Hatena::ブログ(Diary)

Love Yourself

2017-07-24 第2515号

慢心。

親愛なるあなたへ

なんだか世間は「傲慢・慢心」を勘違いしているところがあって。

心から楽しんでいるのが慢心ではない。

頑張った自分を褒めるのが慢心ではない。

「これだけやった」と自信を持つのが慢心ではない。

慢心とは大事なことを「こんなもんでいいだろう」と済ますことです。

そこには「自分は優れている」「自分が一番だ」という隠れた意図があります。

by You

2017-07-23 第2510号〜第2514号(7/22の続き)

論理は情熱にかなわない。

親愛なるあなたへ

私は化学を研究してた通り、また経営が好きな通り、論理的なもの、合理的なことをとても大切にする人間です。

また、才能が高みへ導いてくれることも確実にあると思います。

ただ、人間最後は「情熱」だと思うのですね。

論理と才能は人間の頭で知覚できるものである。

だから、行き着く先が分かる。

ところが情熱は理屈で説明がつかない。

行き着く先も分からない。

説明がつかないし行き着く先も分からないけれども、何故か非常な高みまで引っ張りあげるという結果が「もれなく」ついてくる。

そういう人智を超えた概念だと思うのです。

松下幸之助さんでも他の偉人たちでも、「最も大切なのは情熱だ」とこれは歴史を超えて語り継がれているところに一つの真実があると思うのですね。

論理と才能は大した問題ではない。

必要だけれども大した問題ではない。

「情熱」がその他すべてを何故かカバーしてくれる、ということです。

by You

思い知る。

親愛なるあなたへ

人間は今の実力を突き付けられると自然と謙虚になるようにできていると思うのですね。

自分に実力がないことを知る。

心底思い知ったところから実力は伸びていくものだと、そのように思います。

by You

究極の欲深い人になる。

親愛なるあなたへ

生きる上での「究極の指針」は「欲深い人になること」だと思うのですね。

それは、最強の力を借りる、ということ。

ラクをする、ということ。

「相手のために」と思うから苦しくなる。

「好かれよう」「嫌われたくない」と思うから人目が気になる。

それは今までやってきたのですからもうやめにしましょう。

「宇宙の好意を私だけは受ける」

周りに嫌な人がいたら「この人たちは自分の力だけで生きていかなくてはいけないのだな」。

そして、世間ができていようがいなかろうが「私だけは力を授かる」。

私だけは、私だけは。

そういう欲深い人になると、正しい道を自然と歩けるのでは、と思うのですね。

by You

2017-07-22 第2510号〜第2514号(7/23へ続く)

米を研ぐ。

親愛なるあなたへ

お米を研いだことがあるでしょう。

最近は無洗米がありますからそのまま炊けるのかもしれませんが、水を入れた釜やザルでお米をかき回しますね。

すると上に浮いてたお米が下に沈んで、下に沈んでたお米が上に上がってくる。

ただ常に上にいるのではなくて、それがまた沈み、また上がってくる。

まるで米粒ひとつひとつが私達と同じようです。

常に下にいることもない。

かといって、常に上にいることもない。

そうやって上下を繰り返しながらやがてお米は磨かれていきます。

上下があって「大変だ」、と人はこれを憂うのですけれども、そうやって山あり谷ありの日常を送ることで人間が練れてくる。

自然の摂理として、「研磨」という生成発展の方向として上下が必然と生まれてくるのですから、そう心配することもないと思うのです。

いつも上にいることはないから浮かれて飛び跳ねることもない。

かといって常に下にいることもないからまた悲観することもない。

程度の差こそあれ上下に揺れてもただ希望を持って進めばいいと、そんな風に思うのですね。

by You

場所代としてなら。

親愛なるあなたへ

私は住んでるマンションや訪れた自然のゴミを拾いますが、その心は「運がよくなるかもしれない」という私心一心。

ただ「立派な行為だ」という強迫観念にかられないよう常にこう考えています。

使ったんだから「場所代」を払う。

これでプラスマイナスゼロ。

そこへ運がよくなるから、トータルプラス。

立派は行為は、「義務としてプラスマイナスゼロ」のあと自分がトクすると考えればいいのだと思います。

そうすれば自分がトクするために当たり前のことなんだから、立派な行為、という苦しみはなくなるでしょう。

by You

2017-07-18 第2505号〜第2509号(7/17の続き)

5割打者。

親愛なるあなたへ

運の存在、の証明かどうかは分かりませんけれども、私が所属したところは何故か「初めて1番を取る現象」が起きます。

(1)飲食店A:テナントビル内(約50店舗)年間売上初1位

(2)飲食店B:12月度売上過去最高

(3)携帯ショップ:月間新規台数県内初1位、データ端末部門全国初1位

(4)コンビニエンスストア:管轄地域年間売上初1位、日間売上過去最高(その日シフトに入っていました)

