お医者様のパラドックス。

親愛なるあなたへ

この前、歯のつめものが取れてしまったので何年かぶりに歯医者さんに行ってきたのですが、すごく不思議なことを感じました。

歯医者さんは、必ず歯のブラッシングを強く勧める、というか指導するのですね。

理屈から言うと、歯医者さんは患者さんがいるからこそ成り立っている職業であって、それを「歯が悪くならない指導をする」というのは、歯科医という職業に立てば「不利なこと」になるはずですが、不思議と仕事はなくなりません。

むしろ、熱心に指導をして患者さんのために尽くしているところほど混んでいる。

神様には人間の理屈で「おかしいな」と思っても、そこに信念がある人を食べさせてくれるようになっているみたいですね。

by You

一人から始める。

親愛なるあなたへ

「愛情」については、色んな人が色んなことを言いますけれども、最終的に自分自身を、自分が一人であったとしても幸せにできる人がはじめて「本当の愛情」を与えられると思うのです。

一人になったこともない、周りに人がいても自分を幸せにできない、ずーっと愚痴・悪口・心配事を言ってる、そんな人が「お前のためだ」という言葉や表情・雰囲気で愛情を与えていると思うのは、やはりどこかが歪んでいる。

この歪みは普段気づかないだけで、現代日本の家庭に、職場に、学校に、他にもあらゆる関係に潜んでいると思います。

そこまでひどくなくても、愛情だと思っていることが、実は相手への依存や執着、これは本当に、親になられる方は自分の子供に対してどうだろうかと真剣に考えてみる必要があると思うのです。

