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2006-11-08

人権を失ったまま生き続けても、そんな命に意味はない。

これは本物だと思う。

「両親へ」という手紙だけ論旨が支離滅裂で、他は筋が通っている。いたずらではこんな細かい芸はできないだろう。

この子は人権を奪われていて、それを回復できないから死ぬと言っているのだ。この子にとって自分の人権は命より大事なものだ。「僕の人権と僕の命とどちらが大切ですか?」と問うているのだ。

それに対して、「人権は後で何とかするから命を大切に」という答は意味がない。

人権とは、自分が言ったことを誰かが聞いてくれて答えてくれることだ。「クラスのみんなへ」「担任の先生へ」「クラスのみんなの保護者へ」「教育委員会へ」という4つの手紙で一貫しているのは、「僕が苦しさを訴えていることに、何らかの応答をしろ」ということだ。彼は、答えを求めている。

  • ぜったいなん年かたったらわすれるでしょう(クラスのみんなへ)
  • 僕が死んだら先生は、テレビでやってたようにウソをついていると思います。「いじめは、なかった」とか「いじめと自殺は、因果関係」がない、とかぜったい言ってるでしょう(担任の先生へ)
  • ウソをつく人の子供は、ウソつきです。無責任です(クラスのみんなの保護者へ)
  • なぜ僕が自殺をしたのかわかりますか。ぜったいわからないとウソをつくでしょう。(教育委員会へ)
  • テレビでは、ウソつきをしています。またこんかいもしょうこいんめつをするのですかこんかいはぜったいさせません。(同上)

そして、封書の裏には「いじめが原因で自殺予告文といじめと自殺は、因果関係がある証明書」在中と書いてあったそうだ。

自分の苦しさが無いものとして扱われることが、彼の本当の苦しさなのだと思う。

自分が表現したことに誰かが何らかの応答をするというのが、人権の基本である。それを彼は奪われている。

そして、大臣に直訴するのは、国民全体に訴えることだということを、たぶん彼はわかっている。

教師も教育委員会も「クラスのみんなの保護者」も彼の人権より大事なものがあって、それは大臣でも同じだということもわかっているだろう。しかし、大臣にとって人権より大事なものは選挙であって、大臣だけは選挙の為に彼の人権を放置することができない。たぶんそれをわかった上でしている。

彼には、人が他の人の訴えにどのように応答するかということに、非常に敏感な感覚があるので、直感的にそれを見抜いてやっているのだと思う。大臣と選挙を通して、彼は国民全体に訴えたのだ。

私は、彼は正しいことをしていると思う。

人権は命より大事なものだ。絶対に守るべきもので、もし奪われたらどのような手段を取ってもそれを訴えるべきだ。訴えが聞かれなかったら、聞かれるまで訴え続けて、それをやり尽くしてそれでもダメだと思うなら、人権侵害を止める唯一の手段が自殺だと思うなら、死んだほうがいい。

ここまで物事がきちんとわかっている人に、「君にはわからないけど他にも君の人権を守る手段はある」とは私には言えない。彼が最終的に絶望したのなら、それは本当に可能なことを全てやり尽くしたのだと思う。

人権を失ったまま生き続けても、そんな命に意味はない。

tncompanytncompany 2006/11/08 20:04 人権なんてフィクションだよ。

yyyyyy 2006/11/08 20:49 人権がフィクションだったとしても、人権を失うのがつらいのはノンフィクション

nonfixnonfix 2006/11/08 21:07 人間なんてフィクションだよ。

sixninesixnine 2006/11/08 22:13
>人権侵害を止める唯一の手段が自殺だと思うなら、死んだほうがいい。
>人権を失ったまま生き続けても、そんな命に意味はない。

何がどうすりゃこんな考え方が出来るんでしょうか。
「いじめ」を「人権」という言葉に置き換えた時点で何かが違っているようにも思いますが、敢えてこの記述に沿って言えば、失われた人権を取り戻すために生きる事すら「意味がない」と切り捨てる事そのものが人権侵害ではありませんか。
年端もいかない子供の訴えに最終的な絶望なんてものを認めてしまったら世の中に未来なんかありません。
ひょっとして、この世はこのまま終わってしまえばいいと思っていらっしゃるんですか?

上の人上の人 2006/11/08 22:34 > 年端もいかない子供の訴えに最終的な絶望なんてものを認めてしまったら世の中に未来なんかありません。
びっくりするぐらいの人権侵害だな…

marco11marco11 2006/11/08 22:38 人の世に熱あれ
人間に光あれ

釈月性釈月性 2006/11/08 23:37 人権いたるところに青山あり

中村友一中村友一 2006/11/08 23:49 記事を拝読し、思うところがありましたので関連記事「いじめ自殺予告手紙を書いた子へ」をトラックバックさせていただきました。おっしゃることを全面否定するつもりもありませんが、「自殺する覚悟で自分の人権を守る」ということでなければ、世の中を良くする方向に向かわないのではないかと思います。

roche171roche171 2006/11/09 02:37 essaさんに賛成。わたしが書きたい以上に、またそれ以上に、表現がされていて感動しました。わたしは、わたしが出来ないようなことが出来る人が好きです。mixiでは、この子供はさんざんたたかれていましたが、それに反論してる人もいました。実生活では、みなさんは「どちら側」にいて「それ」を言っているのでしょうか?とても気になりますよ、みなさん。

\読み\読み 2006/11/09 04:41 > sixnineさん
>敢えてこの記述に沿って言えば、失われた人権を取り戻すために生きる事すら「意味がない」と切り捨てる事そのものが人権侵害ではありませんか。
>人権侵害を止める”唯一”の手段が自殺だと思うなら
その少年が行って有効に作用する行動がが自殺のみであるのならば。
という意味に私は読みましたが、その部分を見落として読んでいませんか?

