Hatena::ブログ(Diary)

Love Yourself

2018-09-04 第2894号〜第2922号(8/17、8/26、9/2の続き)

【八周年】感謝、感謝。

親愛なるあなたへ

先月末、はてなダイアリーのサービス終了が発表されました。

終了時期は来年の春先のようです。

なので、わたくしも「はてなブログ」の方にようやく重い腰をあげて移住しようかなと。

いままでご覧くださったみなさま、本当にありがとうございます。

・・・とは言っても場所が変わるだけで同じように淡々と書いていくのですが・・・。

「八」という「末広がりの数字」で終われるこのタイミングで発表されたのもきっとご縁なのでしょう。

なので次回から場所が変わります。

https://essor.hatenablog.jp/

今までの記事ははてなブログインポートして閲覧できるようにする予定です。(サービス終了後も本サイトを閲覧だけなら可能なようです)

それにしてもよく8年も続いたなぁと思います。

「とりあえず10年」と書きましたけれども、あと2年ですね。

でもこの記事のコンセプトは「成功法則演繹的に証明する」というものですから、いわゆるそういうステージまでは書き続けたいな、と思っています。

人生を変えた時に書き始めた記事が、必ずや強力な証拠となってくれることでしょう。

ぐちゃぐちゃ言うヤツに「言ってできたんだからその通りだろ」「言ってできなかった証明を持ってこい」という二言で誰にも反論を許さないという(笑)

みなさんも、楽しい人生、自分らしい人生を送って「Love Yourself」、自分自身を是非とも好きになってください。

そうしよう、と思えたならその思いは必ず成就するものです。

この記事を見つけたことがきっとその始まりなのですから。

by You

備えの大切さ。

親愛なるあなたへ

「備えあれば憂いなし」

この言葉はまさにその通りで、備えをしていれば安心の波動が出る。

その波動現象を和らげてくれることもあるようです。

by You

欲と自分らしい生き方の関係。

親愛なるあなたへ

自分らしい生き方というのは、結局のところ「欲」や「野心」がないと分からないのです。

だから、自分らしい生き方を見つける前に自らの欲や野心を肯定する。

その欲や野心を実行する。

ほとんどの人は自分らしい生き方は肯定するけれども欲や野心の話になると急に尻込みしてしまいます。

自分らしい生き方をしていない人が、自分の子供や生徒に自分らしい生き方を教えることは不可能です。

私は記事を書き始めたときから一貫して「欲の肯定論者」です。

まずは自分の欲に忠実になる。

是非自分の欲と一番の友達になって自分らしい生き方をしてみてください。

by You

本当にすごい人。

親愛なるあなたへ

同じタイトルで3年ほど前にも書きましたけれども、今回気づいたことを通して「やっぱりそうだなぁ」と改めて。

朝のラッシュ時、「どうぞこの先もお気をつけて行ってらっしゃいませ」と言う車掌さん。

暑い中、工事現場で丁寧に頭を下げる誘導係の人。

夜中に黙々とゴミを集め続けるドライバーの方。

そういう人たち。

目立つことはないけど魂を打ち込んでいる人たち。

こういう人が本当にすごい人です。

by You

久しぶりの挨拶で。

親愛なるあなたへ

久しぶりの挨拶で「どう最近、変わりない?」と聞いてくる人はちょっと注意かも。

本人は愛情のつもりで言っているかもしれませんが、そこには「恐れ」が入っている。

変化に対する恐れが入っている。

だから愛情のつもりで聞いた相手に変化があると豹変することがある。

基本日本人には「変化を恐れる」という国民性がある。

だから、あまりにも頻繁に使うのでそれが「常識」となってしまっていることも。

もちろん全員ではありませんし話の流れによっては筆者も使うことがありますが、「変わりがないことを期待しているよ」という意図が入っていそうなものには十分注意しましょう。

恐れのない人が言う相手を気にかける言葉は、「どう最近?」です。

p.s.

