2009-08-29
医療費・教育費ゼロのキューバの実態
日本のいたるところの人々が悲鳴をあげている。家計が追いつかない、と。
そんな人たちが夢見るのは「医療費・教育費ゼロ」という社会らしい。
それでは、それを長年実践しているキューバを例にとり、その実態を見てみよう。
まず、当たり前だが、医療費がゼロとなると、病院を選ぶ自由はなくなる。保険証には、行くべき病院の名前が記されるようになる。いくら、医者の評判が悪くても、タダなんだから、その病院に行かなければならない。
そんな病院でもっとも優先されるべきは、サービス精神ではなく、一人でも多くの命を救うことである。老人の孤独を癒す余裕は病院になくなる。
救急車のたらい回しをメディアが報道することはなくなるだろう。国民を等しく医療する病院に責任を課すことが許されなくなるからである。
もちろん、お金を出せば、良い病院には行ける。キューバでは外国人用の病院がある。そこでは最新の設備が整えられていて、料金に応じたサービスを受けることができる。
もし、医療費がタダとなれば、タダでないところのブランドが上がる。大多数の者が無料の病院を利用し、少数の裕福な者が有料の病院に行くという格差社会ができあがるわけだ。
キューバは社会主義国家であり、表現の自由はないが、WHOが太鼓判を押す医療先進国家である。医者の数は世界一、乳幼児死亡率は世界トップクラス(日本なみ)、平均寿命は米国と同水準である(日本以下)
それを可能にしているのが、教育費が無料であることだ。貧乏でも学力さえあれば、医師になることができるのである。
そして、その医師の少なくない数が、海外に派遣される。キューバは医者を積極的に海外派遣している。キューバといえば、カリブ海に浮かぶ、孤高の社会主義国家と思われるかもしれないが、南アメリカやアフリカへの人材交流には積極的である。
(だから、米国の対キューバ経済制裁が、毎年のように圧倒的多数で国連で非難されているのである)
そんな背景があるから、無料とはいえ、世界の高水準の医療を、キューバ国民は受けることができる。ただし、ないものねだりは許されない。あの医者は信用できないと思ったところで、お金を払わなければ別の病院に行くことはできない。
医療費無料とは、そういう社会のことだ。
今年はキューバ革命50周年記念ということで、ゲバラの娘が日本に来た。ゲバラの娘は、そんなキューバの医療先進国ぶりをアピールし、キューバが平等主義を貫いていると宣伝した。すると、日本人からこんな反応が戻ってきた。
「キューバがうらやましい。日本では、教育費や医療費は無料ではなく、家計が苦しい」
ゲバラの娘はホトホトあきれたという。キューバでは、自家用車を持っている人はごくわずかである。携帯電話も個人使用が条件づきで認められたばかり。デジタルカメラなんて、日本でいえば、車一台と同じぐらいの価値がある。平等原理主義という理念のために、キューバは国民が等しく貧しい国なのである。
着飾った日本人たちが「キューバがうらやましい」というのを聞いて、ゲバラの娘はどう感じたのだろう。
今年の夏に行われたコミックマーケット二日目は、中高生が多く参加した。彼らのファッションを見るかぎり「日本が貧しい」とは、とても思えない。それは、決して感性だけの問題ではないと思う。まだまだ、日本人には見栄を張り、他人に見下されない格好ができる余裕があるのだ。
それができない状況になってこそ、医療費無料の問題は本格化すべきだと思うのが、キューバについて、いろいろ調べた僕の見解である。
【リンク】
キューバの医療制度についての記事をまとめて下さっています。
興味がある方はどうぞ。
【リンクその2】
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パー速という掲示板で連載している作品です。
キューバ革命に興味がある人はどうぞ。
(未完結ですが。あと、書いてるのは僕ですよ)
中野梓とコルトレーンとルー・リードと音楽理論
「けいおん!」という日常アニメに、蛸壷屋の人といい、その影響を受けた僕といい、異なる方向性を思い描いてしまう理由は、中野梓のキャラ設定にある。
