捨てると働き出す。

親愛なるあなたへ

世の中には二つのものがあります。

一つは、蓄積を重ねることで効果が出るもの。

もう一つは、一度捨てることで効果を発揮するものです。

理屈で言えば、一度捨てると捨てた期間の蓄積はできないし、もう一度始めようとするとブランクを埋めるためにさらに時間がかかってしまうはずです。

ところが、継続したときより何百倍も効果を発揮するものが存在する。

これも言うなら、「他の経験が混ぜ合わさる」と。

ハンバーガーみたいなもので、パンだけ蓄積したらずっとパンだけど、お肉がはさまり、野菜がはさまり、チーズがはさまり。

個人的に予備校の仕事もそうで、トークや作成資料の随所にそれを感じます。

「ああ、ただ大学出ていきなりこの仕事だったらこういう風にはいかないなぁ」と。

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我の強い方でいいと思う。

親愛なるあなたへ

死ぬときはやっぱり後悔して死にたくない。

これは多くの人が望むことだろうと思うのですね。

でも現実として、多くの人が後悔をして死んでいく。

そういう現実があります。

だからまずは迷惑かけてもいいから「我が強くなること」が大切なのだと思うのですよ。

とくに「いい人」は。

これはもう訓練しかない。

嫌われる練習をするしかない。

そこから始める。

「我を捨てろ」と言いますし、私も書いてますが、我が強い方でいいから、強くなったら次に「捨てる」、というこの順番だと。

会社に勤めていると、知らず知らずに間に「良い方の我」が失われていく。

だから訓練してみるんです。

by You

健康の弊害。

親愛なるあなたへ

人生の中で色んな問題はつきまとうと思うのですけれども、結局最終的に人は皆死ぬ。

この間インターネットで見かけた岐阜県郡上市の願蓮寺というお寺さんに、『お前も死ぬぞ』、と一言書かれた掲示に「これを書いた方はすごいなぁ」と思わずうなってしまいました。

本当にその通りで。

こんな確実なことはないのに、普段ほとんどの人はそのことについて考えない。

本気で考えないから人生を変えようとは思わないのかもしれません。

死を突きつけられる。

死を意識する。

一度でも死を突きつけられた人はそのことに気づける、非常にラッキーな人。

そういう意味で私なんかもう天の申し子みたいなもので。

健康は人を盲目にする。

体の健康も心の健康も。

だから病気になれ、事故に遭えというのではなく、無事に何事もないのが一番幸せなのは確かですけれども、一度自分に聞いてみてもいいのかもしれないのです。

「お前も死ぬぞ」って。

by You

1万円しかない。

親愛なるあなたへ

コップに水が半分残っているときに「あと半分しかない」と考えるのと「まだ半分もある」と考えるのは後者の方がポジティブでよしとされています。

ところがお金に関してはちょっと注意が必要です。

お金がないときにはそういう考え方がもちろん大切。

ところが、ある程度預貯金ができてきたら、財布にお金をたくさん入れておいて「あれ、3万円しかない」「あれ、1万円しかない」という意識がもっと大切。

もしお金持ちを目指そう、豊かさ意識を目指そうと思うなら、なんですね。

by You