もちろん「どう最近?」にも言い方次第で無言で「変わりがないことを期待している」という意図が含まれる場合もありますので、相手の表情をよく観察しながら。

by You

親切後の話。

親愛なるあなたへ

人に親切にすると後ろめたい、周りからの目が気になる、というのは、原因として「その場にとどまる」ことがあると思います。

親切にしたらその場をさっと離れてみるのはいかがでしょう。

席を譲るのでも。

「いいことした・しない」「好意を受け取る・受け取らない」の微妙な空気の中が嫌、ということも。

不思議なのですが、そういうコミュニケーションが足りない場所ほど全体が違和感に包まれる。

本来はおかしいことなのですけれどね。

まあ今の日本ではそういうこともあるのだろうと。

その場合は自分が離れる。

すると、親切にしてもらった側も「人がいなくなったんだから座らないと他の人に悪い」と「言い訳」が立つので座りやすくなるんじゃないかなと思います。

いいことするときのコツは受け取る側が言い訳がたつようにしてあげることかなぁと思います。

by You

損得でマナーを教える。

親愛なるあなたへ

損得勘定」があまりいいものではない、という傾向が世の中にあります。

本心では損得勘定を望んでいるのに、損得勘定はいけません、と言う。

もちろん、過去に書いたように損得勘定抜きで語るものもあるとは思います。

ただ、損得勘定を全部否定されると、何かが抜け落ちる。

それが「マナー」のような気が。

マナー違反するよりも、損得感情でもいいからマナーを教えることが今の世の中に必要なんじゃないかと思うことがあるんです。

by You

嫉妬と挑戦。

親愛なるあなたへ

嫉妬心が抑えられないんです」「嫉妬してしまう自分が嫌いなんです」

これはごもっともな内容。

結局のところ人間には誰でも劣等感がありますから、多かれ少なかれ嫉妬心というのはあるものです。

ただ、それを理由も分からず振り回されるのと、理由が分かって対処するのと。

以前も書いた通り、嫉妬は「相手が自分の手の届きそうなところにいる」から。

だから、挑戦してみるといいと思いますよ。

by You

私生活を守る。

親愛なるあなたへ

先日亡くなられたさくらももこさん。

著名人であるにも関わらず、本名など、プライベートを最後まで徹底して守られたそう。

記事でも一度ご紹介した「もものかんづめ」は私も大好物なのですが、本のおもしろさと同時にさくらももこさんの人間としての強さを感じます。

本当に強い方で、「特別視されたくない」ということから自由の本質を最後まで謳歌された方なのではないでしょうか。

心から「お疲れさまでした」、と。

注目を集めないってすごい努力がいるのだと思います。

日常の生活って、実はすごいものだと思う。

道を歩いていても誰からも気にされないって、すごいことだと思う。

自由は素晴らしいものです。

もちろん有名になりたければそれに向かっていくとよいかと思います。

有名になって幸せを感じられる人ももちろんいるわけで。

多くの人は会社に勤めていますから、何かしらやらかして注目を浴びてみてはいかがでしょう。

注目を浴びてないうちに是非自由を満喫してみてください。

by You

首相にお疲れさま。

親愛なるあなたへ

先日インターネットを見ていたら、「首相たちの夏休み」という写真付きの記事を見つけました。

壮絶なストレスの中で日本を引っ張っている人が見せる「普通のお父さん」のような笑顔に不覚にもやられてしまいました。

https://www.asahi.com/articles/ASL804PSFL80UTFK00Y.html

思わず「大変な中、いつもありがとうございます」と言ってしまいます。

今も台風について、決して自分のせいではないのに対応に追われていらっしゃることでしょう。

政治の世界というのは全く分かりませんが、もちろん複雑な事情やその他世間に公表できないようなことが多々あるのかもしれませんけれども、それでも、それは政治家のせいではないのに政治家のせいにされている物事帳尻合わせになっているのも、一概に否定できないことなのでしょう。

