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2009-07-26

アテンションとエコノミーの間

お金とは、「シェアできない」という性質に注目して食べ物を抽象化したシステムではないかと思う。

「システム」と言うとコンピュータを使ったものを思い浮かべてしまう人が多いが、コンピュータがなくても機能しているシステムはたくさんある。

オフィスの机の上に「未決BOX」と「既決BOX」があって、人がそこに書類を置いていくのだって立派なシステムだ。

お金はコンピュータが無い時代には立派なシステムだった。

たとえば、コンビニの店頭におにぎりとサンドイッチを何個づつ置いたら良いのか、ということには、ものすごくたくさんの要素が複雑に絡みあっている。作る側には材料の手配や製造工程でいくつも考えることがあるし、食べる側には、人それぞれさまざまなニーズがある。おにぎりが好きな人もサンドイッチが好きな人もいて、どちらでもいい人もいて、かわりばんこに食べたい人もいて、何でもいいから食えればいいという人もいる。

しかし、おにぎりもサンドイッチも「シェアできない」という性質を共通に持っている。

おにぎりが3個あって私が2個食べたらあなたの分は1個しか残らない。あなたに2個食べさせてあげようと思ったら、私は1個で我慢しないといけない。

お米もパンもうめぼしも、食べ物に関わるものごとは全て「シェアできない」という性質を共通に持っている。

その「シェアできない」という性質を抽象化したらお金になる。

お金を使うことで、社会全体として最適な資源配分ができる。なるべく多くの人が満足できるように、コンビニの店頭にはおにぎりとサンドイッチがそれぞれ最適な個数置かれている。

社会全体として、抽象化された「お金」というシステムを通して、さまざまな複雑な意思決定を行なっている。

「お金」の有効性は疑うべきもないが、一つだけ限界があって、それは、「シェアできない」ものしか扱えないことだ。自動車でも家電でも、「シェアできない」ものには、食べ物と同じように「お金」による抽象化がうまく働く。

しかし、情報はシェアできる。WindowsのインストールCDを私が1枚持っていて、それをコピーしてあなたに1枚渡しても、私の手元には元のCDがそのまま残る。それが情報の本来持っている性質だ。

だから、情報をお金で扱うには、人為的に「シェアできない」というルールを決める必要があった。WindowsのインストールCDをコピーして人に渡すことは人為的に禁止されている。

WindowsのCDは食べ物の持っている「シェアできない」という性質をシユレートすることで、お金で扱える商品になった。

そのシミュレーションのコストが低いうちは、これは良い選択だったのだろう。

しかし、食べ物は「シェアできない」という性質を本質的に持っているのに対して、WindowsのCDをシェアできないのは、単なるルールであって、もともとそれが持っている性質に反する不自然なルールだ。

情報というものが我々の生活の中で重要になってきた時に、本当は、そこに二つの選択肢があったのだと思う。

  1. 人為的なルールによって情報に食べ物の真似をさせて、お金によるシステムで情報を回す
  2. お金の代わりに、シェアできるものごとを回す為のシステムを開発する

シェアできないものごとを対象としたシステムに、情報を乗っけるのは、矛盾のある数学のようなものだ。

数学を部分的にいじることはできない。たとえば、1+2の答えだけ4にして、他の計算は全部今まで通りの数学を作ったとしよう。1+2を計算する人は困るかもしれないが、それ以外の人は普通に計算できるから、それくらいの修正ならかまわないように見える。でも、数学というのは、ほんの少しでもおかしなことを認めると全体が崩壊する。

1+2=4だったとして、両辺から1と2を引いたとする。そうすると、左辺は、1+2-(1+2)だから0だ。右辺は、4-(1+2)で、これは普通の計算だから1だ。0=1になってしまう。1=0が成立すると、両辺に好きな数字をかけることで、全ての数字が0と等しくなり、世の中にある全ての数字が等しいことが証明できてしまう。

金融というのも情報を売る仕事で、投資ファンドにお金が集るのは、その情報に値段がついているようなものだ。「あそこが確実に儲かる」という情報がコピーされるのを止める手段はなくて、それが無限に増殖して破綻する。

