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2011-03-29

罪を憎んで人を憎まず

「○○は私たちの国の中に人が住めない場所を作ってしまった」という文の主語に、あなたは何を代入するだろうか?

東京電力?民主党?自民党?原子力業界?日本の硬直化した意思決定システム?

私はこういうべきだと思う。

「私たちは私たちの国の中に人が住めない場所を作ってしまった」

今回の事故はあり得ないような大きな天災が引き金になったことは間違いないが、防げないものではなかった。古い原子炉の危険性はあちこちで指摘されていたみたいだし、地震が起きた後の対応も不手際がいくつもあるようだ。

正しい対応を妨げるようなシステムを何重にも私たちの社会は持っている。これからその犯人探しがはじまるだろう。

しかし、その裁きは「平穏であるべき私たちの生活に異物が侵入してきた。これから私たちはその異物を徹底的に排除していく」というような形ではうまくいかないと私は思う。

なぜなら、そのような認識は、「正しくものごとを制御すべきどこかの誰かと、制御されている無力な私」という世界観を背景にしている。つまり、社会から自分を除外することで成り立っている。暴走する巨大技術の根っこは、この世界観そのものだ。

20世紀は官僚制の世紀で、官僚制とは単一帰属の世界だ。そこでは、人は、制御する側か制御される側のどちらか一方にだけ所属している。

1945年に、私たちは、この世界観を変えることができる一つの機会を持った。その時に「私たちがこの戦争を引き起こした」と考えるべきだった。もしそれができたら、私たちにとって20世紀はもっと違う世紀になっただろう。

しかし、その時、私たちは「正しくものごとを制御すべきどこかの誰かが戦争を引き起こし、無力な私はそれに巻き込まれて被害を受けた」と考えた。その形の反省は、システムを改良するためには役に立たなかった。

今度は、もし本当にやり方を変えようと思うなら、「私たちは私たちの国の中に人が住めない場所を作ってしまった」と考えるべきだと思う。

つまり、「彼ら」と自分たちは、どこかでつながっているという感覚を、自分の感じるリアリティの中に持ちこむべきだと思う。

たとえば、私にとって「彼ら」とは、「理想と現実が分離して交わることがない」という信念を持った人たちだ。

原子力利権にかかわる人たちは、そういう人が多いと私は想像している。彼らは、「理想」を拒否することで「現実」を基盤として日本を守ろうとしてきた人たちだ。代替エネルギーや段階的な脱原発や一レベル上の災害対策等は、彼らにとっては「現実」を侵食する「理想」であって、何としても排除しないと大事なものが守れないものだ。

そう、彼らもまた大事なものを守ろうとしていたのであり、私はその大事なものとつながることができなかった。

私は、「理想と現実が分離して交わることがない」という信念を持った人たち、とは対話が成立する見込みがない、という信念を持っている。時に私は、その信念を守ろうと必死になって何かを犠牲にする。

私は自分の大事なものを守ろうとして、彼らとつながることができなかった。私が彼らを排除したように、彼らも私を排除して、対話が成立することなく原子力発電所は必要以上に危険なまま放置されて大事故を起こした。

「罪を憎んで人を憎まず」は道徳とかの話じゃなくて、非常に実用的なライフハックだと思う。

人を憎んで人を排除しても、システムは変わらない。システムの欠陥を直視すべきなのだ。罪とはシステムの欠陥だ。そして、私たちは常にシステムの欠陥の一部なのだ。人を排除しても、私たちの中にあるシステムの欠陥は形を変えて残ってしまう。