日本の首相に、「いつもお疲れさまです」。

by You

現代技術に感謝。

親愛なるあなたへ

数十年ぶりの強烈な台風が直撃している現在。

私もマンションの中にいて「これヤバイ」とはじめて感じました。

風でマンションは揺れるし室外機は落ちそうになるし色んな物が飛んでるし。

「物が飛ぶ」ってこういうことなんだと。

該当地域にお住まいのみなさま、是非安全な行動を。

と同時に現代技術のすごさに感服いたしました。

停電したのですが一瞬で回復した。

どういうしくみになっているんだろう。

停電になるということは、外のどこかの線が切れる、ということで。

それが数分後に回復するのは、別の復旧線が用意されている、ということか。

そのためには、使うか使わないか分からないような復旧線のメンテナンスをする人がいるのであって。

私も経営者ばりの小心対策で、大阪都心にも関わらずお風呂に水貯めるわ食糧確保するわ充電器満タンにするわで、ある程度準備していたので停電になっても「キタ!」くらだったのですけれども、それでも「すごいなぁ」と思います。

風でマンションが揺れたのも本当に、竜巻の中なんじゃないかと思うくらい。

命の危険を感じる、と言いますけど、あれ本当ですね。

それでも耐えるこの建物をつくってくれた人がいる。

こういうときに書くのは不謹慎極まりないと思っているのですけれども、もし身を安全に保てるのであれば、こういうときに守ってくれている無言の存在に手を合わせてみてはいかがでしょう。

普段感じないような幸せを感じられることでしょう。

p.s.

大変な状況下の方は早めの避難を。

何があっても、命あってのことです。

by You

2018-09-02 第2894号〜第2922号(8/17、8/26の続き)

