大木晴子(編) / 1969 新宿西口地下広場


【 大木晴子・鈴木一誌 編 / 1969 新宿西口地下広場 / 新宿書房(255P)・2014年6月(141007−1010) 】


・内容
 1969年2月、数人の若者が新宿西口地下広場でギターを鳴らして反戦歌を歌いだした。彼らは3月の毎週土曜日からここに集まり歌をうたい、自らを「フォークゲリラ」と名乗った。一時は五千人を超える人びとを集めたこの集会は機動隊の出動で、7月26日の土曜日を最後に集会不可能となる。本書はこの間の記録を丹念に追った映画『地下広場』(大内田圭弥監督/1970年/白黒/84分)から、1969年という時代の社会世相を読み解く。


          


ストーンズの‘R&R史上最大の三分間’、ホンキートンク・ウィメン。ウッドストックでジミ・ヘンドリクスはアメリカ国歌を阿鼻叫喚のサイケデリックなレクイエムに変えた。オーティスはもういなかったけれど、ジャニスもジム・モリソンもまだ生きていた。レッド・ツェッペリン登場。六十年代後半に青春時代を過ごしたかった自分にとって、1969年はあこがれの年である。
その昭和44年の日本、新宿に「フォークゲリラ」がいた、というのは断片的には聞いたことがあったものの、実際にどんな現象だったのかはまったく知らなかった。ただその語感から、路上ミュージシャンによる反体制活動をうっすらと想像していたにすぎない。
本書を読み、付録のドキュメンタリーDVDを観て、自分の抱いていたイメージとは全然違っていたので、かなり戸惑っている。


ベ平連の少数の若者が新宿駅西口広場でフォークソングを歌い始めた。毎週土曜の夜、彼らは人の行き交う雑踏に立って歌っていた。初めは足を止める人は少なかったが、だんだん取り巻きが増え、やがて大勢が一緒に歌うようになり、大きな音楽集会になっていく。警官が配備されると、それがかえって話題を集めて数千人が広場を埋めるようになった。当局は機動隊を動員して強制排除に乗りだす。広場が通路に名称変更され、道交法によって取り締まりが強化されると群衆は消えた。この数ヶ月の出来事をフォークゲリラだった当事者の回顧を中心にまとめたのが本書である。
まず、ベ平連がらみの運動だったことに距離を感じた。自分は(六十年代に開高健と親交があったとしても)小田実という人をあまり好きではないので興醒めした。
それから、「非暴力」を唱えながら、(正当であろうと不当であろうと)権力に実力行使の口実を与えてしまった時点でこの運動は負けだったのだろうと感じた。自然発生的な集団エネルギーが膨張していけば、取り締まる側も取り締まられる側も群集心理とエスカレーションの轍にはまって衝突は避けられなかっただろう。


DVDに収録されているのは、これまでにほとんど上映されたことがないという自主制作映画『'69春〜秋 地下広場』。フォークを歌い、議論する無数の一般市民の顔が映っていて、現在なら撮影さえできなかっただろう。
この集会は歌を歌った後、見ず知らずの他人同士が議論をする場でもあった。群衆の中にいくつもの議論の輪ができて、若者と、彼らより少し年代の上の者たちが顔をつきあわせて真剣に話し合っている。場所が場所だけに音声は聞き取りにくいが、それは現場の対話者も同じだったであろう、互いの顔がとても近い。相手の声を聞き取ろうとして、必ずしも理路整然とはしていなさそうな主張にもじっくり耳を傾けている姿が印象的だ。場としては反体制の若者側の圧倒的なホームである。思想はともかく、立場も人生経験も違う人たちだから話は噛みあわないのだが、それでもアウェーを承知で話をしようとそこに入っていった年配者たちが、実はこの記録映画で最も貴重な存在なのではないかと思いながら観た。
機動隊が群衆を追い散らし、ジュラルミンの楯で市民を殴りつけるような場面もある。パニック状態の群衆の中から何人かをしょっぴいたところで何になるのだろうとあきれるのだが、大衆運動としてやはりこれは失敗だったのだろう。
この年暮れの総選挙で自民党は大勝、社会党はまだ野党第一党ながら四十議席を失った。その事実を知るにつけ、このフォーク集会は何だったのだろうと思うのだが、一部の熱狂が選挙の投票行動とは必ずしもリンクしないのは、最近の選挙でも見られることである。


阿武隈共和国独立宣言』の初めに、その著者・村雲司さんが新宿でスタンディング(メッセージを書いたプラカードを持って立つ)をしていることが書いてあり、かつてその場所でフォーク集会があったということも述懐していた。
当時「フォークゲリラの歌姫」と呼ばれた大木晴子さんはあれから45年後の今もその場所に立っていて、村雲さんとはスタンディング仲間らしい(本書には村雲さんの詩も掲載されている)。大木さんの現在の活動の方が自分には興味深いのだが。
半世紀近くも前の全共闘とか安保闘争とかを自分はまったく知らない。「神田川」的世界が生理的に嫌いな、始めからしらけきっている世代である。公共の場で自国の行く末を熱っぽく論じあう人々の姿は新鮮で胸打つものでもあったが、フォークゲリラには少しもシンパシーを感じなかったのは自分でも意外なほどだった。
佐世保ノンポリ高校生・ヤザキケン少年が天使レディ・ジェーンと妖婦アン・マーグレットの気を引くためにバリ封やアートフェスティバルを敢行する村上龍の青春小説『69(シクスティナイン)』は完全なフィクションだが、この実話『新宿西口地下広場』も自分にとってはフィクションのようにしか感じられなかった。