強さのヒエラルキーを構成する −バトルの凄みを表現するために

 
 蛸壷屋のオリジナル同人作品「OUTSIDER」のあとがきで「バトル漫画の真髄は、強さのヒエラルキーをキチンと構成していくことにあり」と書いていました。
 
 面白い題材だと感じましたので、この記事では僕なりに、強さのヒエラルキー(階層構造)について考察していきます。
 
 

ピラミッド型ヒエラルキー
 まず、「強さ」を左図のように、ピラミッド型で構成します。
 今回のケースではその階層を7段階にしてみましょう。頂点がレベル7で、最下層がレベル1とします。
 
 LVが上位の相手には絶対に勝てません。2レベル違えば、瞬殺されます。ただし、1レベル差ならば、劣勢状態のまま、数分ほど戦闘を持続することができます(最終的には負けますが)
 
 では、それぞれの層がどのような「強さ」のイメージを抱いているか、分析してみましょう。
 
 
 まず、LV1層。最低ランクの彼らは、いかに戦いから逃げるべきかを念頭に入れながら行動します。彼らには、LV2とLV3の違いはわかりますが、LV4以降の強さはわかりません。LV3以上の相手には、すべて瞬殺されるからです。
 LV1層からすれば、LV3でも「天才」なのです。
 
 LV2層になると、勝てる相手が出てきます。そのために、自分よりも上か下かを見極めることが、自分が生き残るすべてだと考えます。
 彼らはLV3に挑むことよりも、いかにLV1の相手とだけ戦って勝利するかに神経を費やすことでしょう。
 
 LV3層は、一般的にいえば「相当に強い」レベルです。LV1層には敬意を抱かれています。ただ、そのレベルに立ってこそ、はじめてLV5以降の常人ではないレベルの凄さを思い知らされることになります。
 また、「自分より弱い」相手が、LV2層とLV1層とにわかれていることを把握できるようになるのが、このレベルです。
 
 LV4層になれば、「頂点」がぼんやりと見え始めてきます。そのために、LV5に這い上がるべく、努力を重ねるようになります。
 一方で、LV2がLV1を「弱いものいじめ」していることに想像力が及ばなくなります。LV4からすれば、どちらも同じ「守るべき弱者」にすぎないからです。
 
 LV5層は「人間じゃないレベル」です。LV1のヒーローであるLV3ですら、一撃で葬ることができるからです。しかし、同時に、LV7層という最強レベルを初めて知覚できるレベルでもあります。
 LV5の者はLV4以下の弱者を守る立場のために、LV7にも挑まなければならないことが起こります。当然、LV5がLV7と戦っても、瞬殺されます。LV4の者ならともかく、それより下位レベルの者には、何が起こったかすら理解できないでしょう。
 
 LV6層になれば、頂点がハッキリと見えてきます。その一方で、LV7の相手にはいかに善戦しようが絶対に勝てないことを思い知らされます。助っ人となるパートナーもLV6以上でなければ役に足たないため、孤独な戦いが中心になります。
 自分のレベルが最上位ではないことを否応なしに実感せざるをえないのが、このLV6です。
 
 そして、LV7層。この層で「最強」が決まります。彼らにとって、もはや、LV6は眼中にありません。レベル層ではなく、個人によって、順位がつけられます。
 このレベル7に達してこそ、「世界最強が誰か?」を特定することができるのです。
 
 
 さて、人間の想像力には限界があります。
 レベルは7層ありますが、人間には「すごく強い」「強い」「自分と同じ」「弱い」「すごく弱い」の五段階でしか理解することができません。
 それぞれのレベルが、どのように把握しているのかを表にしてみましょう。
 

  すごく強い 強い   自分と同じ 弱い   すごく弱い
LV1 LV3〜 LV2 LV1 LV1 LV1
LV2 LV4〜 LV3 LV2 LV1 LV1
LV3 LV5〜 LV4 LV3 LV2 LV1
LV4 LV6,7 LV5 LV4 LV3 LV2,1
LV5 LV7 LV6 LV5 LV4 LV3〜
LV6 LV7 LV7 LV6 LV5 LV4〜
LV7 LV7 LV7 LV7 LV6 LV5〜