死を怖がらない理由。

親愛なるあなたへ

普段、筆者は明るく楽しく生きているので、本当に記事でしかマジメなことを言わないのですが、人間死ぬことをそこまで恐れることはないんじゃないかなぁ、と思うんですね。

もちろん痛いとか苦しいのは嫌なのですけれども、好きなように、自分らしく生きているので、まあいつ死んでもいいだろう、と。

それがもし天命なのであれば。

「寿命」なのであれば。

人間は、みな劣等感を抱えています。

普段気づかないけれども、一人残らず、劣等感を抱えている。

それは今世だけでなく、魂が連綿と続いてきた中であらゆるものが受け継がれています。

だから、今自分自身が抱えているものはそんなに大したものではないから大丈夫なのですよ。

膨大な「過去の記憶」から無意識に来ていることも。

自分が劣等感だと思っているのは表面上だけで、「そう思う根底」には過去の膨大な記憶が眠っている。

魂は、それを承知の上で肉体をまとってこの世に出てきた。

「経験」というのを通じて、いいことも悪いことも、そして過去の記憶から湧き起こる劣等感でさえ道具にして魂を向上させにきた。

その練習が一通り終わるのが、「死」です。

そのとき、今まで背負ってきたものから解放される。

もちろん自殺とかはまた別の話があるのですけれども、それが寿命であれば、今まで背負ってきたあらゆる嫌なもの、あらゆる制約、あらゆる劣等感から解放される。

だから、「死」って、なんか結構いいものじゃないかなと、時々不遜にもワクワクしてしまったりするのです。

死は嫌なことから全て解放しくれる。

だから一生懸命生きればそんなに怖いことではないんだと、そう思うときもあるんですね。

by You

宗教が嫌われる理由。

親愛なるあなたへ

世の中にはいろんな宗教がありますが、仏教キリスト教などの有名なものから怪しい新興宗教まで、本当に多種多様の考え方があると思います。

個人的にはどこかの宗教に属しているわけではないのですけれども、私なりの宇宙観なり人生論を持っています。

その中で、例えば自分の家族が何かの宗教に属したとか、おかしなことを言い出したというとき、「大丈夫でしょうか?」と心配になるのは当然のことだと思います。

何故、宗教にハマると人は心配するのか。

それは、宗教にハマるのは「自分で考えることを放棄するから」です。

これを、人間の心は敏感に感じ取るのですね。

不思議なのですが、私の考える「神さま」もいて、この神さまは自分で考えることを放棄するのを許さないようなのです。

だから変な話ですけれども、神について考える宗教にハマった結果、神さまから援助を受けられなくなる人、というのも。

迷いが生じたらいろんな宗教を見てまわるとよいかと思います。

ただし、そのときも常に「自分で考える」ことを忘れないこと。

心の栄養が切れて一時期所属することがあっても、魂まで預けないこと。

なんだか「宗教批判」になっているみたいですけれども、本来、宗教というのは素晴らしいものです。

古来の知恵、この世の中のあらゆる本質をお釈迦様もキリストも説いてきました。

だから、その素晴らしいものに触れるならば、その本来の目的を是非全身で感じていただければと、そんな風に思うのですね。

by You

一人から始める。

親愛なるあなたへ

「愛情」については、色んな人が色んなことを言いますけれども、最終的に自分自身を、自分が一人であったとしても幸せにできる人がはじめて「本当の愛情」を与えられると思うのです。

一人になったこともない、周りに人がいても自分を幸せにできない、ずーっと愚痴・悪口・心配事を言ってる、そんな人が「お前のためだ」という言葉や表情・雰囲気で愛情を与えていると思うのは、やはりどこかが歪んでいる。

この歪みは普段気づかないだけで、現代日本の家庭に、職場に、学校に、他にもあらゆる関係に潜んでいると思います。

そこまでひどくなくても、愛情だと思っていることが、実は相手への依存や執着、これは本当に、親になられる方は自分の子供に対してどうだろうかと真剣に考えてみる必要があると思うのです。

自分の子供に期待していないだろうか。

自分の子供に嫉妬していないだろうか。

自分の子供こそ「我が人生だ」と考えていないだろうか。

自分一人でも満ち足りた気持ちを味わえる工夫をしている人が、本当に愛情を与えられるのだと思います。

by You

お医者様のパラドックス。

親愛なるあなたへ

この前、歯のつめものが取れてしまったので何年かぶりに歯医者さんに行ってきたのですが、すごく不思議なことを感じました。

歯医者さんは、必ず歯のブラッシングを強く勧める、というか指導するのですね。

理屈から言うと、歯医者さんは患者さんがいるからこそ成り立っている職業であって、それを「歯が悪くならない指導をする」というのは、歯科医という職業に立てば「不利なこと」になるはずですが、不思議と仕事はなくなりません。

むしろ、熱心に指導をして患者さんのために尽くしているところほど混んでいる。

神様には人間の理屈で「おかしいな」と思っても、そこに信念がある人を食べさせてくれるようになっているみたいですね。

by You

我と慢心。

親愛なるあなたへ

人生には我慢が必要。

忍耐が必要。

我慢と忍耐は違うものだと、そういう風に書いた記事もありますけれども、今回は分かりやすく一緒の意味、ということで。

私が尊敬している方のお一人、小林正観さんがこんな内容のことをおっしゃっているのですね。

『人生の我慢。我慢(忍耐)のために我慢(我と慢心)が必要。大したことのない私。』

本当にすごい方だなぁと。

なるほどー、と。

忍耐をもって乗り越え成長するものだけれども、それですら「我」や「慢心」がないと成立しない。

もちろん我々は人間として生まれてくるわけですから、欲や我、その他をバランスよく統合した上で人生を楽しめばいい。

忍耐で乗り切ればいい。

全てを捨てて神様のように悟る必要は、個人的にはないと思います。

そこまで悟れれば生きている意味がないのですから(笑)

