トラウマとコンピュータウイルス

ウイルスというのは、コンピュータの中のプログラムを書きかえるプログラムです。初期のワクチンソフト(ウイルスを検出したり除去したりするソフト)は、プログラムを書き換えた痕跡を探ることで、ウイルスの存在をチェックしようとしました。プログラムを書きかえるといっても、そのプログラムが正常に動作しなくなっては、すぐユーザにウイルスの存在を悟られてしまいますから、本来の動作を残したまま、余計な動作を付け加えます。従って、必ず書き換えられるとファイルのサイズが大きくなるのです。だから、最初にコンピュータの中のプログラムファイルの大きさをすべて記録しておき、後で定期的にこの記録と現在のファイルのサイズを比較すれば、書き換えられたファイルがわかるのです。普通、プログラムファイルというのは書き換えられるものではないので、ファイルの大きさが変化した、ということはウイルスにやられている可能性が高いということになります。

ところが、この方式はうまくいかなくて、使われなくなりました。現在のワクチンソフトは、この方式はほとんど使っていません。

なぜだめかというと、次のような理由です。ワクチンソフトが、プログラムのファイルのサイズを知るためには、OS(正確に言うとカーネル)に依頼する必要があります。ワクチンに限らず、全てのソフトは実は、ファイルの読み書きから通信から、たいていの処理は自分で行わないでOSに依頼するのです。ところが、ウイルスの中には、このOSを乗っ取ってしまうものがあるのです。最初に「ウイルスはプログラムを書きかえる」と言いましたが、OSも基本的にはファイルに収められたプログラムですから、書きかえることは可能です。というより、現在のウイルスはOSを書き換えることで、OSの中に住みついているのです。

だから、ワクチンがプログラムの書き換えを調べようとして、OSにファイルのサイズを問い合わせた時に、ウイルスはそのやり取りを横取りしてしまうのです。そして、OSに嘘の報告をさせます。自分が感染する前のファイルサイズをワクチンに報告させるのです。ワクチンは見事それに引っかかってしまい、ウイルスがいることに気がつきません。

トラウマというものがこころの中に住みついた時も、これと似たようなことが起こります。プログラムにOS(カーネル)と普通のアプリケーションプログラム(ワープロやメモ帳のような普通のプログラム)があるように、感情や思考も意識と無意識に分かれています。トラウマは無意識の領域に住み着き、ウイルスと同じように意識から自分の存在を隠すのです。

例えば私は、喫茶店や飲み屋で大声がすると心臓がドキドキして、突然、店を出たくなることがあります。小さい頃に父親がアルコール依存症で家庭内で暴れたりすることがあると、それがトラウマになり、そのような問題が起こることがあるようです。私の場合は、それにはあてはまらない所もあるのですが、一定の条件が成り立つと、いてもたってもいられなくなりどうしても店を出たくなるのです。

そして、不思議なことに、そういう時は自分が出たがっているということを認めようとはしないのです。学生の頃、デートをしていてそれが起きた時は、「君はこういう店は嫌いだっただろ、だから、もうこの店を出よう」とか言ったりしました。言うだけでなくて、本気でそう思い込んでいたのです。相手は、そんなことは言ってないので不思議がったり怒ったりします。しかし、私は「あの時確かにこういうことを言った」と、あくまで相手がこの店を嫌っていたり出たがってると思い込み主張しました。これが元でずいぶんひどいケンカになったこともあります。

これが、実は自分自身が恐くて出たがっているんだ、と気がついたのは10年以上たってからです。ちょうど、ウイルスがOSを操作して自分自身の存在を隠すように、トラウマは無意識を操作して自分自身の存在を隠すのです。自分の恐怖を否定したり、恐怖自体の存在を認めてもその対象を別のものに移して、他のものを怖がったりします。

コンピュータウイルスにもいろいろあって、感染はするけど何もしなかったり、画面にちょっと怪しげなメッセージを書くだけで終わる無害なものから、ファイルを消去したりBIOSというコンピュータの最も基本的な動作をつかさどる重要なデータを書き換えて、コンピュータを全く使えなくしてしまうものもあります。トラウマも同じで、私の場合のように彼女とケンカするだけですむものから、自分自身を消去(自殺)するものまでいろいろあります。(私の場合は、他にもいろいろあって全く無害なものばかりではないのですが・・・)

ただ、トラウマの重要な性質として「自分自身の存在を隠す」ということは共通に持っているようです。そのため、自分の意志の力だけで直すことはなかなか難しいのです。 OSにすみついたウイルスを除去するのに、いくらアプリケーション(目に見える意識)をいじってもだめです。こういうのに対処するには、OS(無意識)に働きかける必要があるのです。トラウマをかかえて人自身もその回りにいる人にも、このことは知っておいたほうがいいと思います。