中野梓は小4でギターを始めた。親がジャス・バンドをやっているからである。
そんな彼女が軽音部に入ったとなると、これはもう、一筋縄ではいかなくなる。彼女がバンドに「カッコよさ」だけを求めているはずがないし、「音楽は、音を楽しむものなんだよ〜」と能天気に言うような軽い信念の持ち主ではあるまい。
僕はジャズをやっていた知り合いのことを思いだす。
僕は彼にたずねた。「ジャズとはなにか?」
彼は答えた。「コード理論なしにジャズは語れない」
そして、彼が僕に聴かせた音楽は、J・コルトレーンだった。
そう、彼もまた、世に腐るほどいる、うっとうしいコルトレーン信者の一人だったのだ。
コルトレーンといえば、ある人は天才というが、僕は変態だと思う。
例えば、「ジャイアント・ステップス」
John Coltrane - Giant Steps
http://www.youtube.com/watch?v=2kotK9FNEYU
ありえないコード進行、無駄すぎるとしか言いようがない執拗な転調。
コルトレーン信者は悦に浸った表情で「これこそ芸術だ」と語るが、僕からすれば、バンドメンバーへの嫌がらせみたいなもんだと思う。
これが俗にいう、コルトレーンの代名詞「シーツ・オブ・サウンド」である。
そんなコルトレーンの曲に、ジャズとはなにかを求めるのならば「My Favorite Things」のカバーとなるだろう。
もともと、「My Favorite Things/私のお気に入り」は、「サウンド・オブ・ミュージック」というミュージカル映画の劇中曲である。
「ドレミの歌」や「エーデルワイス」で有名な、トラップ一家の物語で使われている歌の一つなのだ。
Julie Andrews - My favorite things
http://www.youtube.com/watch?v=27mAjycsvgw
この歌は、雷で怖がる子どもたちに「好きなものを思いだせば、怖さなんて吹き飛ぶよ!」と慰めるシーンで使われている。「みんなのうた」で流れるような曲だ。
そんな「My Favorite Things」を、なぜか、コルトレーンはカバーしてしまったのだ。
こんなふうに。
John Coltrane - My Favorite Things
http://www.youtube.com/watch?v=0I6xkVRWzCY
クラリネットみたいなものを吹いているが、これは、ソプラノ・サックスである。なんだか、僕でも吹けそうな楽器である。
だからこそ、この「My Favorite Things」は参考になる。これが、ジャズのフレージングといっていい。
ジャズのサックスを習う奴ならば、必ず吹かされる定番曲である。
(この冗長なソロは習わないと思うが)
こういうジャズを、コルトレーン信者は「芸術」と言うわけであるが、僕はそれよりも、シンプルなロックンロールが好きだ。
例えば、ルー・リードの「ダーティー・ブルーバード」
Lou Reed - Dirty Boulevard
http://www.youtube.com/watch?v=31n-8ffVFVg
コード進行は、「G-D-A-D」を延々と繰り返す。サビの部分もしかり。
この曲を演奏するのに必要なコードは、G、A、Dの三つだけである。
歌詞はダーティー・ブルーバードに住むペテロという少年の物語である。ペテロは、毎日物乞いをしている。その額が少ないと、父にぶたれる。ペテロはいつか父に復讐する日を夢見ながら、路上で自分のプライドを売っている。この曲は最後に「Fly Away」と何度も叫ばれるが、それはどうしようもない日常から抜け出したい、ペテロの妄想にすぎない。
ところが、その「Fly Away」が「G-D-A-D」のシンプルなコードにのって歌われるとき、魔法が起きる。そう、父の暴力から、物乞いの惨めさから、そして、ダーティー・ブルーバードから、逃げ出せるのだ。曲が終わるまでのつかの間の瞬間ではあるけれど。
この曲の物語はとことん救いがないが、だからこそ、最後の「Fly Away」にロックンロールの魅力がつまっているのである。