ただ、正観さんのような視野の広い方の考え方で、未熟な私達にもパッと分かることがあると思うんです。

by You

人は何故旅をしたがるのか。

親愛なるあなたへ

死ぬときに人が後悔する上位に「もっと旅行をしておけばよかった」というのがあるそうなのですね。

「やりたいことをやっておけばよかった」「周りの目を気にしなければよかった」「もっと自分に正直になればよかった」

これらはよく言われることで、本当にその通りなのですけれども、それでもどこか漠然としています。

何となくそうなのかなぁ、と。

ところが「旅行に行けばよかった」というのは、すごく具体的。

「もっと本を読みたかった」「もっと美味しいものを食べればよかった」「もっと素敵な車を買いたかった」

色んな具体的なものはありますけれども、実はあまり上位に入らない。

人によっては入る人もいると思いますけれども、「旅行をしておけばよかった」というのが非常に多いそうなのですね。

人は何故旅をしたがるのか。

それは、自由を求めているからだと思うのです。

人間の根幹は自由

幸せな成功者やお金持ちも、何故成功したいか、何故お金が欲しいのかと問うと、「自由を得るためだ」と言います。

本当にその通りで。

中には有名になりたい、権力を得たい、贅沢な生活をしたい、というのが一番に来る人もいるかもしれませんが、あまり幸せになれていないような。

死の後悔を聞いてそんなことを考えるんですね。

by You

スピードと量。

親愛なるあなたへ

全ての物事はスピードと量。

どんなことでも「はやいもの」が勝ち。

質にこだわるな、量にこだわれ。

スピードが熱を生み、量が質を生み出すんですね。

by You

フランチャイズ展開について。

親愛なるあなたへ

フランチャイズ展開、通称「FC展開」について私なりの見解を述べたいと思います。

フランチャイズは本部があって、そのノウハウを提供することで自分も同じ看板が出せる、というもの。

私もフランチャイズ加盟店でいくつか仕事をしてきました。

その中で「フランチャイズは本部だけが儲けている」「制約が多い」というお話が。

もちろん、フランチャイズもいろんな会社があるので、中には非合理な契約内容となっているものもあるかもしれません。

ただ、「ビジネス」という基本に則った話だと聞いていただけるとありがたく思います。

まず、「フランチャイズは本部だけが儲けている」というお話ですが、これは「当たり前」。

要は、自分たちは労働をしないのにロイヤリティだけ取ってる、ということですね。

加盟店を増やすだけで、労働をしていない、ということですね。

こういう文句を言う人は、お金や経済がどのように動いているのかが分かっていないと思います。

経営者ではあるかもしれないけれども、お金や経済の本質が分かっていない。

以前も何度か書いてきましたが、資本主義経済下では「労働」によってお金が動くのではありません。

経済的価値」によってお金が動いている。

「労働」でお金が入ってくるのは、労働が一つの「経済価値」だからです。

ただし、その経済価値に見合ったお金しか入ってこない。

フランチャイズ展開をしている企業は「こういうシステムがありますよ」という概念を提供している。

つまり「頭で考えている」のです。

フランチャイズを申し入れる側は「考えなくていい」。

労働で大変だ、とは言うけれども、もちろんそれも大変なことではありますが、経済的価値で言うと「考える」方が価値を生む。

もう一つ、「制約が多い」。

これも、フランチャイズ本部としては、等価な価値を提供するためですから苦渋の決断もあると思います。

もちろん各加盟店が自分の好きなようにやってより売上を上げられるのであれば、その分宣伝効果も広まり本部も加盟店が増えて喜ぶところではありますが、やはりリスクや質の管理、というところを考えるといたしかたないことだと思います。

