中で、彼は何を”見た”のだろうな?」
「それは彼にしか分からないでしょう。ことによっては、彼自身にも分からないかもしれない」
「どういう意味かな?」
「今この世界にいるフジワラ・ムツキは、あくまでこの世界で”観測”されて来たフジワラ・ムツキだからです。彼自身の認識も含めて」
「箱の中で何かを”見た”フジワラ・ムツキとは別個の存在であると?」
「肯定です」
「だが、それもあくまで可能性の範疇なのだろう?」
「肯定です。ムツキ自身が話さない限り、それを確かめることは出来ないでしょう。そして、それが本当に”箱の中”の出来事であるかを確認する術を、我々は持たない」
「つまり?」
「聞くだけ無駄と言うことです」
 ふむ、と大佐は腕を組んで考える仕草をした。ああ、そろそろプラスチック製のカップが空になる。
「しかし、10年か。何が君をそこまでフジワラ・ムツキを執着させる?」
「それについては」俺は、コーヒーの最後の一口を飲み下す。「お答えしかねます」
「何故?」
「プライベートな事柄なので」
「君は、ゲイなのかい?」
「まさか」
 笑って否定する。俺がムツキに執着していることは否定しないが、それは恋愛感情ではない。ムツキの裸など何度も見ているが、少なくとも劣情を催したことは一度もなかった。
「私は実に興味があるんだがね。君自身はもちろんだが、君ほどの人間を、そこまで惹きつけるフジワラ・ムツキという人間に」
 微笑と共に向けられたその言葉に俺は沈黙を返す。カップは、既に空になっていた。

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