もしくは、同じルー・リードの「Set the Twilight Reeling」
Lou Reed - Set the Twilight Reeling
http://www.youtube.com/watch?v=uVcRvrmj0OM
アコースティックな静かな曲調なのだが、3:15以降に劇的な展開が待ち構えている。
ディストーションのきいたギターがうなるコード進行は「E-F#-G-A」
このコードに合わせて、曲は一気に加速する。
何度聴いても、スリリングで魂を揺さぶられる瞬間だ。
これほどまでに、「E-F#-G-A」というコード進行を効果的に生かせるミュージシャンはルー・リードしかいない。
僕はFのコードが弾けずにギターをあきらめた世に腐るほどいるザコの一人だが、もしそれが弾けたなら、一晩中、このコードを弾きまくるであろう。
ルー・リードといえば、ノイズ・ギターの創始者であり、ガレージ・ロックの始祖であり、パンク・ロックの先駆者と言われる。
ただ、キャリアは長いが、日本どころか、米国でも、それほど売れてはいないミュージシャンだ。CMで流れて「この曲いい!」と思えるようなキャッチ−さがないからである。
そのくせに、やたらと知名度が高い理由は、ミュージシャンや評論家にファンが多いからだ。いわゆる「ミュージシャンズ・ミュージシャン」なのである。
そんなアーティストを好きな僕を「Fも弾けないくせに玄人ぶるな」と思われるかもしれない。しかし、「ミュージシャンズ・ミュージシャン」のサウンドには、わかりやすさがないかわりに、創造性と革新性にあふれているわけだ。ルー・リードの曲なんて、それぞれのコンセプトが明確だから「なぞなぞ」みたいなもので、それを解いていくのは楽しい。百回聴いて、初めて良さがわかるぐらいの深みがある。
まあ、コルトレーンにしろ、ルー・リードにしろ、オタク論議だと批判されてしかるべきものである。こんなもの、アニメの「作画厨」と同じではないかと。それよりも、売れる曲の話をしろと。
個人的に、アニメの作画の完成度については、各人の先天的な才能よりも、時間と人材の管理の問題だと思う。京都アニメーションのクオリティの高さは、制作チームの組織づくりに魅力があるのではないか、というのが僕の考えである。
そして、JPOPにだって、こういう手法は無縁ではない。
例えば、「カノン」や「対位法」について。
音楽の正体「輪唱・カノン・対位法」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm767218
このような知識を身につけることで、自分が音楽で好きな部分を言葉で表現することができるようになる。
そして、JPOPで量産される「黄金コード」
JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた
前編:http://www.nicovideo.jp/watch/sm4947752
後編:http://www.nicovideo.jp/watch/sm4947852
関連エントリ:http://www.virtual-pop.com/music/2008/10/jpop.html
この動画では「王道進行」と呼んでいる。
「似たような曲だな」とぼんやりと考えているようなことでも、音楽的知識があれば、その原因を突きつめることができるのである。
さて、小学生のうちにジャズに親しんでいた中野梓が、レスポールを一発で選び、メンテのしていないギターを絶対音感でチューニングさせ、しかも、ユニークな歌声で存在感を放つ平沢唯と出会ったならどうなるか?
アニメや原作では、放課後のティータイムを律たちと過ごす丸まった性格になったが、唯の才能の秘密に興味を持ち、それを突きつめようとする可能性だってあったはずだ。
そして、梓は親ゆずりの技法を次々と唯に教えるだろう。唯はそれを「おもしろーい」「すごーい」と言いながら、それをどんどんものにしていくわけだ。
蛸壷屋の人や、僕みたいな男が、「けいおん!」の別の可能性、言うなれば「あなざー・けいおん」を想像してしまうのは、こういうところにある。