加盟して文句をいう人は、おそらくこういうことが分かっていないのではないかなぁ、と個人的に感じるのですね。

経済価値を生む「考える大変さ」と「価値を維持する大変さ」が分かっていない。

やってみれば分かると思いますけれども大変なことです。

筆者もフランチャイズ展開ではないけれども、やってみてよく分かるところがあるのです。

by You

2018-08-26 第2894号〜第2922号(8/17の続き)

微差を見抜く眼力。

親愛なるあなたへ

物事肯定的にとり、希望を持ち、不平・不満、愚痴悪口泣き言を言わずに歩いていくと、「微差」が見抜けるようになります。

微差を見抜く眼力を持つようになります。

微差を見抜く眼力悪口ではありません。

批判悪口のように見えるけれども、質が全く違います。

これがどう違うのかを説明するのが非常に難しい。

by You

「ただの人」へ。

親愛なるあなたへ

私がサラリーマンをやめて何を一番強く感じるかというと、「ただの人」へ戻るリスクなんですね。

人はみな所属感を持って生活しています。

その所属感があるから心の安定を保っていられる。

ところが普段それに気づくことは滅多にありません。

だから、定年を迎えたサラリーマンが目標を見失い、自分の存在意義を見失い、急に老け込んだり、精神的に不安定になってしまうのだと思います。

それは「ただの人」に戻ることに慣れていないから。

独立するとあらゆる大変なこともありますけれども、「ただの人」の状態から始めて自らの意義や価値を模索していくわけですから、その訓練ができる。

「ただの人」でいることができる。

成功者と呼ばれる人々の精神はさらに洗練されていて、「ただの人」を超えて「本当の自分」と「世間からの評価」の間をバランスを取って渡っていく。

幻想の一つとして「いきなり成功者になりたい」と多くの人が思うと思うのですけれども、普通の人がいきなり成功すると精神的に崩壊してしまいます。

そういう意味でも、試練を乗り越えないと幸せに成功できないから、神様はそういう「ラク」を与えないのじゃないかな、と。

ともかくまずは「ただの人」でいる訓練をしてみようではありませんかと思うのです。

所属感を放棄しろ、ということではありませんけれども、今いるところとは別の自分を想定しておく。

準備をしておく。

今いる環境とは別の何かを探してみるといいんだと思います。

それは小さいことからで全く構いません。

小さな種が育って大木になる。

「ただの人」は、大きな「本来の自分」ということになるんです。

by You

無意識なインプットと質。

親愛なるあなたへ

インプットすることは大切ではありますけれども、ものの精度を高めるにはアウトプットすることが何より大切だと、最近改めて感じるのです。

インプットしないとアウトプットできません」という意見があるかと思います。

これは理論上全くその通りで、ないものを出すことはできません。

ところがですね、人間とは不思議なもので、知識や知恵、技術やノウハウというものはアウトプットを始めると「無意識のインプット」が同時に始まる。

これは呼吸と一緒で、吐けば必ず息を吸う、と。

複式呼吸でもヨガのマスターでも、必ず呼吸を「吐くこと」に集中します。

じゃあ吐きっぱなしでそのまま窒息して死んでしまうのかというと、これは神がつくった実に巧妙な体の仕組みで「自然に吸う」ようにできている。

無意識のインプットとは何ですか、というと、具体的には「日常生活の観察力」が鍛えらえるのです。

アウトプットすれば自分で気が付かなくても観察眼が鍛えらえる。

だから、ちょっとでもいいから、今できることから「発信」してみましょう。

「稚拙なアウトプットでは恥ずかしい」「周りの反応が気になる」ということもあるでしょう。

「アウトプットしすぎると質が下がりませんか?」という意見もあると思います。

でも、どんなものでも今やっているレベルから始めるしかありません。

それが成長ということ。

アウトプットしすぎると、一つ一つの質の上下はあると思います。

それは記事を書く私自身が感じていることで、決して全ての記事をMaxで書けているわではなく、満足いくものは今まで書いた3000個弱の中でいくつかあればいいかな、と。