どれだけおいしいおにぎりが開発されても、おにぎりが「シェアできないもの」である限りは、こういうタイプの破綻は起きない。

情報のような「シェアできるもの」に関する資源配分は、お金とは別の抽象化の仕組みが必要なのだと思う。

コンテンツやメディアやソフトウエアの企業は、儲けすぎるか儲からなすぎるかどっちになってしまう。

儲けすぎるのも儲からなすぎるのも、社会全体としてリソースの配分が狂うから、同じようによくないことだ。そして、どちらも同じ原因で起きている。

「情報」という「シェアできるもの」を、「お金」という「シェアできないもの」にマップしたことで、システムの底が抜けているのだ。何でもありだけど、普通の計算ができない馬鹿な数学のようなことになっている。

「情報」が紙やCDのような物理的な媒体に乗っているうちは、まだ、その無理を押し通すことができたのかもしれない。しかし、ネットによって「情報」が本来持っていた「シェアできる」という性質が表面化してきたので、この矛盾はこれから拡大するだろう。

「アテンションエコノミー」とは、アテンションとお金が連結されることではない。

「シェアできないもの」はお金(エコノミー)で回り、「シェアできるもの」はアテンションで回り、両者が無関係に並立することだ。人間にはどちらも必要だから、二つの世界を半分半分で生きることになる。

「アテンションエコノミー」を「情報でお金を稼ぐこと」と見て、みんなでその方法を模索しているように見える。でも、それは、1+2=4のような矛盾を「シェアできないもの」の世界に持ちこむことであり、ローカルには成立しても、そこから矛盾が拡大して、いずれ破綻する。

「お金」というものの歴史は古いから、この切り替えは簡単な話ではなくて、似たような破綻はこれからも何度も繰り返されるだろう。でも、本当の安定した着地点は、両者を切り離すことにしかないと私は思う。

これまで「お金を稼ぐ」ということが一人前である証とされてきた。お金を稼げることは、「シェアできないもの」の世界の中で、社会に対して何らかの貢献をしている証明になるからだ。その仕事の内容や成果物を個別にトレースしなくても、回り回ってその仕事が誰かの為になっているから、その人はお金を稼げるわけで、その人が高い確率で世の中に貢献していることは間違いないだろう。

それが揺らいでいるのは、「お金」というシステムに対する信頼が揺らいでいるからだが、それは、無理して「シェアできるもの」を「お金」に乗せようとしたからだ。「お金を稼ぐ」ということにうさんくささを感じたり、忌避したりするのは、その矛盾を本能的に感じているからだろう。

しかし、「シェアできないもの」については今でも「お金」は有効なシステムであり、「お金」と「シェアできるもの」を切り離せば、信頼も取り戻せる。

その為には、「アテンションを稼げる」ということも、それだけで「お金を稼げること」と同等に、社会に対する貢献をしているものとみなさなければならない。もちろん、その為には「アテンション」という指標も、もっと整備されるべきだが、そこにおいても、「シェアできないもの」と「シェアできるもの」を切り離す、つまり、「アテンション」と「お金」を切り離すことが前提条件として必要になるだろう。

人は、「シェアできないもの」と「シェアできるもの」を両方とも必要としていて、どちらも、一人で作ることはできない。どちらにもコラボレーションの為のシステムが必要だが、両者を連結しないといけないということは無いと思う。

両者を連結して、「シェアできないもの」と「シェアできるもの」を一括して扱おうとするから、おかしなことになってしまうのだ。

一日一チベットリンクインド総選挙の成功に思う: Professor PEMA News and Views ペマ・ギャルポ

なまえなまえ 2009/07/29 21:26 第一に、筆者はシェア(分担・共有)の意味とコピー(複製)の意味を取り違えてませんか?
読み手のかなりの協力が必要とされる文章と思います。
度々出てくる例の提示は読者を都度、混乱させています。
長い文章ですが、論理の展開がまったく良く分からなく、つまるところ何を言いたいのかさっぱり分かりません。
非常に日本人的な、論理の横飛びにて書かれた文章で、英語圏でこうした文章を書くと全部読んでもらうのは困難ですし、落第です。

essaessa 2009/07/29 23:20 このエントリを書いた者です。自分としては一生懸命書いたのですが力足らずで申し訳ありません。
「シェアできる/できない」は「共有することで使用価値が減る(分割される)/減らない」と書いた方が明確だったと、読みなおした時に思いました。

ところで、「落第」の文章はネットの中には他にもたくさんあると思いますが、あえてこのブログにコメントをいただけたのは何故でしょうか?このエントリは、他に類を見ないほどどうしようもなくひどい文章であるということでしょうか?できれば、どのへんが「日本人的」なのか、もう少しだけ詳しく教えていたけるとうれしいです。

