記憶力は仕事に関係ない

己の記憶力を過信することは、仕事の効率のさまたげとなることが多い。
例えば、Eメール。僕はEメールを読んだら10分で内容を忘れる男である。そのため、即座にメールに対応しなければならない。メールに対応するということは、それまで自分が続けてきた仕事を中断しなければならない。だから、自分の仕事が一段落してからメールを読むことにしている。
以上のことから、メールチェッカーが不要であることがわかる。たとえ読まなくてもメール受信の通知は集中力を鈍らせる。即時対応が要求されるならば、電話連絡があるはずである。
一日十通以下のメールしか受け取らない人ならば、メールチェッカーを立ち上げていても、仕事上問題ないだろう。ところが、担当の責任者になると、メールは一日100通をこえる。メールソフトの振り分け機能を活用するのは当然のことだが、送信されたたびに読んでいては仕事にならない。
どれほど記憶力がいい人も、いつかはオーバーフロウを起こす。職場には、10通のメールを受け取る人と、100通以上のメールを受け取る人に分類される。その中間は存在しない。責任者は数人のうちの一人であるからだ。僕もかつては丁寧に返信していたものだが、今ではそんな時間的余裕はない。かといって、無機質な返信では、人間関係や相手のモチベーションに支障をきたす。
まとめてメールを送受信することで、余計なメールを出すことがないという効果がある。まとめてメールを読むことは「読みやすいメール」「わかりにくいメール」を比較できる機会である。どんどん良い書き方を盗める。僕の場合は、3段落以降は箇条書きにする。文章の形式を変えないと、最後まで読んでもらえないからである。
メールチェッカーを起動している人は、受身で仕事をしていると思う。Eメールという伝達手段は「いつでも確認できる」ことに特化したものである。自分のペースでメールを確認すべきである。すると、仕事の効率は格段に増す。
また、名刺の整理についても同じことが言える。名刺をもらったら、それをしまう際に、裏に情報を書く。日付、相手の年齢、その他いろいろ。もちろん、記憶力がある人ならば、覚えていられるだろうが、僕には無理だ。自分がバカだと思ったら、それにともなう工夫をしなければならない。
「仕事を与えるときは、もっとも忙しい部下にやらせろ」という格言がある。忙しい人は、それでも仕事をこなすことができる工夫がある。僕の場合「己の記憶力を信じない」ということ。「自分がバカだ」という前提にたつと、仕事はシンプルなものになる。メールに束縛する時間を、きわめて限定化することで、意思疎通は簡略化される。そうすると、他人にも気がねなくゆずることができる。だいたい、記憶力が良いと過信している人は、仕事に独自ルールが多すぎて、引き継いだ人は大いに困ってしまうものだ。

そんな僕のはけ口になっているのが、このブログ。「備忘録」というタイトルが示すように、このブログの目的は「読んだ本の内容」を忘れないためである。僕の書く記事は「これから読む人」よりも「読んだ人」を対象としている。アフィリエイト収入を目指す人は、このブログを参考にしてはならない。

だが、こんな方法を取っていると、書く時間がかかりすぎて「できるだけ多く本を読む」という当初の目的を逸脱しているのも事実。できるだけ「速読」したいのだが、紹介する本は「精読」したものがほとんどで、僕としては納得のいく分量で紹介したくなるのである。せっかく制限字数がないんだから。
フィッツジェラルドは言う「結局のところ、人生とは一つの窓から見たほうがよく見えるものである」。読書自体を楽しむのならば、狭く深く掘り下げた方が良いに決まっている。ただし、2月をむかえても相変わらず冗長な記事を書いている自分にカツを入れるべく、ちょっとは「購入したくなる」本の紹介をすべきなのかもしれないと考えている。そろそろ、新書を乱読してみる時期がきたのかも。
【参考記事】
書評blogの本当の売り物―404 Blog Not Found


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