インド教育プロジェクト視察記

etorofu2006-07-08

インドに一緒に行った友達からやっとこさ旅の写真が届いたので、その旅行記を少し。今回の旅行では、ニューデリー、アグラ、パンジャブの三都市に滞在したのですが、ここでは一番思い出に残っているパンジャブでのことを中心に書きたいと思います。パンジャブ州はニューデリーの北西に位置するシーク教徒(ターバンしてる人達ね。パンジャビMCでお馴染みのバングラ・ビートもここから。)の多く住むところで、今回はこの写真を送ってくれた友達がプロジェクトマネージャーを務める教育プロジェクトの一つを視察するという目的で、とある村に少し滞在したわけです。友人が学業の傍ら所属する団体はAsha for Education(http://www.ashanet.org/colorado/ )というNPOで、彼らはインドの貧困層や教育を受けられない人々に基礎教育を提供することを主たる目的としています。このNPOの組織構造そのものもなかなか面白くてここに書いてもいいんですが、ちょっと面倒なのでまた今度ね。


インドの教育事情
インドは今流行りのBRICSの一つということもあって経済成長もそれはそれは凄いもんだし、友達曰く2、3年で街がほんとに様変わりしてくらしいんだけど、教育制度はけっこうお粗末で、一番の問題は地域・学校間で教育の質の差らしい。一般的に中央政府直轄の学校、私立校、地方政府運営の学校という順にランクが落ちていって、地方の学校とかだと学校に先生が来ないんだと。その裏返しとして、富裕層は自分の子供を少しでもいい学校に行かせようと躍起になるもんだからトップ校のレベルはまじ高い。お受験みたいなのは日本よりもむしろ一般的で、実際、今回視察旅行に行ったもう一人の友達も自分の娘を苦労していい小学校に入れたみたいです。関係ないけどインドでは九九の代わりに十九・十九を小学校に入ってすぐやります。


持続可能な学校?
このパンジャブの村もその例に漏れず、貧困層が行かざるを得ない学校のレベルがあまりにも低いため、それを補完する教育をAshaが放課後教育プロジェクトとして提供している。教師は6人、生徒は5歳から15歳くらいまで計300人あまりで、インフラは村にあるものをそのまま使い、教材、教師への給料、その他の経常費を全てAshaが賄っている。授業料はもちろんタダだ。こういうプロジェクトを指して多くの人々は「サステイナブル(持続可能)じゃない。」なんてよく言うけど、よく考えてみて欲しい。結局学校それ自体としてサステイナブルなとこなんて実はほとんどないんですよ。世界トップといわれるハーバードだって政府からの援助と莫大な寄付金とそれをもとにした投資活動で学校を運営している(寄付金を元手にしたリスキーな投資活動が最近問題になってたりする。)。授業料はほんの一部の支えにしかならない。そうした政治・社会的な素養が未熟なところでは結局、こうした形で教育を支えていかなければならないのが現実だ。


村長・ザ・アナーキスト
ニューデリーを昼過ぎに出て7時間のドライブをした初日は夜遅くに村に到着して、村長の親戚の家に泊めてもらった。翌日は週末ということもあって学校はなかったのだけれど、村長が子供たちとその母親たちを集めて集会を開いてくれました。この村長は実はいい意味で曲者で、ほんと超リベラル&アナーキー。行政に頼ろうという気なんかさらさらない。自分たちの村を自分たちの力でいかに支えていくかってことを良く考えて、新しい思想・技術なんかをどんどん取り入れている。それは例えば、女性の社会進出促進だったり、新しい農法の導入、土地の保水能力を上げるための緑化運動だったりして、集会ではみんな村長の声に合わせてこぶしを振り上げつつ「ホー、ハリハリ!(もっと緑を!)」とか叫んでましたw。他にも女子教育の必要性を訴える寸劇を子供たちにやらせたりと、その思想の浸透ぶりはすごいもので、僕はカンボジアの視察旅行でみた村々と対比しつつ、「こういうのをまさに洗練されたソーシャル・キャピタルって言うんだろうなあ。」とちょっと感心してしまいました(友達曰く、シーク教徒の文化としてこういう傾向があるらしい。)。この村のケースのように、リーダーを中心とした社会構造や信頼関係がきちっと構築された地域での開発プロジェクトというのは本当に楽だ。お金さえ供給し続ければ、彼ら自身でプロジェクトを恒久的に運営していくことも全く不可能じゃない。お金以外に必要な知識、モチベーション、積極性、社会がすでに存在しているからだ。逆にカンボジアでは、ポルポト派の虐殺によってこうした社会構造が崩壊していたり、未だに旧ポルポト派が実権を握っていて信頼関係が構築されていなかったりと行った理由で、援助を受ける側が消極的で自立性がないといった状態が多く、プロジェクトから片時も目が離せなかった。予算がちゃんと使われている保証なんてどこにもなかったし、賄賂も横行していた。



ウルルン
僕ははっきりいってこのプロジェクトの部外者で立場としてはタダの日本人学生だったのですが、観光地でも何でもないこんな土地に外国人が来ること自体全くないらしく、日本人がやってきたヤァヤァヤァ!みたいな感じでえらく歓待されてしまいました。流れ的になぜかスピーチまでさせられたり(一番上の小さな写真は、左から、村長、スピーチする僕、通訳する友達。)、キッズに囲まれたり、赤ちゃんを抱いて記念撮影してくれと頼まれたりと何かまじウルルン滞在記。泣いてへんけどな。
パンジャブはヨーグルトがうまいです(ビフィズス菌が元気すぎてお通じがかなり、、。)。





 
集まってきてくれた子供たち。


 
Ashaの学校でならったアルファベットを得意げに綴る少年。



おじいさんに写真撮ってくれって頼まれちゃいました。