それでも、一つ一つの上下はあっても、全体としてレベルが上がっていく。

これは間違いありません。

だからアウトプットしましょう。

発信してみましょう。

もちろんこれはこういうブログとかの話だけではなく、日常会話や会社での意見投稿、課外活動などあらゆることにあてはまります。

是非みなさんの意見が届きますように。

by You

必ず思いつかなかった分野で開花する。

親愛なるあなたへ

自分の運命に乗る、というのはですね、筆者が経験してきたものをできればそのままお伝えしたいのですけれども、それでも「難しいなぁ」と思います。

経済的成功こそまだですけれども最終的な運命の流れを実感できて、それは「こうだよ」と。

これまでも何となく感じ、記事にも強気で書いてきましたけれども、今回のは不思議な安定感というか揺るがない感じがするのですね。

簡単に言うと、まず「自分が最初に思ったもの」で運命に乗る、成功する、のではないということ。

もちろんそういう人もいますけれども、私も含め、9割9分の人間は「自分が何をやりたいのか分からない」「自分の使命が分からない」のですから。

なので、まずは「楽しいこと」「これしたいなと思うこと」「ワクワクすること」の方向に向かっていくと。

そのためにはやってみるしかありませんから何かちょっとでも「手がかり」があるのであればそれに向かって「行動する」。

「これやりたい」というのでも、最初は漠然としていますから、それが行動するにしたがって具体的になっていく。

そしたらそのまま具体的な運命に乗るのか、というと、そうではなくて、その中で自分が思いもよらない楽しいことが自らの才能とシンクロする点が必ず見つかるときがくるのです。

もちろん自分の「これやりたい」という漠然とした方向性は変わらないかもしれません。

ただ、自分の運命に乗ったとき、あまりにも予想外の流れにきっと驚いてしまうことでしょう。

「こうかな?」と思う方向に行動し続ければ、そうではなくても「思い出す」瞬間が必ず訪れるということなんですね。

by You

「T字型人間になりなさい」

親愛なるあなたへ

私は化学を教えているということもあって、日本人で初めてノーベル化学賞を受賞された福井謙一先生の名言が心に残っています。



「間口が広く奥行きの深い『T字型人間』になりなさい」



表面だけをなでる「一文字型」、特定の分野のみ深い「I字型」。

大概はどちらかに偏っているのかもしれません。

専門性はその分野に長くいれば自然とつく部分もありますから、間口が広い、つまり「視野が広い」というのが非常に難しいのだと。

ともすると「視野が広い」と思っていても、自分の分野でフィルターをかけていることもしばしば。

専門分野を持ちつつもそれにとらわれない視野の広い、「自由な心」を持った人間にお互いなりたいものです。

by You

縁が強いものほど複雑である。

親愛なるあなたへ

人間関係で複雑な問題が起こる。

どうしても割り切れない複雑な問題が起こる。

逃げられればそれでいいけど、たとえば家族とか古い友人とか以前のパートナーとか。

極端な話、会社はやめてしまえばそこで一端縁が切れるけれども、それまでの「歴史」を含有している関係があると思います。

どうしても引っ張ってしまう関係。

それは、やはり縁が強いからだと思うのですね。

縁が強いから苦しむ。

そういうこともある。

でも、それは縁が強いから。

たとえば、家族以上に友人関係で悩むこともある、パートナーとの関係で悩むこともある。

こっちは離れられるけれども、こっちは心のひっかかりで離れられない。

そんな複雑な心理もある。

その複雑な中で、一端離れることも考慮に入れて、右往左往しながら時間とともに歩んでいくと「ああ、こういうことか」と納得できる側面もあるんだと思います。

by You

2018-08-17 第2894号〜第2922号(8/26、9/2、9/4へ続く)

