正確さを求めるな!

織田信長比叡山の坊主3000人を丸焼きにしようとした時、必死で諌めたのが明智光秀である。しかし、光秀は信長の基本方針に異議を唱えたのではない。基本方針をよりスムーズに遂行するために、ちょっとだけまともな坊主を助けようとした。 3000人か2990人かというほんの微妙な違いであるが、ここに加藤鉱一みたいな優等生タイプの陥りがちな典型的な間違いが見られる。ソフトランディングでは絶対に改革は成し遂げられないんだよね。

信長の方針とは簡単に言えば政教分離である。当時の坊主は(もと言うべきか)、生臭い奴が多くて大名同士の喧嘩に妙にからんでくる。それで金や領地を得るあっせん利得罪野郎なのだ。問題なのは、負けた大名についても損をしないようにできていたことだ。失敗した時に限って、*宗教*人であることを隠れみのにして逃げる。権限と責任が一致してないことが問題なのだ。シンプルで風通しのよい政治を目指してた信長にはこれが許せなかった。

光秀は心情的には抵抗があったかもしれないが、基本的にはこの信長の方針に従って仕事をしている。この前もこの後もそうだ。だから異議を唱えたのは、皆殺しがこの施政方針の妨げになると読んだからだろう。つまり、比叡山の中にも改革派がいるからそれを助けようとしたんだろう。だけどここで正確さを求める所が加藤鉱一的なんだよね。

旧世代の権威である比叡山のような所はいろいろなコネが化物のようにからみついてくるものだ。だから、いくら改革派を厳選しようが組織としての比叡山を残しておいたら、結局はそのコネが比叡山を動かしてしまう。信長が改革を進めれば進める程、はじきだされた既得権益を持つ連中がこういうとこに群がってくる。だから、組織を一旦つぶすしかないんだよ。

江戸時代の日本は文化的にも経済的にも当時の世界では圧倒的に進んでいるし安定したいい国だった。信長がソフトランディング路線だったら絶対こうはならなかったと思うよ。