思い込みと地球教の環境活動

環境の仕事に携わっていると、時々アクティベストと勘違いされる。はっきり言って、「シー・シェパード」の様な組織は好きではない。今朝読んだこの記事は共感できる部分が多かった。だけど、ちょっと一言。


http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/137225/

◆横行する独善主義

 世に絶対の「善」があるとすれば、多分に始末の悪いものに違いない。何せ、「善」である。誰も正面から否定できないことはむろん、「独善」に陥って既存の秩序を壊しにかかる向きも出てくる。「善」を「環境保護」に言い換えるなら、「独善」の最たるものは環境テロに違いない。
 米国の反捕鯨組織、「シー・シェパード」が南極海で日本の調査捕鯨をさんざん妨害した事態の立件に、日本の捜査当局が乗り出した。後述するが、米連邦捜査局FBI)は前からこの団体をマークしている。調査捕鯨船に投げ込まれたのが「酪酸」というのはちょっと米国風だ。日本ではなじみの薄いこの悪臭物質、米国では妊娠中絶に反対する活動家が産科クリニックにぶちまけることで、その筋では知られている。

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 ◆誰もがひれ伏す「地球教」

 あらゆるテロ組織のご多分に漏れず、こうした環境テロの活動家も自らの信条や行動に疑念を抱かない。シー・シェパードが米連邦税を扱う内国歳入庁(IRS)に提出した「組織目的」など、堂々たるものだ。
 「海洋生物と生息水域の保護に向け、機関紙や講演により公衆を教育する」
 さすがに、「外国船舶への破壊活動」とは書けなかったか。自らを海洋生物を守る戦士と信じ込む気概だけは、まあ感じられる。
 地球環境の保護を絶対の教義とする「地球教」とでもいう宗教が仮にあるとすれば、テロ活動家はまさに使徒か殉教者を気取っているに違いない。クジラを、ヒンズー教におけるウシなみに神聖な存在に置き換えると、話のつじつまだけは合いそうだ。欧米人のクジラ偏愛は、およそ宗教の域に達しているとでも考えなければ、正直なところついて行けない。
 少なくとも建前の上で、世界の誰ひとりとして環境を壊してよいとは公言できまい。「死後裁きに遭う」「地獄に落ちる」などといわれても動じない向きですら、南極の巨大な棚氷が崩れ落ちる映像には恐怖を感じる。ここが厄介なのだ。
 テロ活動から日常的な資源ゴミの分別指導までが、「環境保護」というひとつの言葉に縛られる光景は、あるいは現代文明の“奇観”といえるかもしれない。


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(やまもと ひでや=ワシントン支局長)

「地球教」とはうまい表現である。実際、仏教なども環境のことなどに触れているし、キリスト教も環境と人類の関わりみたいなことを述べている。研究者として、どこかに環境が宗教化することには抵抗があるが、彼の言っている問題点は厳密には「環境問題がどのように宗教化」したかだろう。

仏教における「地球教」ではアクティベストの様な活動でなく、普段の生活の中で自分も環境の一部であるから大切にすると言った考えをもつ。これとに比較して、西洋宗教の「地球教」では、人間と環境には境界線があり、人間は「環境の保護者」といった位置づけがなされる。だから、アクティベストの様な動きがでる。

かなり、前にオックスフォードの修士で教わった環境と宗教の話だが、7-8年で変わる分野でもないので、今でも正しい解釈だと思う。




それから、最近楽しみに読んでいる石井孝明さんの新しい記事も似たような話だった。

  • 本当か?深夜テレビ休止で温暖化防止。ムダではなく意味のある政策を!

http://wiredvision.jp/blog/ishii/200804/200804101100.html

 温暖化対策でさまざまな政策やアイデアが提案されるようになりました。それは歓迎するべきことです。ですが、効果があると勝手に思い込んで、おかしな副作用が生じてしまいそうな、対策も見られるようになりました。

 世間には、つまらない知恵をひけらかして他人を批判する、軽薄な議論を展開する人々がいます。私はそういう意図で無意味な「突っ込み」を入れるつもりはありません。「立ち止まって冷静に考えよう」と、訴える材料を読者の皆さまに提供するために、いくつかの政策や思い込みに、疑問を示したいと思います。

■深夜のテレビ放映休止は意味があるのか?

 NHKの福地茂雄会長は4月3日、二酸化炭素の排出削減の具体策として、エネルギー消費を抑制するために、教育テレビなど深夜放送の休止を拡大する方針を示しました。自民党の議員たちも、温暖化対策として深夜放送の休止を求めています。この政策にどれほど効果があるのか、私は疑問に思います。なぜならば、夜の電気はCO2を排出しない原発で作られるものが多いからです。

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■企業別の排出量を発表して何が起こる?

 環境省は3月、温室効果ガスの企業別排出量を発表しました。温暖化対策法の報告義務を集計したもので、06年には東京電力がトップの6888万トン、JFEスチールが2位の6029トンだそうです。製紙、セメントなどの素材産業の企業の名前も出ています。ですが、これは国が集計し、発表する意味があるのでしょうか。

 そもそも、物流やエネルギーの「上流」にある電力会社と素材産業が、エネルギーを使ってCO2を排出する量が多くなるのは当たり前です。他産業の代わりに、こうした素材を作っているためです。

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「正しい」と思われることが、実は意味がなさそうだ。こうした指摘を3つしてみました。皆さんの周りに起こり始めた「温暖化対策」にも、このような問題が隠れているのではないでしょうか。繰り返しますが、「何をしても意味がない」とシニカルに物事を見るために、こうした疑問を示したわけではありません。効果とコストを検証することなく、温暖化問題で「善意」と「思い込み」で動くことの危うさを、考えていただきたいと思うのです。

この様に『「善意」と「思い込み」で動くこと』を僕は不適応(maladaptation)の一部だと思う。「善意」と「思い込み」で言える事は、「視野が短期的過ぎる」ということ。もっと大きく世界を長い目で見ることが出来たら、不適応は減ると思う。しかし、これがまた無理難題なんだよな。



最後の石井孝明さんからこんな質問が来ていました。

また、家庭のエネルギー増の要因のうち「核家族化」は、大きいものであっても、どの程度影響をしているのかを把握した研究は、私はまだみていません。(読者の中でご存じの方、教えてください)

普段日本語の学術誌を読まないので、日本の記事もあるかも知れませんが、一つ日本の論文を張っておきます。

  • Household energy consumption under different lifestyles

WK Fong, H Matsumoto, YF Lun, R Kimura - Proceedings CD-ROM of the 9th REHVA World Congress Clima, 2007 - rehva.com

http://www.rehva.com/projects/clima2007/SPs/B04E1151.pdf