捨てると働き出す。

親愛なるあなたへ

世の中には二つのものがあります。

一つは、蓄積を重ねることで効果が出るもの。

もう一つは、一度捨てることで効果を発揮するものです。

理屈で言えば、一度捨てると捨てた期間の蓄積はできないし、もう一度始めようとするとブランクを埋めるためにさらに時間がかかってしまうはずです。

ところが、継続したときより何百倍も効果を発揮するものが存在する。

これも言うなら、「他の経験が混ぜ合わさる」と。

ハンバーガーみたいなもので、パンだけ蓄積したらずっとパンだけど、お肉がはさまり、野菜がはさまり、チーズがはさまり。

個人的に予備校の仕事もそうで、トークや作成資料の随所にそれを感じます。

「ああ、ただ大学出ていきなりこの仕事だったらこういう風にはいかないなぁ」と。

by You

1万円しかない。

親愛なるあなたへ

コップに水が半分残っているときに「あと半分しかない」と考えるのと「まだ半分もある」と考えるのは後者の方がポジティブでよしとされています。

ところがお金に関してはちょっと注意が必要です。

お金がないときにはそういう考え方がもちろん大切。

ところが、ある程度預貯金ができてきたら、財布にお金をたくさん入れておいて「あれ、3万円しかない」「あれ、1万円しかない」という意識がもっと大切。

もしお金持ちを目指そう、豊かさ意識を目指そうと思うなら、なんですね。

by You

健康の弊害。

親愛なるあなたへ

人生の中で色んな問題はつきまとうと思うのですけれども、結局最終的に人は皆死ぬ。

この間インターネットで見かけた岐阜県郡上市の願蓮寺というお寺さんに、『お前も死ぬぞ』、と一言書かれた掲示に「これを書いた方はすごいなぁ」と思わずうなってしまいました。

本当にその通りで。

こんな確実なことはないのに、普段ほとんどの人はそのことについて考えない。

本気で考えないから人生を変えようとは思わないのかもしれません。

死を突きつけられる。

死を意識する。

一度でも死を突きつけられた人はそのことに気づける、非常にラッキーな人。

そういう意味で私なんかもう天の申し子みたいなもので。

健康は人を盲目にする。

体の健康も心の健康も。

だから病気になれ、事故に遭えというのではなく、無事に何事もないのが一番幸せなのは確かですけれども、一度自分に聞いてみてもいいのかもしれないのです。

「お前も死ぬぞ」って。

by You

我の強い方でいいと思う。

親愛なるあなたへ

死ぬときはやっぱり後悔して死にたくない。

これは多くの人が望むことだろうと思うのですね。

でも現実として、多くの人が後悔をして死んでいく。

そういう現実があります。

だからまずは迷惑かけてもいいから「我が強くなること」が大切なのだと思うのですよ。

とくに「いい人」は。

これはもう訓練しかない。

嫌われる練習をするしかない。

そこから始める。

「我を捨てろ」と言いますし、私も書いてますが、我が強い方でいいから、強くなったら次に「捨てる」、というこの順番だと。

会社に勤めていると、知らず知らずに間に「良い方の我」が失われていく。

だから訓練してみるんです。

by You

2018-08-06 第2893号

小学生と会話する。

親愛なるあなたへ

幼稚園とか小学生のとき、人は実に純粋なもので何でも素直に表現する。

「子供は正直だ」というのは「自分自身」にも当てはまるもので、小学校の、たとえば卒業アルバムに書いたことは「本当の自分の姿」に近い。

なるべく小さいときのがいいと思います。

大きくなると周りの大人の意見が反映されてしまう。

中でも、「もしもこうだったら」なんていう非現実的な希望の中に本当の自分が隠されていることが多い。

こういうものは非現実的だから、たとえものすごい厳しく育てられたとしても親に咎められる可能性が少ない。

「もし魔法が使えたら何をする?」「もし100万円手に入れたら何をする?」「もしも学校がなかったら何をする?」

卒業アルバムや卒業文集を見返してみては。

きっと光が見つかることでしょう。

by You