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2006-04-13

「WEB進化論」的ネット経済とベーシックインカム

我ながらすごい組合せだけど、この二つの事例、「労働」と「自己実現」の関係において、対極的であり同時に共通性を持っている。


対極的であるのは、「自己実現」と「企業の価値」の関係だ。

「残業400時間」企業においては、自己実現(どころか健全な私生活)は、企業の価値を高めることと絶対に両立しないものとされている。それに対し、「はてな」においては、自己実現そのものが企業の価値と直結している。id:reikonさんに呼ばれて自分が開発したサービスの新機能をアピールする社員たちや、同好会的なノリで入る笑い声そのものが、無味乾燥なプレスリリースよりずっと効果的に、自社の市場における価値を表現している。その「表現」そのものが「はてな」の企業としての価値だ。これが無ければ「はてな」はアクセスを稼げず金を稼げない。

共通性は、企業の価値と個人としての価値観や生活の間に緊張関係が無いこと。

だから、ひねくれた見方をする人は、「はてな」のこういうノリを「宗教か自己啓発セミナーのようだ」とか言って、うさんくさいものとして見て嫌う。私は「はてな」自体は好ましく見るが、「はてな」的な別の会社がそうやって社員を洗脳して不当に働かせる可能性はあると考える。そういう意味では、「ひねくれ者」の言うこともわかる。

会社が縛るものは、個人の時間の一部と個人の体であって、個人の頭の中、私生活における価値観には企業は立ち入らないというのが、昔の常識であったが、今はそうではない。企業の側が個人の自発性に歩みよった結果ではあるけど、個人と企業が従来の常識とは違うレベルで一体化してないと、ネットにおける競争には勝てない。それを象徴しているのが次のニュースだ。

中堅のデノン(旧日本コロムビア)は3月下旬、同社初のiPod用スタンドを発売した。同社製コンポにつなぐと、リモコンでiPodを操作でき、iPodに入れてある音楽をコンポで楽しめる。昨年8月には、ホームシアターシステムにiPod用端子を装着した。「悔しいが、iPodの勢いに乗らざるを得ない」という。

ケンウッドが昨年3月、業界に先駆けてカーナビシステムにiPod用端子を付けた時も社内から異論が出たが、「iPodを車でも使いたいというニーズを優先させた」という。同社は当時、携帯音楽プレーヤーを発売したばかり。自社製品より先にiPodにカーナビを対応させるのは苦渋の選択だった。

asahi.com:「iPod」人気に乗れ 音響メーカー、接続製品続々 - ビジネス

メーカーの歯ぎしりが聞こえてきそうな記事だが、iPodが売れているのは、Appleがネットにおいて不動の地位を確保したからで、その「不動の地位」はジョブズとそのビジョンに同調した多くのApple社員の自己実現そのものである。

社員と企業が従来の常識から見て健全な距離感を持っている会社は、つぶれるか、こういうふうに振り回されることになるだろう。

だから、社会保障のような労働市場に関係する問題は、はてなやAppleやGoogleのような企業における「労働」を基準に考えるべきだと思う。これからの経済において、支配的な地位を占めるのは、そういう企業における「労働」なのだから。

私はベーシックインカムに興味を持っている素人なのだが、このエントリに記録されている論戦は、そういう観点から見ると非常に物足りない。

ベーシックインカムにおいて議論の焦点が実現可能性になるのは理解できるが、インセンティブと生産性の関係について、あまりにも立脚しているモデルが古いと思う。

  • 中産階級が経済の主流であり、中産階級の意欲がマクロ経済の中で最も重要
  • 労働は苦役であるので、経済的なインセンティブが無ければ、人はしっかり働かない
  • 苦役と給与のバランスについて労働者は主体的に自分の最適値を選択する(できる)
  • 労働の量と企業の価値と給与が連動するのがよい企業(社会)であり、労働者は規範的にそれを支持する

