角田光代 / 空の拳


今年もいただいたヤマハ・ミュージックカレンダー。一月は舘野泉さん!


          



角田光代さんの本は初めて。
「Number 拳の記憶」に掲載されていた、自身のボクシング体験を綴ったエッセイ「恋とボクシングと勝ち負けのこと」がとても良かったので、この人のボクシング小説が出たら読もうと思っていた。



角田光代 / 空の拳 / 日本経済新聞出版社 (485P) ・ 2012年10月(130107-0110) 】



・内容
 文芸編集志望の若手社員・那波田空也が異動を命じられたのは"税金対策"部署と揶揄される「ザ・拳」編集部。空也が編集長に命じられて足を踏み入れた「くさくてうるさい」ボクシングジム。そこで見たのは、派手な人気もなく、金にも名誉にも遠い、過酷なスポーツに打ち込む同世代のボクサーたちだった。彼らが自らの拳でつかみ取ろうとするものはいったいなんなのか―。


          


500ページ近いボリュームで予想外にボクシングの試合場面が多かった。ざっと振り返っても十試合は書かれていて、ボクサーではない主人公はその付録のようにさえ感じる。
「相手のジャブをパーリングで払い一気に近づき右の腹にショートを入れ右ストレートでさっと飛び退き、ジャブ、ジャブストレートと見せかけて左フック」…… 淡々とこういう描写が、ときに数ページに渡って続く。ストーリーが進行するというよりは、試合に勝ったり負けたりしながら時間が過ぎていく。余計なお世話だが、角田さんのファン(おそらく女性が多いのだろう)がこれをどう読むのかちょっと心配になる。
ある者は花形選手としてジムにバックアップされてランカーになり、ある者は自分の才能を疑い自信を失ってボクシングから遠ざかっていく。ロードワークをこなしてから日中はバイト、夕方から夜までをジムで汗を流して終わる一日は短い。この作品は日経に連載された新聞小説だったのだが、ひたすらパンチの応酬だけで終わる回が何回もあったにちがいない。ビジネスにも経済にも無関係なこんな小説が毎日、日経紙面に載っていたと思うとちょっと愉快な気分になった。

 「体験でその日、バンテージ巻いてもらったんだけど、その白が、見たこともないくらいきれいで」 坂本は口を閉ざし、移動する花火を目で追いかけて、続けた。「こんなきれいな拳で人を殴るのかって思ったら、殴ってみたいなって」


リングの光景をこれだけ書くのに、どれだけボクシングを見たのだろう。後楽園ホールの暗がりで、あるいはジムで黙々とシャドーをしながらパンチボールを叩きながら、聞こえてくるトレーナーの専門用語に聞き耳をたてては、息をひそめて「ワンツー、スウェーバックして右フックを腹へ」なんて動作とリズムを文字に置きかえる作業を繰り返したにちがいない。
フィクションであっても、ボクシングを書くとなればリアリズムは不可避である。ひたすらリアリズムに徹してリングの三分間をできるだけ克明に記そうとする著者の強い決意が誌面ににじみ出ている。女性がボクシングを書くのにあるであろう‘ハンディ’もほとんど感じさせない。皮肉なことに、男としては登場人物のボクサーよりも出版社に勤める主人公の造型に女性作家らしさを感じたのだが。
この作品の良さは、ボクシングに打ちこむ青年像を一般化したり相対化しようとしないところだ。ボクサーとはある意味で現代の稀少人種、貴族なのだから、サラリーマン風情においそれと理解できない思考回路か本能によって生活しているものだ。男性ライターだと無意識に彼らに押しつけてしまうロマンや「オスの本能」みたいな手前勝手な共感は見事に排除されている。本気で拳を交えた者たちにしか見えないらしい、共同幻想かもしれぬ静寂の楽園は貴族の特権であるらしい。



文芸部を希望しながら隔月間のマイナーボクシング誌編集部に配属された青年が主人公。素人の彼が勉強のために入会したボクシングジムで出会った、それぞれ立場のちがう三人の若者の姿を通して描かれるボクサー人生の光と影。
「肉体は鍛えられる。パンチを強くすることはできる。だけど心はどうすれば強くできるのだろう?」 ―この主人公の目線には、もちろん著者の体験が重ねられている。
角田さんが三十代でボクシングジムに通いはじめたのは失恋のショックがきっかけだったという。次なる失恋にもめげぬよう精神と肉体を鍛えるつもりでスポーツクラブに通うことにした。徒歩圏にあればヨガでもエクササイズでも何でもよかったのだが、あいにく近所にそういう施設はなかった。唯一あったのは元世界チャンピオン、輪島功一さんのボクシングジムだった……
なぜボクシングなんてやるのか、三者三様の戦いが描かれているが、その答はない。「なぜボクシングをやるのか」 それは古代ローマ以来、人類史の哲学的謎の一つでもある。

 「もっのっすっごいたのしかったんだ」 涙声にならないよう気をつけて、空也はくり返す。
 「すごいですねえ、ボクシングゆうのは」 人ごとのように言っている。


「恋とボクシングと勝ち負けのこと」と本作を並べたら、前者に軍配を上げる。ジムで自分が場違いに浮いていると感じる自意識。猫パンチ以下。跳べない縄跳び。一ラウンド三分の長さ。初めて買ったグラブの感触。‘聖地’後楽園ホールのたたずまい。無名選手が火花を散らして打ち合う四回戦。自分をモデルに女性ボクサーを主人公にした方が良かったのではないかと思わないでもない。
だが、あえて異性の物語を選んだ。角田さんはボクサーではない。でも、プロの作家なのである。
筋肉の束がふくらんだり縮んだりして背中が怒ったり笑ったりしているように見える。盛り上がった肉の山脈の谷間を汗がすべり落ちてリングを濡らす。腕がしなって伸び、容赦なく肉を叩き骨を痛めつける音を作家は見る。戦うのを止めてダウンしてしまう快感。声援と野次と怒号の中の静寂。壮絶なファイトの最中に笑みを浮かべる男がいる。
自身は運動音痴ということだが動体視力はかなり良さそうだ。ボクサーは目が命だが、この作家の目もなかなか鋭いと思わせられた。一冊の本を読み終えて、ボクシングを12ラウンドまで見たときのような疲労感があった。ときどき鼻の奥をつんとさせられたのも同じだ。いつか女性ボクサーの物語を書いてほしいものだ。