(5)個別指導塾:受験進級率全国初1位(100%、塾長も20数年で初めてだそうです)、保護者アンケート優秀賞

その他、1位ではありませんが、

(6)ホテル:お客様の来店数上昇

(7)製薬会社:業務部門全支店の大改革

最後の二つ含め、15社中7社、ということは「打率約5割」。

残り8社は感じられる変化はありませんでしたが、ここに書いてあるのは少なくとも半年以上在籍していたものですから「期間のパラメータ」も存在するのかもしれません。

もしそうなれば100%に近くなります。

私がすごいのではなく、ただ「運という現象がある」証明としては100%、でなくとも5割もあれば十分ではないでしょうか。

野球も3割打ったら大変なのですから。

私は父親が物理学者で、自身は大学院で化学を研究していた人間です。

理由は分かりません。

理由は分からないけれども、「運」というのは統計的な現象から存在すると思います。

特別なことではなく、私が記事に書いてきたようなことを実践すれば、誰でも運がよくなる、ということになります。

この記事を書きながらそういう現象がこれまで起こってきたわけですから。

by You

コンビニのおにぎり理論。

親愛なるあなたへ

コンビニのおにぎりは、減ってきたら奥のを手前に引っ張り出す「フェイスアップ」という作業をします。

忙しいときに「しろ、しろ」と上からもうるさく言われるのですが。

ところが、ピーク時は奥にあった方が売れる。

2列あったらお客さんはわざわざ奥の方からとっていく。

「奥の方が新鮮だからじゃないですか」

朝のラッシュ時にそんなこと考えている様子ではなさそうです。

「こんなに売れてるんだ」「だから私も」ということみたいですね。

「理論」では「前面に出した方が見栄えが良くて手に取りやすいから購買意欲が上がる」ということになっています。

でも現実はそうなっていない。

もちろんお客さんの数が少ないときは前に出した方がいいのですが、一番売れるときはほったらかしの方が売れるらしい。

理論より実践で見た現象の方が必ず正しい。

「正しい」とは「結果が常にそうなる」ということです。

by You

まともな判断。

親愛なるあなたへ

私の大阪の住まいは3つの駅のちょうど中間にあるという、交通の便に恵まれておりまして、神戸でも京都でも奈良でも和歌山でも好きなところに行くことができます。

旅のしがいと申しますか、非常に移動のしがいがあります。

すごいのは大阪ど真ん中に住みながら500円でザ・秘境

先日生駒山のふもと「暗渓の滝」なるところへ行ってきたのですが、これが私の愛する「人里離れた大自然」を見事に体現してましてマイナスイオン全開で帰ってきました。

気持ちよく修行ができるいい塩梅の落差と水量。

気取って座禅を組みましたが夕方になるにつれ水温がヤバイ。

結局「修行」になりましたが、それでも大自然に身を置くと非常に頭がクリアになります。

個人的に判断に煮詰まったり「心の眼が閉じてるな」と思うときは、時間が許す限り旅に出たり自然を歩いたりするように。

自然を一人で散策すると正しい判断ができる。

大自然がきっとその「理法」を教えてくれるのだと思います。

我々は普段汚れまくっているのですから一度で聞こえなければ何回も通ってみるとよいでしょう。

by You

2017-07-17 第2505号〜第2509号(7/18へ続く)

打算的な真面目。

親愛なるあなたへ

真面目なのは良いことです。

以前も書きましたけれども、私が真面目を否定するのは「常識にとらわれて」「楽しくない」ケースのみ。

「真面目だなぁ」というのが不思議と悪口で使われる場合があって。

そういう人は自ら責任をとらないで、それすら気づいていませんからそっとしておくしかないのですけれども。

「真面目だなぁ」と言われたら、「相手の信頼を勝ち取るためですから」と打算的な発言をしてみてください。

相手はあなたが傷つかないのを見て、自分が悪口で言ってる嫌悪感からブスッとしてしまいます。

面白いですよ、人間の心って。

by You

尊敬する人。

親愛なるあなたへ

尊敬されると周りから「かっこいい」と思われるでしょう。

だからみな尊敬されたいのかもしれません。

それも結構なことです。

もう一つ、私が「この人素敵だなぁ」と思うのは「尊敬する」人なんですね。

自己蔑視から尊敬するのは少し違うけれども、自分大好き、自信満々な人がときどき「この人尊敬してるんです」と言える人は素敵だなぁ、と思います。

by You

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