「再帰的グーグル八分」の時代の「グーグル八分術」の本

グーグル八分とは何か
グーグル八分とは何か

この本は、「言論」とか「権力」と言うと、反射的に×ボタンをクリックして逃げ出すようなタイプの人にも役に立つ。

というのは、これは「グーグルについての本」であると同時に、「グーグル八分を申請する人」に関する本でもあるからだ。

何かのサイト運営をしていたら、特に仕事としてそれをしていたら、クレーム対策というのは重要なノウハウだ。しかし、これは「CSSの書き方」とか「SEOの仕方」とかと違って、表に出にくいノウハウである。「誰それからこういうクレームが来たので、こうやって追い払いました」なんてことをブログに書いてくれる人はなかなかいない。

この本には、グーグル八分の事例がたくさん出ている。その多くがきちんと取材した上で、背景まで含めて書いてある。日本でネットに難癖をつける扱いが難しい所はどういう筋なのか、そういうアンダーグラウンド情報が詰まっている。

どこかの新書で、「グーグル八分術」の本出さないかな。「グーグル八分になるハウツー」じゃなくて、「グーグル八分のページを見つけるハウツー」の本ですよ。他の人が「グーグル術」に頼っている時に、「グーグル八分術」を使いこなせたら、ひとより一歩先に行けます。

と書いた時に、私が本当に言いたかったのは「Beyondさんに本を書かせる出版社はどこかにいないかなあ」ということだ。「Beyondさんが本を書くとしたら、『グーグル八分術』ではなくて『グーグル八分論』になるだろうな」とも思っていたが、よい「論」の本であれば同時に「術」としての使い道もある本にもなると考えてこう書いたのだが、その見込みは当たっていたと思う。

ただ、「Beyondさんならそういう本を書けるかもしれないけど、それを出す出版社はいないだろうな」とも思っていた。だから「これは『術』として売れるよ」ということを強調したのだが、よく出す出版社があったと思う。そういう意味で出版社の九天社にGJと言いたい。

「術」として読んで充分元が取れる本だが、同時に、「論」としても読みごたえがある。

特に、「あっ!」と思わされたのが、グーグルの技術者がBMWの不当なSEOを告発し、八分にすると通告した事件を取りあげている所だ。

この事件は、明らかにグーグルによる「見せしめ」です。(中略)同じ土俵で言論を戦わせる者同士であれば、グーグルの行為も納得できますが、この場合はそうではありません。(P233)

Beyondさんはこれを、カノッサの屈辱にたとえている。歴史的な観点から見てどうかはわからないが、確かにグーグルが他の大企業に対して圧倒的優位に立ち、大きな影響力を行使できることを見せつけた事件だと思う。

Beyondさんも言っているように、これは不当で過激なSEO、スパム的行為の抑制を意図したことであって、クレームや社会的価値観から行なれる八分(この本の中では「狭義のグーグル八分」)とは性質が違う問題だ。

しかし、企業対企業の間で経済的関係以外の所で、一方的な権力の行使が行なわれたという意味では、「聖」と「俗」の対立のような、種類の違う二種類の権力の原理が闘って、新しい権威がうちたてられた瞬間だと思う。

特に問題なのは、BMWのサイトの何が問題であるかをグーグルが明確にしないで、一方的に非難して行動に移したことである。「あいつが悪いと言っている俺を根拠なしに信じろ」と言っていることになる。

もちろん、何を不当なSEOとするかの判断基準を公開したら、それの裏をかくサイトが多発して、ページランクの品質が損なわれることは間違いない。

しかし、スパム排除の判断基準について非公開のままで強権を行使するならば、なおさら、クレーム対応として(狭義の)グーグル八分について、一層の透明性が求められることは間違いないだろう。

企業は利益の追及を通して社会に貢献すべきであると私は考える。そして、企業がフォーカスしているのは社会の中の一部であるから、社会全体の利益を考える視点と企業の立場からの公益性にはズレがあって当然だ。

しかし、自動車メーカーのリコールとか、メディア企業が言論を扱う時や、金融業における個人情報の扱い等、企業にとって「本業」と言える分野については、一定の社会的責任はあると思う。つまり、企業が本来の業務で得られたリソースによって、事の是非を判断できる場合には「公正さ」が求められると思う。そういう観点から見て、疑問のある事例が多い。

たとえば、迷惑メール(spam)撲滅私的調査会という、スパムに関する情報を収集し、対策に向けて動いているサイトの、当サイトおよび関連スパム反対サイトへの嫌がらせ・攻撃についてというページがグーグル八分になっているそうだ。

これは悪マニと同様に公益性の高いサイトである。そしてこちらは、悪マニのように、普通の技術者にとっては是非の判断が難しい社会問題を扱うサイトではなく、ネットを使う者なら誰でもその害を認識できるスパムを扱うサイトである。あらためて何かを調査したり、誰か識者に聞きにいったり、両者の言い分を比較する必要はないはずだ。こういうサイトへのクレームに対して、思考停止して判断を放棄してしまうのでは、弁護の余地はない。

スパムと不当なSEOは、「公的システム(コモンズ)の不当な私的利用」という点で、似たような問題だ。それなのに、BMWに対しては例外的な措置で強権を行使して、迷惑メール(spam)撲滅私的調査会に対しては、簡単にクレームを認めて八分にするのでは、筋が通らない。

Beyondさんの文章をネットで読むと、正論ではあるけども、やや性急で一方的な感じが鼻について引いてしまうことがあったが、こうして本にまとまってみると、豊富な事例からボトムアップで組みあげたその主張には、予想以上の説得力があった。私としては、自分の得意分野と思っていた「グーグル論」というジャンルに強力なライバルが出現した気分である。

それと、この本の冒頭には、「グーグル八分」という言葉の起源として、圏外からのひとことのURLを紹介してあった。書籍でこれについて触れてくれたのは初めてだと思う。ありがたいことである。

おりしも、今日、Rauru Blogでセックス関連のブログの検索順位が下がったという話が出ている。サイトの中身を考慮してページランクを決定するようになったのだとしたら、これは大きな方針変更になると思う。

私が、当初想定した「グーグル八分」は、言わば「再帰グーグル八分」である。純粋に機械的に決定したページランクに加えて、人間の判断で「八分サイト」を決定した上で、これに対するリンク的な距離で「八分ランク」を加味して表示順位を決定するというものである。

たとえば、たまに、ここの記事がはてなのトップページからリンクされるが、その時にこのブログが「八分」に認定されたとしたら、はてなのトップページの「八分ランク」が上がり、はてなのトップにリンクしているサイトの「八分ランク」も上がる。つまり、はてな全体の「八分ランク」が上がる。アクセスは下がりユーザは逃げ出す。

そんなことになってはたまらないので、ブログサービスの運営者は、グーグルの「八分」の基準と同じ基準で、サイトの運営ポリシーを強化することを迫られるだろう。

つまり「再帰グーグル八分」は、グーグルのポリシーをネット全体に強制的に波及させる力があるのだ。

もし、グーグルがエロサイトの判定を始めたとしたら、おそらく単純な人力では追いつかないので、少ない人力を機械でサポートするような方式を取ると私は予想する。つまり、私が最初に予想した「再帰グーグル八分」に一歩近づくわけだ。

もちろん、ネットからエロとスパムが一掃されるのは悪いことではないが、その決定権をグーグルに与えてよいのか、ぜひともこの本を読んで現在どのようにグーグル八分が行なわれているか知った上で考えていただきたいと思う。