これを前提として、「実現可能性の有無」や「規範と実現可能性の関係」が議論されているように私には感じられる。

しかし、「労働400時間」型企業において、インセンティブは残業時間とは連動するかもしれないが、企業の創造する付加価値とは連動しない。滅私奉公型の労働では、経済の支配的地位につながるような価値は生むことができない。

また、「はてな」型企業において、金でインセンティブを与えることは難しい。面白い仕事があればよく働くし、そうでなければサボる。税引き後所得の上下は関係ない。

もちろん、この二つは極端な事例であり例外的な事例であるが、この二つの事例が体現する傾向を多くの企業が大なり小なりすでに持っていて、むしろマクロ的には、その要素が無視できないレベルになっているのではないだろうか。

もっと単純に言えば、森永卓郎氏が言うようにごく少数の勝ち組と多数の年収300万円階層という二極化が進む経済には、ベーシックインカムが適する。「WEB進化論」の描く世界もほぼ同じ帰結になると思うが、勝ち組は、ロングテールを構成する多数のオタクに依存している。だから、オタクがロングテールを構成する趣味に使う金を作る為に、高い負担を担うことにはそれほど抵抗は無いと思う。

IT勝ち組企業は、自分たちに帰属する付加価値創造のごく一部しか受けとっておらず、積極的にそれを変えようとはしていない。貧乏人が普通にネットから恩恵を受けているというこの現状は、「勝ち組はベーシックインカムをすでに容認している」と言ってもいいと私は思う。

そして、これは決して、利他的な行為ではない。直接的な付加価値の創造に関わらない所で、莫大な付加価値を生むアイディアが育ち、それを予測することが不可能であるという、正確な現状認識があれば当然そういう結論になる。

このことは、IT産業独特の特性と思う人も多いだろうが、ドラッガー等を我流に解釈すると、これは知識産業やイノベーションというものの特質であって、IT産業は単にそれが可視化されやすい、というだけのことではないかと私は考えている。

付加価値の創造プロセスを一般人が一般常識として理解して、それに添った倫理感と社会システムを持たないと、その国は経済大国にはなれない。コストの安いことだけが売りの製造基地にしかなれない。

そういう意味で、経済優先でモノを考える人は、ベーシックインカムのような考え方になると思う。負け組の人と経済より倫理を優先してモノを考える人は、簡単にはこれを受け入れないだろう。

アンカテ(Uncategorizable Blog) - 勝ち組はベーシックインカムをすでに容認している

これは極論であるとは思うけど、ベーシックインカムを巡る議論にこういう視点が無いことは疑問である。

当ブログ内の関連記事

dojindojin 2006/04/14 19:22 トラバどうもです。つっこみたいところがたくさんあるのですが二つ
だけ反論してみます。

まずは素朴な反論から。

「労働は苦役であるので、経済的なインセンティブが無ければ、人はしっかり働かない」

今もこのようなモデルは古くないという反論です。昔から、仕事が大好きな人もいれば、できれば仕事をしたくない人もいます。だいたい別にはてなやappleやグーグルの労働者の価値観や働き方が新しいわけではありません。昔から、トヨタにもソニーにも中小企業の社長や労働者にも、似たような人はいます。

そんななかで、今も昔も、一般的に考えれば、「労働は苦役」と考えてもいいだろう、ということです。たしかにこれは考え直してみる必要はありますが、反論としてはてなやappleやグーグルをだされても困ります。もう少し「一般的」に考えても「労働は苦役」と考えるのは非現実的だという論拠をださないと説得力はありません。「そもそも経済学モデルとはモノサシであって現実ではない」という議論はおいといても、そういうことはいえると思います。

二つめの反論です。

では、古くさい「労働は苦役」モデルをやめましょう。そして、「現在」の労働者にとって「労働は100%自己実現。だからみんな賃金がゼロでもベーシックインカムが導入されても、今と同じ水準で働き続ける」という「労働は自己実現」モデルを考えましょう。しかしこの場合でも、ベーシックインカムは動学的(?)に考えると、この「労働は自己実現」モデル自体を壊して、「未来」の労働者に「労働は苦役」モデルを植え付ける可能性があります。

