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2006-02-08 避難所生活1日目

避難所生活について

ITMedia:「こんな時だからこそ安定したサービスを」――ライブドアの技術者魂と、Yahoonaoyaさんの記事がリンクされて、そこから、「圏外からのひとこと(本館)」にリンクがあった為、本館へのアクセスが急増しており、その為、負荷オーバーでトラブルが頻発している。

とりあえず、圏外からのひとこと出張所(ライブドア編)を開設して、リンクをそちら向けに貼りなおしてもらい急場をしのいだけど、まだまだ不安定なままだ。

そこで、本館が安定するまでの間、こちらの避難所でブログを書くことにした。

一週間くらいを目安に本館に戻る予定だが、せっかくなので、ここに書いた記事は、本館には移さずこのままここに残す予定。

トラックバック受付開始

昨日、梅田望夫がブロガーと語る「ウェブ進化論」に参加させていただいて、たくさんのブロガーとお話し、非常に刺激を受けた。だから、ちょうどいい具合に、この避難所で書く話題はそこからインスパイアーされたことが中心になると思う。

それで、もちろん頭の中はたくさんのテーマがグルグル渦巻いているのだけど、帰りの電車で最初に考えたことは「そうだ!トラックバックやろう」ということだった。

これまで私はトラックバックについては、もちろん理念は多いに支持するけど、その実装や受けいれられかたがどうもなじめなくて、ごく短い間試しただけで受けつけない設定にしていた。自分は受けつけないで一方的に送るのもなんだから、送ることもなかった。

それが、なぜか昨日の刺激で、急にそのこだわりが溶けてしまい、「明日からは普通にトラックバックやろう」と考えたのだ。

なんでそう思ったのかが、自分でうまく説明できないのだけど、そういう変化が突然起きて、しかもそれを何の説明もなくすぐにやってしまえることがブログのいい所だ。

だから、ここはブログモードに設定したし、本館に戻る時には、本館もトラックバック有りの設定をするつもり。

なお、トラックバックの条件としては、「当ブログに言及があること」のみ。「言及」はリンクだけではなくて、ほのめかしでも隠喩でも換喩でも念力でも似顔絵でも批判でも罵倒でも何でもおK。ただし、その「言及」を私が読み取れなかったりして私が「言及がない」と判断した場合は、遠慮なく削除する。基本的にはその判断についてはコメントしない。

「巨大な無理解」

それで、生で梅田さんのお話を聞いて一番印象に残ったことは「梅田さんはみんなが思うほど、WEB2.0や集団知に楽観的な人ではなかった」ということ。

みんなってあんたと誰?ってツッコミがほしくて、あえて「みんな」という言葉を使ってみたけど、私は梅田さんが単に楽観しているとは最初から思ってなかったし、楽観の裏に何かがあるとは思ったが、それは悲観という言葉にはあてはまらないと感じていた。

その「楽観でない何か」は表現されてない体験の裏付けではないかと漠然と想像していたけど、それが確信に変わった。

具体的には、「ネットメディアは既存メディアを蹴散らすか?」というテーマに対しての回答。梅田さんは「ネットメディアは発展するけど、既存メディアはしぶとく残る」という考えのようだ。その既存メディアが残る理由は、それを支えている、既存メディア的な受動性を持つユーザの、生活習慣、思考習慣はそんなに簡単に変わるものではないということ。

それから、「変化をうまく説明するモデルがある時に、そのモデルからの予測を上回るすごいスピード変化する部分と、そのモデルのようには変化しない部分が必ずある」というお話。

そして、その実例として「日本のエスタブリッシュメントに『WEB時代の大変化』を説明してもなかなか理解してもらえない」という話が、本の中に何度も出てくる。私はたぶん、梅田さんがコンサルティングで苦労されたトップのいる大企業の末端で仕事していたのだけど、この「理解してもらえなさ」というその微妙なニュアンスに非常に共感した。そしてのこのニュアンスの部分は、他のパネラーの人や会場にいた多くのブロガーに伝わってなかったように思えた。

