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2005-08-10

岡田代表の「話し合い絶対主義」

「中国の許可を得たんですか?」というAAをあちこちで見たので、ちょっと調べてみました。第162回国会 予算委員会 第22号(平成17年6月2日(木曜日))の岡田代表と小泉首相の靖国参拝に関するやりとりがモトネタのようですが、ここでの岡田さんの発言は、だいたい以下の発言に集約されます。

どういう解決の仕方があるか、私は二つ申し上げましたけれども、私はあなたに、靖国に行くのをやめるべきだと一回も言っていませんよ。自分がその解決策を見つけるべきだ、その責任があなたにあると言っているんですよ。それがない。このまま放置する。それはいつかはなんて言われますが、本当に今重要な局面で、日本にとって、日中関係、日韓関係あるいはアジアの関係、そんな時間はないんですよ。だから私は、それならあなたはやめるしかないというふうに申し上げているわけです。

私が申し上げたのは、総理御自身がみずからの信念を貫いて、そして、そのことについてアジアの国々に説明をして理解をされる、それだけ説得する自信があるのなら、それも一つの考え方だ、一つの答えだと申し上げたんです。しかし、それができないのなら、それは総理御自身が行かないか、やめるかしかないんですよ。

これを「許可を得たんですか?」とまとめるのは、ちょっとやりすぎだと思いますが、「説得して相手が納得しない限りやめるべきだ」とは言ってますね。

引用が前後しますが、これに対する小泉首相の回答は、以下のような感じです。

それは、靖国参拝に対して意見の相違はございます。しかし、全般的な日中関係を考えますと、今までにない日中経済の交流は深まっております。交流も拡大しております。

私は、一時的な一部の意見の対立が、日中全体の友好関係というものを考えれば、そういう意見の一部の対立を乗り越えて、日中友好関係の重要性をお互いが認識すべきだと思っております。

そして、小泉首相は以下のように反撃しています。

戦没者に対してどのような追悼をするか他の国が干渉すべきでないという私の発言が、なぜ他の国を傷つけているんですか。そこをお聞きしたい。

これに対して岡田代表は、直接的には答えず「国益を損なう」ということを問題としているようです。

A級戦犯を合祀した靖国に日本国総理大臣は行くべきでない、それは自分の判断でそういうふうに決めることであって、外国に言われて決める問題じゃない、私はずっと一貫してそういうふうに申し上げています。そして、総理、自分で判断しなさいと。そうじゃないと言うなら、中国や韓国、この靖国参拝に異を唱えている国に対して、みずからの信念を語って説得しなさい。説得もしない、ほうり出して、何で問題になるかわからないといって言い放つ。

総理、その結果として、日本の国益は結局どうなるんですか。国民挙げて、あるいは外務省を先頭に、みんなが本当に努力をして、日本の国の利益、国民の利益のために、北朝鮮との交渉、これをいかにしっかり運んでいくのか、あるいは常任理事国の問題、あるいは東アジア共同体をつくっていくために、やはり日中関係、日韓関係、日本とアジアの関係がいかに大事か、そういう視点で大きな判断をすべきだということですよ。

岡田代表は、「説得」の内容、方法論、基本となる考え方(戦没者に対してどのような追悼をするか他の国が干渉すべきでない)については、具体的な批判をしてないので、あくまで結果責任として、中国、韓国が納得してないことを小泉首相の責任として批判しているようです。「東アジア共同体」なるものの中には、意見の相違があってはいけなくて、それを解消する責任が一方的に小泉首相にあるということです。

ここには、「見解の不一致が悪である」「見解の不一致を放置しては友好を結ぶことはできない」という考えがあるように思えます。これは一歩間違うと非寛容な態度につながる危険な考え方ではないでしょうか。

ここで岡田代表が無意識に根拠としているのは「とことん話しあえば何事も双方が納得する合意が得られる」という「話し合い絶対主義」です。双方が共通の基盤を持ってないと「話し合い」は成り立ちません。「話し合い絶対主義」は、その共通の基盤を相対化することはなくて、もし話し合いが決裂したら、どちらかに倫理的な落ち度があると見るわけです。

小泉首相がもし中国の人を「説得」できたとしたら、それは中国の人の伝統的な宗教観を抑えつけて、日本人の死生観を押し付けることに成功した場合しかあり得ません。討論のレトリック上のこととは言え、対立よりそのような解決をよしとする考え方は、非常に危険です。あるいは、中国の人の感情を尊重した上で、「説得」というのであったら、それはもう、小泉さんが折れるしかないことになり、「許可を得たんですか?」という要約が正しいことになってしまいます。

どうにもならない絶対的な対立というのは存在します。そこをどう乗り越えるかが、本当の友好だと思います。つまり、合意できる部分、合意すべき部分を慎重に見極めて、その範囲外での対立が、合意できている部分に直結しないようにすることです。

この場合は、「戦没者に対する追悼のしかた」は、合意しなくてはいけない部分、一致させなくてはならない部分ではないと小泉首相は言っています。

靖国問題についてはいろいろ議論があると思いますが、「絶対的な対立を前提とした友好の方法論」というものを、小泉首相は持っていて、岡田代表は(「話し合い絶対主義」以外に)持ってないということが、この対話によく現れていると思います。

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