自分の子供に期待していないだろうか。

自分の子供に嫉妬していないだろうか。

自分の子供こそ「我が人生だ」と考えていないだろうか。

自分一人でも満ち足りた気持ちを味わえる工夫をしている人が、本当に愛情を与えられるのだと思います。

by You

宗教が嫌われる理由。

親愛なるあなたへ

世の中にはいろんな宗教がありますが、仏教、キリスト教などの有名なものから怪しい新興宗教まで、本当に多種多様の考え方があると思います。

個人的にはどこかの宗教に属しているわけではないのですけれども、私なりの宇宙観なり人生論を持っています。

その中で、例えば自分の家族が何かの宗教に属したとか、おかしなことを言い出したというとき、「大丈夫でしょうか?」と心配になるのは当然のことだと思います。

何故、宗教にハマると人は心配するのか。

それは、宗教にハマるのは「自分で考えることを放棄するから」です。

これを、人間の心は敏感に感じ取るのですね。

不思議なのですが、私の考える「神さま」もいて、この神さまは自分で考えることを放棄するのを許さないようなのです。

だから変な話ですけれども、神について考える宗教にハマった結果、神さまから援助を受けられなくなる人、というのも。

迷いが生じたらいろんな宗教を見てまわるとよいかと思います。

ただし、そのときも常に「自分で考える」ことを忘れないこと。

心の栄養が切れて一時期所属することがあっても、魂まで預けないこと。

なんだか「宗教批判」になっているみたいですけれども、本来、宗教というのは素晴らしいものです。

古来の知恵、この世の中のあらゆる本質をお釈迦様もキリストも説いてきました。

だから、その素晴らしいものに触れるならば、その本来の目的を是非全身で感じていただければと、そんな風に思うのですね。

by You

死を怖がらない理由。

親愛なるあなたへ

普段、筆者は明るく楽しく生きているので、本当に記事でしかマジメなことを言わないのですが、人間死ぬことをそこまで恐れることはないんじゃないかなぁ、と思うんですね。

もちろん痛いとか苦しいのは嫌なのですけれども、好きなように、自分らしく生きているので、まあいつ死んでもいいだろう、と。

それがもし天命なのであれば。

「寿命」なのであれば。

人間は、みな劣等感を抱えています。

普段気づかないけれども、一人残らず、劣等感を抱えている。

それは今世だけでなく、魂が連綿と続いてきた中であらゆるものが受け継がれています。

だから、今自分自身が抱えているものはそんなに大したものではないから大丈夫なのですよ。

膨大な「過去の記憶」から無意識に来ていることも。

自分が劣等感だと思っているのは表面上だけで、「そう思う根底」には過去の膨大な記憶が眠っている。

魂は、それを承知の上で肉体をまとってこの世に出てきた。

「経験」というのを通じて、いいことも悪いことも、そして過去の記憶から湧き起こる劣等感でさえ道具にして魂を向上させにきた。

その練習が一通り終わるのが、「死」です。

そのとき、今まで背負ってきたものから解放される。

もちろん自殺とかはまた別の話があるのですけれども、それが寿命であれば、今まで背負ってきたあらゆる嫌なもの、あらゆる制約、あらゆる劣等感から解放される。

だから、「死」って、なんか結構いいものじゃないかなと、時々不遜にもワクワクしてしまったりするのです。

死は嫌なことから全て解放しくれる。

だから一生懸命生きればそんなに怖いことではないんだと、そう思うときもあるんですね。

by You

フランチャイズ展開について。

親愛なるあなたへ

フランチャイズ展開、通称「FC展開」について私なりの見解を述べたいと思います。

フランチャイズは本部があって、そのノウハウを提供することで自分も同じ看板が出せる、というもの。

私もフランチャイズ加盟店でいくつか仕事をしてきました。

その中で「フランチャイズは本部だけが儲けている」「制約が多い」というお話が。

もちろん、フランチャイズもいろんな会社があるので、中には非合理な契約内容となっているものもあるかもしれません。

ただ、「ビジネス」という基本に則った話だと聞いていただけるとありがたく思います。

まず、「フランチャイズは本部だけが儲けている」というお話ですが、これは「当たり前」。

要は、自分たちは労働をしないのにロイヤリティだけ取ってる、ということですね。

加盟店を増やすだけで、労働をしていない、ということですね。

こういう文句を言う人は、お金や経済がどのように動いているのかが分かっていないと思います。

経営者ではあるかもしれないけれども、お金や経済の本質が分かっていない。

以前も何度か書いてきましたが、資本主義経済下では「労働」によってお金が動くのではありません。

「経済的価値」によってお金が動いている。

「労働」でお金が入ってくるのは、労働が一つの「経済価値」だからです。

ただし、その経済価値に見合ったお金しか入ってこない。

フランチャイズ展開をしている企業は「こういうシステムがありますよ」という概念を提供している。

つまり「頭で考えている」のです。

フランチャイズを申し入れる側は「考えなくていい」。

労働で大変だ、とは言うけれども、もちろんそれも大変なことではありますが、経済的価値で言うと「考える」方が価値を生む。

もう一つ、「制約が多い」。

これも、フランチャイズ本部としては、等価な価値を提供するためですから苦渋の決断もあると思います。

もちろん各加盟店が自分の好きなようにやってより売上を上げられるのであれば、その分宣伝効果も広まり本部も加盟店が増えて喜ぶところではありますが、やはりリスクや質の管理、というところを考えるといたしかたないことだと思います。

加盟して文句をいう人は、おそらくこういうことが分かっていないのではないかなぁ、と個人的に感じるのですね。

経済価値を生む「考える大変さ」と「価値を維持する大変さ」が分かっていない。

やってみれば分かると思いますけれども大変なことです。

筆者もフランチャイズ展開ではないけれども、やってみてよく分かるところがあるのです。

by You

人は何故旅をしたがるのか。

親愛なるあなたへ

死ぬときに人が後悔する上位に「もっと旅行をしておけばよかった」というのがあるそうなのですね。

「やりたいことをやっておけばよかった」「周りの目を気にしなければよかった」「もっと自分に正直になればよかった」

これらはよく言われることで、本当にその通りなのですけれども、それでもどこか漠然としています。

何となくそうなのかなぁ、と。

ところが「旅行に行けばよかった」というのは、すごく具体的。

「もっと本を読みたかった」「もっと美味しいものを食べればよかった」「もっと素敵な車を買いたかった」

色んな具体的なものはありますけれども、実はあまり上位に入らない。

人によっては入る人もいると思いますけれども、「旅行をしておけばよかった」というのが非常に多いそうなのですね。

人は何故旅をしたがるのか。

それは、自由を求めているからだと思うのです。

人間の根幹は自由。

幸せな成功者やお金持ちも、何故成功したいか、何故お金が欲しいのかと問うと、「自由を得るためだ」と言います。

本当にその通りで。

中には有名になりたい、権力を得たい、贅沢な生活をしたい、というのが一番に来る人もいるかもしれませんが、あまり幸せになれていないような。

死の後悔を聞いてそんなことを考えるんですね。

by You

我と慢心。

親愛なるあなたへ

人生には我慢が必要。

忍耐が必要。

我慢と忍耐は違うものだと、そういう風に書いた記事もありますけれども、今回は分かりやすく一緒の意味、ということで。

私が尊敬している方のお一人、小林正観さんがこんな内容のことをおっしゃっているのですね。

『人生の我慢。我慢(忍耐)のために我慢(我と慢心)が必要。大したことのない私。』

本当にすごい方だなぁと。

なるほどー、と。

忍耐をもって乗り越え成長するものだけれども、それですら「我」や「慢心」がないと成立しない。

もちろん我々は人間として生まれてくるわけですから、欲や我、その他をバランスよく統合した上で人生を楽しめばいい。

忍耐で乗り切ればいい。

全てを捨てて神様のように悟る必要は、個人的にはないと思います。

そこまで悟れれば生きている意味がないのですから(笑)

ただ、正観さんのような視野の広い方の考え方で、未熟な私達にもパッと分かることがあると思うんです。

by You