システムの欠陥とは、社会が「制御する側」と「制御される側」に分断されているという信念だ。これが対話を妨げ、互いの被害妄想を引き起こす。

その信念は、もう古いと思う。私たちは多重帰属の時代に生きている。

ツイッターやネットが世界を変えているのではなく、変わっていこうとする世界に敏感に反応しているのがツイッターやネットだ。

人は、できるだけ多くのクラスタに所属して、そのクラスタを変えることを通して、世界を変えていくべきだと思う。

人は、できるだけ多くのクラスタに出入りして、クラスタ同士の対話の架け橋になることを通して、世界を変えていくべきだと思う。

クラスタなんて幻想だけど、官僚制や単一帰属も同じように幻想だ。幻想を通して、人は世界を把握して世界に関わるのだから、同じことだ。

ツイッターも原子力発電所も、私たちが想像したから生まれてきたのだ。社会が作るものは、私たちがそのリアリティを受け入れなければ、存在することはできない。

私たちには、ツイッターを創造し運用する力があり、原子力発電所を創造し運用する力がある。

多重帰属をベースにした、もっと対話の豊かな社会を創造する力もきっとある。安全な原子力発電所を創造する力もあるし、原発抜きで充分なエネルギーを供給できる社会を創造する力もある。その選択をする為に充分な数の対話を構築する力もきっとある。

でもその前に、「私たちは私たちの国の中に人が住めない場所を作ってしまった」ことを、自分を主語とした上で、直視すべきだと思う。

hikaru_fujitahikaru_fujita 2011/03/29 22:54 この話を読んで、わが意を得たりと言う気がした。内と外の問題を的確に伝えている。
http://hikaru_fujita.blogspot.com/2010/03/blog-post.html

akariakari 2011/03/30 11:28 この話はみんな読んで考えるべきだ、と思いました。

skipturnresetskipturnreset 2011/03/30 15:44 「原子力利権にかかわる人たちは、そういう人が多いと私は想像している。彼らは、「理想」を拒否することで「現実」を基盤として日本を守ろうとしてきた人たちだ。代替エネルギーや段階的な脱原発や一レベル上の災害対策等は、彼らにとっては「現実」を侵食する「理想」であって、何としても排除しないと大事なものが守れないものだ。」

一応、「原子力」ではなく「原子力利権」としてはありますが、なにやら当然の前提のように「原子力に関わる人は理想を捨てて現実に走った人」というお考えのようですが……。

発電は、発電のための資源(燃料、土地などひっくるめて)の確保と表裏一体です。
多くの戦争がそうですが、特に第二次世界大戦などの非常に大きな側面は、資源と市場の争奪戦でした。
限られた資源で莫大な発電を出来る原子力発電の推進には、そうした資源の争奪戦や、その結果の戦争を避ける夢のエネルギーとしての期待を込めた、熱い理想も関わっていた筈です。

原発とその事故のリスクも恐ろしいですが、激烈な資源争奪戦や戦争は恐ろしくありませんか。
現に、今も世界中で特に石油資源や天然ガスを巡る争いは、戦争や内戦となって頻発していませんか?
少なくとも、それを悲しみ、憎み、「原子力」という夢に賭けた意志を「理想」と呼ばないのだとしたら、随分と素敵過ぎる定義だと思えますね。

勿論、その「理想」には多くの誤りも含まれていたと思います。
ただ、それも確かに「理想」であったことは認めないと、まともな議論などできないと思いますよ。

skipturnresetskipturnreset 2011/03/30 15:56 原子力が「夢のエネルギー」と呼ばれていたのは全て欺瞞で、そこには一片の理想すら含まれてなどいなかったとでも?……あのさ、鉄腕アトムはなにを原動力にして動く設定だったかな?「今」だけを基準に物事を考えないで欲しいと思う。

essaessa 2011/03/30 18:16 確かにそこには偏見が含まれているかもしれませんが、私が、ツイッターに積極的な評価を与えた上で、それを原子力発電所と並列に置いていることにも注目してください。
また、過去のエントリでは、ツイッターに対する懸念を表明しています。http://d.hatena.ne.jp/essa/20100422/p1
技術そのものは何でも無色透明で使い方次第だと思います。当然、そこに自分の「理想」をかけた人がたくさんいることも理解できます。
ただ、そういう人たちの声を生かせない構造が、原子力業界には強くあるようにも感じます。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-20331720110330
たとえば、この記事によると「東京電力の原発専門家チームが、同社の福島原発施設をモデルにして日本における津波発生と原発への影響を分析」したレポートが4年前に発表されていたそうです。
こういう声を外からサポートできるような社会を作れなかったことが一番考えるべきことだと私は思います。

skipturnresetskipturnreset 2011/03/30 19:21 えーと……まず、原発とツイッターが並列で論じられているのか、さっぱりわかりません
過去も含めた原発推進派にあっさり"理想を持っていない"とレッテルを貼ったのと逆に、twitterには過大な"今と未来を支える技術"という幻想を持ち過ぎていませんか?

