死生観

かなり偏ったお話ですので、気に障る方はスルーしてください。

自分で言うのも何ですが,私個人は「いい加減で、ケセラセラ」です。
心のどこかで、今生きていることが非常に脆く、儚いものであると確信している所以かな?

人の生死で、自分として衝撃を受けたことは過去三度あります。
伯父の死、妹の死、そして父の死ですね。
伯父は若く、美形で、文字通り儚い風貌でありました。突然の出来事に子ども心に固まった覚えがあります。
そして、妹の死....朝まで元気だった彼女が午後には亡骸で戻ってきたこと....これが私の死生観に一番の影響を与えたのかも知れませんね。(明日は分からないと言う意味で)
父の死は驚きこそありませんでしたが、子として何もしてやれないもどかしさを感じたことは、後悔の念という形で今も心に巣食っています。

人間明日はわからない....これこそが私の基点かも知れませんね。
母親がずいぶん昔に、長くは持たないと思っていたのに....今ではお蔭様で元気を取り戻しております。
反面こいつぁ丈夫だと思っていた父が先立つ....こんなものなのか?....というのが実感です。

ですので、今やれることをやる。やってみたいということを優先する癖がついてしまったのでしょう。
お蔭様で反省の念はいつも感じていますが、後悔の念は薄い、否、無いのかもしれません。(どうでしょうね?)