それを自分の体験に引き寄せて説明してみたいのだけど、これは、「単に特定の頭の固い人を説得できない」という問題ではない。本当にお互いにせっぱつまっていれば、多くの場合、説得はできる。ただし、それは、最初にこちらの説明と相手の理解の間にあった壁を突破できるということではない。壁を回避することはできる。それは説明する側の工夫と努力と熱意、聞く側の柔軟性や理解力次第で、うまく行く場合もあればどうしても駄目なこともある。しかし、仮に何かが伝わったとしても、壁を壊して伝えることはできない。できるのは、壁を回避して伝えることだ。

とても大事なことを伝えようとして、その間に立ちふさがる壁があって、それを回避することはできるけど、それを壊すことはできない。

何が伝わった後にふりかえると、頑丈で巨大な壁がそのままそこに非常な圧迫感を持って残っている。

非常に感覚的な言い方なのだけど、そういう種類の「巨大な無理解」とでも呼ぶべきものが世の中にあって、それとの遭遇体験の数において、私は梅田さんと共通のものを感じて、他の人はその「巨大な無理解」というものは、あまり見たことがないように感じた。

この「理解してもらえなさ」は具体的な困難と隣接しているけど、具体的な困難そのものではない。たぶん、コンサルティングのスキルとは、それを回避する方法であり、それを梅田さんは豊富に持っているのだと思う。だから、具体的に困ることはあまり無いのだろう。

具体的に困ることはないけど、自分がうまくすりぬけた「巨大な無理解」というものから目をそらすこともなくて、そこにこだわっている所が、梅田さんの面白い所だ。

「一般の人たちにアピールするために、私たちはどうしたらいいんだろう?」という質問に対して「言葉を尽くすことの重要性」を梅田さんは訴えていたが、「言葉を尽くすこと」によって、その「巨大な無理解」の手触りを知ることができるという意味ではないだろうか。

これは全く自分の勝手読みなのかもしれないが、私にはそういう種類の遭遇体験がたくさんあって、このように整理すると、少なくとも梅田さんの話の中で矛盾する部分を受け入れやすくなるとは思う。

集団知に参加するには意図が公開されなくてはならない

こちらは、インスパイアーされてやや暴走気味に思いついてから取り憑かれてしまい、今一番気になっているテーマだが、集団知の一番の制限事項は「公開したくない意図を持つ者は参加できない」ということだと思う。

集団知はこれからも発展して、5年後くらいの自分が今書いていることを見たら、「○○も○○も知らない奴に集団知を語って欲しくないね」と考えると思う。つまり、「これを知らなければモグリ」という程のイノベーションがこの領域でこれから起きて、さまざまな問題点が克服されていくと私は予想している。

しかし、どういう発展を遂げるにしても、最低の条件として参加者の意図は公開されなくてはならない。意図が無い情報は単なるデータベースでWeb1.0的だ。予想もつかない順列組合せは起こり得ない。意図を公開しシェアし組み合わせることは、Web2.0の重要なキーポイントだと私は思う。意図を公開できな者はこれに参加することができなくて排除される。

「意図を公開できない者」とは、まず、表面化してない多種多様の犯罪集団であり、これと集団知システムとの葛藤は激しくなるだろう。これがどう決着するか予想するは難しいが、この問題は単純に善対悪の問題である。

そうではなくて、犯罪とは無縁の人の中にも「公開されたくない意図」はたくさんある。「公開され得ない意図」もたくさんある。

Web2.0は、自分が膨張することで、知らず知らずのうちに「公開され得ない意図」を排除してしまうだろう。そして、犯罪集団がその「公開され得ない意図」を巧みに収容して、Web2.0との戦いに利用するだろう。

もちろん、両者は並立していくのだが、政治の領域では、全員が、ひとつの政府、ひとつの法体系を共有しなくてはいけない。そして、この「公開され得ない意図を収容できない」という問題は、その領域において起こりやすい。

なお、私の思考体系は演繹的で、「公開され得ない意図」とは何なのか具体的にわからないまま、先にここに書いたようなモデルを構築してしまう。それから、それが何なのか考えて、あてはまるものが無ければそのまま忘れてしまうのだ。