なまえなまえ 2009/07/30 21:31 こんにちは。通りすがりのものです。
私の理解が正しければ、筆者さまは「かつて『お金』と『モノ』は等価であって
コピーが可能なモノに対しては従来のお金のシステムは機能しない」という
趣旨であろうかと思います。

ここでふと思いました。
おにぎり(コピー出来ないもの)とお金は果たして等価であるか。
おにぎりはいずれ消費されるか廃棄され実体がなくなりますが
お金は消費されて別の誰かのところに行くかあるいは貯蓄されます。
つまり社会全体としてはお金は「残り」ます。
おにぎりでなくとも実体のあるモノは何らかの形で社会から無くなったり
価値を失ったりしますが、お金はお金のままです。
もっともお金の価値も変動がありえます。
昨日のおにぎりの値段と今日の値段が異なった場合、おにぎりが全く
同じものだとしたらお金の価値が変わったということになります。
物々交換の時代ならともかくも、この現代では実体のあるモノと
お金とを等価と結び付けること自体に無理があるように思います。

お金とは、プロダクトが生産される時に発生するコストと労働力に
対する対価であり、それはおにぎりやサンドイッチなどそれは実体のあるモノでも
情報のようにコピー可能なものであっても同じなのではないかと。
「情報」というのは単に隣家から聞いた噂話のようなものから、戦場で
見聞きしたレポートまで様々なものがあります。命を張ったものもあるかもしれ
ませんし、知恵を絞って集めたものかもしれません。
いずれにしてもそこには「労働」を伴います。
お金とはその労働に対する対価ではないでしょうか。

老婆心ながらこのような記事では話題の中心となる言葉の定義が必要と
思われます。また客観的検証を得るために先行研究からの引用も必要では
ないでしょうか。

とおりすがりとおりすがり 2009/07/31 18:14 essa様、なまえ様
(1)排他的に価値を享受しうる資格を、諸々の価値の間で一元的に定量化する『お金』という仕組みは、モノの使用価値など排他的性質の価値を取引するには有効な媒体だった。
(2)人間社会が価値を見いだす対象が、モノから情報へと移りつつある。
(3)情報はコピー可能であり、人為的に媒体を制限しない限りは、排他的に享受する性質をもたない。
むしろ、コピーされ共有されるほどに価値が増大する。
(4)人間社会が、価値を創出した者に属人的に対価を帰属させ続ける限り、(2)(3)の事情があれ、情報が創出した価値を交換して個人に帰属させる媒体は依然必要。
その媒体としてお金がふさわしくないなら、どんな媒体ならいいのか。注目を集めて尊敬されることか?
ということが議論されていると理解しました。
とても興味深い内容ですし、そんなに論理の横飛びがあるとも思いませんでした。
 なまえ さんは、情報それ自体には価値がなく、それを入手するまでの労働に対する対価としての価値があるのみだとされていますが、私はそうは思いません。
 情報の入手や創出にかかる労働コストと、その情報の価値とはイコールではないのでは?
 渾身の力作が評価されず、やっつけ仕事が思わぬ大ヒットとなることもあるのですから。
 先行研究の引用もない、主観的なコメントですみません。

なまえなまえ 2009/08/01 10:50 とおりすがりさん

こんにちは、コメント拝見しました。2番目に書きました「なまえ」です。

私は情報自体には価値がないとは言っていませんよ。
当然支払われるべき価格には当然その情報の価値そのものも
含まれているはずです。
やっつけ仕事でも需要のある情報を生み出せたなら
「需要があるとみこんだ」ということも労働のひとつです。
これはコピー出来ないものに対しても同じことが言えます。
もし家の庭で偶然採れた天然もののみかんのほうが丹精込めた
温室ものより大変おいしかったり貴重だったりすれば価値は高くなります。
「シェア」の概念にしても、例えばおにぎりを分割したとして
その価値が減るとは限りません。分割してでさえ欲しいという人や
場面があるかもしれません。