昂 2006/11/09 08:07 人権という言葉をつかうことにかなり違和感がありますが、人権という正義の側に身をおくことによってこそ自殺しかなくなるんじゃないでしょうか。自分をいじめる連中を殺してしまうことだって自分を守る正当な手段だと思いますが、人権を守るという立位置ではそれはできない。自分の死後に彼らの死を望むことしかできない。相手の人権を犠牲にすれば自分の命も人権も守ることができるかもしれないのに。

syusisyusi 2006/11/09 09:56 何かが起こらないと動けないなら何か起こしてやろうと言う雰囲気が見て取れますね。最悪でもこうやって何人か予告して死んでいけば、確実に何か変えるために動くでしょうね。効果的な方法だと思います。

こ 2006/11/09 10:03 >人権は命より大事なものだ。
に感動したのでひとこと反応させてください。笑
これは「人間本来のありようを否定されてただ受動的に生かされることは理性を持った人間には耐えられないことであり、(本当の意味で)生きるために闘おうとする際には命さえ犠牲にできる」と読み替えてもいいでしょうか?
もしそうだとすると僕はそういう考え方にある程度同意できると思います。ただ、命の持つ可能性といったものを考えたときに、稚拙な闘いの段階ですべてを投げうってしまうこどもを傍観すべきではないとも思うのです。こどもはやはり、理性の面でまだまだ発展途上の存在ですから、ごまかしたり甘やかして済ますのは論外として大人としてその訴えをしっかり受け止める度量くらいは持たなければ駄目ではないか。受け止めてもらって初めてこどもは、生きる新たなエネルギーを生み出す気になるようにも思います。今回の行為に批判的な論説はあまり読んでいませんが、批判に耐える力のある理性なんてその年頃のこどもに要求できますか。未熟だからこそ立つべきだ、という言い方もできます。わたしたちが、模範となる大人になればよいのです。ついてこい、みたいな。笑

旅行鳩旅行鳩 2006/11/09 10:58 >ごまかしたり甘やかして済ますのは論外として大人としてその訴えをしっかり受け止める度量くらいは持たなければ駄目ではないか。受け止めてもらって初めてこどもは、生きる新たなエネルギーを生み出す気になるようにも思います。
100%同意します。だからこそ命を賭した彼の問いかけに対し、
この期に及んでまだ、ろくに理もとかずに、ただ「生きろ」としか
いえない(自分を含めた)大人たちが情けなくてしょうがない。

厄が九分厄が九分 2006/11/09 12:11 「人権は命より大事なものだ」
これについては否定しません。
しかし、人権を認められる場所を他に探すこともせずに自殺するのはただの逃避です。
なんの問題解決にもなっていないし、本人も指摘しているようにすぐに忘れられるだけでしょう。
本当は最後に自殺をして多少なりとも印象づけようという彼の思惑は全然効を奏さずに終わる訳です。
虐めは悪く、人権は尊重しなければなりません。
時に生きることは死よりも辛く感じるかも知れませんし、そう言う人に生きろと言う気は全くありません。
自殺は逃避であり、最大の敗北です。
虐めを行った者達を最も喜ばせる行為です。
自らの人権を貶める最悪の方法なのです。
彼の死は無駄死にであり、犬死にでもあります。
彼が遺書でメッセージを伝えたかった相手には全く期待した効果は無いでしょう。
自殺したい人間は自殺すればいいのです。
自らの人権を自らの手で放棄しているのですから。
自殺した本人が最大の加害者とも言えます。

aoiaoi 2006/11/09 21:46 >彼が遺書でメッセージを伝えたかった相手には全く期待した効果は無いでしょう。
そうですか?少なくとも彼がこれまでとったどの行動よりも効果を上げているのではないかと思いますよ。彼は自殺という行為が敗北であり屈辱的な行動であることを理解した上で、他に有効な手段が残されていないと思いいたったからこそ、このような行動に出たのでしょう。
ここまま死んでしまうとしたら彼は負けたことになりますが、そう言ったところで彼をそのような状況に追い込んだ周りの大人の責任が無くなるわけではありませんね。
彼にとって勝ち負けなんてどうでもいいのですよ。問題解決なんてとうに諦めているんです。どうしてそれがわからないのでしょう。

ぐるんぱぐるんぱ 2006/11/09 23:15 いじめる側が、病んでいる。困っているという自覚のない集団病理。さびしさを見ることもできず、集団でいじめやすい人をいじめる。最低限のプライドを侵害されるのは、いじめられる側。これが理解できない大人が多いと思う。あまい言葉などいらない。ひとり理解者がいれば違う。

しらさきしらさき 2006/11/10 02:35 今までいじめの仕組みとでもいうものがどうもピンと来なかったのだが「隠蔽体質」ということを骨組みに考えると筋が通る気がする。いじめる側は隠蔽しなければならないものを抱えていて、それが心理的負担になっている。それは人から責められることに対する恐怖とでもいうものだろう。そしていじめる側がどんな人をいじめる対象に選ぶのかが疑問だったが、それは正直である人、嘘をつけない人、不正が許せない人、すなわちいじめる側の秘密を明るみに出してしまう人だろう。いじめる側は袋小路に追い詰められていて、もう隠蔽を続ける以外に選択肢がない。いじめの根底に人から責められることに対する恐怖があるとしたら、それはどこからどのようにして生まれるのか。責める側に原因があると考えて、人を責めることが罪になるとしたら社会はどうなるのだろう。いずれにせよ現状私達は人を責めることは日常であり、正常の範囲内だと思っている。しかしこの手紙を書いた彼は、それは間違いなく異常だと言っている。それをどう受け止めればよいのだろう。

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