ネットの情報に浸っていると、まるで凄く多くの人々が今回の震災の情報のかなり大きな部分をtwitterから得ているかのように思えてしまうかもしれません。
でも、実態はこんなものだそうですよ

「5周年を迎えたTwitter:最初のツイートと震災のこと」
http://capote.posterous.com/twitter-marks-the-fifth-anniversary

そりゃあ注目度は高まり使用者も使用頻度も増えていますが、この程度です。


例えば原発の問題にしろ、関東以東にいると(ちなみに僕は東京です)、

"今まさに日本国民全員が揃ってその深刻な脅威を実感しつつある"

という感覚になってしまいそうですが、例えば計画停電や放射線への危機感に晒されたてない関西では全く印象が違うようですよ。
時間としても場所としても技術やサービスにしても、自分の感覚=世の中の感覚、とすぐ思い込んでしまうのはどうかと思います……。

skipturnresetskipturnreset 2011/03/30 19:45 あと、こちら↓の原発の危機管理体制についてですが。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-20331720110330

確かに酷かったみたいですね。

ただ、これのどこが「「理想」を拒否することで「現実」を基盤として日本を守ろうとしてきた」結果なんですか?

もしも、東電が"こと原発に関してだけ"対応が酷かったりリスクを過小評価してたというならば。
確かに「原発を巡る"理想"と"現実"の問題」と議論を結びつけることができそうです。

ただ、例えば事故後の対応はどうだったでしょうか?

社長が雲隠れの挙句、数日後になってようやく"病気でした"といってくる、唖然として声もでない顛末。
計画停電発表時のドタバタ。
記者会見の対応の酷さ。
安全性確保の不備による作業員の防げた被曝等々。

過去にせよ現在にせよ、東電の危機管理なり情報公開なりは余りにも問題だらけ。
これは誰も否定出来ないでしょうし、僕だって否定しません。

"リスク管理は正確に行え"
"大事件突発時にはトップがしっかりしろ"
"危機に際した情報公開は「出来ないわからない」ことも含めて正確に伝えろ"
"責任がある事件の記者会見では誠実に対応しろ"
"作業時には作業員の安全を適切に確保しろ"

これらって、殆ど「理想」とかそんな高尚な議論ではありません。
また、対原発に限った問題でも全くない。
単に東電という組織の「現実」への対処がボロボロだ、ということに思えるんですがいかがでしょうか。

例えば、原発とは全く関係ない想定。
"主要な火力発電所が一斉に災害なりテロなりで発電できなくなり大停電"といった事態だったとしても。
あの社長がまともに対応できたとも、計画停電の際の処置が抜本的によくなったとも、記者会見をまともにしてくれたとも想像し難いんですが。

それなのになぜ、原発を巡る"理想"と"現実"の話題に無理に関連付けようとするのかまるでわかりません。

skipturnresetskipturnreset 2011/03/30 20:34 それと。

「「原子力という夢に賭けた理想」云々っていうあなたは、東電擁護じゃなかったの?」

とかもし言われるとげんなりしてしまうので、一応。

つまり、言いたいことはですね。

「現実に屈せず理想を!」とか"倫理的"で一見もっともそうで。
「面倒な論理も理屈も勘弁だけど、とにかく何かしたい!」とかいう人達が感動しちゃいそうな煽りなんざで。
問題が解決したら世話はない、ってことです。

原発は危ない。
多くの専門家の主張よりも、また、僕も含む多くの日本人が思っているよりも、ずっと危なかった。

でも、そこで少しでもその危うさを減らすために必要なのは薄っぺらい理想や煽りではなく。
他の代替エネルギーも絡めた現実的なリスクとコストの計算、論理と確かな論拠に基づいた合理的な対策なんですよ。


ちなみに。
ネットのむやみに「意識が高い」ことが自慢で声が大きい人達に比べて。
そういう皆さんが「意識が低い」と馬鹿にしそうな"世間の声"ですが、こんな聞き取り調査をご存知ですか?