動学的に考えるとはこういうことです。例えば「現在」の労働者であるAさんは、「働かなければならないというのがこの社会の前提である」→「ならばやりがいのある仕事がしたい」→「結果的にやりがいのある仕事について賃金など気にせず自己実現のためにバリバリ働く。」というルートで「労働は自己実現」人間になったとします(実際Aさんのような人はかなりいるでしょう)。

そこにベーシックインカムが導入されます。すると、そもそもの「働かなければならないというのがこの社会の前提である」という出発点が崩れますから、例えばベーシックインカムがなければAさんと同じようなルートでバリバリ働いたであろうBさんは、まったりアートと自然を楽しむ労働が嫌いな人間になるかもしれません。

どういうことかというと、たとえ「現在」の労働者がみんな100%「賃金」ではなく「自己実現」的インセンティブで仕事をしていて、なおかつその人たちの選好(もしくはインセンティブ)構造が、「事後」的なベーシックインカムの導入によってはまったく変化せずに同じ量の労働をし続けたとしても、ベーシックインカムの導入は、「事前」的にベーシックインカムが導入された「未来」の労働者の労働に対する選好(もしくはインセンティブ)構造を現在の労働者とは異なる「労働は苦役」的なものにしてしまい、労働市場を停滞させるかもしれないのです。ちなみにここでいう「事前」的、「事後」的とは、ベーシックインカムの導入が、労働に対する選好が形成される「前」だったのか、「後」だったのか、ということです。

私はベーシックインカムには思想的には賛成ですが、上記二つの理由から、「労働インセンティブは賃金だけでなく自己実現もあるわけだから、そんなに心配しなくてよいのでは」論には反対できてしまいます。二つ目は屁理屈っぽいですが、このような因果関係でベーシックインカム自体が「労働は自己実現」モデルを衰退させて「労働は苦役」モデルを発達させるという可能性は、そんなに非現実的ではないと思います。こまりましたね。。。

essaessa 2006/04/15 00:16 丁寧なコメントありがとうございます。

最初の件ですが、私は「自己実現型」の労働者が人口構成として主流になると主張しているわけではありません。人数としては少数派に留まるが、所得の構成比としては無視できないレベルになり場合によってはそれが主流を占めるという予測をしています。

現在は、個人としても企業としても、労働に対する考え方がバラついていると思います。また、それと連動しているかどうかはわかりませんが、生産性の格差も二極化しています。ソフトや金融やゲームのような広義の情報産業においてはそれが顕著で、そういう産業が経済全体の中で重要な位置を占めていくだろうと考えています。「はてな」のようなネットの最先端の企業では外から見てそれがよくわかりますが、一般のIT産業の中でも外部には見えないまま、潜在的に同様の傾向が強まっているように感じています。

もちろん、これは現場で仕事をしている人間の限られた観察と直感ですが、あちこちのブログを見ているとこの観点に近い人がかなり多くなっているという感触もあります。

そして、BIによる所得格差の減少が経済に与える影響を考える上では、ポイントは「自己実現型」あるいは生産性が極端に高いタイプだと思うのです。彼らは人数としては少なくても相当な割合の所得を稼ぎ(付加価値を生み)、産業構造の中で支配的な地位を占める企業をリードしているのですから。

「自己実現型」であり産業構造の頂点に立つタイプの労働者にとって、一般の労働者は部下や協力者でなく、「顧客」あるいは無料のリソースという側面が強いのです。彼らは生産性が極端に高くて、極めて少数の人数で仕事を完結してしまうので、その他大勢がやる気を失なっても影響を受けません。