私が言いたかったのはこの記事に書かれた内容が主観であるにせよ
ないにせよ、論理展開に矛盾があるのではないか、ということです。
まず「モノ・情報・金」の関係についての説明。考え方に善し悪しは
ありませんが、主張そのものに無理はないのだろうか、
「筆者さまの言う○○(例えばシェア)はどういう定義付けなのか」
「何故ここにこの話題が出てくるのか」「Aの説明の後にCという
結論が出るのは何故なのか」「タイトルと内容の関係は?」等、
全体としてポイントがよくわからないのです。
価値意識は人それぞれ自由ですがそれを主張すべく論理に欠けているのでは
ないかと申し上げたかったのです。
いくら独自の視点でと言っても、主張を読んでもらい、理解してもらうには
それを押すべく論理、基礎知識、検証が必要なのではないかと思います。
もっとも筆者さまがこのブログをどのようなものにしようとしているのかにも
よりますが。

ネルリネルリ 2009/08/04 21:51 こんばんは。この記事に魅力があって、集まっているのだと思います。私も含めて。。。
ネットの世界は死後の世界と一緒で時間も空間をもゆがめて
自分の興味へ即アクセス☆
そして、我々がこの一つの問い
「物々交換で金でも紙幣でも信用でもない 概念」
(問いの立て方で制限されてしまうのでこれも仮)
に興味をもち、その周辺(論理的組み立ての脇の甘さ)や
(前提ー価値ある論を皆で展開するための 素地というか。。)
を求めているのでは?
または、なんだかもやもやとして、反応してしまうコメント!
というのも無意識で引っかかる何か。。の証明で
よっぽど 発展に有意義に働くトリックもあるかも。

私は情報をお金という従来の方法でやりとりする息苦しさというか
ぴったりこなさ感覚をとてもこのエントリーで
言語化していただいたことに感謝していますよ。

その答えも、求める人にはどこかにあるとも思っています。

ネルリネルリ 2009/08/04 21:51 こんばんは。この記事に魅力があって、集まっているのだと思います。私も含めて。。。
ネットの世界は死後の世界と一緒で時間も空間をもゆがめて
自分の興味へ即アクセス☆
そして、我々がこの一つの問い
「物々交換で金でも紙幣でも信用でもない 概念」
(問いの立て方で制限されてしまうのでこれも仮)
に興味をもち、その周辺(論理的組み立ての脇の甘さ)や
(前提ー価値ある論を皆で展開するための 素地というか。。)
を求めているのでは?
または、なんだかもやもやとして、反応してしまうコメント!
というのも無意識で引っかかる何か。。の証明で
よっぽど 発展に有意義に働くトリックもあるかも。

私は情報をお金という従来の方法でやりとりする息苦しさというか
ぴったりこなさ感覚をとてもこのエントリーで
言語化していただいたことに感謝していますよ。

その答えも、求める人にはどこかにあるとも思っています。

別の通りすがり別の通りすがり 2009/10/08 09:57 落第、などと上からモノを言っている人も居ますが、個人的には興味深く読ませて頂きました。
自分でも考えてみたいと思います。

PassengerPassenger 2009/11/13 20:24 落第、などと上からモノを言っている下品な人や、英語圏では通用しない文章と勝手に決め付けている人もいますが、個人的には大変興味深く読ませていただきました。


このエントリーを読んで頭に浮かんだのは、聖書にあるキリストとその弟子が自分の手元にある5個のパンと5匹の魚を約1000人の群衆に配布した、というエピソードです。

食料や形のある物質であれば自分の手元にあるわずかなものを大勢の人に配布することは不可能なのでキリストの行った事は「奇跡」とされています。

しかし、テキスト・ソフトウェア・音楽データといった「情報としてやりとりされるもの」は自分の手元にあるわずかなものを大勢の人に配布することが可能だったりします。

仮にネット回線が完全に整備され、それぞれの個人が自分の家屋を土地を持っていて一定量の食料が生産可能であるコミュニティがあると仮定すれば、現在使用されている「お金」の必要性というものはかなり軽減されるように思います。


「身分モデルとラーメンモデル」論に加えて、この件についてももう少し考えてみたいと思います。

leoleoleo3leoleoleo3 2009/12/19 18:14 興味深く拝読しました。わたしも環境とか地域振興とか考えるにつけて、貨幣経済との関係に考えが及ぶとある種の「息苦しさ」を感じていました。少し、ヒントをもらえたような気がしますし、息苦しさを言語化テキスト化してもらえて、大変、感謝しています。
シェア可能なモノと不可能なモノ、両者の関係を見極めていきたいと思いましたよ。
ありがとございますだぁ〜。

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