「距離感の最大値を求めなさい」

親愛なるあなたへ

この辺りが塾の先生っぽくなってしまうのですけど、人の距離感は「人による」。

距離感をグッと縮めた方が力を発揮できる人もいるし、ある程度の距離感の方が力を発揮できる人もいるし、少し遠ざかってた方が力を発揮できる人もいる。

友達がいらない人もいる。

恋人がいらない人もいる。

でも逆に大勢と一緒にいたい人もいる。

その場ではすごくつながってるけど離れたらほぼ無関心の方がラクな人もいる。

人と人は心から通じ合った方がいいんだ、というのが「正しい答え」なのかもしれませんけれども、一番ラクで楽しいのは仕事でも恋愛でも友達関係でも「自分に合った距離感」を見つけてそれを保てる人なのだと思います。

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在庫整理。

親愛なるあなたへ

どんなに状況が悪くなってもどんなにピンチになっても、そしてどんなに辛くても諦めないのは、不思議と「希望」が湧いてくるからなのだと思います。

希望って地下水脈みたいなもので、腹を決め掘って掘ってちょっと出てくると、その湧いてきた希望を「希望に」掘るとさらに希望が出てくるという不思議な性質があるらしい。

神様は全員分大量発注かけてるのに、みんな掘らないから一度希望にあたるとものすごい勢いで噴き出してきてしまいます。

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日本が復活するとき。

親愛なるあなたへ

私はモラル・ハラスメントの話をよくします。

記事にも書きます。

最近「モラハラ」として色んな記事が賑わっていますが、そんな簡単に説明できるようなものではなく、もっともっと分かりにくい、巧妙に隠されたもの。

人のことを思っているようで、心の底では自分本位と相手の支配を望む人がいる。

自分勝手に生きててバサバサ切るけど、本当は人のこと、全体のことを考えている人もいる。

目に見えない鎖が今の日本を縛っているだけ。

世の中をぐるっと見てきて、程度の差こそあれ多くの人が縛っているし、縛られている。

今の日本は正直暗い。

電車の中の空気が重い。

街行く人の表情が不自然だ。

大勢がそうだからそれが「普通だ」とみんな思っている。

この因果が断ち切れたとき、日本は復活すると思います。

p.s.

「モラル・ハラスメントの心理構造」(著:加藤諦三

何度かご紹介させていただいています。

巧妙に隠されたモラル・ハラスメントを理論的にとても分かりやすく書いてある素晴らしい本だと思います。

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モラル・ハラスメントの加害者は何故欲を否定するのか。

親愛なるあなたへ

モラル・ハラスメントの加害者がそんなにたくさん日本に存在するのかとビックリする方もおられるでしょう。

まさか自分がそうではないと。

被害者ではないし、ましては加害者ではないと。

ものすごく簡単に確かめられるテストがあるのですね。

「この人の前では自分の望みを気持ちよく言えないな」というとき、相手は加害者の可能性があります。

そして、「イキイキとした相手の望みを聞いて何故か嫌な気持ちになる」とき、あなたは加害者の可能性があります。

何故モラル・ハラスメントの加害者は欲を否定するのか。

それは自分の自信のなさに気づかず、恐怖のため心の底では自らの人生に絶望しているからです。

だから相手が欲を持つのを許さない。

「欲」とは「希望」。

つまり相手の希望を見ることで自分の絶望を確認するのが恐ろしいのです。

例えば、ある娘さんが「資格を取りたい」とイキイキと言ったとする。

「でも資格だけで食べていけるとは思わない方がいいわよ」と言う親がいる。

何かでみんなから注目された息子さんがいるとする。

「あんまりいい気になると大変よ」と言う。

両方のケースとも本人は心の底から心配していると思い込んでいるけれど、実際は欲を否定している。

簡単に言うと嫉妬の感情、「くやしい」のです。

「欲の否定」は言語としてではなく、非・言語、つまり表情とか仕草とか態度として現れることも多い。

どちらかというとそのケースが大半である。

「私は何も言ってない」と言う人がいるが、それは非・言語メッセージで相手の欲を否定している。

「一見、協力的」な人もいる。

でも何故か気持ちは晴れない。

目標を「言わされている感」があるときは、自分の望むものでなく相手の望みであることが多い。

また本当に自分の望みであっても、それを利用して「自分の劣等感を晴らす」親や先生や上司も多い。

「自分が立派な子供を育てた」という勲章が欲しいのです。

ともかく正当な欲を否定されてる感があるときには、この見えない鎖の可能性を疑った方がいい。

大分前にも書きましたけれども、本当の愛情とは「この人の前だったら自然に振る舞える」と思えること。

自然に振る舞える、つまり「自分の欲を堂々と言えること」です。

もちろん欲がなく幸せにしている人もいっぱいいます。

でも、そういう人は相手の欲を決して否定しない。

「私は欲がなくて幸せ、あなたは欲があって幸せ」

「私、幸せなの」と言いながら相手の欲を否定する人間がいる。

そういう人は本当は人生に絶望していることに気づいていない。

「幸せなの」と言いながら、相手の欲と希望を言語、非・言語問わずに否定する。

「これが幸せだと周りから思い込まされていること」を実行してきて「幸せだと思いこんでいること」に気づかない。

「自分が本当に望むことではないこと」に気づかない。

そういう人間も必ず「幸せは心が決める」と言う。

「幸せは心が決める」という言葉は真実。

ところが幸せなはずの人間が「私はこうしたら幸せ」という相手の欲を聞かされて嫌な気持ちになる、否定したくなるのは何かが歪んでいる。

今の日本に元気がないのは、正当な欲を否定する人間がいっぱいいるから。

モラル・ハラスメントの浸食度合がどれだけ深刻か分かりますか。

by You