 
 それでは、どの視点で語れば、読者に「バトルの凄み」を伝えることができるでしょうか。
 
 LV1だと、自分の立ち位置ですら明確に区分できません。LV2だと、弱さの違いを把握できていません。彼らは多数派ではありますが、強さを明確に伝える解説役には不適切です。
 
 そして、LV4以降になると、LV1と2を一緒くたにしてしまいます。それでは、弱者であるLV1層の存在を知らしめる描写をすることはできないでしょう。
 
 だから、物語の視点は、LV3から始めなければなりません。強さも弱さもわかるレベルです。ただ、彼にはLV5以降の違いは判断できません。
 
 主人公はLV4がいいでしょう。LV4になると、LV5とLV6,7の違いがわかるようになりますので、解説役よりも強さの区分ができます。
 しかし、彼には、LV2とLV1の違いがつきませんので、多数派である彼らからは「傲慢」と思われています。
 このあたりで物語を始めるならば、一般市民であるLV1層の描写ができるのです。
 
 ただ、LV4では「世界最強」がLV6,7の者すべてになってしまいます。読者が求めるのは「世界最強は誰か」という個人の特定です。それを知るために、主人公と、その解説役(変更可能)は、随時イベントにより、レベルアップしなければなりません。
 といっても、物語で「LV4から5になった」とファンファーレのように描く必要はありません。何らかのことが起きて、主人公は成長し、実際の戦闘で、そのレベルの進化を解説役に知らしめれば良いのです。「俺より強いLV4ですら格下あつかいするとは…。いったい何があったんだ」というふうに。
 
 解説役は、できれば、主人公の1レベル下の人物に随時切り替える必要があるでしょう。そうでないと、LVが格上の相手に主人公が挑まざるをえない悲愴さを描くことができません。
 「すごく強い」VS「すごく強い」ではなく「すごく強い」VS「強い」であることを示さなければならないからです。
 
 主人公がLV上位の相手に勝つためには、何らかの理由が必要です。通常の戦いでは、レベル上位の相手には絶対にかなわないというのが、この「強さのヒエラルキー」のゆるぎないルールです。戦闘中にレベルアップをすることはできませんので、助っ人がきて劣勢状態を持続させることで、敵の致命的弱点を発見するなど、読者の納得のいく理由づけが欠かせません。
 
 最終的には、LV7に主人公は達するでしょう。そうすれば、個人の強さの違いを描くことができます。そして、主人公はLV7の頂点に君臨する相手が「世界最強」であることを知った上で挑むことができるのです。
 
 7段階である必要はありませんが、このようなレベル層をキチンと設定することにより、「強さのインフレ」と批判される現象は起きなくなることでしょう。
 
 
 さて、現実世界でのこういうヒエラルキーは、必ずしも適当ではありません。
 人間の強さにはいろいろあるからです。例えば「財力」とか「年収」とか「部下の数」とか。
 「財力」といっても、見栄えだけで判断することは難しいです。外見ばかりとりつくろって借金まみれの人は珍しくはありません。「社長」といっても、会社に与える影響力は人それぞれです。
 このような人物眼には、社会経験が欠かせません。己のつたない物差しで「強い」「弱い」を強引に決めつけていると、そのうち強烈なしっぺ返しを浴びることになるでしょう。
 
 また、仕事でもスポーツでも同じことですが「見る」ことと「できる」ことには差があります。
 例えば、自分と同じレベルだと思っていた人の仕事を任せられても、ついていけない場合がほとんどです。
 他人の欠点には気づきやすく、自分の欠点には気づきにくいのが人間です。客観的なデータなしに、自分のレベルを判断するのは、とても危険なことです。
 
 
 ただし、フィクションの場合は、特定の能力をもとにヒエラルキーを構成した方が、読者に説得力を持たせることができます。
 バトルを描くときも「絶対に勝てない戦い(レベル2上の相手)」「様々な要因で勝てるチャンスが出てくる戦い(レベル1上の相手)」と、最初から明確にわけて表現することができます。
 その徹底描写の中にこそ、絶望と悲劇と勝利の価値を、読者の心に植えつけることができるのです。
 世界観が破綻していると読者に批判されることもないでしょう。
 
 
 人間の強さを階層構造で置き換えるのは、あまりにも強引なことですし、己の価値観だけで人のすべてを判断することは賢明な行為ではありませんが、読者を楽しませる物語を作りたい人に、この「強さのヒエラルキーの構成」は一考に価するテーマだと思います。