一般の労働者がBIによってインセンティブを失なうことは、「自己実現型」にとっては、顧客が増えるというプラスの影響を与えます。たとえば、ブログのサービス提供者にとっては、「会社で寝泊まりして仕事が趣味」の人より、「まったりアートと自然を楽しむ労働が嫌いな人間」の方がよいお客さんになるでしょう。そういう人がブログを書いた方が面白いブログが増えて、アクセスが増えることを見込めます。

多くのネット上の高度なサービスが無料で提供されているのは、そのサービスを使うことによってユーザーが意図せず自社のリソースとなることを期待しているからです。こういう企業はBIを積極的に支持する可能性が高いし、それだけではなくて既にネットの中で私的なBIを実施していると見てもいいと思います。というか、ネット列強のやっていることを理論的に説明するモデルとしてBIを発見したという感じです。

つまり、ネットには本来無料サービスなんてあり得なかったのだが、そこに基礎所得として、現金の代わりに大半のユーザにとって有用なサービスが無料で提供されてきたという説明です。その政策はネット列強の暗黙の合意の元に強制的に実施されたのですが、それによってネット列強は全体として多くのユーザを獲得して、基礎所得の負担額(無料サービスの運営コスト)以上の収入を得たことになります。結果として、強制的な基礎所得分配という政策の正当性が証明されたという感じです。

後半のお話はよく理解できない所もあるのですが、元記事を読んだ時も、dojinさんの「動学的な観点」には非常に興味を持ちました。

確かに、BIが導入された年に一時的に起こることと、それが定着してから継続的に起こることは区別する必要があるし、全く逆の効果を生む可能性もあると思います。これについては、もう少し考えてみたいと思います。

dojindojin 2006/04/15 02:29 どうもです。

>ソフトや金融やゲームのような広義の情報産業においてはそれが顕著で、そういう産業が経済全体の中で重要な位置を占めていくだろうと考えています。(中略)もちろん、これは現場で仕事をしている人間の限られた観察と直感ですが、あちこちのブログを見ているとこの観点に近い人がかなり多くなっているという感触もあります。

どの産業が経済全体の中でどのくらいの規模と重要性を占めるようになるかを直観や自分の周りの人間からの感触で判断するのは危険です。例えば私の周りには、非熟練労働者がたくさんいますし、彼らは社会的に必要不可欠な重要な仕事をしています。私の「直観」からみればBI(ベーシックインカム)の導入は多くのNEETを確実に生み出して、「社会的に重要」な非熟練労働市場に大きな変動を招くかもしれません(この「変動」が吉とでるか凶とでるかはわかりませんし、よってたつ規範にもよるとは思いますが)。とにかく一部の産業の性質だけを過大視してBIの実現可能性について考えるのは危険だと私は思います。もちろん私もessaさんの問題提起を完全に理解しているわけではないのでどこかに誤解があるのかもしれませんが。。。

essaessa 2006/04/15 09:30 dojinさんが、「社会的に重要な非熟練労働市場に大きな変動を招く」とおっしゃっている危機感を、私も感じていると思います。ただし、それは「BIの導入」でなくて、経済の情報化、知識産業化によってもらたされると見ていて、BIの導入はその危機を緩和するのではないかと考えています。
つまり、同じ危機を見つつも、それに対するBIの効果については、180度反対の見方をしているように感じます。
私は思うのですが、「労働」が生き甲斐で、そのアイデンティティが、社会全体への経済的貢献と連動しているような人は、これから精神的な危機を向かえるでしょう。なぜなら、経済的には、彼らの労働はどんどん無意味、無価値になっていくからです。最近ネグリとハートの「<帝国>」を読んでいるのですが、彼らは「シンボル操作」が現代の主要な経済生産であり、そこを支配する人が、生政治的に他の人を支配するだろうと主張しているように思います。マッケンジー・ワークの「ハッカー宣言」も同じようなことをより先鋭的に主張していると思います。
つまり、1%くらいの「シンボル操作」の達人以外は、稼げないことで経済的な危機に陥り、彼らと比較して自分の社会に対する経済的な貢献(付加価値)がゼロに等しいことで精神的な危機に陥いる、そして生活の全てを支配されることで政治的な危機に陥るわけです。
ネットやソフトの最先端では、<帝国>が予言しているような状況が急速に進行しています。「ハッカー宣言」を読んで、これが自分の業界だけの問題ではないと思うようになりました。
ただ、BIの実現可能性は経済的な問題としてとらえるべきであり、その範囲では、上位1%の所得(とそこから徴収する所得税)だけを財源として考えれば(少なくともスタティックな観点では)成り立つので、残り99%は無視して考える方が正道ではないかと言っているわけです。
それとは別に、労働の価値を経済と切り離して考えるような別の倫理観やアイデンティティの構造も必要とされていると思います。