「NHKは今月22日から24日にかけて、今回の原発事故で避難生活を送っている周辺住民あわせて104人を対象に、聞き取り方式でアンケートを行いました(中略)アンケートでは、今回の事故を受けて原発の必要性についてどう考えているのか尋ねたところ、「まあ必要だと思う」(31%)と「必要だと思う」(21%)が合わせて52%となっている一方で、「それほど必要だと思わない」(8%)と「必要ない」(39%)が合わせて47%」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110326/k10014915771000.html

いつの間にか、初出では同じNHKニュースで「原発の必要性で意見分かれる」だった記事題名が、「周辺住民 原発に疑問の声」に代わったりしてますけどね。

アンケートなので、具体的にどんな質問だったのか、どのような聞き方をしたのか等で、結果は大きく違ってきてしまうので、一概に信用はできません。
また、"回答者たちが事故前はどのような意見で、それからどう変わったのか"が分からないと片手落ちではあります。

ただ、それでも実際にまさに原発事故の被害を受けた人々でさえ、「まあ必要だと思う」(31%)「必要だと思う」(21%)のだそうですよ。
"今回の事故で誰もが、原発はいらない、廃止すべきだってわかったでしょう!"という類の声と、随分差がありますね。

勿論、"被害にあった周辺住民の声=正しい"なんて等式は成り立ちません。
ただ、"必要"という賛成住民に対して。
ごくあっさりと"それは意識が低いから"とか言えちゃう人は、僕はすごく怖いと思いますね。
なんでそんなに自分の正しさを確信できるのか、僕にはまるで納得できませんから。

ちなみに居るんですけどね、実際に↓
http://ceron.jp/url/www3.nhk.or.jp/news/html/20110326/k10014913411000.html

echan
2011-03-26 12:04
「この期に及んでもまだ賛成ですか! 原発の必要性について、周辺住民へのアンケート。」

Atsuko Kurita
2011-03-26 08:34
「ワタシはこの2週間でこのニュースが一番ショックだった。こんな町が丸ごと無くなるような災害になってもまだ52%は必要だと思ってる。人間は悪魔に魅入られてしまったの?」


なんでしょうね。

"原発の身近で説明も受け考えもしつつ暮らして来たであろう人たちより、自分たちこそは危険性と反対の意義を知っている"

とでも思っているんでしょうか?

そういうのが"理想"を持った人の姿だというなら。
"理想"なんざクソくらえですね。ふざけんな。

僕は、そういう情緒的で無責任で無反省な意見を憎みます。

nanaminonanamino 2011/04/25 00:51 それは真っ当に見えて危険な論法ですね。
「一億総懺悔」
太平洋戦争の後も、天皇はじめ当時の首脳部が温存される一方で、BC級戦犯がろくな裁判も受けられずに処刑されていきました。
共同体全体に責任があると捉える事は、強い者を免責し弱い者に被せる事にも繋がります。
ご自分が自省なさるのは結構ですが、それならば主語は「私たち」ではなく「私」でいいでしょう。

さとさと 2011/11/25 17:09 主語が「私」ではなく「私たち」である必要が、このお話の中にあるのではないかと考えます。「私」に限定した意識ではなく、「つながりを持った私」としての意識が「私たち」という表現になるのかな、と。この場合の私たちとは、「同じ主義主張・思想・行動規範を持った人々」ではなく、「同じ世界(?)を生きている人」という意味なのではないかと読みました。

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