dojindojin 2006/04/15 11:45 うーむ。私はやはりessaさんが一部の業界の動向を過大視しているように思えてならないです。私は世の中の経済構造がそんなに大きく変動しているとは考えてはいません。最低限いえるであろうことは、第三次のサービス産業の割合が増えているという「ポスト工業社会」は進行しているであろうということです。essaさんはどういう根拠をもって、ネットやソフトが経済の「最先端」であり、今後の経済はここらへんの業界を先駆けに大きく変動していくという現状認識をお持ちなのでしょうか?車でも家電でもタオルでも洋服でも、第二次産業の占める割合はあいかわらず大きいし、第三次産業においても、飲食、育児、介護、その他なんでもいいですが、様々なサービス業の占める割合は無視できません。ここらへんは、直観やネグリやハートなどではなく、統計による地道な現状認識作業が必要なはずです。

essaessa 2006/04/15 16:12
実証的な現状認識は、未来予測には有効ではありません。たとえば、3年前に「あなたはSNSを使いますか」という調査をしたとして、mixiだけで300万人というユーザ数を予測できたでしょうか?http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060330/233820/
私は、3年前に雑談半分ですが会社で「うちもブログを事業化しませんか?」と言って「普通の人はそんなものやらないよ」と言われたことがあります。SNSの流行は予測できませんでしたが、ブログは流行ると思っていました。トレンドを見ていれば、それくらいの誤差で予測できることはあると思います。
重要なのは、自分の現状認識の限界を知ることです。その為には、常に「3年前の自分だったらどう考えたか、5年前は?10年前は?」と自分に問うことです。「自分はこう思うけど他の人はそう思わない」「自分はこれを使うけど一般の人は使わない」と思っていたことが、予想を超えて広まったことがたくさんあります。<帝国>には、そういう個人的な経験と一致する枠組みがあって、それをずっと徹底して包括的に展開したものがあるように思えて、非常に説得力を感じました。
今は「車や家電やタオルや洋服」が主要な経済の構成要素であり、自分にとって不可欠なもので、株式やブログやiPodはそうではないと思う自分もいますが、10年後には自分はそう感じないと思います。また、逆に社会が工業化する変わり目に自分が生きていたら、「車や家電やタオルや洋服」はバーチャルで空虚な産業であり、米や牛乳や魚のような一次産品を中心に経済が回ると思っていたでしょう。その自分に「食料やエネルギーが不要になるわけではないが、経済の中心は製造業に移るのだ」と言っても、なかなか納得しないでしょう。
ただ、そのような経済の変化に対して人の意識が不適応を起こすという点で、dojinさんと私の認識が一致している部分があるように思います。
dojinさんの「BI導入後の動学的予測」は、私の「ネット経済進展後」と近いと思います。違うのは、dojinさんは「もしBIが導入されたら」という仮定の問題として考えているのに対し、私は「何もしなくても世の中はどんどんそうなっていく」という既に進行している実現しつつある未来として見ていることです。しかし、「何のために働くのか」という点で、多くの人が動揺して、マイナスの影響を受けるという結果を危惧している点に近いものがあるような気がします。だから、「BIがその危機を緩和する」という見方は、もう少し検討すべきかもしれないと思っています。

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